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2013.02.20 Wednesday

人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(5)最終回

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       さてさて、この連載も最後ですが、今回も引き続き、ディスペンセイション神学研究会の資料集からご紹介。今回は第4回の講究録からご紹介。

     いろんなところからご反響いただきましたので、それを踏まえ、なぜにミーちゃんはーちゃんがこのようなマニアックなネタをしているか、ということのご紹介を。

     まず、リバイスド・ディスペンセイション説およびプログレッシブ・ディスペンセイション説のもとになったクラッシック・ディスペンセイション説とミーちゃんはーちゃんが育ったキリスト者集団が深い関係にあること(下のBassの本を参照)、NTライトの関係で、複数のディスペンセイション的な考えがあるにもかかわらず、それが、ディスペンセイション説でくくられており、混乱を生じかねないこと、聖書理解(特に神の国理解)が3種類のディスペンセイション説ごとに微妙に味わいの違いがあること、NTライトセミナーとの関係で、この区別に関心をお持ちの方が居られることが分かったこと、そして自分自身のメモを残すため、という理由からしております。

     ミーちゃんはーちゃんは、どちらかというと元技術者(まぁ、現役でないわけでもないが・・・)技術志向的なので、クラッシックだの、プログレッシブだの、リバイスド他のの分類には興味はないが、議論がややこしくなるので、指示語として真鍋(2000)などに従った分類を援用しているにすぎない。

      なお、以下は、あまりにマニアックなネタなので、パスしたい方は、パスしていただいた方が、よろしいかと思います。では、第4回講究明録のまとめを。

     まず、ダレル・ボックの「神の国」の概念とプログレッシブ・ディスペンセイション神学における神の国概念と、それ以前のディスペンセイション神学における「神の国」との違いを明らかにした服部(2000)論文から、その主要な主張を紹介してみたい。

     プログレッシブ・ディスペンセイション神学においては、教会が旧約聖書に預言された終末の「神の国」の一つのステージであるという立場に立っておられるということだそうです。

     また、「神の国」はイエスの働きの中の一貫したテーマであり、旧約聖書の預言者によって繰り返し書かれたものであったが、それは、苦難の時であるものの、イスラエルは国として多くの民族の広がりをもつ世界の中で、祝福され、イスラエルの王としてのキリストによってすべての民族が祝福される。具体的には、その王国での生活は病気や悪霊の圧迫もないなど祝福されたもので、地は平和と豊かな実りで祝福され、罪は許され贖われる、というお立場だそうです。

     イエスと預言者との王国観の違いは、イエスがその王国をメシアとしての現れたことによっておこしたもので、イエスは、ご自身も、他者からもメシアとして認められた方であり、神による支配とダビデの子による支配とが、受肉された神の特別な働きにより実現したものとなった、ということだそうです。

     イエスの活動中に示された「神の王国」と「将来の王国」の違いは、イエスの内に存在する御国と世界的にうちたてられる王国の違い、ということで、イエスは喩え話などの中で、黙示的な御国の到来に先立つ御国を預言しているのでは、というご指摘が印象的であった。

     さらに、イエスは、キリスト(多分、著者はキリストを油注がれたもの、王として使っていると思う)としてイエスは現在活動されている、というお立場だそうです。そのことを示すセクションを同論文から引用してみよう。
    パウロはコロサイ教会への手紙で、キリストにある兄弟たちを「暗闇の圧政」から彼の(神の)愛する御子の王国に移された」と説明している。この王国に関する言葉は、ダビデの契約の文脈で使われているものである。それはメシアの王国でありコロサイ教会はそこに移されたということになる。さらに、文脈は現在のコロサイ教会と王国の関係を示しているのであって、将来のことでないことが分かる。(p5 下線部は原著者 服部(2000)による)

     また、エペソ2章から、「2つのグループ(キリストにあるユダヤ人と異邦人)」を「一人の新しい人」に「作り上げること」は神殿のメタファーで語られており、その語られた神殿は御霊によって神のみ住まいとなり、結果としてキリストにある両社は見た間に合って父なる神に近づけるということを説明しておられる。

