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2014.05.24 Saturday

NTライト Kansasで語る(2)

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     前回は、この講演の前の講演を御紹介したが、この講演では、ライトのジョーク炸裂、超さえている。午前中の講演とは大違いでした。めっちゃ面白かった。必聴。(ただし全編英語、字幕なしですけど)


    あ、今回も超マニアック。難解。一般向けではありませんが、割と重要なテーマと思います。



    パウロの主張をどう考えるか問題について


    ユダヤ思想とパウロ

    パウロが来た世界のことを述べてるらしい。
    パウロは暴徒のような人物(ある面でいうと、ユダヤ社会にとって革命的であった)
    パウロは新しい人間になる方法、イエスにつながる忠誠を誓う新しい方法を提示した
       (この辺、ジャン・ヴァニエJean Vanierとつながるか?)

    神の新しい創造にまねかれているというメッセージを伝えた。
    20世紀は全く異なった人間になる方法を示してしまった。
    パウロは新しい方法論、クリスチャン神学ともいうべきものを生み出した。
    古い境界線を越えて、一つになる方法こそ、十字架ではないか、と
    パウロは示した。
    聖なる一体としてのコミュニティ(Holy United Community)を示した。
    それはユダヤの理想でもあった。

    メシアニックモーメント、すべての者が神にあって一ついなることを示した。

    教会とは
    教会とは、地域を超えたコミュニティ(Translocally Community)。(まさに、教会ってこれだよね。)
    ギリシアにおける哲学:セオロギア(Theologia) とは、3つ(物理学、倫理学、論理学)に分割された世界に関するもの
    パウロの中心的な議論は、大人(人間)になること。(ジャン・ヴァニエ見たい。)
    教会は聖性をもつ存在であるべきだし、一体であるべきだ。
    キリスト教神学のユニークさとは、我々が成長して、どんどんと変わっていく現実の問題に挑戦していくこと。大人であることとは、そういうことではないか。
    もしキリストのうちにあるなら、新しい創造だ、とパウロは言っている。
    この意味は、もし、キリストのうちに新しい神との関係のモデルを見ることができる。
       (神の愛に飛び込むってことやね多分)

    これが新しい知識とパウロが言っていることではないか。

    神と人との関係

    我らが神のオブジェクトでありサブジェクトであって、神はわれらのオブジェクトではない。
       (ほ〜〜〜オブジェクト指向思考だ。
        オブジェクト指向プログラミングは30年前にはやったプログラム作成理論)

    突然やってくるびっくりするような知識としてパウロは提示しているのではないか
    いま、新しい世界が生まれようとしていると指摘しているのではないか。
    神のかたち(似姿)とは、人間となることができる、ということだろう。
    Sandersの授業の話。

    聖書の物語(ナラティブ)性について

    アブラハムの重要性は、レスキューオペレーションの初めだと、ラバイ(ユダヤ教の教師)が言っているらしい。
    全ての地が神の地となる回復というのが、新天新地。
    どのようにものがたり(Narrative)が働くのか、よくわかってないのではないか。
    聖書の神学は本来ものがたり(Narrative)の神学。

    ダニエル書の9章に出てくるダニエルの祈りを考えるとものがたり(Narrative)ということが分かるのではなだろうか。
    聖書のナラティブとは、聖書的コラージュだと、ライトが言っている。

    地と天と神殿の関係

    いまここに向かって、イエスに向かって、将来からの神の希望が流れ込んでいるということがあるのではないか。
    エゼキエル書の天使の記述をもとにUFOと天使が共通だと言ってきた人がいるというジョークの紹介。
    パウロはイザヤと詩篇を特に重視している。
    小預言書では、第2神殿が再建されても、神の栄光が満ちたと言っていない。
    しかし福音書は、イエスによって神の栄光が満ちたと言っている。
    パウロもそういっている。
    Dwell(御座に座す、住まわれる)という神殿用語で、パウロは神の栄光が来たことを語って言っている。

    聴け、イスラエルよ(申命記6章)とパウロの神学

    Shema(聴け、イスラエルよ 申命記6章)でいわれることは、神のプロジェクトに関与することである。
    70人訳とパウロの主張の平行関係をみると、パウロは露骨にこのShemaの部分を下に引いていることが分かる。
    ピリピで受けた教えとそして何をするのか、ということをバランスとらせて語っている点に注目すべきではないか。
    ガラテヤとローマで、新しい出エジプトをパウロは語っている。
    火の柱、雲の柱として神がイスラエルの民と共にエジプトを出たことに関してのジョークの紹介(ニュージーランド大司教がロトの妻についての日曜学校の生徒からの質問への回答をしたことに関するジョークの紹介)。
     日曜学校生徒「大司教様、ロトの奥さんについて、知っていることを教えてください。」 
      大司教「夜は退屈の柱で昼間は塩の柱だった」

