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2013.05.11 Saturday

メサイアコンプレックスの防ぎ方

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     いつも見せてもらっている水谷さんのブログを読みながら、思ってしもうたことがあったので書いておこうかと。メサイア・コンプレックスの防ぎ方である。

     メサイア・コンプレックスに関する記事は、こちら。

    メサコン入ってない(1)

    メサコン入ってない(2)
    メサコン入ってない(3)
    メサコンの考察と自己検証のために、有効な記事のご紹介

    この言葉自体を初めて知ったのは、河合隼雄さんの『無意識の構造』を読んだときであった。

    メサコンを持っっているかもしれない
    少し残念な人の事例

     ところで、このメサコンがかなり入っているかもしれない(そうでなかったらスマソ)人が知り合いの落語家さんのご夫妻の話で、豊来屋さんのブログ炎上させかけ、ついでにまっちゃんが連動して日曜の朝からツィートも炎上とまではいかないながらも、かなり関連の話題でもりあがり、最終的には、まぁ、落ち着くべき所に落ち着いた感じがある。それはそれでよかった。

     おまけに、豊来屋さんはブログで、メサイアコンプレックス記事にしてるし。ww

    スコット・マクナイトの
    講演ビデオ見ながら

     そんなこんなを思っていると、今度日本で初邦訳となるスコット・マクナイトの「福音の発見」キリスト新聞社から刊行予定)がらみで、いつもお世話になっている小嶋先生スコット・マクナイトってどんな人で、スコット・マクナイトの講演(アメリカでのナザレン系大学での講演)を紹介していた。この講演の要旨は、こちらで見られます。

     さて、この講演をミーちゃんはーちゃんは見ていたのだが、ふと気付いたことがあった。Jesus Creedということで、イエスが律法学者に向かっていった部分の記述であった。この動画の10分くらいからのところである。

    イエスが語った
    もっとも重要な教え

     ちっとは有名な場所なので、皆さんもご存じであろう。マタイによる福音書の22章にある記事の中で、ある律法学者が、ナザレのイエスに対して「先生、何が一番大切な教えですか?」と聞いた部分である。

     これに対して、イエスは、「心をつくし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ」と言ったというところがある。なお、この箇所は、毎日毎日、それも日に3回イスラエル人(アブラハムの子孫を自称する人々)なら唱えるらしい。また、この場所は、子供のころから覚える場所らしい。その意味で、イエスは律法学者に対して、あまりにあたりまえの答え、すごい幼稚な答えをしたことになる。

     しかし、マクナイトの話が面白いのが、この後の部分である。マクナイトは、律法学者に対して、イエスは「もう一つある。」と言い出すというのである。これを聞いた律法学者は、「二つは聞いてない」とかいいそうだけれども、イエスが「まぁ、待て、話を聞け」と言って、イエスが「この第一のところだけで終わっていないぞ」と実際に見てきたような表現でビビッドに指摘している。この辺、マクナイトはうまいなぁ、と思う。
     もう一つの大事なものとしてイエスがレビ記の「あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」といったことを引用しながら、「律法と預言者がこれにかかっている」(律法と預言者というのは、旧約聖書の諸書を除く部分の表現)と言っているのである。

    メサコンに至りやすい精神構造

     キリスト者やそれが変性あるいは偏性した切捨者が、メサコンに陥りやすい理由として、「自分が正しい真理を持っている」という暗黙の前提を持つことが多いようである。たちが悪いのは、その前提というのか、自分が正しいと信じる聖書理解を他人が望んでいようが嫌いだろうが、それを他人の口をあけて突っ込まないと気が済まない方々が居られる故だと思われる。

     つまり、このことは、自分自身が正しい側にいる、神の側にいるという思い込みがあることを示しているのであり、意識的にか無意識的にであるかは別として、人に仕えることを忘れて、人を教えようとする神の代理者になってしまうことなのである。そして、他者を睥睨するような態度(平たく言うとウエメセの態度)をとってしまう点である。

     他人を愛するということは聖書の教えだとは知っていて、その「愛すること」を「自分が神に成り代わって関与することで、その人を良い方向とメサコンの人が思う方向にもっていくこと(ここで、「導く」という言葉が多用、誤用される)」と置き換えてしまい、すぐ「正しい」とか、「あなたは間違っている」とか言い出すのである。もうこれは、典型的にメサコンである。

    小公女セイラに見るメサコン
     そーいや、TBSのドラマの小公女セイラとかいうお笑い番組(失礼 でもあまりのキッチュさにお笑い番組と化してしまっていたのであるが)で主人公のキメ台詞が「あなたは間違っています」であったような。
     我が家では、それをききながら、「まつがっているのはアンタですから」と突っ込みを入れていたのでした。一部はこちらでご覧いただけます。フランス語字幕付きで。
     もう、完璧にメサコン入ってましたね。セイラさん。

