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2013.03.11 Monday

「バラバとキリストの両方取り」としての「繁栄の神学」を読みながら考えた。

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     敬愛してやまない、水谷先生のブログ記事「バラバとキリストの両方取り」としての「繁栄の神学」を見ながら、少し考えた。福音派の歴史は継続中であるが、この話題、最近の話題と関係しているので、とりあえず、再度まとめておこうかと。

     水谷先生のご主張は先にあげたリンク先をご覧いただければ嬉しいが、それをミーちゃんはーちゃん風におまとめすると、

     「大衆志向型神学」
       大衆のことを思いながら、大衆でもある信徒が聖書をもとに考えつつ、現在の世界と神とともに切り結んでいく神学

     「大衆迎合型神学」
       大衆受けだけを狙い、安直、教会の玄関あけたら2分で信者(あ、これは玄関あけたら2分でごはんのCFのパクリですから)、信徒にものを考えさせない神学

    という感じかもしれない。これは、重要だと思う。

     大衆迎合型神学の怖い点は、水谷先生ご指摘のように、大衆社会の怖さでもある。オルテガ先生が大衆社会の怖さを指摘したように、大衆支配型の支配の社会の怖さは、いろんなところで課題として取り上げられている。そして、大衆迎合型神学は、一瞬で、大衆が担いだ指導者を重視し、異分子を排除する神学、すなわち、エリート(教祖・指導者)絶対化型神学に化けるところが怖いのだ。

     たとえば、ジョージ・オーウェルの1984(これ下にひいたマッキントッシュ登場の時のCFを広島弁吹き返したのがこちらwwww その映像を皮肉ったThe Simpsonsの映像がこちら。)や動物農場がある。シンプソンズの映像は、Apple Storeで働く人たちが、Steve Jobsと同等でもないにもかかわらず、自らをSteve Jobsになぞらえ、ウエメセで顧客をあしらっているApple Storeの店員たちに対して、あんたたちも、某国際事務機器会社とおんなじじゃん、と皮肉っているのである。最近のApple Storeの客あしらいはひどいらしい。Mac Userではないのでよくわからんが。その意味で、Apple StoreはSteve Jobs or Mac カルト企業みたいになってるらしい。

     また、大衆支配の恐ろしさを描いた映画でいえば、以下で紹介する、グッドナイト・グッドラッククルーシブルマジェスティック真実の瞬間(デニーロが出ているGuilty by Suspicion)などがある。あと、エルマー・ガントリーなんかもそんな節があるねぇ。

     最近読んだ本で面白かったのは、チウェ著 儀式は何の役に立つのか、であるが、同書ではCFと特定の人気番組(アメリカのスーパーボウル)との関係を分析したり、ベンサムの刑務所デザインの問題を取り上げながら、大衆的視線の集中の問題とそれによる人々の行動の誘導の問題を取り上げた本であった。ちなみに先に紹介した広島弁吹き返したマッキントッシュの吹き替えなしバージョンが最初に放映されたのが、スーパーボウルのCFとしてだったらしい。ちなみに、アメリカでは、どこぞの市警察が犯人逮捕のためにスーパーボウルのチケットが当たったという逮捕作戦に出て犯罪者の逮捕につなげたということもあるほど人気のあるゲーム。
     
     このように大衆的視線の集中によって形成される大衆の熱気というか狂喜が間違いをもたらした例は、オルテガ先生の指摘と同じ問題を生み出す装置の事例でもあり、カルト的なグループで形成される問題を生み出す装置と共通のものではないか、と思った。

     ナチスドイツ(社会主義を標榜。どこがや、という話はあるが)は、ある時期ヒットラーカルトであったし、ソビエト(社会主義を標榜)はスターリンカルトであったり、フルシチョフカルトであったりした。しかしこう考えてみると、第2次世界大戦期の独ソ戦は、イデオロギーの戦いではなく、[一応キリスト教的装いをした]社会主義 対[無神論的装いをした]社会主義だったようだ。wwww。マッカーシズムのころ、アメリカはマッカーシーカルトであったし、反共カルトであったように思う。

     我が国は、寛容な多神教国家であるから、こういうことが起こらなかったかというと、必ずしもそうではない。神国日本とか、神風が吹く一億火の玉撃ちてしやまん日本人ならぜいたくはできないはずだでてこいミニッツ・マッカーサー(といったからかどうかは定かではないが、戦争が終わって勝利者として本当に登場した)、といって、神国日本カルト化した経験が70年くらい前にある。おじいさん、おばあさんに聞いてみよう。近親者に戦争経験を聞ける方がいない方は、永井荷風の断腸亭日乗(一番の彼の名作とは思う)をお読みくだされ。まぁ、日本のキリスト教界もこの時期は黒歴史が少なくない。宗教団体法がらみで。

