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2013.03.23 Saturday

福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

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     さて、ここのところ、福音派が生まれたころの昔話をしてきたが、今日は、第5回目ということで、John Nelson Darbyというおじさんのことについて触れていきたい。ミーちゃんはーちゃんが今も参加しているキリスト者集団の初期以降の運動に多大な影響を与え、今なおその影響は続いているという、知人やミーちゃんはーちゃんにものすごい影響をあたえた人なので、この人について書きたいことはいっぱいあるが、一応Theologian Trading Cardにまとめられた話をすると、こんな感じになる。

    トレカからの紹介 John Nelson Darby


    略歴
     もともと、福音的な英国国教会の司祭であるJohn Nelson Darbyはプリマス・ブラザレン(Plymouth Brethren)の初期のリーダー群の中で最も知られている人物であり、別名、ディスペンセイション主義で知られる前千年論ディスペンセイション神学、の父とみなされている人物である。

    重要性
     プリマス・ブラザレンは1830年代の後半に構築されたが、それは、キリストの再臨がが近いという確信の中で、希望を失うほどに教会が分裂していることへの対応として生まれてきたものである。ブラザレンは、すべての信者が祭祀であるという理解に立ちながら、公式的な教会の指導のスタイル(平たく言ってしまえば、牧師を置くこと)を否定した。1845年に始まるブラザレンが細分化された派閥に分解したとき(変換者注:この段階で、Connexial Brethren(Exclusive Brethren)と呼ばれるダービー派とOpen Brethren と呼ばれる非ダービ派とに分裂する)、ダービー派(Darbyites)として知られる強く結束した信仰者群で指導的役割を果たす。彼の中心的な神学的著作『聖書の各書の概要 Symnopsis of the Books of the Bible』で前千年王国論的な視点を展開し、そのうちには、明白な時代区分(distinct time periods)あるいはディスペンセイション(dispensations)とよばれる救済史の時代的分断と空中携挙(または携挙 Rapture)が含まれていた。このダービーの思惟の結果は、特に(particularly)北米で大きな影響を与えた。

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    J.N.Darbyこぼれ話
     このおじさん、上品なTheologian Trading Cardsの編集者の方は書いていないが、このおじさんは非常に神秘主義的な人物で、この人の語った話や書いたものは、複雑骨折した上に剥離骨折が重なっており、さらに、その上に人工関節がつけられていて、その上、妙なギブスでガチガチに固められているという感じの文体なので、通常の人が聞いたり読んだりしても意味が取れないときている。そのため、Darby派から後に分離するKellyという人が、当時の大英帝国内の英語をしゃべるキリスト者に対して英語で解説が必要であったほどの難解さだったのである。もう、レトリックは矛盾と奇矯さ満載、といったタイプの説教や文章で有名な人なのであるのだね。ドイツ人は、文章が長くて、読みにくい文章を書くということで有名だけど、まさにそんなタイプの文体だったようである。キリガイの有馬先生が翻訳されたらしいけど、ご苦労されたと伝え聞いたことがある。なお、キリガイは、名著だと思うが、まぁ、あれは、高校生の素直な気持ちが出ているのだと思う。おまとめになった有馬先生もえらいけど。

    JNDarby トレカ

     また、このJ.N.Darbyというご仁は性格が激しく(上記のトレカの写真参照)、論争的で、Newmanという人と論争し、論破、というよりは難癖や激しい語であおりまくり、ツイッター炎上ではないが、当時の最先端メディアである雑誌市場での論争でコテンパンにやっつけて、かわいそうなNewmanさんは、ブラザレン運動初期の人なのに、一緒にできないということで、ブラザレン運動から去っていく。この種の激しさ、激烈さがブラザレン運動に残ることになる。また、粘着質な御仁であったらしく、今でいえば、完ぺきにツイッターを炎上させ、相手の神経を参らせるタイプ。

    ブラザレン派の分解の経緯に関しては、ブラザレンの分裂史http://blogs.yahoo.co.jp/kawamukaih/folder/1293744.htmlをご覧いただければ、Tim Grassからの簡単な要約がございます。

     また、この御仁は、天才的というよりは驚異的な語学能力の持ち主で、いくつかのヨーロッパの言語での独自翻訳聖書を出していたはず。もちろん、古典ギリシア語、ラテン語、ヘブル語も自由に操れたらしい。

