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2013.05.22 Wednesday

第9回 聖書と牧会セミナー 参加記 (3)最終回

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     さて、月曜日には、日曜日の朝の「こころの時代」があまりに良かったのでご紹介したが、この前お邪魔した、第9回聖書と牧会セミナーに参加した記録を残しておこうかと。

    これまでの記録は、以下の通り。

    第9回聖書と牧会のセミナー参加記(1)

    第9回聖書と牧会のセミナー参加記(2)


     第2日目の朝(最終回のセッション)の内容をご紹介しようかと。

    律法・原理・Nomos

     まず、これまでのことの確認作業ということで、これまでの翻訳の確認をしたい、ローマ8:2での原理と訳されている語は、Nomosである。しかし、これは原理と訳されているが、そもそも律法であるし、パウロは律法を否定していない。
     どうも見ていると、新改訳はASV(American Standard Version)への過度の依存があるとおもわれる。英語聖書では、Lawに戻しているものが多い。NIVも、NKJVも戻している。
    同じくローマ3章27節では、ここでも原理と訳されているが、そもそもは、律法である。

    ユダヤ人の誇り・キリスト者の誇り

     ローマ3章1節では、誇りが取り除かれた。その誇りが取り除かれた理由を、パウロは言いたいようである。ローマ5:1-11を見る限り、NRSV(New Revised Standard Version)では、2節は、神の栄光を誇りにしています、となっているし、3節では、艱難(キリストが受けた艱難)をも誇りとしているとなっている。ここに、パウロの決意表明が表れており、5章11節では、神を大いに誇りとしています、とある。この「誇り」という言葉に、ユダヤ人、パリサイ人であるパウロの特徴が出ている。

    ガラテヤ書に示されたキリストの真実

     ガラテヤ2章16節も、イエスキリストの真実による、と理解されるべきではないか。イエスキリストが真実であることを信じることで義と認められるのではないか。ガラテヤ書3:23-25では、信仰があらわされた以上・やがて示される信仰という言葉が出てくるが、これは、イエス・キリストが真実であると理解することが望ましいのではないか。

     ガラテヤ書の3章22ー27節の理解としては、イエスキリストの真実に目を向けることが重要なのではないか。そして、信仰者として、神の真実に目を向けることが重要であろう。さらに、パウロ書簡の背後にあるものに目を向けていくことが重要であろう。パウロ書簡には、神の真実の背後にあるイスラエルの不真実をみているのではないのか。神の真実の物語がイエスキリストの真実の背後にあり、神とイエスの真実が、パウロの書簡の背景にしっかりと結びついている

    神経症的なクリスチャンになる原因

     キリストの真実という理解を逃すと、神経症的なクリスチャン理解となり、いつでも自身の信仰を確認しないと落ち着かない信仰になる。自分自身に目を向け、神経症的に何度も何度も、自分自身の神への信仰を確認するのではなく、キリストイエスの真実に目を向けさせることが説教者の役割ではないだろうか。 
     ライトの注解書では、ローマ1−4章のテーマは、Faithful of Godとなっていた。いろいろなところで予告されているが、NTライトのPaul and Faithfulness of God という本が6月に出る。3部作の一部をなす著作で、相当の大著になるらしい。

     イエスキリストの真実の物語の背後を見る上で、ローマ書 3:22 ガラテヤ書2:16 ピリピ書2:5-11が重要であろう。

    旧約の物語を生きたイエス
    旧約の物語を生きるキリスト者

     神を語り、イスラエルを語るなかで、イエスキリストの生涯の中に、隠されている旧約(出エジプト)のユダヤ人の歴史やテーマを見ることができるのではないか。そこでの関連性は、奴隷 (新約では罪の奴隷)という概念であり、奴隷状態からの解放がローマ書の背景にあるのではないか。
     ローマ書6章でバプテスマが取り上げられているが、この根源は、洪水、出エジプトの時の葦の海を渡るとき、あるいは、ヨルダン川を渡るときとされることがあるが、NTライトは、海が創造された時からも語っている。
     さらに、パウロにとって水という概念は重要で、水を通しての新しい命(新天新地)のイメージが語られるし、新天新地預言での水は重要な役割を果たしている。これは旧約預言においても神殿の下から流れ出る水などにも見られる概念である。
     主エジプトの奴隷、捕囚の奴隷状態があり、さらに、霊的な奴隷からの解放としての、イスラエルの聖霊による自由へのあこがれがあるのではないだろうか。

