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2014.08.30 Saturday

Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(3)

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     はい。今回もハードなジョン・ヨーダーさん特集の第3回目。今回も厳しいかも、です。お子茶間向けではありませんので、あしからず。ま、面白ネタも併せてご紹介でしていく予定ではありますが。


    Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(1) (08/23)


    Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(2) (08/25)



     今回も、『ジョン・H・ヨーダーの神学』 東京ミッション研究所ヨーダー研究会編 新教出版社 からご紹介。

    世界とキリスト者のかかわり

     今回のご紹介は、第3章 ジョン・ハワード・ヨーダーの神学 藤原淳賀論文から

    ヨーダーは、キリスト者は世界を力や暴力によってコントロールしようとすべきでないと主張する。(中略)事実、ヨーダーはあまりに結果や効果に執着しすぎているという批判さえ受けることがある。彼は現実的に結果の出る非暴力的な道に強い関心をもっている。しかしながら、彼は、人でなく神が歴史の主であることを、そしてキリスト者はその実現にふさわしく行動することを主張する。(p80)
     なんか、力でテロと対抗し用とするために、「十字軍Crusade」とおっしゃったキリスト教徒を自称するアメリカの元大統領がおられましたが、もし、ヨーダーが生きていたら、何と思ったか、と思います。この人のおっしゃっている法と秩序って、かなり昔のテキサスの法とテキサス風の秩序なんじゃないか、と真剣に悩みそう。



    MSNBCの録画動画


     当該部分に関するホワイトハウスの、公式発言録からの9月16日の記載部分 http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2001/09/20010916-2.html から。

     ・・・・

    Q            Mr. President, the Attorney General is going to ask for enhanced law enforcement authority to surveil and - things to disrupt terrorism that might be planned here in the United States.  What will that mean for the rights of Americans?  What will that mean -

                 THE PRESIDENT:  Terry, I ask you to talk to the Attorney General about that subject.  He'll be prepared to talk about it publicly at some point in time.  But what he is doing is, he's reflecting what I said earlier in my statement, that we're facing a new kind of enemy, somebody so barbaric that they would fly airplanes into buildings full of innocent people. And, therefore, we have to be on alert in America.  We're a nation of law, a nation of civil rights.  We're also a nation under attack.  And the Attorney General will address that in a way that I think the American people will understand.

                 We need to go back to work tomorrow and we will.  But we need to be alert to the fact that these evil-doers still exist.  We haven't seen this kind of barbarism in a long period of time.  No one could have conceivably imagined suicide bombers burrowing into our society and then emerging all in the same day to fly their aircraft - fly U.S. aircraft into buildings full of innocent people - and show no remorse.  This is a new kind of  -- a new kind of evil.  And we understand.  And the American people are beginning to understand.  This crusade, this war on terrorism is going to take a while.  And the American people must be patient.  I'm going to be patient.

                 But I can assure the American people I am determined, I'm not going to be distracted, I will keep my focus to make sure that not only are these brought to justice, but anybody who's been associated will be brought to justice.  Those who harbor terrorists will be brought to justice.  It is time for us to win the first war of the 21st century decisively, so that our children and our grandchildren can live peacefully into the 21st century.

    ・・・
     この時、Bush元大統領がそのために闘うといった「アメリカ人が平和に暮らすため」という表現があったが、アメリカ人が現在、平和に住んでいるかってお言うと、どうもそうでもないように思うのだなぁ。世界のあっちこっちでアメリカ人とアメリカ軍、反感かいまくりんぐだし。今度は、ISISがらみで、シリアに乗り込みかねない勢いだし。オバマ君もなぁ、不運というか、間が悪いというか。

     それが世界の警察官を自称し、そうであるとも思っている人が少なくない、アメリカという国の宿命だし、その国民の宿命ではないかと思う。

    ヨーダーの主要概念としての
    神の国と神の支配(序)

