2013.05.04 Saturday
考えさせる1冊 これって、近代の課題を扱ってるんじゃね。
例によって、福音派ができたころの昔話(最終回ー1)でChristianity Today関係の関係者を取り上げようかと思っていたが、南の島のコメント王子(でしたっけ)の久保木先生が面白い本をご紹介されていたので、あぁ、そーいや最近キリ書(キリスト教書店)いってないなぁ、ということで、休日出勤の帰りにキリ書によって、電車の中であらかた読んでしまったのが、今回ご紹介する本。
そりゃ、上沼昌雄×藤掛明の名前を見ただけで、キリ書集めの好事家(ものずき あるいは、ヲタク)の血が騒がないわけがない。いやぁ、この本は面白かった。
ということで、今回の本の紹介と一部ちょっと引用しながらスニークプレビューとコメントとを。
ということで、今回の本の紹介と一部ちょっと引用しながらスニークプレビューとコメントとを。
プロテスタントの限界よりは、
モダニズムの限界じゃね?
モダニズムの限界じゃね?
まず同書18ページの上沼先生のご発言は面白かったです。
上沼 そうですよね。私たちプロテスタントは、旧約聖書にしても、それを合理的に読み込もうとしたところがある。ある面で組織神学は、さまざまな理解不能なことが起こっている旧約聖書の世界を何とか説明しうる世界に平たく変えてしまう。それではもう、現代のキリスト者もやりきれなくなっている面があると感じます。日本だけでなく世界的にも。
これって、プロテスタント教会というのか、キリスト教界がらみだけのことでもないようです。たとえば、建築の世界が完全にそうですね。そもそも、ミーちゃんはーちゃんが教わった先生方、1950〜60年ごろに建築を志された先生方は、もう、コルビジェとかの直線で構成される設計図を持ち帰っては、それを眺めておられた先生方であり、その成果は、日本でも近代的な初期のころの超高層ビルが基本直線で構成されていたのである。典型的には、国立近代美術館がそれ。
ミーちゃんはーちゃんが行っていた高校の建物は、完全にコルビジェの世界にはまったおじさんが設計したんじゃないかという建物で、職員室の下側が風通しの良い柱だけからなる高床式倉庫上の建物になっていて、その風通しの良い空間は、ピロティと呼ばれていたが、今になってもあれは、意味不の空間であったと思う。
モダニズムに飽きたから、というのもあるかもしれないが、ガウディのサグラダ・ファミリアが流行ったり、バブルのころからは、ポストモダン(あくまで建築の意味で)というのがもてはやされ、モダンとポストモダン風が並立しているのがアサヒビール本社ビル。
金色(ビール色)の方が、ややモダンで(金色にみえるガラスを使ってるので、完全にモダンとは言えないが)本体が黒の上に金色の火の玉が乗っている建物が、ポストモダンチック。近代的な合理性からいえば、ナンセンスで、上が広い台形型、ってのは安定が悪くってしょうがないうえに、屋根の上には、意味不明の金色の火の玉でしょ?もうわけがわからない。アサヒビールさん、よく、これ建てようって思ったと思う。この辺の意味不明さがポストモダン風。
近代的計画論の破たんの挙句に…
ミーちゃんはーちゃんの専門分野に近い分野でも、1990年ころには、西洋の線形的なモダニズムに立つ計画論の破たんが発生した挙句、ヨーロッパやアメリカの計画理論の連中が、言うに事欠いて、マンダラ理論(計画理論は、線形性でなく、循環論的、相互連携的、ホーリスティックに考えるべきとかいうので、いわゆる東洋的な曼陀羅の世界に影響を受けたらしい。)とか、風水がどうのこうのとか言い出していていまだにその影響は抜け切れていないように思う。
なお、根強く残る近代の同質性の仮定
ヨーロッパ人や一部のアメリカ人も近代の薄っぺらさというのか、平たんさというのか、単純さに飽きてしまったように思うが、かなりのアメリカにお住まいの皆さま方は、今もなお、この平たんさというのか、単純さというのか、同質性ということに対する確固たる確信がある人々であるように思う。近頃のTPPの議論を見ていても、そう思うのだな。まぁ、数量でしかものを見てないことも少なくない日経新聞も似たようなところがあるが。まぁ、日経の記者さん達は、田植えに立ち会ったり、土改剤散布や深耕作業や収穫作業に立ち会ったり、大半の農家の厳しさを御存じないようだし、一部の特殊な成功事例はご存じのようだけど。まぁ、しょうがないんだけど。
あえて「選ばない」という選択と
決定の意味
あえて「選ばない」という選択と
決定の意味