     とはいえ、大阪のおばちゃん文化は、強いらしい。この時期でも、「そんなん、竹やりでB29なんか打ち落とせるわけないやん。あほらしい。せやかて、非国民やゆうて、配給減らされるん、かなんさかい、お付き合いで、訓練でとこか。」というのりであったそうである。非常に実利的で健康的ではある。

     日本のキリスト教界の黒歴史を知ることももちろん意味がないわけではないが、それよりも、水谷先生がおっしゃるように、

    キリストだけでは不満で、バラバがもたらす自己実現や自分の王国建設に歩もうとしていないだろうか?と。「キリスト教バラバ派」になっていないか?と。オルテガの指摘の如く、聖書を読み自分の頭で考えず、指導者と言い伝えを鵜呑みにして、関心を浮遊させ、教えの風に吹かれながら、聖書が描く「群集」の如く歩んでいないだろうか?と。
    反省してみることは大事だろう。

     ところで、自己実現=自分の王国建設(そもそも、他者がなければ、自己もへったくれもないので、自己実現ということは意味があまりないのだが)は、その通りなのだね。自己実現、自己実現って言っているキリスト者は、他者と共に生きるということを忘れ、中学の卒業文集とか卒業アルバムに「目標は世界制覇!」と書くような厨二病患者とほぼ同じなのだな。これが。なお、ミーちゃんはーちゃんが、重篤な厨二病患者であることはこの際認める。

     つまり、自己実現、自己実現といっている以上、それは自分が中心で世界が回っているという天動説人であり、油注がれたキリスト(メシア)が本来持つべき王権の簒奪をしているのだね。これが。

     この、神、YHWH、油注がれたキリスト、油注がれたものとしてのメシア、油注がれた王としてのキリストの王としての主権の侵害こそが、聖書で言う罪なのではないだろうか。

     しかし、放蕩する神で示されているように、神は、放蕩するようにその愛を尽くし、愛しつくす、等身大で欠点だらけのミーちゃんはーちゃんを、全力で愛されたということなのではないだろうか、と思っている。

     この愛は、一方的なものであったことを忘れてはならないと思う。油注がれしアダムの末はナザレのイエスなのか、それとも自分自身なのか、あるいは、自分が属する信仰者集団の指導者なのか、をどう考えるのか、これこそ、信仰者にとって問われることのような気がする。

     パスカルは、哲学的反省(考えること)ということを説いたらしい。他人の尻馬に乗ることではなく。法政大学にお勤めだった、湯川佳一郎先生は、哲学通論の時間にそれを主張されておられた。
     
     みなさん、哲学的反省に励まれんことを。そして、神とともに、神を王として、神をキリストとして、神をメシアとして生きられんことを。それこそ、知恵文学と呼ばれる、箴言などで取り上げられた、「神を恐れることは知恵(分別)の初め」であり、知恵であり、分別であり、分限であり、自分が絶対者の前で限られたもの、欠点だらけのものでありながらも、神に愛されていることを知ること、なのではなかろうか。
     

    評価:
    ジョージ・クルーニー,グラント・ヘスロヴ
    東北新社
    ¥ 2,420
    (2006-11-22)
    コメント:マッカーシズムの風が吹き荒れたころの報道とは何か、ということを取り扱った作品。ジョージ・クルーニーのおとっつあんは、報道関係者だったらしいし。

    評価:
    ---
    20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
    ¥ 3,000
    (2008-03-19)
    コメント:セイラムの魔女事件に題材をとった名作。大衆支配の発生の恐ろしさを示しつつ、赤狩りへの批判となっていて、アメリカが変わってないことを示す。

    評価:
    ---
    ワーナー・ホーム・ビデオ
    ¥ 1,500
    (2009-07-08)
    コメント:ジム・キャリーがおふざけをさせながら、大衆支配社会となっていったアメリカについて強烈に皮肉った作品。

    コメント
    またまた拙ブログの記事を深めていただき光栄でございます。大衆社会が持つ危険を掘り下げながら、最終的には、クリスチャンに「哲学的反省」を勧めていただいたこと、現代の私たちに必要な発信として受け取られせていただきました。連載中のシリーズの切れ目で、ご紹介申し上げたく願っております。
    • 水谷潔
    • 2013.03.12 Tuesday 15:35
    水谷先生 コメントありがとうございました。

    このところ、偶像崇拝問題、教会のカルト化問題を考えている中で、ちょうどその時に先生からの応答をいただいた、と思っておりましたので、もう一歩踏み込んでみました。

    私どものキリスト者集団でもそうなのですが、霊において熱心な方は、知性において熱心さにやや欠けるきらいがあり、どうもバランスが悪いなぁ、と思っていたところだからでございます。

    パウロが言うように、私は霊において祈るとともに、知性においても祈る、霊において生きるとともに、知性においても生きる方が増えることを願っております。

    リベンジ婚とカルト化の類似性の問題の記事をお取り上げいただいております上に、今回もお取り上げいただきますこと、御礼申し上げます。

    先生の記事を楽しみに待たせていただきます。平安がございますように。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2013.03.13 Wednesday 06:48
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