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2014.04.12 Saturday

『愛』をめぐる一断章(3・おまけ)永遠の愛のハイパーインフレ

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     さて、ここまで、冗談交じりに教会と愛の問題を考えてきたが、この『愛』をめぐるキリスト者社会というか聖書理解の問題と、日本語というか現代の日本社会での理解の問題は、結構重要だと思うので、穂論として、日本語における『愛』を再考してみることにしようかと。

    なお、本シリーズは、以下のような展開を経たものである。

    いつものように水谷さんのブログ記事に触発されて、

    『愛』をめぐる一断章(1)
     
    『愛』をめぐる一断章(2)
    を書いた後、さらにこれを教会の中で考え、

    「教会が私を愛してくれない」症候群の背景(1)

    「教会が私を愛してくれない」症候群の背景(2) 劇場版

    「教会が私を愛してくれない」症候群の背景(3)最終回

    を通して、本記事へとつながる。
    なお、

    社会の分断化・分節化と社会を構成する人の疲弊と教会

    も関連記事である。

    以下、本日の記事の本論。

    おまけ(補論) 日本語における『愛』について

    『永遠の愛』超(ハイパー)インフレーションを考える

     先日朝の7時台のニュース番組の枠に一応入れてもらっているらしい娯楽番組(テレ東とか、テレ玉とか、サンテレビとかでファミリーアニメを見ていたわけではなく…)を見ていたら、最近のはやりらしいJPOPの日本人女性歌手が歌っているシーンの字幕に「永遠の愛がうんたらかんたら・・・・」とかあって、驚いてしまった。そのJPOPの歌詞を聞く限り、もう、「永遠の愛」は、どうも、現代の日本語では、若者の恋愛関係、結婚のことを主に示す用語として標準(デフォ、または、デフォルト、または、デファクト・スタンダード)になっているらしい。

    永遠の愛と恋愛、結婚を結びつけさせた
    教会風結婚式とダイヤモンド会社の広告戦略


     多分、『恋愛』とか『結婚』と『永遠の愛』が現代日本人の若者の頭の中で混同している背景の半分ぐらいは、教会での結婚式、ないしは、教会を擬態した教会建築物での教会結婚式(あくまで、教会結婚式であって教会式結婚式ではないことを読者はよく読みとるように)への参加者が増加したことにも関連しているのかもしれない。なお、ミーちゃんはーちゃんの書籍「結婚式教会の誕生」についてのミーちゃんはーちゃんの感想は、こちら

    いわゆるバイト司式者
    (似非神父、似非牧師)問題

     教会擬態型教会風結婚式場(ちなみに、このような擬態教会では、信徒もいなければ、聖餐式もなければ、洗礼式すら開かれることはない)では、バイトのコーカシアン(いわゆる白人に見える人)の司祭だか神父だかに見える司式者による式で、

    アナタハァ エイエンノォ アイヲォ カミノマエニィ チィカイ マスカァ

    と片言の日本語で結婚の誓約の儀式をしてもらうのが、どうもかっこいいと思われているらしい。なお、バイトの司祭だか神父だか牧師のフリをしている人の少なくない部分は、キリスト教徒ですらない場合もあるようだ。まさしく食品偽装事件ならぬ、牧師偽装事件であるし、教会偽装事件でもある。久保木先生も左様ご指摘でござる(久保木先生による記事はコチラ)。久保木先生、正解。

     一度知り合いのホテルマンから、知り合いの退職した白人の伝道師か牧師(『白人の』の限定付き)を紹介してくれ、と泣きつかれたことがある。お断りはしましたが。

    コスプレ大会としての結婚式

     どうせ、教会擬態型教会風結婚式場では、コスプ(つまり、なり切り、であるが故に完全に擬態、フリ)としての結婚式が挙行されるだから、いいっちゃいいんだろうけれども。なんせ、最近は授かり婚(結婚式の時点では妊婦さん)でも、恥ずかしげもなく白のドレス着るのが、普通らしいし。

     どうせだったら、アニキャラ結婚式とか、すればいいのに。

     そうだなぁ、ミーちゃんはーちゃんだったら、ホーマーシンプソンのコスプレ(しなくてもそうなっているという説はあるが)して、Homer SimpsonsのHomer Face(Lady Gaga様のPoker Faceの替え歌)を

    I like my Homer face
    yeah that's what I said


    と歌いながら入場したくなる誘惑にかられそう。Do’oh!