     ところでで、ヨーダーの話に戻すと、ヨーダーが考えている倫理というのは、非常に限定的で、それが適用される教会が極めて限定的である、そして、神の国(神の支配)ということについて、ヨーダーの主張について、藤原先生は、次のようにご指摘です。

    ヨーダーが考えているのは、キリスト者やそれ以外の人々を含めた「すべての人のための倫理」ではなく、自覚的信仰者からなる教会(Believer' Church)のための倫理である。ただそれは教会外の人に全く無縁なものではなく、彼らは教会から学ぶことができるとヨーダーは考えている。(中略)ヨーダーは決してナイーブな人物ではなく、現実を甘くみていたわけではない。そのうえで、中間時における神の国が、キリストの来臨とともにいまだ完成には程遠いにもかかわらず、実現し始めていることを強く主張する。(pp.80-81)
    この部分読みながら、 

     キリストの来臨とともにいまだ完成には程遠いにもかかわらず、実現し始めている

    という部分は、NTライトの終末の議論とも、近いかなぁ、と思うのですね。この、完成にはほど遠いにもかかわらず、実現し始めているというのが、信仰の一つの姿なのかなぁ、と思う。

     キリスト者も完成されたものではなく、完成には程遠いものの神と民となっていくことが実現していく存在として、この地上で生きることになるのであろう。完全に回復する完成の時は、さらに先にあるけれども、その一部は、この地上でもすでに実現しているのだという理解というのは存外大事だと思う。                            

    これまでの神の国論争
           
     ところで、神の国、っていうと天国とか、死後の世界っていう人たちがいる一方、イエスご自身は神の国は既にあなた方のうちにある、とも言われているわけで。そのことについて、次のような藤原先生の解説がある。

    20世紀の終末論は、神の国を「既に」と「未だ」の二つの間で論じられてきたといってよい。ヨハンネス・ヴァイスやアルベルト・シュヴァイツァーによって終末論は大きな転換を見た。ヴァイスは神の国を未来の出来事と見、シュバイツァーは神の国をイエスの存命中に実現されると考えられていたにもかかわらず起きなかったものとする。また、C.H.ドッドの「実現された終末論」はシュバイツァーの反対の極に位置する。彼はイエスと共にすでに神の国が実現していると考える。(p.81)

     アルベルト・シュヴァイツァーってのは、アフリカでの医療やヒューマニズムとの関係で有名ではあるが、実は、この部分に関しては、あまりよく知られてないのだが、イエス伝、歴史的イエス、Historical Jesusの議論では避けられないご仁として有名なのである。そこで、21世紀の今日までの神の国論争について、藤原さんは、これまでの議論をおまとめして、


     今日もっとも広く支持されているのが、「開始された終末論」(inaugurated eschatology)である。神の国はイエスと共に人間の歴史の中にすでに始まっているとする。しかし、それはいまだ完成しておらず、その完成は将来を待たなければならない。(p.81)

    としている。ここまでの議論をおまとめすると、ヴァイスとシュバイツァーは味わいが違うけれども、結果的に神の国は実現しなかった、未完の神の国(0 ゼロ状態)と見ているが、ドッドは完成された神の国(1 フルに完成している状態)と見ているということらしい。しかし、神の国の状態は、真っ黒状態と真っ白状態の間のグレー状態にあるのではないか、とヨーダは言っているらしい。それについて、

     ヨーダーは、彼の時代の新約学のかなり厳密な研究に基づいて神学を構築している。そして彼の神学の根底にあるのは、神の主権と既に始められた神の国あるいは「開始された終末論」である。神の国はいまだ完成してはいないが既に始まっており、人の罪にもかかわらず、神が世界と歴史の主であるという確信が顕著にみられる。我々はヨーダーを理解するにおいてこのことに注意しなければならない。(p.82)