    幕屋と受肉
     住まわれた、というのは幕屋を張るということと深く関係しており、神が幕屋でイスラエルと出会うのとどうように、神がキリストを通してキリスト者と会うと関係していないだろうか。

    ダビデの王国とイエス
     また、ダビデの王国とイエスがパウロでは結び付けて書いているのであるが、しかし、ダビデの後、イスラエルは分裂し、分裂後の王国の悲惨な王が次々と続く黒歴史が残っている。そのイスラエルの黒歴史(罪を犯し続けた歴史)があるので今更罪(神の支配の軽視)の問題を言われても・・・というところがユダヤ人にはあるのではないだろうか。

    捕囚とイスラエル
    ヨナ書の意味

     なお捕囚と預言者は現在も続いていると考えることができる。我々は、霊的な意味でも捕囚であるのではないだろうか。ヨナ書というのは分かりにくい書であるけれども、そこに出てくるテーマは、ニネベに対する神の餞別ではないだろうか。アッシリアの後、バビロン出てきてネブカデネザルが捕囚することになるのだが、このアッシリアの文書をネブカデネザルは持ち去り、その後の為政の参考にしたのではないだろうか。

     イスラエルの捕囚は、神の裁きであると同時に、神の与えたもうた回復でもあり、慰めでもある。なぜならば、捕囚でありながら、意外とネブカデネザル王に大事にされるイスラエルという姿がある。

     ニネベが悔い改める姿を見て激怒したヨナであるが、もしアッシリア支配期のニネベ文書が、バビロン捕囚の際にバビロンに持ち込まれたとして、それがバビロンの対イスラエル政策に影響したとするならば、神のイスラエルに対する救いの手立てを用意したことになるのではないか。

     捕囚について面白いのは、エレミヤが、異国の地でしっかり生活し、非常に悲惨な奴隷の地においても子孫繁栄するようにしなさい。減ってはならない、と予言している点であるし、また、イスラエルに対して、神殿再建がゆるされており、さらに見るならば、エゼキエル・ダニエルを見るならば、この捕囚の民としての歩みを見るとき、異邦の民の中にあっても神の民として生きる我々の姿を我々は見ることができるのではないか。

     エゼキエルを通して幻として示される神殿があり、現実にはローマによって崩壊した神殿がエルサレムにそのままある。そのような点を考えるならば、我々は、イスラエル人がそうであったように、神の歴史の中を生きる私たちという存在ではないのか。

    アブラハムの契約と神の真実

     アブラハムの契約に対する神の真実を旧約聖書は語るのではないだろうか。この神の真実が、パウロに対しては、異邦人とユダヤ人の間の重要な問題を解くカギになるのではないだろうか。

     ところで、今あるイスラエルを重視するクリスチャンたちも少なくはないが、聖書全体をよく考えるならば、現在ある近代国家としてのイスラエルの再建で終わらないクリスチャンの使命があるのではないだろうか。

    新天新地について

     ローマ書では、創造と新天新地をかなりふれている。被造物のうめきとして、万物の救い(回復)にまでがローマ書の視野の内に入っている。すべての人が神の子とされる神の回復があることがふれられている。

     天と地は、決してなくならないし、完全に新しいものではない。また、地は滅び、天だけが残る、ということにはならない。

     Life after death (死後の世界)という概念があるが、これに対し、NTライトはLife after life after deathが復活のいのちであり、この地上のいのちがあり、その死を迎える。その意味で、この地上のいのちも重要であり、天国だけが目的ではないではないだろうか。ピリピ書3:20は誤解されているのではないか。

    C.S.ルイスとN.T.ライト
     今Facebook読書会で、Surprised by Hopeを読んでいるが、ライトの本は、C.S.Lewis
    と対になるような本ではないだろうか。

    対応関係としては以下の通りになるだろう。

    NTライトのSurprised by Hope
    C.S.ルイスのSurprised by Joy 

    NTライトのSimply Christian 
    CSルイスのMere Christianity

    義認論と和解論

     義認論と和解論を調和させることは実は困難である。しかし、ローマ5章は全体として調和している。義認論は人間のみであるが、パウロが主張しようとしている和解論は万物(被造物全体)ではないだろうか。この辺りをどう考えるのかを少し考えたほうがよいだろう。