    J.N.Darbyと米国福音派との関連

     ただ、この人の一番の功績(というよりは負の功績だとミーちゃんはーちゃんは思うが)でもあり、一番の問題でもあるのが、根拠が実はかなり薄弱なDispensation仮説を仮説としてではなく、真理として聖書解釈に持ち込んだ点であり、そして、それが、Scofieldというこれまたちょっと(実はかなり、かも)ややっこしい人物により、このディスペンセイション仮説に従って記載した解説が付けられた欽定訳(King James Bible)聖書(簡易注解書がくっついた形の欽定訳聖書)が出版される。そして一般にスコフィールドバイブルとも呼ばれる欽定訳に解説付きの形で出版された聖書が、1909-1940年くらいに爆発的に巡回伝道者と呼ばれる人々や中西部のバイブルベルトと呼ばれる地域に住む素朴な人々、特にフロンティアに居住していたために教会に通えない農業者の人々の間でまさに爆発的に広まったのである。教会に通えない人々が、いたしかたなく、教会に行く代わりに家庭集会した時に、集まっている人たちからの質問に答えたりするためには、大変便利な本に見えてしまったのであった。

     このScofield Referenced Bible、ちょっと古いが、教科書ガイド(解説、回答付き教科書)と思えばよろしいのではないか、と。Scofield聖書を見るたびに、もう、いらんことをして、とミーちゃんはーちゃんは思っている。

    Dispensation仮説が米国の農村部で広がったわけ

     その意味で、この聖書に付されたディスペンセイション理解は燎原の火のように、中世ヨーロッパを恐怖に陥れたペストのように、あるいは古代ローマ・ギリシア世界を恐怖に陥れたキリストktgyたちのように(パウロはペストのような存在、と呼ばれたことがある)、本国大英帝国内というよりは、北米で広がったのだ。正当な聖書理解として。

     なぜ、北米で広がり、グレートブリテン島周辺諸国領域および西ヨーロッパ内で広がらなかったかといえば、そこには、一応のChristendomが存在し、教会が身近にいける範囲に存在し、そこでは教会論的伝統と伝統的理解がすでに広がっており、教理的空白が薄かったからではないか、というのが、ミーちゃんはーちゃんの読み(仮説)であり、グレートブリテン島諸国および西ヨーロッパでは、Darbyの新奇な説は相手にされなかった、ということなのだと思う。まぁ、1900年ころから1940年代まで、社会構造が変化し、科学が前面に出てきて、リベラル派というのか社会の中で科学的であることが絶対となっていくような信仰に対しての素朴な信徒にこのディスペンセイション説は受けたといえる。まぁ、多くの伝統的キリスト教会群が聖書の真実性を否定するように見える立場の聖書理解(典型的には、本文批評とか)に立っていく中、「そんなんゆうたら、信仰もへったくれもなくなるやんけ」という素人的な「世も末(終末)」感とリベラル派への反論が背景にあってのことではあるのだろうけれども。

     その意味で、非常に広範な領域に広がるアメリカのプレーリーの平原部で生活した中西部の農民の生活は、隣の家まで馬で近くて20分から30分(バイクも車もないし)、都市部のように天候とは全く関係ない安定した生活を送る人々と比べ、天候に依存した生活をしており、安定した生活とは無縁の農業者という立場ゆえに、書籍を買うことも難しく、また、購入したところで読む時間の確保すら難しい人々であったであろうから、教会に行くことなど、夢のまた夢、巡回牧師(説教者、大草原の小さな家のテレビドラマ版に出てくるオルデン牧師みたいな存在)が来るらしいから、ということで、ごく稀に教会に集まるような人々であったように思う。その意味で、伝統的聖書理解の空白が生じ安い環境におかれたのだと思う。そこに、Scofield Reference Bibleという解説付き聖書が、Oxford University Pressから出版され(教養がないと、Oxford Universityがお墨付きを与えたように見えるが、基本本屋なので、Oxford Universityの本体とはほとんど関係ないアメリカの出版社)、ありがたく受け取られてしまったように思う。どうもオズワルド・J・スミス先生も、このScofield版聖書を御愛用であったという記述がある。orz

    J.N.Darbyのディスペンセイション説が
    日本にやってきた経緯


     そして、その概念に強く影響を受けた人々とその子孫が、15年戦争後(太平洋戦争後)宣教師、伝道者、牧師として日本に大挙してやってくる。日本が宣教地であり、日本が福音派にとっての最後のフロンティアである、という意識もちょっともって。
     
    Dispensation仮説については、以下のリンクを参照していただければ幸甚。


    人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(1)

    人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(2)


    人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(3)

    人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(4)

    人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(5)最終回 

    ディスペンセイション説という終末論について


    なお、これまでの連載記事は、こんな感じ。


    福音派が生まれたころの世界むかし話(1)では、
     主要登場人物の紹介

    福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
     ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

    福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
     ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

    福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
     リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

     で、次回予定は、A.A.HodgeとB.B.Warfield、そのあと、D.L.Moodyへと続く。

    評価:
    有馬平吉
    新教出版社
    ¥ 1,470
    (2012-09-25)
    コメント:高校生らしい素朴な考え方が面白い。

    評価:
    青木 保憲
    明石書店
    ¥ 5,040
    (2012-06-14)
    コメント:高い。だけど、今この本くらいしかない。問題はいくつかあるけど、キリスト教側からアメリカの福音派の発展史を追った労作。

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