この本で面白いと思ったのは、「選ばない」という選択という見出しでまとめられた部分(同署pp.24-26)である。ちょっと紹介してみたい。ここでは離婚の問題とどう向き合うのか、ということがふれられていた。
藤掛 はい。二つの人格というより、二つの生き方ですね。典型的なのは、離婚問題です。離婚の危機にある夫婦が相談に見えられて、離婚したい、したくないという話になる。大体は女性が離婚したくて、男性はしたくない。(一同笑)上沼 わかります。藤掛 で、妻が夫を引っ張ってくる形でカウンセリングに来る。でも、社会的には夫に非はないんです。昔だったら、稼ぎが悪いとかアルコール依存症であるとか、浮気とか、それなりの理由があったのですが、夫は真面目に働いている。社会的にいうと理由が見当たらないのです。でも奥さんは、私の人生を奪いやがってみたいな感じで、離婚したい、別居したい。両方ともクリスチャンですよ。そこでどうするか、ということなんですが、この時に選択肢が出てくるのです。離婚すべきかとどまるべきか。カウンセラーとしてはどちらも選ばせないんですね。(中略)選んだらおしまいなんですね。どちらの選択も自分の本音であることを自覚してもらうのです。妻としてはやりがいのある仕事をしていたのに結婚をして人生を棒に振ってしまった、という思いがある。自分は彼と結婚しなかったらもっと良い人生があったと思いたいんですね。(中略)ずっと選ばないようにするという、ものすごくエネルギーのいる作業を続けるのです。(中略)そうすると不思議なことに、二つの人生の選択肢が近づいてくるのです。右か左かと迷っていたのに、右でも左でもない、別の生き方が登場してくる。(以下略 略した部分に大事なことが書いてありますが・・・・でないと、営業妨害になりますしwww)
この部分を読みながら思ったことは、先日の水谷さんの記事38歳は女性が最も暴挙に出る年齢? の記事である。まだやり直しがきくからと、あせって結論を出してしまい暴挙に出る女性に関しての記事である。38歳での結婚と同様、離婚も同様に暴挙だと思う。一番おもしろかったのは、男性が女性が離婚に向かって突っ走るというのが、現代的なのですね。一昔前なら、男女雇用機会均等法もなく、女性の管理職はおろか、結婚退職が当然だった女性が本来の強さを発揮してしまっているという。シンデレラ・コンプレックスも背景にあるんでしょうかね。いつか王子様が、Someday my prince will come.....この背景に最近テレビで出没して言うという美魔女なる存在もあるのかもしれない。えぇぇぇ、この方60歳、とかTV通販では見た目年齢のギャップをうるCMをしているのは知っているのだが。こういう方には、すげー若いころのBruce Willisが出ているDeath Becomes Her(永遠に美しく)とか、Joan Rivers:A Piece of Cakeなんかをご覧いただければと。Death becomes her一番ワロタのは、あのスプラッタ風のエンディング。ちょっと気色悪いけど。
ところで、白雪ちゃんの継母ちゃんは、一皮むけば、毒リンゴ売りの魔女さんで・・・。てなことを考えると、年齢相応の美しさ、というのもあると思うんですがねぇ。
スタティックなモデルを適用し、解を求める限界
また、この部分を読みながら、近代という時代が想定してきた、スタティックな世界観の影響を見るのですね。つまり、正解は、何かの連立方程式体系を解くことによって必ず存在するはずだ、というような正解に至るためのトラックがあると想定しがちなのだけれども、世の中そうはうまくできてなくて、本当は何が正解なのかは、わからない。ことが終わっても、それが正解であったかどうかすら分からない。そのあたりのことが書かれていたのが、ワインバーグの代表作、ライト、ついてますか?この本、システム屋、システム開発関連業者の関係者には、ぜひ読ませたい1冊。あ、普通の人が読んでも面白い本に仕上がっていますよ。
ただ、決定としては、瞬間瞬間まともそうな結果が出そうかなぁ、と思う方にかけていくしかない時代が来ているようにも思うのですね。世間は、スタティック(静的)な世界じゃございませんし、実にダイナミック(動的)な世界なんだけど、あまりにスタティックなものの見方に慣れ親しんでいるせいで、ダイナミックな世界を解けなくなっている。あるいは、ダイナミックなものを静的な世界を解くためのツールが対応できるような形に押し込んで、問題を解いた気になっているにすぎないのに、解いたと思い込んでいるようなものかもしれない。