    軽んじられてきた旧約聖書

     旧約聖書を無視する偏向が福音主義的な聖書理解にあるのではないだろうか。そもそも、新約聖書+詩篇つき 新約聖書+詩篇・箴言付きのような聖書出版が示すように、旧約聖書があまりにも軽んじられているのではないか。実は、今まで語ってきた神学は新約聖書詩篇つきがあればできてしまう神学であったかもしれない。

     その意味で、当時のイスラエルの民と同じように我々も不真実の中に生きている可能性もあるのではないだろうか。

    イスラエルの歴史とキリスト教

     初代教会とかは割と早くパウロ理解にしても、福音書理解にしてもギリシア化してしまって、おかしくなっているのを引きもどしていこうとするのが、NTライトであろう。そして、ギリシア化してしまったヨーロッパの行き着いた先がホロコーストであり、それを経験したヨーロッパでは、キリスト教(クリステンダム)の崩壊をしていることをライトは強く感じている。しかし、アメリカでは、ホロコーストは対岸の火事であるので、この辺りのことがないまま来ているのではないだろうか。

     一部のクリスチャンは、近代国家としてのイスラエルの再建は、預言の成就であると語ってきたのであるが、それは、本来預言成就の一部とは言えないのではないだろうか。神の国が来ますように、という主の祈りは別のことを指しているのではないだろうか。

     聖書は、もう一度この地も新しくされると言っていることは確かであるが、この新しくされる、という意味はよくはわからない。また、千年王国もよくわからないが、新天新地における一つのプロセスに過ぎないのではないだろうか。最後にイスラエルだけが、特別扱いされるとか言ったようなことは、NTライトは、想定していないように思われる。ただ、キリストにあるイスラエルが救われる、とは聖書は明確に主張しているといえよう。

    旧約聖書の物語を
    信徒とともに読む意味

     その意味で、旧約聖書を信徒がきちんと読めるようにしていくことが大事かもしれない。ある面、心理研究などでわかってきたように、物語を語らせることで、いや死が起きることがあるのと同様に、他の人が生きた物語であっても、物語は癒すのである。河合隼雄と村上春樹との対談にあるように、物語はいろんなところに扉があって、扉の開け方は、人それぞれであり、それでよいのかもしれない。物語である以上、さまざまな解釈が可能であり、さまざまな解釈の扉があっちこっちにあいているのではないか。そのような読み方を考えるべきでないだろうか。

    ーーーーーーー 感想 ーーーーーーー

    この部分で、一番気になったのは、プロテスタント、特に福音派の神学は、新約聖書プラス詩篇つきだった、かもしれないというご指摘である。ミーちゃんはーちゃんの聖書理解も確かにそうだった(一応過去形)。それは認める。「旧約聖書は、すんだものとして、時々忘れない程度に読むもので、真剣に取り組む必要がない、それよりもむしろ新約聖書だ、と思っていた」という大変残念な事実というか黒歴史である。ミーちゃんはーちゃんの2年くらい前までの理解もそうであった。根源的に変えたのは、スコット・マクナイトのKing Jesus Gospel(日本語版 福音の発見 絶・賛・発・売・中とちょっとステマ。)やNTライト研究会で、NTライトの主の祈りに関する論文を読むまでは、そうだった。この時の記録は、こちらを参照。確かに、旧約聖書とイエスとの関係は知っていても、イエスの言動と旧約記述を対応付け、意味を考えながら、素朴に読み込む努力というのはしていなかった。

    イスラエルで今も生きる律法
     この前、あるイスラエルの大学にお勤めに日本人教員の方とお話しする機会があったのであるが、その時の話で、面白かったのは、現代のイスラエル人にとってもすべての基準がいまだに旧約聖書であり、それ以上に律法(モーセ5書と呼ばれる、創世記、出エジプト記、民数記、レビ記、申命記)であるということであった。実際、イスラエルのマクドナルドでは、コーヒーの売り場とハンバーガーの売り場は別であり、キャッシャーも別々とのこと。
       ハイファのマクドナルドの写真
          McDonald'sと書いてあるほうがハンバーガー売り場。
          ヘブル語で書いてあるほうが飲み物、コーヒー売り場らしい。
           ヘブル語で、MQDVNLD'S と書いてある。

     なぜか、というと、「子牛をその母のミルクで煮てはならない」に違反するかららしい。その意味で、パウロにとっても律法は生きたものであったし、イエスにおいても律法は生きたものであったし、その一点一角も落ちることが許されないものである。(マタイ5章18節)