     そして、エペソ人への手紙から、
     新約聖書が教会を説明する言葉は、契約の約束とメシア王国に属することから直接とられているか、そうでなくてもその予言の流れにマッチしているところから取られていることが分かる。
     現在のディスペンセイションは終末の王国の完全な表れではない。王国にあらわされつつある漸進的なステージである。(p.7 下線部は原著者 服部(2000)による)
    と解説しておられる。最後に、結論の部分で、次のような記述がなされている。
     新約聖書は終末の神の王国は順序良くつながっている歴史の段階(4段階)を通して現れるよう示している。この終末の神の国は過去のディスペンセーションでタイプと預言を通して示された神の国の成就となる。それは神が王として族長とモーセのディスペンセーションで働かれたことのゴールであり、人類と人類を除いた被造物世界に関する神の計画、特に両者と神ご自身との関係の成就を見る世界の姿である。(p.9)

     さらに、これから発生する終末理解が述べられている。少し長くなるが、引用してみたい。

     メシアの1千年王国が終末の王国の次の段階(第3段階)で、現在の教会という王の民の時代のすぐあとにくるものである。もうふれてあるように、1千年王国の現れはディスペンセーションの交代を示すもので、教会のディスペンセーションから最後あるいはシオンのディスペンセーションの中の第1段階の移り変わりである。第1の終末の王国の表われ(イエスの受肉と働き)から第2の終末の王国の現われ(教会)への変化は王の復活と栄光を受けられたことがきっかけとなった。第2の現われから第3の終末の王国の現われ(千年王国)への変化は教会の復活と教会が栄光を受けることがきっかけになる。しかし死は多くの人類にとってなくなっていない状態である。復活したキリストと復活した聖徒たち(ダニ7:14, 27;12:2)は地上で人々の国家政治的な分野で管理/支配する。イスラエルのメシアとしてイエスはイスラエルと契約された約束を成就し、イエスはすべての民族がイエスを通して祝福されるようにすべて民をご自身に従わせる。(p.11)
     なんか、この考え方は、ミーちゃんはーちゃんが給食で食べたスパゲッティと献立表に書いて合ったシロモノよりも、もう少し連続性は増した感じがあるなぁ、と思いました。しかし、「きっかけ」という言葉が示すように、なお若干ではあるが、分断的な感じが最後の部分から受けた印象でした。それと、4つの段階に分けて語れるなどと、ここまで言い切ってしまっていいのか、ということを素朴にミーちゃんはーちゃんは思った。

     最後に真鍋(2000)に記載されていたことをおまとめして、このシリーズを終わりたい。

     C.I.スコフィールド(クラシック・ディスペンセイションの人)のディスペンセイション説における「奥義」理解は、教会に関する奥義は、「旧約聖書の預言には一度も説かれていない」(C.I.スコフィールドの『聖書を正しく学びましょう』(伝道出版社刊))というものであった。この「奥義」定義は、初期や1980年代に至るまで、ディスペンセイション神学の理解であったらしい。


     この部分を読みながら改めて思ったのは、
    C.I.スコフィールドの『聖書を正しく学びましょう』という本のタイトル自体が厨弐病設定というか、ウエメセだよね、と思ってしまった。改めて。

     特に、1980年代までディスペンセイション論における「奥義」定義に関する、この記述を見ながら、なるほど、2013年の1月に東大阪で開催されたわがキリスト者集団の信徒大会で語られた理解もそうであったなぁ、と思ってしまった。それだけ、あの時のご登壇者の皆様は、1980年代まで続いてきた、わがキリスト者集団における由緒正しい超絶正統的、伝統的な聖書理解を述べておられたのだなぁ、と改めて思ってしまった。しかし、そういう風に感じるということは、もう、ミーちゃんはーちゃんの理解が、別世界に言っているのだなぁ、ということも改めて感じた。イギリス国教会が祈祷書による一致って言っているみたいに、キリスト集会群はC.I.スコフィールドの「聖書を正しく学びましょう」による一致、みたいなことは言いませんよね。たぶん。
     そう期待したい。

     さて、プログレッシブ・ディスペンセイションとリバイスド・ディスペンセイション説の違いとしては、新約教会に関する位置づけであり、リバイスド・ディスペンセイション説では、新約教会は旧約啓示の対象外とされ、教会が挿入されたものとして、そして旧約が予言している王国は延期されたものとして(王国延期説というらしい)取り扱われるが、新約の教会において部分的に旧約預言は実現しており、その点で、連続性を確保しているという立場らしい。

     これを読みながら、ちょうど楔形のものが反対方向にかみ合わされたような形での連続性であり、まだ、その間に混じり合っていないような感じがあるなぁ、という素朴な印象をもった。

