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2014.06.21 Saturday

RPG ならぬ WPG

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     ここの所ヘビーなネタが続いたので、今回くらいは短くて、軽くて、よみやすいものを。今日はさ、上智大学の大阪サテライトキャンパスである、雨宮司祭の聖書講演会に行くしさ。教会に巣くうGG(ジジイ あるいはグランド・ジェネレーションの人)であるけど、今回は、若者向けの替え歌をば。

     たまたま、だいぶ前の日曜日、MJというNHKの深夜番組を見ていたら、これ、ちょっと変えたら、即、讃美歌じゃん、と思ったからなのである。

    「世界の終わり」にって、ゴスペルバンドか?

     SEKAI NO OWARI(バンド名からして、終末感たっぷりの福音派キリスト者のミーちゃんはーちゃん向けである。ハルマゲドンやマルハゲドンにしなかったのは、偉い偉い)のRPG(何と映画クレヨンしんちゃんのテーマらしい)の替え歌、WPG(We Praise God)である。

    まずは、元歌を聴いてもらいたい。元歌のPVはこちら。


    ---------------------替え歌---------------------------


    空は青く澄み渡り 
    を目指して歩く
    怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない

    大切な何かが壊れたあの夜に
    僕は創造主を探して一人で歩いていた
    オリオン座のベルト(ヨブ記 38章31節参照) 君も見てただろうか
    僕は元気でやってるよ 君は今「ドコ」にいるの?

    「方法」という悪魔にとり憑かれないで
    「イエス」という大事なものを思い出して

    空は青く澄み渡り 神を目指して歩く
    怖いものなんてない 僕
    はもう一人じゃない
    空は青く澄み渡り 
    を目指して歩く
    怖くても大丈夫 僕
    はもう一人じゃない

    大切な何かが壊れたあの夜に
    僕はイエスを探して一人で歩いていた
    あの日から僕らは一人で神
    を目指す





    「約束のあの場所で必ずまた逢おう。」と

    「成功」という悪魔に惑わされないで
    神が与えた「イエス」を思い出して

    空は青く澄み渡り 
    目指して歩く
    怖いものなんてない 僕
    はもう一人じゃない
    空は青く澄み渡り 
    を目指して歩く
    怖くても大丈夫 僕
    はもう一人じゃない

    “煌めき”のような人生の中で
    イエスに出逢えて僕は本当によかった

    街を抜け海に出たら 次はどこを目指そうか
    僕らはまた出かけよう 愛しいこの地球(せかい)を

    空は青く澄み渡り 
    を目指して歩く
    怖いものなんてない 僕
    はもう一人じゃない
    空は青く澄み渡り 
    を目指して歩く
    怖くても大丈夫 僕
    はもう一人じゃない

    -------------

     たまたま、この曲聴いていたら、ほとんどそのままで讃美歌になるじゃん、と思ってしまったのだ。そしてイエスとともに歩く歌になるじゃない。

    讃美歌の替え歌だった唱歌

     ちなみに、昔の日本の小学校で教えた歌のかなりの部分は、教会讃美歌の替え歌(この辺は、みなみみなみ作画のタイムっちや、ちょっと学術的に知りたい方は、大塚野百合さんの関連図書を参照)であるから、ミーちゃんはーちゃんが替え歌をしたところで、怒られはしないだろう。原曲のイメージ崩すなって、SEKAI NO OWARIのファンの皆さんからのお叱りは、甘受いたし候也。

     また、新教出版社キリスト新聞社に媚売って、とかいう人いるだろうなぁ。

     ええい、正直に告白しよう。ミーちゃんはーちゃんは、キリスト教書業界の私設応援団員でござる。www

    孤独のもたらす破壊的な力

     余談はさておき、この歌の背景には孤独が隠れてる。あめんどうの、ナウエンと読む福音書を見るまでもなく、孤独は非常に破壊的なものを個人にもたらす。一種の霊性の真空状態をもたらすように思う。だから、それを満たすために、老いも若きも恋愛に走るし、恋愛が大好きなのである。それは、自分以外の誰かと共に歩むことが、人間である、「人間になる」上で最も大事であるからである。

     日本での昼メロ、アメリカでのソープオペラ(アメリカ版昼メロ)がなくならない背景には、これがあるだろう。死刑以外で最も過酷な刑罰は、自分以外の誰かと強制的に過ごさせなくする独房刑なのではないだろうか。この独居刑は、思想犯などに対応するためにおオックの国で使われてきた。このあたりのことを詳しく知りたければ、賀川乙彦先生の刑務所関連の本を読むことをお勧めする。