     それとか、花嫁さんは会堂にキャリーぱみゅぱみゅの格好で、「もったいないから」と歌いながら登場とか、花婿さんは、「ふなっしー」とか、尼崎のゆるキャラ「ちっちゃいおっさん」キャラで花嫁をAKB48の「ヘビーローテーション」歌いながら待っているとか、やったらいいのに。どうせコスプレなんだったら。これも楽しいと思うが。
    ちっちゃいおっさん
    上記画像は、「ちっちゃいおっさん」のサイトから転載しています。



    永遠の『愛』と呼ばれるものを
    見せつける背景としての教会

     ということで、結婚式場教会は、結婚式という永遠の「愛」を神の前に誓う場ではなく、人の前に見せびらかす場一時的な舞台(したがって、その教会に毎週日曜日出席する信者がそもそも全くいないという本来の教会とかけ離れた結婚式場教会では、教会の建物は劇場のペラペラの背景画と同じなので、壁は合成木板の上に化粧塗装ということすらあるらしい…)として一般の人は設定するのであろう。

     バイトの牧師や神父に登場人物を演じる役者になってもらいながら司式をさせる結婚式は、神の前に結婚と貞節を誓う場でもなく、列席者に「ドヤ顔」で自分の幸せな状況をアピールする場(有体な「ものいひ」をすれば、見せつける場)あるいは舞台になるのだ。なお、いわゆる結婚式場業者の結婚式場教会の窓や階段は、本来の機能をあまりもっていないことを、『「結婚式場教会」の誕生』で著者は示している。

     教会を「神の前に招かれた人間が立つ場(全能なる神への愛を示し、自分自身がYHWHの言葉を大切にしつつ、そこに立っていることを示す場)」とすることが第一義では到底なく、「神の前に人間として、誠実に結婚の誓約を厳粛に誓う場」でもなく、個人を輝いて見せるための舞台としたのが、結婚式教会なのだ。そこでは、『舞台』としての教会の中で、『主役』としての『花嫁』が自分の一時的な幸福感を見せつけ、見せびらかす場となっているのだ。であるとすれば、その書割(背景画面)としての教会というセットの前で述べられた「いわゆる永遠の『愛』」は、泥沼化する離婚訴訟や離婚調停によってすぐさま紙くず以下(いや、むしろ怒りの原因)になってしまうのは、当然と言ってよいであろう。

    ダイアモンド販売会社の販売戦略としての永遠の愛
     以下の静止画はダイアモンドの卸売業者のDe Beers社の広告写真である。



     あたかもこのダイアモンドの宝飾品を身につける人がいつまでも永遠に若く光り輝くかのようにイメージを重ねており、永遠の愛の象徴としてのうちからダイアモンドを買わなくていいのか、と言わんばかりの広告である。しかし、Bruce Willis 出演の映画『永遠に美しく』ではあるまいし、80過ぎたおばあさんが、小学生見たいだったら気色悪いだろう。ベンジャミン・バトンじゃあるまいし。

     永遠の愛であったはずの結婚が想定外の事象として破たんし、結婚したカップルが離婚したりしてしまえば、永久に美しく、自分たちの永遠の愛を象徴すると思い込んだダイアモンドの指輪や宝飾品は、永遠に不幸を思い起こさせるいらつきを起こさせるものにもなりかねない。その結果、挙句の果てに、質店やリサイクルショップに直行し、ばらされた上で、ダイアモンドだけがインドや中東あたりに輸出されることになるという、残念な現実があるのではないだろうか。

    結婚は聖書のいう永遠の『愛』なのか?

     答えからいってしまうと、「違う」と思う。神の愛は、もっと理解不能でもっと規模の大きなものなのだ。聖書のいう神の永遠の愛とは、人間には、さらに、能力に問題のあるミーちゃんはーちゃんには、そもそも理解不能であり、規模の大きさとその複雑さゆえに説明しろと言われても説明できないし、説明する能力もミーちゃんはーちゃんにはない。答えになっていない、というのであれば、どうぞご自分で、聖書をお読みになってご説明をお考えいただいたうえで、無知蒙昧なミーちゃんはーちゃんにでもわかるようにご高説を解き明かし、お聞かせいただき、ミーちゃんはーちゃんのボンクラ頭をご啓蒙していただければ、是幸甚にて候。

     ただ、神の永遠の愛と結婚ということに垣間見られる人間間の愛と神の愛は無縁ではない。だからこそ、神は結婚を祝福しておられるし、教会は祝福する。なぜ、雅歌が旧約聖書に含まれるか考えて見られよ。

