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2008.09.14 Sunday

今日の福音メッセージ

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    今日は、証をかねた福音のメッセージしました。このブログでもご紹介した100歳を超えて生きておられた信徒の方のご親族の方が来ておられたので、そのかたがたにかなり配慮したお話になりました。


     


    まず、私が高校生の頃、第2次オイルショック、急速なドル安、で日本国内の経済的な不況が深刻化し、それを背景として、ディスペンセーション論がキリスト集会と自称していることが多い福音派のキリスト教会のなかで、大流行したこと。それが私を含めて多くの人々に影響を及ぼしたことをお話し、多くの問題があったということをお話しました。このような具体的な社会事象への聖書の預言のかなり無理な適用が見られたことをお話し、このような無理な適用が聖書の中心的なテーマではなく、その預言の先にある、『ふるさと』にもどることこそが、聖書の基本的なテーマであることをお話しました。


     


    しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル11章16節)


     


    『故郷』は、出発点であり、到着点であること。なぜ、出発点かというと、母親の胎盤の中で私達が形作られている間も神の関与があるということは、聖書の基本的な教えであること。その意味で、私たちの出発点で神の関与と関係があること、また、キリスト者が目指している天の故郷とは、単に天国という行き先ではなく、神の関係と関与がある場所であることをお話しました。


     


    もし、私たちの死後に何もないのであれば、私達は、何も恐れる必要はないけれども、私達が恐れるのは、私達が故郷でないところに行くことになることを漠然と理解しているからではないでしょうか。聖書の約束は、私達が、天の故郷に帰ること、そこは故障が沖たる、トラブルが続発するような情けないような場所ではなく、非常にすばらしい場所であることを聖書は主張しています。だからこそ、是非、この天の『故郷』のことをお考え下さい。この故郷は本来、すべての人のものなのです。というお話をしました。


     


    大分、朝の学びとかぶってしまったのですが、まぁ、皆さん、よく聞いてくださったと思います。まだ、神様のことを信じる決心が付いておられない方もたくさんおられなかったので、良かったかなぁ、と思います。


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