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2013.08.14 Wednesday

「風立ちぬ」を見てきた

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     先週の水曜日、若い友人から誘われて「風立ちぬ」を見てきた。

    形ヲタ・航空機ヲタとしての
    ミーちゃんはーちゃん
     飛行機ヲタク心が騒ぐ映画でもあった。飛行機ヲタクといっても、航空ファンとか、月刊エアラインとか、月刊航空情報とかを毎号取っているという真正飛行機ヲタクではない。

     航空機を見て、特に空を飛ぶ姿を見て、美しいという思いをもちながらも、美しいものを生み出すような設計技師になれなかった人間の憧憬だけからのファンではある。ボーイング787の空を飛ぶ湾曲した翼面形状を背後から見た時、ためいきが出そうなほど美しいと思う程度のヲタクではある。形ヲタクである。

     大学の時分、「形の科学」という面白いリレー講義があって、フラクタル理論の研究者やら、流体力学やっている研究者やら、気象物理やっている研究者や、美術の研究者が来て講義を担当する一風変わった講義があって、合理的な形は美しい。また、合理的な形には法則が隠れている。もし、美しいと感じないなら、それは合理的でなく、どこかに不自然な部分が出ているということを学んだ。そして乱流というものの恐ろしさも。また、美しくない形はたいていどっか設計がまずいということになるらしいことも。

     一応流体力学も勉強したが、ナビエーストークスの微分方程式で挫折した。

     ナビエーストークスの連立微分方程式とまでいかなくても、懸垂曲線という語で検索すれば、実はつり橋とか、電柱上の架線の形状がなぜ美しく見えるか(厨2病だけでなく、形フェチなのは認める)ということの説明ぐらい、どこかのサイトに書いてあるはず。

    創造的な人生の持ち時間への
    世代間の感性の違い

     この映画を30代の若い友人と、ちょっと年上の研究者の方と観て、そのあと少ししゃべったのであるが、映像の美しさ、最終シーンへの違和感、昭和初期への作家としてのレトロな文化へのあこがれ、などは共通認識であったのだが、あの作品の中で、イタリア人設計者のカプローニ君の発言「創造的な人生の持ち時間は10年」という言葉に50前後の研究者の二人が、激しく自分の魂をゆすぶられる経験をした、しかし、30代の若い友人はあまり感じなかった、というのが面白かった。ある面、自分自身のこれまで主にやってきた学問分野でのこれまでのやり方での「創造的な人生の持ち時間10年説」の賞味期限切れが迫っていることはうすうす気付いていて、それはそれで仕方がないと思っている。じいさんがいつまでも若振りをしてするのはおかしいし、そういう年齢でもなくなっているようにも思う。そういう意味でいうと、違う取り組みの方向性を含め、違う創造性が求められる時期が迫っていることをそこはかとなく感じた。

    美しさに魅入られた結果の醜さ

     この作品を見ながら思ったのは、美しいもの、偉大なものに魅入られてしまう人間の悲劇と、魅入られてしまった人間が作り出す美しいものがもたらした結末の醜さである。確かに飛行機は美しい。そして、その美しさに魅入られてきた、飛行機に魅入られた人間、ないし飛行機ヲタクは、掃いて捨てるほどいた。そして、多くの悲劇を生み出してきたのも事実だと、つきつけらた様な気がする。カプローニを取り上げていたが、アメリカには、映画ライト・スタッフで取り上げられた人々以外にも、ハワード・ヒューズという化け物がいる(エビエイターという映画を見られたらよろしい)。

     航空機の世界では、厳しい技術開発のみならず、美しい飛行機で殺りくを繰り返すという愚を繰り返してきた。

    様々な「美しい」ものに
    魅入られてきた人間
     何、魅入られるのは飛行機とは限らない。この作品では、様々な美しいものを描いている。

     アニメとしての美しさとその先、あるいはその手前にある醜さを残酷なまでに示したのではないか。美しいアニメ作品とその背後にある放置される家族、無理な要求にこたえるアニメータや関連の人々の努力。
     大正期の日本の人々のお行儀のよさという美しさ、立ち居振る舞いの美しさ、とその背後あるいは手前にある身分社会。理想化された結核の娘さんとの自由恋愛という美しさ、とその背景にある病院システムや死亡という残酷さ、美しい飛行機の設計と、絶望的な貧しさを抱えた国民という矛盾、新しい美しい飛行機と失敗した機体の無残さ、天空の城ラピュタや未来少年コナンで示された技術の粋を極めた美しさと、それが崩れ去ってしまった後の醜さ、そして、その落差を改めて感じた。

     このブログで触れた、「一つになろうは美しいか?」「一つになろう、について、たらたら再考した ―広島の事件を思いながら―」で言及した美しさと残酷さのテーマをもう一度、突きつけられたような気持になった。

    美しくない存在でありながらも、
    神に愛されたものとして生きるキリスト者として
     これは、聖書理解でも起きてきたように思う。美しさを極めようとした結果、『かけ(罪)』ある人間は、多くの醜い争いをキリスト者同士でも、キリスト者と非キリスト者との間でも生み出してきた。そう考えると、神ではありえない人間は、その美しさを横目で見ながら、「自分自身の醜さ」・「人間の醜さ」・「かけ(罪)」を「自分自身の十字架」として背負いながら、ナザレのイエスがともにくびきとして担いながら、醜い存在でありながら、神に愛されて生きていくしかないのだなぁ、と当たり前のことを再確認しながら、自宅に戻った。

     このアニメは、多分、お子ちゃまには、わからないし、ある程度の文化を共有する人に向けて、美しさと共にその醜さも見よ、というメッセージが強いアニメだなぁ、という感想を持った映画であった。

     まぁ、重篤な厨二病患者の異様に読み込みすぎた感想だろうけれども。




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    コメント:ハワード・ヒューズという空や清潔さなどに取りつかれた人間の悲劇。

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    コメント:アメリカの宇宙開発の歴史。個人的にはチャック・イェーガーもっと取り上げてほしかった。

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