    結婚という共同体形成

     そういえば、この前、結婚式の司式をするために、創世記をもう一度マジで読み直していて思ったのだが、そして、そのあと、同性婚問題に関するライトの発言(下記リンク参照)を見ていて思ったのだが、人間は男女で一対となるように作られている。そして、一対をなすことが完全系をなす、という点である。



     一応念のため、ミーちゃんはーちゃんによる、動画の要約を載せておきます。

    議論を始める前に、用語の定義が変わるってことに注意喚起しておきたい。

    自殺、殺害等が典型的にそうである。
    結婚は、文化を超えて、男性と女性の結合であった
    女性と女性、男性と男性の結婚は、これまでの男性と女性ということを超えているし、文化を超えてもないことだった。
    ユ ダヤ社会、キリスト教社会、ムスリム社会の中で、創世記1章で創世の最初があり、男女の創造で終わっている。そして、すべてペアで完結するように創造されている。聖書の最後のシーンは、教会とキリストの結婚で終わっている。聖書全体のものがたりが相互補完(Complementality)で貫かれている。男女の結婚は「よさGoodness」の象徴である。それを同一性同士の結婚にすることは、結婚というももの重要性を毀損し(Downgradeと言っている)、便利な社会的関係とだけとらえてしまうのではないか。そして、それを認めていくことは、結婚の素晴らしさを教会が十分に伝えないことになるのではないか。

    神と人とからなる共同体形成

     人間は、男女で一対となり一応の完成形となり、そして、人間と神で一対となることで初めて人間、アダム、神から息を吹き込まれた状態として完成形になるように思う。そして、すべての人に、神から息を吹き込まれたものの完成形を目指して、不完全な形であるとはいえ、神から息を吹き込まれた状態としてのアダムとして、神という目的に向かって、イエスとともに歩むことを神が望んでおられ、神がイエスと共にこの世をしっかりと歩むことに我々を招いておられることをRPGならぬWPGとしてこの世での人生を歩むことをお伝えするために、本日の記事をお送りしたい。
     キリストがこの地上を歩まれたのは、単に、我々に天国行きの切符を与えるためではありません。それは目的ではありません。早く多くの方が、日曜学校的お手軽単純なキリスト理解から脱出してもらえればなぁ。


    追記
     ヤンキー牧師こと水谷潔さんが、「自分の幸せか?神の栄光か?結婚の第一目的が、幸福度を決める!」ということで書いておられたが、ここで、援護射撃というか補足をしておきたい。

     結婚の目的を考えること自体ナンセンスではないか、と思うのだ。結婚そのものが、神が与え給いし完全性を地上において示すことだと思うのだ。最初の人であり、直接息を吹き込まれた状態であるアダム(エバがとられる前の状態)になり、それを地上において指し示すことが結婚であり、家族形成なのだ。不完全であっても。だからこそ神の祝福なのだ。神の栄光のためというよりは、神の祝福が不完全な形で実現した姿が結婚なのだと思う。そもそも、幸福を求めて結婚するって、個人的にはどやさ、と思う。結婚によって、神の祝福を受けた結果、幸福になるのが、創世記的な、そして神が教会を花嫁として迎えるという黙示録までを一貫するような聖書理解なのではないか、と思う。

     上で紹介した、RPGならぬWPGではないが、人間の幸福度で考えることは、キリスト教業界にもはびこっているかもしれない『手段という悪魔』や『成功という悪魔』に惑わされることではないか。人間の幸福は、結果であって、成功という目的や手段ではないだろうし、幸福を目的や手段にしてはならないだろうし、神の祝福を目的や手段にするのはまずいのではないだろうか、とちょっと思ったので、補論というのか援護射撃をしておきたい。

     では人間の目的、結婚の目的とは何か。主の祈りを覚えられたい。
     
     「御名が崇められますように。
       御国が来ますように。御心が行われますように、」

    ではないかな。うすっぺらな我々のおこころや我々の幸福ではないのではないかなぁ。

     「このぉ、敬虔主義者」というならお言い。私は敬虔主義者ですが、それが何か?w





    評価:
    岡田明
    キリスト新聞社
    ¥ 2,160
    (2013-04-25)
    コメント:日本の明治期の天皇制がキリスト教からのオマージュであることや、15年戦争に至る中でのキリストと国家との関係が、わかりやすく描かれている。お勧めの1冊。

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