        (こういうブラックジョークコモンウェルス人。大好きだ。)

    いろんな人が、この神の国に入る、神の国に関与できるという点が重要である。
    ガラテヤ3章のアイスクリームをくれたまえジョークの紹介をしていた。ガラテヤ3章に関する議論でライトとロイ・ガストンが夕食の席で大議論していた時のことらしい。

     ロイ・ガストン「神の国には、イスラエル人の家族と異邦人の家族の二つがある」
     NTライト「神の国は一つのファミリーみたいなものだ、2つの似たファミリーがあるのではなく」
     でっかいアフリカ系アメリカ人のウェイトレス「皆さん、デザートは?」
     ロイ・ガストン「
    ガラテヤ3章アイスクリームを (ガラシアン・スリー・アイスクリーム)
     NTライト(ウェイトレスに向かって)
     「このロイ・ガストン先生はね、神の国には、二つの家族があるんだって」
     ウェイトレス(ロイ・ガストンに向かって)「神のことばを信じない人は即地獄行きだからね!!」

     おもしれ〜〜〜〜

    (冗談の解説をするのはつまらんのだが、さんざっぱら差別されて、社会の隅に追いやられたあげく、60年代からの公民権運動でやっとアメリカ社会に受け入れられたとおもているアフリカ系アメリカ人にあるひとが「神の国には二つの家族がある」ということは、神の国でも、「仕えてもらえる白人」と「仕えることを求められるアフリカ人」という構造を生み出すことを意味する。この意味を直感的に理解したアフリカ系アメリカ人のウェイトレスは、「二つの家族がある」というガストンに向かって、ガラテヤ書3:28「 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」を理解したうえで、「そんなことを言うやつは地獄行くからね」という表現になったんであろう。しかし、ライトさん、この辺知ってて、ガストンが「二つの家族があって…」と言っているって言わんでも。

     なお、NTライトは地獄や天国を中心にするキリスト教の思想があまりお好きではないらしい。大激怒した時のカリフォルニアのレストランのアメリカ人の表情って、こんなだったかも。



    あるいはこんな感じかな


    実は、ミーちゃんはーちゃんは、Woopiのファンである。

    義認とは何か?

    義認の神学の核は、義と認められて天に行くということではない。
    新しい世界とその中のすべてのもの(被造物すべて)がすべて義と認められるということだ。
    (義認の教理は人間の義認より、もっと広い、ってことか)

    人々が正しく置かれるということは、それが義認なのだ。
    確かに複雑だし、もっというべきことがあるけれども、神が始めたことが何か、ということにもっと目を向けて義認を、そしてパウロが主張しているということを理解すべきではないだろうか。

    神にあって一つであること

    一つの神、一つの民、それがキリストの周辺にあるし、それが本来の目的ではないか。神の国を内在化させるということに困難を覚えているけれども、もっと一つであるということを考えるべきではないか。

    終末論について(48分くらいから)
    パウロの将来理解についてであるが、単に天に行くことではない。

    Raptureが大英帝国生まれで、アメリカでポピュラーになっている。(大爆笑)
    (ライトは、携挙理論RaptureがJ.N.Darby(この人のかんたんな人物解説はこちら)により、英国で発生し、それがアメリカに飛び火し、そしてLeft Behindシリーズを出すにいたったことを話している。映画もできたらしい。ちなみにミーちゃんはーちゃんは、このレフトビハインド的世界観に違和感がある)

    天の理解の解説

    NTライトが携挙にあわなかったら、天に行ったときライトはどうなるのか。という雑誌の質問投稿の話。
    この質問者は、天とは、この宇宙のさらに外にあると思っているのか、と思い、NTライトは考え込んでしまったらしい。

    天に国籍があるということはどういうことか。
    国籍があるとは、ローマの植民地と同じ関係にある。(これ、なかなか重要)
    神がこの地上に来る、というのは、
    ちょうど、ローマ植民地に皇帝がそこに来るというようなもの。
    それと同じようにイエスがこの地上に来る、と新約聖書全体として
    言っているのではないか。我らが天に行くのではなくて。

    政治、コミュニティ、古代思想とパウロ

    パウロと政治とか、パウロとコミュニティとか、パウロと古代の思想

    政治的ダイナマイトであったパウロ
    古代においては、権力、コミュニティ、秩序が重要で、パウロはそれを書いている。
    18世紀的な環境での聖書読みが生じさせる問題。誤読につながるのでは。
    1世紀の歴史的文脈や歴史的社会の文脈の中でパウロを読むべき。(これがライトの主要な主張)

