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2014.04.23 Wednesday

科学と信仰 NTライトの講演を聞きながら

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     先日、やたらと朝早く(4時ごろ)目が覚めたので、Facebookを見ていたら、NTライトがFacebook上(https://www.facebook.com/pages/N-T-Wright/260878103965254)で、面白そうな自分の講演のリンクを紹介していた。動画はこちら。




    音声はあまり良くないし、途中で携帯なりまくり、携帯のバイブレーションが鳴る音するし、ざわざわ音が入っているものの、中身が面白いので、1時間余り聞き惚れてしまった。基本的には、科学者として、新約聖書が信頼できるか、って問題を取り上げていた。

    講演で触れらている内容を簡単におまとめすると、こんな感じかも。()内は、ミーちゃんはーちゃんのメモ

    ■講演の論点概要


    進歩主義と科学とエピキュリアニズム

    進歩という神話にとらわれている近代人
    啓蒙主義に浸っている近代人
    リアリティとは何か
    啓蒙主義とエピキュリアニズム
    1階(現実)と2階(理念系)を行き来する議論で構成されるエピキュリアニズム
    2階の理念系から暗い1階の現実を照らすという上メセ仕様の啓蒙思想。
    エピキュリアニズム的な科学的世界理解。
    進歩するということの背景にある問題(社会進化論を含む)
    科学で信仰を明らかにしようとするアメリカ人の困った傾向
    現代人は科学主義を信頼しているのであって、科学そのものを必ずしも信頼しているのではないという事実
    古代ユダヤ社会の思想の特徴
    エピキュリアニズムと結び付いたキリスト教信仰
      (この地上と新しい地の分離 本来ユダヤ世界の中では別物の新しい天と新しい地があるのではなく、両者は一体となるのであり、この地上に新しい地と天が上から降りてくるという理解であった)
    合理的な楽観主義としてのエピキュリアニズム
      (だから、環境破壊もできるし、問題先送りは当たり前となる)
    古代ユダヤ教でも古代教会でもギャップを超える神という神理解はない
      (連続的な神理解 連続体として考える将来を含む歴史認識)

    科学と科学以外のもののかかわり

    人間にとって、重要な美的側面、音楽、料理、芸術 そして普遍的価値は存在
    意味を統合するものとしての宗教(あるいは信仰)
    科学の価値中立性の問題
     (科学は、どうなるかというプロセスと結果は言うが、なぜそうすべきかは価値判断の部分については言わない)
    近代の科学者が新約聖書を信頼できるか問題
    歴史と科学の問題 

    イエスとイエスの復活とユダヤ的世界観

    ユダヤ世界観の中での神の座(神の国)が地上に近づく・交わるという視点
      (→  鎌野論文 神殿)
    イエスの主張とエピキュリアニズムのコンフリクト
    エピキュリアニズムとしての近代科学がイエスの復活を受け入れにくい理由
    イエスの復活が重要な理由
    イエスの復活は一般に想定されているような天に行くことが目的ではない
    イエスの復活は新しい世界に入ることとの関連でとらえるべき
    別の世界観を取り入れることと意味を見出すこと
    これからの社会を再構築する物語としてのイエスと新約聖書の物語

    パラダイムシフトと科学と信仰

    科学は科学以外の様々な考えを受容し、対話する性質をもつのであるのではないか
    キューンのパラダイムシフトを科学としてどう考えるのか?
    倫理、政治の問題等を科学としてどう考えるかが問われる時代になったはず。
    イエスの復活をたんに超自然的で受け入れかねるものとしてみる姿勢は科学的か
    イエスの復活によって新しいものの見方が生まれたはず。
    この新しい物の見方、世界観は科学者を含めて影響するのではないか。
    イエスの復活は新しい理論を創り出すというチャレンジを科学者にしているのではないか。
    現状の科学で受け入れられないからといって切り捨てるのではなく。

    信頼とは何か

    信頼とは何か?それは、数学や科学的検証もなしに行う行為ではないのか?
      (→ このあたり、信頼と公理系の問題と密接に結びつく)
    新約聖書は、新たなPower(権力、力)を語っているのだ
    新約聖書は、関与(participation)を我々に要求する
    信頼とは、科学を大きく超えたものではないか
    科学者として信頼できるかではなく、科学で信頼が取り扱えるのかを含めて考えるべきではないか

    とまぁ、一部禅問答みたいな議論がなされていた。

    感想
    科学として、メタ概念操作をする重要性の指摘

     科学は、基本的に自分たちが扱える範囲に問題を絞り込んで、問題に対応しようとする習慣があるので、こういうライトみたいな議論は、超越的ということで、そも議論の枠内に含めないことが多い。この講演でライトは、科学者に対してメタ(科学の外側にある概念世界)の議論をして見せることで、科学というパラダイムを外部から見てみて、その外部に宗教(おそらく信仰とか信頼)の世界があり、それを融合する理論を科学が作らなくていいのか、とまた、Provocativeな議論をしていた。その意味で、科学はメタ概念操作が不得意なのだけれども、不得意だからといって、メタ概念での操作を忘れてないか、という指摘が全体の講演のトーンであった。

    エピキュリアニズムとストイシズム

     今回の講演で、エピキュリアニズムが啓蒙主義の背景とはじめて知った。その意味で、社会思想や哲学の面で、西洋はストイシズムに色塗られ、科学思想の面では、エピキュリアニズムに色塗られ、両者が張り合っているというギリシア以来の構図があるんだろうなぁ。

     福音派の一部は啓蒙主義の影響を受けているので、その結果、現在の地と将来の地を分けて考える傾向をもつという意味でエピキュリニズム的思想に彩られているんだろうなぁ、という感想を持った。

    科学という枠内に信仰を無理やり閉じ込める、という愚
     
     アメリカに多い創造科学論者は、科学の枠内で、信仰を無理に立証しようとするところなど、実は、それは科学という狭い枠内を前提として考えようとする意味で、かなり無理があるのだろうと思う。このことは、マクグラスも『科学と宗教』(教文館)の中で、指摘していたなぁ。そういう意味では、科学の中で信仰を考えるのは、畳一枚に大都市を無理やり詰め込む、という感じに近いと思うのだが、違うかなぁ。

    ほら、キリスト新聞社のステマブログじゃないでしょ。ね。






    評価:
    価格: ¥2,700
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:よいよぉ。科学が自然神学からの出発であり、本来神学の一部であったことなどが示されている。

    評価:
    F. F. ブルース
    聖書図書刊行会
    ---
    コメント:いい本なんだけど、再版されないかなぁ。

    評価:
    F. F. Bruce
    Inter-Varsity Press
    ¥ 789
    (2000-07-01)
    コメント:英語だと、まだ出てるんだ。古いけどいいよ。

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