ミーちゃんはーちゃんがちらっと関係してきた作戦計画(Operation Research)なんかもそんなところがある。なお、宇宙人と呼ばれ、お母様から膨大なおこずかいをもらっていた民主党の元総理もこの分野の関係者。まぁ、浮世っぱなれぶりは、ミーちゃんはーちゃんもこの宇宙人の方並みという説はある。
「性をどう扱うか」の問題に関する
近代の限界
同書p.33 には、このような指摘がある。
上沼 性のことが道徳的な面でしか見られないのは、やはりピューリタンの影響でしょう。その結果、性を生の一部、人格の一部としてみることができなくなっています。神の創造の作品ととらえられなくなっているのです。
この前、NHKの教育テレビの深夜枠で、日本のジレンマ、ということで40代以下の世代のおばちゃんになりかけのおばちゃんもどきの人たちが語っている番組があったがあのなかの指摘で、意外と近代という社会が見逃してきたものは、生殖行為に基づく持続的再生産(日本語にするとまがまがしいので、リプロダクションというカタカナ語用語を当てるらしい)こそが、持続可能性のある革命(これもまがまがしいので、社会が変わっていくことくらいに言えんかとは思ったが)に必須であるということを言っていたが、これはそうなのだろうなぁ、と思う。
人口学ってあったよね・・・
まぁ、昔ちょろっと関係した人口学という廃れそうな(いやぁ、脚光を浴びる学問分野としては、ですよ)、いや、廃れてしまったかもしれない(学問分野としては、年金とか、社会保障関連で連綿と続いています。国立社会保障・人口問題研究所という立派な組織もござる。一時期、人口予測モデルで遊んでいたこともあるので、まったく無関係の分野ではなかったのですね。これが。)分野の研究成果からすれば当たり前のことだし、そもそも技術革新がいくらすごいからと言っても、これからのマスとしての消費人口減に打ち勝つのは相当難しいだろう。
以前の英国病と現代英国の医療者問題
日本の長期的景気低迷に似たものとして、いっときはやった英国病(これと闘い、Iron Ladyとも呼ばれた、サッチャーさんも先日ご逝去されましたが)という話があるが、今、英国病が一時的に解決したように見えるのも、どうも、旧植民地からの人口がやたらと流入していることと、腐っても過去の蓄積が大きいから、のような気がする。イギリスの年金や保険財政が厳しくなっているのも、過去の蓄積がもうずいぶん減っているのと、旧植民地からの人々が大量に流入していることもあるのだろう。特に、イギリスでのGP(一般開業医)の不足は相当らしい。今、英国人の医師免許取得者は、EUになってからは、英国の国民保険の保険診療より稼げる大陸やアメリカで診療し、その不足をGPが手にできる保険診療手当でも十分高給に見えるパキスタン、インド、アフリカ諸国の医師が対応しているとも聞く。おかげで旧英国領のアフリカ諸国では慢性的な医師や看護師不足らしい。育てても、育てても、みんな英国に行ってしまうと、あるアフリカ人の宣教師が嘆いていた。
ややこしいものはなかったことにして
いやはや、話が余談に行ってしまったが、近代は、性とか、死とか、そういうややこしいものには蓋をして、なかったことに、なかったことに、しているという大変残念な事実があると思うのだ。そして、生きている間見たくないものは意図的に無視し、そして、死亡したら、天国に直行便のような形で考えているように思う。この種の考え方が、現代の閉塞感のどこかにつながっているように思う。
閉塞感の果てにある自宅警備員という生き方
結局、現代を現代の社会に沿って生きることは、回転寿司のレーンの上を載っている皿の上のすしのようなものでしかなく、たまたま、乗っている皿が、金の皿だったり、黒の皿だったり、白っぽい皿であることの違いでしかなく、そんなレーンの上に乗りたくない、という人たちは、もう社会というレーンから外れて、引きこもりとなり、自宅警備員、自室警備員化していくのだろう。このあたりは、ロスジェネ心理学が大変参考になるのではないか、と思います。
では、【一部警備員のための】ニート自宅の警備隊【替え歌をおおくりしませう。
近代のアウトローとしてのローンレンジャーと
現代のアウトローとしての自宅警備員
その意味で、近代が生み出した一種のアウトローとしての自宅警備員があったのだろう。まぁ九州博多銘菓の東雲堂さんのはかたにわかせんべいのCFに出てくるようなお面をかぶった、ローンレンジャーにしても、社会とのかかわりを失っていたという意味では、荒野に引きこもったアウトローであり、自宅に引きこもるか、荒野に引きこもるか、どっちが楽か、の違いでしかないのかもしれない。Hi-yo, Silver!