    メサコン防止法としての大切な教え
     「シェマー イスラエル」で始まる申命記6章の部分(イスラエル人なら毎日3回唱える)に続けて、イエスが指摘したレビ記19章の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい」という部分を思うのである。この二つを決して切り離してはならないだろう、と思うのである。

     イエス自身が旧約聖書の教えとして大切なものとして教えたのは、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛すること(つまり偶像崇拝しないこと、神のもとから離れるという、罪の状態から離れること」であり、それとともに「あなた自身のように、あなたの隣人を愛することである」。この二つのことばは完全に相互を補完する、とイエスは言っているのではなかろうか。

     メサコンの人は、どちらかというと、申命記6章の方に強調があり、レビ記の方の「隣人を愛する」の方が軽視されているように思う。メサコンの方は、「いやいや、自分は愛するがゆえにそうするのだ」というかもしれないが。

    あなた自身のように愛すること

     しかし、少し待ってほしい。あなたは自分を睥睨するかのようなウエメセで愛するだろうか。それはできないのではないか。自分は自分であり、自分自身をウエメセで見ることはできないのだ。つまり等身大でありのままに愛しているのではないか。いや、厳しいことを言うようだが、過大評価して愛してないだろうか。ミーちゃんはーちゃんは、繰り返し言うが、重篤な厨弐病患者なので、自己イメージが過大であるし、自己を過大評価して愛する癖がある。

     皆さん方はミーちゃんはーちゃんのように自己を過大評価することはござらんとは存じるが、少なくとも自分自身をウエメセで睥睨するかのようには愛さないし、愛せないだろう。自分自身をメサイアコンプレックスを持って愛するだろうか。もし、そうなっているとすると、イエスが最初に行った申命記の教え「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしあなたの神である主を愛せ」として礼拝の対象とするべきであるお方が座されるべき神の座に自らをつける偶像崇拝者となっていないだろうか。自己を過大評価するミーちゃんはーちゃんには、偶像崇拝の傾向があるのは認める。何せ、アダムの子孫であるから仕方ないのである。

    イエスの主張する
    信条(Creed)

     その意味で、マクナイトがJesus Creed(あ、これはマクナイトのブログタイトルでもある)と言っている旧約聖書、それどころか旧新約聖書の中で共通する最も大切な教えである、この二つの教え「あなたの主である神を愛せ」と「あなた自身のようにあなたの隣人を愛せ」の意味をかみしめながら、記憶することは大事ではないだろうか。どちらか一方だけが正しいのではない。両方共が人間には必要なのだ。個人的には、そう思うし、それこそが、切り捨て者ならぬキリスト者がメサイアコンプレックスに陥らないために必要なのではないか、と思う。
     アガペーは、上に向かう、価値あるものに向かう愛、という人々もいるかもしれないが、必ずしもそうとは限らないかもね。

    メサコンにはまった
    うっとうしい切り捨て教徒
     さて。キリスト教業界をふらふらしていると、この手のウルサガタというのか、一言居士というのか、直言居士というのか、「メサコン、一本行っちゃった?」(オリジナルは、田辺製薬のアスパラドリンクのCF)という感じのお方に結構出会うことが多い。「私が正しい教理を教えて進ぜよう」という方である。ミーちゃんはーちゃんはいろいろな考えを聴くのが好きなので、別にかまわないし、ご高説を傾聴させていただくが、通常こういう方は結構鬱陶しいのである。
     人間は所詮神の全貌やら、神の真理の全貌に到達することはあり得ないし、到達できないことも神の憐れみと恵みの結果だとミーちゃんはーちゃんは思うのだ。もし、到達できたら、その人は神であり、神とならざるをえない。自分を神の座においている人は、だからこそ、他人を切り捨てる切り捨て教徒になれるのではなかろうか。
     とはいえ、神は、人を切り捨てたりはしようとされてないことだけは、旧約聖書からも明らかである。あれだけ、裏切られ続けたイスラエルに対して、これでもかというほど愛しつくされたのである。まさしく、BossのCFのように、「このろくでもない、素晴らしい世界」を愛されるのが神であるように思う。殺害者に対してまで、「逃れの町」を用意されているのである。

    「神に愛される」という勝ち方 
     先ほど紹介した高見盛が出てくるBOSSのCF(前掲リンクと同じ)の「ものいひ」ではないが、あのCFでは、ファンから愛された高見盛をうまく使って、「この星では、誰もが勝利者になれるわけではない。しかし、愛されるという勝ち方がある」といっているが、これを下にひくならば、「この星では、だれもが、世間様から認められるような『勝利者』と呼ばれるような存在になれるわけではない。しかし、神に愛されるという勝ち方がある」ということになるかもしれない。そも、人生に勝ち負けとかいうことは、ものすごく考え方として品がないというか、はしたないことだと思うが。