    Jesus Creedの重要性
     この話を聞きながら思ったことは、Scot McKnightがJesus Creedとして主張している内容(ビデオはこちら)を思った。そのビデオの内容の詳細に関しては、こちらでご紹介している。なぜ、このJesus Creedsが有効な理由は、このブログのメサコンプレックスの防ぎ方コチラでご紹介した通り。

     しかし、あまりにこれまでのキリスト教世界は、旧約聖書を軽んじてきた気がする。物語として読むかどうかは別として、律法学者に聖書で最も大事なもの(Jesus Creed)として語ったのは、「心をつくし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せ」そして「あなた自身を愛するようにあなたのとなり人を愛せ」であった。これは、McKnight先生がおっしゃるように、そしてなによりも、イエスがおっしゃるように忘れてはならないことなのだろう。

     それから、ヨナ書は、ヨナが悔い改めるということを伝える書であるとの理解があるやに聞いたが、それで、ミーちゃんはーちゃんのブログにヨナ書という検索ワードで時々来る人が多いという理由が分かった。ヨナ書は、重要な書なのだが、ここをテーマに聖書講解をあまり聞いたことがない。確かに、きちんと理解されていないのかもしれない、と思った。だからと言って、ミーちゃんはーちゃんがヨナ書を理解しているかどうかはかなり怪しいことは確か。

    神経症的なクリスチャンwwww

     あと、神経症的なクリスチャンという表現には、思わず、禿同(激しく同意のネットスラング)、と叫びたくなる欲望を抑えるのに必死だった。あまりに救われるかどうか、天国に行けるかどうかを気にし、倫理的に生きる(自分の力で生きようとする)キリスト者が多いのかもしれないなぁ、と思ったのだ。
     ご幼少のやんごとなきおこちゃまであったみぎり、ミーちゃんはーちゃんは、再臨や地への裁きや地震が怖くて、頭をバスタオルでぐるぐる巻きにして寝て、鼻血を出した黒歴史があることをここに告白する。阪神大震災を経験した今、そんなものは屁のツッパリにもならないことは体験上よくわかった。

    「放蕩する神」の愛

     逃れの町を作れと命じ給ひし神の力をあまりにも軽く見る、放蕩する神の愛をあまりにも軽視したどっかずれているクリスチャンの姿である。キリストがいのちをかけて、生命を賭して説いた神と人との関係を、薄っぺらい(言葉が過ぎたらスマソ)人間的な倫理の世界に押し込めている現代のキリスト教というか、キリスト教界というか、キリスト者の聖書理解、イエス理解の底の浅さ(言葉が過ぎたらスマソ)である。だから、罪が人間関係においてしか理解されないし、社会的な基準(それはそれで、重要だとイエスも言っているしパウロも言ってはいるが)でしか理解されていない現実があるのではないだろうか。信仰(というよりは、神の史実、イエスの真実)の律法、神の律法、義の律法が理解されず、さらには、旧約聖書の律法を無視しながらも、自分たちで、自分たちの肉の律法を新たに作り出してはいないだろうか。

    神の国観のひずみ

     いま、ミーちゃんはーちゃんもFacebook上のNTライトFB読書会参加中でNTライトのSurprised by Hopeを読んでいるのであるが、自分自身の死生観に影響する神の国理解(神の国は天国と表現されるところではないらしい)のひずみをやはり強く感じる。

     もちろん、千年王国がどうのとか、天国がどうのとか、死後の世界がどうのも重要かもしれないが、しかし、それは聖書の主張、いやイエスの主張のごく一部ではないだろうか?それにこだわり、大論争したミーちゃんはーちゃんの黒歴史が恥ずかしい、と真剣に思い、大反省大会に終わった2日間でした。


    物語として語る説教
     ウィリモンという人がいるらしい。この人のインタビューと説教が、Ministryの第8号に出ている。そこでのインタビューと彼の説教スタイルを上沼先生のお話をお聞きしながら思い出した。



     大体、会場でのお話はマメに拾ったつもり、記載まつがいや脱落については、あるかもしれない。現場で聞きながら、タイプしたので。その段については、申し訳ない、とあらかじめお断り申し上げ候。


    評価:
    ティモシー ケラー
    いのちのことば社
    ¥ 1,365
    (2011-01)
    コメント:問答無用なくらいに大事

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