アスペルガーちゃん
量産時代としての現代社会
藤掛 近年、発達障害について、とりわけその一つであるアスペルガー障害について注目されるようになりました。アスペルガー障害の人は、社会的関係を持つことや他人とコミュニケーションを取ることができず、また本人ならではのこだわりを持っています。そうした障害が社会で注目されているだけでなく、一般の人にもそういう心性、心の傾向が広がっているということなんです。そういう意味では、現代は発達障害の時代、アスペルガー障害の時代ということができるかもしれません。
というご指摘(同書pp.35-36)があったが、このことを見ながら、近代という大量生産システム(フォーディズム)を超えた、多品種少量生産時代という概念を突き抜けたところにあるアスペルガーちゃん量産構造を見てしまう。市場が細分化されているし、単に市場が細分化されただけでなく、それが相互に緩く認証されながら、独立国を形成しているように思えるのである。
新しい中世とアスペルガーちゃん
このことを、田中明彦氏は、90年代前半に『新しい中世』という形で、提示しておられたように思う。確か、同書によれば基本的に新しい中世は、都市国家状の多様な関心領域ごとに小規模なコミュニティが形成されるという話であったように思う。
その意味で考えるならば、その小規模なコミュニティごと、独自の用語や言説が形成されるので、言語自体も分化していくことになる。方言というよりは、ラテン語系のフランス語、イタリア語、ポルトガル語、フラマン語みたいな、まったく意味が通じないわけではないが、かなり違いがみられる言語形態になっていく、ということ似ているかもしれない。
もともと、空間的な移動の壁によって、地域が分断され、結果として言語が異なっていたことを考えると、そもそも、近代のような同質的な論理で一体が支配されるような社会構造の方が異様であったのであって、現在のアスペルガーちゃん量産型社会の方が普通であったように思うのだが。
ところで、アスペルガーちゃんと言っても、同じ共通項を持つアスペルガーちゃん同士では、ぬるくある程度コミュニケーションができるのではないか、と思うのだが。
あんまり紹介して本書を買ってもらえなくなっても何なので、日本社会に潜む問題として、天皇的存在が作り出されやすいという指摘があることと、カルトの問題がふれられていると紹介し、そして、カルトに関する部分について、引用し、そして少し思うことを述べたい。
現代のカルト問題と
対論の困難性とアスペルガーちゃん化
本書を出版しておられる出版社の編集者兼代表の谷口さんの発言とそれを受けた対話が大変面白いのでちょっこし、紹介したい(pp.56-59)。
教会のカルト化と天皇制、この辺りのことは、キリスト新聞社のMinistryの特集でもふれられていたように思う。金魚鉢の中の金魚のような天皇家と牧師一家の類似性である。構造的に両者はよく似ているのだろうと思う。
谷口 (略)今のキリスト教界でもカルト化が問題になっています。確かに信徒に祭り上げられた天皇のような牧師がいる。「牧師のことばは絶対。逆らってはならない」というような。それを聖書のことばで裏付けられるから、内部の人はだれも逆らえなくなる。
しかし一方で、だれかが「あの牧師はカルトだ。信徒が被害者だ」と言ってしまうと、それぞれに対して、「加害者」と「被害者」というステッカーが貼られる。(中略)こうなると「もう少しお互いの言い分を聞いてみましょう。」とは言えない雰囲気になる。そして「加害者」が説明し始めると、”言い訳”になる。
(中略)
藤掛 私は、今村上春樹が構想を練っているのは、もしかしたら地震ではなくて原発ではないかと思うんです。そこには原発にかかわる人た日による強固な構造があって、「枠」というのがぴったり。原発推進の国策はまさに「枠」で動いてきた。(中略)