    と藤原先生はお書きである。結局、ヨーダーさんがお怒りの相手は、霊肉二元論的な「白か黒か」論争、「完成したか、完成してないか」っていう極めて単純な問題の枠組みに納めてしまうことの問題なのだろうと思う。個人的には、これって、現実的な問題を考える際に、「間違った問いを立てると、間違った解決にしか至らない」ということの典型だと思うのだ。

    神の国論争から見たヨーダーのメタ思考
    メタ思考をキリスト教図書販売店の例で考える

     問題そのものの建て方を含めて考えないといけない、ってことなのだろう。この「問題そのものの外側にいったん自らを置いてみて、問題を眺めてみて、何が問題なのかを考えるか」ってのがメタ思考なのだと思う。

     最近、キリスト教図書を扱う書店の閉鎖が東京都の西の方とかでも相次いでいるらしい。そこで、この問題を考えてみると、一つの問題の立て方として、

     「(キリスト教図書を扱う書店が閉鎖されるとキリスト者が困るので、書店員さんがかわいそうなので、・・・と理由はいくつもあろうが)、どうしたらキリスト教を扱う書店書店を閉鎖しないで済むか」

    という問題の建て方もある。こう問題を立ててしまうと、「キリスト教書を扱う書店の存続」そのものが考える際の参照枠の前提になってしまい、「書店をどうしたら、存続できるか」というところに焦点が絞られてしまう。この結果、

     1)献金しましょう
     2)もっと本を買いましょう
     3)ボランティア書店員を募って、人件費を図りましょう
     4)キリスト教出版社の仕入れ条件をよくしてもらいましょう
     5)祈りましょう
     ・・・・


    というような解決策になってしまう。一見正しいように思える。そして、でてくる結果もよいように思えるかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。

    メタ思考で考えてみる
    キリスト教書販売店の諸側面

     ところで、書店には、いくつもの側面があることも確かである。

     ■キリスト教書の流通と展示による出版物現物の提示で信仰者の信仰生活に資する。
     (キリスト者の信仰生活に資する本が出版されているとして、ではある。それがそうなっているかどうか、我が国では怪しいという話もないわけではないが)

     ■地域のキリスト者の幅広い人々の間の間接的な情報交換や情報提示の場を提供する。
     (別に本屋でなくてもいいわけで、図書館でも、喫茶店でも、パン屋でもいいだろう)

     ■書店員さんが生活のための給与を得る場

     ■出版社が、自社製品を展示してもらう場
      ・・・・・
    などなど、とあるわけである。ところで、この書店という業界、極めて19世紀から20世紀的なビジネス(ブリック&モルタル型ビジネス)であるわけで、ずいぶんと今の時代に合わなくなりかけているような気もする。アメリカの書店業界なんかでは、すでに、ノン「ブリックアンドモルタル型ビジネス」への対応が急がれているような気がするのだ。

    キリスト教書店が閉店したらどうすりゃ…

     もし、従来の書店が持っていた機能が何らかの形で維持されればよいのであって、それがどういう形で代替され、そのことによってもたらされるメリットはなんで、そして、デメリットはなんで、その中で、我々としてどうするのか、我々の日常の行動としてどう変容するのか、そして、欠けるものや現状で不足するものがあるとすれば、それを自分たちでどう実現していこうとするのか、ってことを考えないとまずいのではないか、と思うのだ。それが、メタ思考ってことでもあるんだと思うんだよね。

     その意味で、問題を考えるときにゼロか1かで考えるのではなくて、もう少し幅広い見かたや、そもそもの問題の背景を含めて考えたらいいとは思うのだよね。それがメタ思考ってことなんだとも思う。

     次々回へ続く。次回は「おちいさい皆さんが減った理由」が、かなり受けたので、その続編として、中学生編を社会調査データに基づいてしてみようかなぁ、と。

     

     
    評価:
    ---
    新教出版社
    ¥ 2,052
    (2010-03)
    コメント:全体像が分かる良い本のようだ。

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