     雅歌は旧約に収録されるかどうか、結構もめた書のひとつらしいが。神のいう永遠の愛と夫婦関係との相似関係について触れた書でもある。これらについてより深く知りたければ、JIPackerの「神について(Knowing God)」上沼昌雄著「夫婦で奏でる霊の歌」を読まれるとよろしい。その意味で、日本人の若者が思う結婚や恋愛が「永遠の『愛』」ではないにせよ、恋愛や結婚は、神と人との関係を考える際の参照できる経験の一つ程度にはなるのではないか、とは言えるだろう。

    日本社会における「永遠の『愛』」の
    ハイパーインフレーションについて
     日本では、芸能人やセレブと呼ばれる人々も、そうでない一般の人々も、彼らが結婚する時や婚約する時には永遠の愛が軽々しく口にされる。さらに、結婚式場や結婚式場併設の宿屋(ホテル)では、普通の人々が永遠の愛を誓うということが実に軽々しく行われる。そして、実に軽々しくその永遠の愛の本質もわからない人間(残念ながら、ミーちゃんはーちゃんもその一人であることは素直に認める)が、「永遠の愛」を称賛する。あるものは、Can you celebrate?



    とアムロナミエの歌を歌いながら。祝祭の本来意味するところを知ることなく。(祝祭の本来意味するところを知りたければ、ジャン・ヴァニエのコミュニティを読まれるとよい。)そして、「永遠の(神からの)『愛』」と「永遠に続くといいなぁと思われる(人間間)の『愛』」が混同され、その結果、聖書のいう「永遠の(神からの『愛』」の価値が減ずるという「永遠の『愛』」ということばについてのインフレーションが発生する。まさに、悪貨が良貨を駆逐する現象が起きるのである。

     さらに追い打ちをかけるように、人間の世界で永遠の愛と称されることが毀損することがある。人間であるがゆえに人間の間の愛が毀損されてしまうことがある。夫婦の間にどうしようもない状態が生まれることもある。たとえキリスト者同士の結婚であっても。神の前に誓ったものであっても。この「永遠の『愛』」と思われるものが、毀損されることで、さらに「永遠の『愛』」とよばれるものの価値が下がり、ハイパーインフレーション状態となる。

     結婚が毀損されたものにならないことを、すなわち離婚という不幸が発生しないことをミーちゃんはーちゃんは願ってやまない。とはいうものの、それは起きるだろう。それは、人間が不完全なものであるが故であり、人間は神ではないし、神が永遠であるという意味で、人間は永遠なる存在ではなく、この地上の生は、高々健やかであっても80年であるからである。我ら人間は、神の実子であるイエス・キリストでなく、人間は神の養子にすぎないからである。そして、イエスの弟子ではあるものの、弟子はその師(イエス)に勝ることはないからである。

    日本語における『愛』について
     『愛』に関しては、以下で紹介した鈴木範久先生の「聖書の日本語」(岩波書店、2006) の209-210ページのの記述が参考になるので、それを引用して終わる。

     」ー「神」に劣らず日本語の意味内容が大きく変化した言葉に「愛」がある。

     宗教辞典の作成にあたり、常に心がけなくてはならない問題は、「愛」という項目の執筆には、必ず仏教とキリスト教徒の両者の説明が居る点である。なぜなら、仏教では「渇愛」と言えば、人間の欲望の根源であり、それを滅ぼすことこそ仏教の眼目である。それに反して、キリスト教はいうまでもなく、「げに信仰と希望(のぞみ)と愛とこの三つの者は限りなく存(のこ)らん、而(しか)して其のうち最も大(おおい)なるは愛なり」(コリント前13章13節)でわかるように最大の教えの一つだからである。

     では、キリスト教以前の日本において「愛」という言葉が、すべて仏教的に使われていたかというと必ずしもそうではない。親の子に対する「愛」のように「いつくしみ」として使われることもあった。その例にもうかがえるように、どちらかといえば本能的な愛情の意味に使われていた。本能性のみが強まると「愛欲」(下線部転記者)という言葉が語るように、どろどろした自己中心的欲情の表現になる。

     したがって第1章「聖書の日本語訳事始め」で見たように、キリシタン時代も『どちりな きりしたん』で使われている「愛」にあたることばcharidadeは「御大切」である。『羅葡日辞書』のAmorはTaixetつまり「大切」と説明されている。