一方で原発反対の人々も「枠」で反対している場合がある。もう少しいろいろ反対や哄笑があるのに、とにかく1%も妥協しない反対になる。
(中略)
谷口 (略)いわゆるカルト牧師を見つけ出してバッシングする方々も、裁判を起こすように働き掛けるなど、白か黒かを早期にはっきりさせたがります。(中略)私は「教会のカルト化」と戦う人々の一部にも、同じカルト化の傾向を感じることがあります。
上沼 教会のカルト化と天皇制はそんなにかけ離れたことではないですね。(以下略)
2項対立に支配された近代
ところで、カルトとも関係する2項対立の世界観は、近代が誤って産み落とした正邪の概念にとらわれること、誤った形で一般に広まってしまった科学的思考というもの、という誤解ではないだろうか。科学の世界では、本来間主観的対論の世界のはずなので、そこまで、正邪の概念で対立的にとらえることはないはずの世界であるように思う。感情的になったり、むきになったりする科学者の方もおられるが。
裁判が大好きなアメリカ人
ところで、アメリカ人は、裁判が大好きな人たちである。何かあると、Sueという言葉が出てくる。Susanの愛称ではない。裁判のことである。
典型的にはスコープス裁判(本来は、州として進化論を教えてよいのかに関する裁判であったはずが、どちらかが正しく、どちらかがまつがいということの裁判として受け取られることになってしまった裁判)などに見られるように、裁判で白黒つけるのが大好きなのだが、それだけに裁判のリアリティと限界を知っていたり、テレビで見ている人たちでもある。まぁ、普通に陪審員制度に引っ掛かる可能性もあるから、というのもあるのだろうが。
裁判の限界の認識
個人的には、この番組、結構好きなのだが、何より、この番組が面白いなぁ、というのは、Deal(司法取引)をめぐる考え方だったり、結局、裁判で争った結果何が正義なのかわからん、ということを言い放って、わざとわかりにくいエンディング、非常に中途半端な気色悪いエンディングで終わることが多い点である。絶対に水戸黄門みたいな結論が毎回出て、すっきり終わるエンディング、でないことも多いのだねぇ、これが。初期のシーズンから、このような気色悪いエンディングもあるが、シーズン20とかの最近のシーズンほど、この手のわかりにくいエンディングが増えるようにも思う。
裁判って、限界がある人間がする以上、限界があるんだし、裁判で認められたからと言って、それがすべてではないように思うが、どこかでバランスを取らないといけない以上、裁判問う場でしか決着ができないこともあるのは確か。しかし、どうもそれを、金科玉条のように思っておられる、まつがいをしておられる方が時におられるのでねぇ。困ったもんだと思います。「裁判で勝訴した → 判決すなわち正義で正しい」どっか、厨弐病じゃね?マスコミもそういうところあるよね。
と、ミーちゃんはーちゃんの重篤な厨弐病心をくすぐらせる話題満載の、非常に幅広いテーマを扱った感じの本です。薄い本ですが、読み応え、読み込み応えがある本ですし、そうお高くもないので、ぜひご購入を。できるだけ、引用の範囲を超えないように努力したつもりですが、かなり今回は引用部分が多いことも確か。その段はお許しいただきたく。
本日購入してきた本
評価:
上沼昌雄,藤掛明,谷口和一郎 地引網出版 --- (2013-04-25) コメント:対談が一番面白い。後半のお三方の小論を読むためには、村上春樹の小説を読んでおいたほうが味わえるかも。全く読んだことのない私には無理ゲーでした。 |
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