     特に印象的な部分を引用したい。

     PD(プログレッシブ・ディスペンセイション説)はRD(リバイスド・ディスペンセイション説)の3つの教理に対して明確な修正の手を加えた、「奥義」は旧約聖書に啓示されていないというのではなく、啓示されていたけれどもその確実な理解はキリストの初臨と贖いのみ業を待たなければならなかったという意味での「奥義」として修正する。また、「教会挿入説」と「王国延期説」はRDの「奥義」観のゆえに、奥義としての始まりと終わりを旧約聖書の刑事の流れから分離(非連続)するところ生じてきた。PDは教会時代の始まりの非連続性は聖書の教えではないとして修正した。
    (p.19 下線は原著者 真鍋(2000)による)


    であった。しかし、「聖書の教えではないとして修正」とか、もう完全に戦闘モードだなぁ、と思ってしもうた。こんなこと書いたら、うちのキリスト者集団の何人かは目の色変えそうで、口から泡飛ばしてなんかいいそうです。ミーちゃんはーちゃんはそんなこと怖くてよう書かんなぁ、と思ってしもうた。(え、このブログには危険な過激派的言辞が多いって?ま、それは、ミーちゃんはーちゃんの基本が厨弐病設定ということでご容赦を)

    --------------------------------------------

     ところで、真鍋(2000)論文で少し話題になっていたスコフィールドの本を出版している書店のサイト(リンクをクリックして、少し下がったあたりにこの本は出てきます)には、以下のようなページがありました。こういうの好きだなぁ。微妙に。

    聖書を正しく学びましょう
    (はじめて学ばれる方へ)


    とか

    聖書を正しく学びましょう
    (クリスチャン向けです。)


    とかです。さすが、ダービー・スコフィールド以来の伝統をきちんと正統的に受け継いでいらっしゃる出版社さんでいらっしゃる。いやぁ、じつに、素晴らしい。この伝道出版社の本は、アマゾンとか、楽天とかでは基本的に買いにくいので、この書店に直接注文されるのが確実です。おまとめして5000円以上注文すると、送料無料にしてくれたり、一般のキリスト教書店では販売しておられない大変貴重な本「集会は”ブレズレン”か?」(このリンクの最下部)も、直販なら手に入るらしいですよ(伝道出版社さん、ちゃんと広告してました。ちなみに、このブログは、キリスト新聞社の御用ブログでないと同様に、伝道出版社の御用ブログではありません。Ministryの御用ブログでは?あめんどうの御用ブログでは?と言われたら、返す言葉があまりないのは確かに事実ですが・・・)。

     あと、別の出版社ですが、世の中には、こんな本をおだしになっている出版社もあるらしいです。クラシカル・ディスペンセイションの護教的文書みたいです。

    聖書に基づく決定版 「終末論」  付録 「小羊の王国」を斬る

     もう、近親憎悪なんですかねぇ。仲良くすればいいのに、ってミーちゃんはーちゃんは思いますが。そんな、たたっ斬らんでもよろしいんじゃございませんこと。

     ローラみたいに、「えーっ、なんかー、ちょーかっこいい。必殺仕事人みたいー。えっと、よくわかんないけどー。」といっておこう。一応、この本、貴重な資料として、我が家の書庫では厳重管理図書指定にしておじゃる。


    ということで、長かったディスペンセイション説のお話は、今回これにておしまい。どうもお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。めでたし。めでたし(どこがじゃ、という話はありますが lol)。

    では、最後に花火をどっかーん。どっかーん。さわさわさわ・・・・

    みなとこうべ海上花火大会


    参考文献
     服部 尚(2000), ディスペンセーション神学の一考察(セミナー1), 第4回 ディスペンセーション神学研究会 資料集, 福音聖書神学校

     服部 尚(2000), ディスペンセーション神学 at EBS, 第4回 ディスペンセーション神学研究会 資料集, 福音聖書神学校 

     C.I.スコフィールド 『聖書を正しく学びましょう』 伝道出版社(・・・国立国会図書館未収録)

     山岸登・前田大度(2011) 聖書の基づく決定版「終末論」 付録「子羊王国」を斬る エマオ出版(・・・国立国会図書館未収録)



    評価:
    Array
    Zondervan
    ---
    (2011-09-20)
    コメント:大変良い本。詳しくは、King Jesus Gospelhttp://kingjesus.jugem.jp/でご覧下されたく。

    評価:
    Clarence B. Bass
    Wipf & Stock Pub
    ¥ 2,556
    (2005-02-27)
    コメント:クラッシック ディスペンセイション説とキリスト集会の成立前後に関する聖書理解の関係についての入門に最適。

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