     キリシタン時代の「愛」と「御大切」については、チースリク(Hubert Cieslik)の的確な論究がある(「キリシタン宗教文学の霊性」海老沢有道他編著『キリシタン教理書』教文館、1993)。チースリクは、まず『日葡辞書』によって、当時「愛」という文字の入ったことばが、概して「感情的、肉体的な愛情」に用いられ、ときには、「不潔な快楽」として受け取られていた
    (下線青字は転記者によると述べる。そのために精神的な「愛」に関しては、それを用いず「御大切」が使われた。また、「デウス(転記者註:YHWHの神)」の「愛」には適切なことばがなかったので、ポルトガル語のまま「カリダアデ」が用いられた。すなわち、いわゆるキリシタン文学類には三種の「愛」が見られたという。

      感情的肉体的な愛情   愛・恋
      精神的な相互愛     大切
      超自然的(神的)愛   カリダアデ

     そしてキリシタン文学を分析した結果、その「御大切」も、ただの「大切」を意味するだけでなく独特の「味」をともなって用いられるようになったことが分かるという。
     (中略)
    その最高の表現がチースリクの引用による『どちりな きりしたん』の次のことばに見出せるというのである。

      
    万事にこえて、デウスを御大切に思ひ奉ること、我が身を思うごとくポロシモ(隣人)となる人を大切に思うこと、これなり


     いうまでもなく新約聖書マタイ伝22章37-39節に基づくことばである。ところが日本に再来したキリスト教の聖書では、同じ「愛」の文字を使って「人を愛せよ」という。チースリクが、これをもって「実に大胆な用語改革」と述べたのも無理からぬところである。「人を愛せよ」と説く方も聴く方も、ともに面喰った光景が、やはり山本秀煌によって語られている。(pp.209-210)


     上で紹介した鈴木(2006)にもあるように、そもそも、「愛」という日本語自体が、戦国時代のころから、聖書のいう「超自然的な(神からの/神への)『愛』」では、さらさらなく、「自己中心的で人間的な泥くさい性愛や溺愛」なのだから、いまの日本のキリスト教会に来られる人々が「教会は私の自己愛を満足させてくれるところ」と勘違いするのは無理がないし、「超自然的な(神からの/神への)『愛』」を語る教会に対して「私の自己愛を満足させてくれない」と苦情を申し立てるのは、無理ないことなのだろう。

     むしろ問題は、教会人が、それらの人々に対して、キリシタン時代のパードレの皆様方のようにきちんと、教会とは人間に対する人には理解しがたい超自然的な『神からの永遠の「愛」』(カリダアデ)と人間から『神への永遠の「愛」(御大切)』が共に示されるところ、と説明しきれていないところにあるのではないか、と思う。

    ではどうすれば
     みなさん、こういう課題の指摘とその原因をお話しすると、「では、どうすればよいのでしょう」とミーちゃんはーちゃん風情にもお聞きになられたり、対応策をお聞きになられたそうなお顔をなさる。

     ミーちゃんはーちゃん的には

     「どうぞ、ご自分でお考えくだされ。」


    としか言いようがないし、そうとしか言えない。その個別の教会ごとの特殊性があるからである。誠に申し訳ござらん。

     Quick Fix(弥縫策、とりあえずの解決策)は所詮、一時的な解決でしかない。本格的に解決するためには、聖書を読み、先人の書かれたものを読み、真剣にご自身で考えるしかない。人のことばや理解をそのまま使うのは、可能であるが、それはその人のものではないので、すぐにメッキがはがれる。そんな、すぐにはがれるような金メッキ(下手をするとすぐにさびが浮く「黄銅鋼(真鍮)」メッキ)のパチモンなんて、誰も欲しくないだろう。であるとするならば、他人様のアイディアをパチる、借りモンで語る(世に、「借りモンで語る」を「騙る」といふらしい)のではなく、自分でじっくりと、あわてず騒がず、熟成させるように考え、そして、考えつつ、考えるための知恵を神から受けることを鎮まりの中で待つしかないのではあるまいか。斯様愚考致し候也。

     あー、結局学術のにほひがしたのは、鈴木(2006)の引用だけだったね。wwww



    評価:
    五十嵐 太郎
    春秋社
    ---
    (2007-08)
    コメント:結婚式場の実情がわかります。

    評価:
    上沼 昌雄
    いのちのことば社
    ¥ 1,080
    (2006-09)
    コメント:大変よろしい本です。

    評価:
    価格: ¥3,456
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:名著。その一語に尽きる。

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