    コミュニティとパウロの関係は重要。
    パウロにとって、おカネをどうするかは政治的な問題と理解している。

    パウロは、人が死ぬまで議論した人物(使 20:9 のユテコ事件)というジョーク。
    アレオパガスでの演説で、人々を神へとナビゲートしている。

    パウロと祈り

    パウロと祈りの重要性
    祈りの神学をパウロが言っている
    神学は教会の中心だとパウロが言っているのがわかる。
    祈りとしてのShema(申命記6章、聴けイスラエルよ以下)に戻るべきではないか。
    Ben Akivaに戻るべき。彼は残虐な拷問の中でもShemaを唱え続けた。
    なぜか、彼がそれを愛してやまなかったから。神を愛することを、愛してやまなかったBen Akiva。
    パウロが殺される際には、イエスの福音書に上がっているギリシア語のシェマーを引用したのではないか、と思っている、と言って、ギリシア語で福音書の中にあるシェマーの部分を引用しこの講演を締めくくっている

    ミーちゃんはーちゃん的感想

     Paul in Fresh Perspectiveのごくごく一部しか読んでないので、よくはわからないが、まぁ、この講演は、NTライトのパウロ理解炸裂、みたいな感じの講演だったんだろう。(読め、って。すいません。あれ、字が小さいんで老眼が進んだ身にはつらい。)

    Holy United Communityの重要性

     いくつか気になるところを。パウロのいう一つになる、というのが、聖なる統合された共同体、Holy United Communityの形成だというのが、重要なんだと改めて気付いた。わが国では、絆、とか一つだ、というと、すぐ、金太郎飴化(マクドナルド化、MacDonalization 最下部の本三唱。みんなおんなじになる、同じにする)を目指すけど、多様なものが、神の霊にあって、一つにまとめられること、それが重要だ、というのがNTライトの重要な指摘なんだなぁ、と改めて思った。まさに、結婚て、Holy United Communityだし、教会も、Holy United Communityである。その意味で、ユダヤ人、異邦人の枠組みの無益さとかを思う。

    義認論

     ライトの義認論は、いろいろと克服すべき課題があるかもしれないことだけは承知している。それの神学的当否について、ミーちゃんはーちゃんはとやかく言えるほどの知識もなければ才能もない。しかし、これまでミーちゃんはーちゃんがさんざっぱら聞いてきた「イエスが私たちの罪ゆえに神に裁かれ、死んだから、キリスト者は義となった、したがってキリスト者だけが天国に行って神と共に過ごす」というような理解よりもかなり幅広くNTライトはとらえていることだけは今回の講演を聞いて直感的にわかった。そして、その幅広い義認の中で、被造物の回復(救い)をとらえようとしていて、それが、エデンの園の回復である終末における新天新地だと理解していそうだ、そこと結び付けて、NTライトは考えていそうだ、ということはわかった。
     ライトの義認論に関しては、ライト研究家ではないミーちゃんはーちゃんに聞かないで、直接ライト先生と御対話いただきたく。ライトの全著作、相当分量あるので、日本人で読みこなすの、相当大変だとは思うけど。

    終末論

     あー、JNDarby のDispensation説。どうしたもんでしょうね。

    パウロの祈り

     Shema Israel(聞け、イスラエルよ)は、熱心なユダヤ人は、最低4回日に唱えるらしいが(リベラルなイスラエル人はしないらしい)、これ大事なんだろうなぁ。

    その部分の申命記口語訳はこちら。
     6:4 聞きなさい。イスラエル。は私たちの神。はただひとりである。
     6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、を愛しなさい。
    文語訳はこちら

    イスラエルよ聽け我らの神ヱホバは惟一のヱホバなり
    汝心を盡し精神を盡し力を盡して汝の神ヱホバを愛すべし

    とおもって、YoutubeでShema Israel を引いたら、こんなの出ました。



     ↑
    これって聖餐式の原型じゃね?


     しかし、今回の講演は、ライトの大英帝国風のウィットに富んだジョーク炸裂の、大変楽しい講演でした。こんなふうに講演とか説教してみたい。無理だけど。





    評価:
    N. T. Wright
    Fortress Pr
    ¥ 1,778
    (2009-01)
    コメント:割と薄くて読めなくはない。

    評価:
    ジョージ リッツア,George Ritzer,正岡 寛司
    早稲田大学出版部
    ---
    (1999-05)
    コメント:よいよ。

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