     ときに、旧約聖書に表わされた神を裁きの神と簡単に言ってのける人がおられるが、これを聴くたびに、ミーちゃんはーちゃんの読み方が足らないかなぁとは思うし、あるいは、ミーちゃんはーちゃんが読んでいる旧約聖書にはないテキストを読んできっと奥義を知っておられるのであろう、とは思う。ミーちゃんはーちゃんが素朴に読んでいる限り、ケラー先生のおっしゃる通り、「放蕩する神」であるようには思う。(「放蕩」する神 ケラー著は名著だと思う。)

     ただ、メサコンの人々は、ご自分をメシアと勘違いされておられる方であるともいえようが、ミーちゃんはーちゃんが旧新約聖書を見る限り、神の座に神の全貌を知りえないナザレのイエス以外の人類を据えることは、人には許されていないように思うのだけども。ちがうかなぁ。

     

    評価:
    ティモシー ケラー
    いのちのことば社
    ¥ 1,404
    (2011-01)
    コメント:神についての理解が大きく変わるかも。神の愛は、放蕩するほど豊かであることを見ることができる1冊。珠玉の1冊といえませう。

    評価:
    スコット・マクナイト
    キリスト新聞社
    ¥ 2,160
    (2013-06-25)
    コメント:大絶賛お勧めしています。

    コメント
    メサコンというのは昨今ネットで話題の意識の高い学生によく似ていますね。意識だけが先行して実体がそのビジョンに則しておらず、それでいて謙虚さに欠けて非常に上から目線で嫌がられるタイプであるという点で。しかしこの意識の高い学生というのは往々にして真面目で努力家ではあります。

    そう考えると「メサコン」とされる人たちも滑稽に見えるかもしれませんが、彼らなりに理想と現実のギャップの中で葛藤し苦労しているのではないでしょうか。「ウエメセ」さえ治せばもう少し人から好かれるんだとうなという気がします。
    • パンピー@クリスチャン
    • 2013.05.13 Monday 03:47
    パンピー@クリスチャン様 
    コメント、ありがとうございました。

    >メサコンというのは昨今ネットで話題の意識の高い学生によく似ていますね。
    そうですね。まさしく。もともと、このような方は、おられたのですけども(例えば、ヤンエグなんて見当違いのことばがバブルのころや、ネットバブルのころに流行りましたね。)ネットで暴走されることも多いので、目立つようです。

    意識が高い方というのは、御指摘の通り、

    >真面目で努力家

    であることは論を待ちません。努力してないとすれば、もうそれは池乃めだかさんの持ちネタ、「今日はこれくらいにしといたろか」風のギャグでしかありません。

    若いということは、周りが見えない、自意識過剰が許される、そして黒歴史を量産する時期でもありますが、現実のギャップに気付きがある方は、まだ何とかできるのですが、気づきのない方がおられるので。

    まぁ、最近の方については、ウェブが、公共の場での発言ということにお気づきのない方もおられますのでねぇ。

    その意味でも、Jesus Creedを日常覚えることの大切さを感じます。人から好かれることもさることながら、黒歴史を作らない、ということもあろうかと思います。その意味で、社会における実力のある大人が世に少ないことも問題かもしれません。

    コメント、ありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2013.05.13 Monday 06:51
    管理者の承認待ちコメントです。
    • -
    • 2013.09.11 Wednesday 15:11
    管理者の承認待ちコメントです。
    • -
    • 2013.09.11 Wednesday 15:31
    あ様

    コメントありがとうございました。
    性格悪いのは、アダムの末であり、あ様のご指摘の通り、ミーちゃんはーちゃんは土くれのなれの果て、アダムの末であるからでございます。所詮、土くれでございますよ。上の記事でも大書いたしております通り、自己の過大評価傾向もございますし。

    後、この記事書いたのは、自戒のためでもあるのですね。私自身が完全なかなり症状の進行したメサコン患者だからでもあるのですね。残念なことに。だから、防止策を自分のために書くことで心に刻もうとしております。まぁ、自分自身をたたくのがこの記事の目的でもあるのでございます。

    「あ」様のお話はぜひお伺いしたいので、コメント欄では限られますので、ぜひどこかでまとまった形でのご高説をご教示賜りたく存じます。そのサイトのご教示もまた賜りたく存じます。

    できますならば、「あ」様のおっしゃる哲学書等も、「あ」様なりのご感想、ご批判、ご検討内容を含めてご教示賜れば、是又幸甚。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2013.09.11 Wednesday 21:38
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