2013.02.06 Wednesday
人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(1)
NTライトのセミナーの記事でUgoUgo君とミーちゃんはーちゃんの間で、少し話があってキリ、彼が姿を見せなくなってしまったので、ちーとさびしく思っている。今回は、そのディスカッションを巡る出発点になった、ディスペンセイション説について、最近面白い資料を読んだので、それについて、書いておきたい。
ある方から紹介されて読んだ本の中に、ディスペンセイション神学研究会の資料集というのがあって、全5冊からなる資料集で、一応、Progressive Dispensation説という時代区分が聖書の預言理解にとって有用ではないか、という考え方に立たれる方から見て、これまでの過去のDispensation説をどう位置付けるのか、ということに関する講究録であった。非常に勉強になった。一番勉強になったのは、第3巻目と第4巻目であった。
一応、「Dispensation って、何、それ、おいしいの?」という方のために、簡単に説明しておくと、聖書をいくつかの時代に区分して読み解いていく方法のことである。たとえば、創造からいのちの木の実を食べるまで、いのちの木の実を食べるまでからノアの洪水まで、ノアの洪水からバベルの塔事件まで、バベルの塔からモーセまで、モーセからキリストの復活まで、キリストの復活から終末まで、終末以降と分けて、それぞれの時代に神の特定の方法による人間や世界への関与があるとして考えていく考え方である。多少、分類時期や、その名称、あるいはそれぞれの時代における考え方が違うけれども、時系列的な考え方に沿って、時代とそれぞれの時代における神の関与の流れを考えるという意味では、割と分かりやすい、そうかなぁ、と思えるような歴史観なのだね。さらに、この歴史観は、福音派の多くのキリスト者のイスラエル支援やイスラエル支持とも非常に密接に結びついているのは、ユダヤ人の位置づけを考える中で利用されてきた背景があるからなのだと思う。
この考え方は、上坂昇さんという方の書かれた、ちょっと残念な本でもある「神の国アメリカの論理」でも、現代のアメリカを読み解く意味では、重要な概念として紹介されている。この「神の国アメリカの論理」という本は、便利な本ではあるのだが、ちょっと違うよなぁ、という点がいくつもあるのと、少し残念な本である部分については、後日記事にしていこう。
さて、これらを読んでわかったのは、まず、ディスペンセイション説は大きく分けて3つの種類に分けられるらしい。今では。一応真鍋孝(2000)にしたがって、まとめてみると、こんな感じらしい。
その3つとは、Classical Dispensation説(古典的天啓史観論)、Revised Dispensation説(修正天啓史観論)、Progressive Dispensation説(進歩的天啓史観論)の3種類である。
Classical Dispensation説が、いちばん古く、John Nelson DarbyやC.I.Scofield等が主要な影響を与えた考え方というか聖書の読み方である。わがキリスト者集団は、基本、この読み方の人がやたらと多い。今年の関西の学び会の学び手で2回しゃべった人は、完ぺきにこのお立場であった。あと、この立場は、ダビデの直系のユダヤの王国が再建されるという再建神学へとつながっていく(と思う)。
Revised Dispensation説は、次に古く、もともとMoody聖書学院にいたC.C.ライリーという方が1965年に書かれたDispensation Todayという本にその考え方が現れているらしい。伝統的なディスペンセイション説が、歴史的なというかクロニカルな時間軸において時代分断的であるのに対し、人類の統治のあり方として理解している点が違うらしい(真鍋(2000)p15)。この立場の特徴は、真鍋(1997)によると、教会の扱いにあるらしい。
この立場は、教会を挿入された時代と見るところにあるらしい。つまり、新約の教会と旧約の契約との不連続性を強調するらしい。そして、イエスの伝道を初期伝道と後期伝道に分けて考えているらしい。真鍋(1997)によると、
ということらしい。こうなると、旧約聖書が軽くなっちゃうよね。旧約読まない信者の増加につながるだろう。一応、日本だと、高木 慶太という方が、この立場の代表的な人物になるらしい。
で、今のところ一番新しいProgressive Dispensation説ではClassic Dispensation説やRevised Dispensation説での、不連続性について、もう少し配慮して、連続的なものととらえるようにしているという意味で、従来とは説が違っているようです。また、教会の取り扱いの不連続さ(特に教会挿入説 別記事で紹介予定)がおかしいということで、旧約聖書とイエス時代の連携をもっとスムーズにしましょう、という話らしいです。
また、いわゆる空中携挙を起点として発生するとされている、いわゆる『千年王国』にかんしても、もう少し連続性を持たせたい、ということで、一貫したような読み方ができるように設定をしておられるようです。
おそらく、UgoUgoさんの言うDispensation説はおそらく、このProgressive Dispensation説だろうと思います。多分感覚としては、そうなるのだと思います。これで行けば、NTライトの説明とそう非整合的ではなくなるのですね。印象として。割と相性が良い、というのは、なるほど、と思うた。うちのキリスト者集団の大半の人たちが立脚している視点は、ミーちゃんはーちゃんが思うに、おそらくClassic Dispensation説であり、ごく一部にUgoUgoさんのようにProgressive Dispensation説なのだと思うのだね。
個人的にはどのディスペンセイション説でもいいのだけれども、あんまり、この種の理解を先験的に持って聖書を読まないほうがいいのではないかなぁ、と思うのだね。
次回以降、これらの資料集からのご紹介を予定。
参考文献
高木 慶太 芦田 拓也(2003), これからの世界情勢と聖書の預言, いのちのことば社 .
真鍋孝(1997)総括, 第二回 ディスペンセーション神学研究会 資料集,ディスペンセーション神学会(聖書福音神学校).
真鍋孝(2000)ディスペンセーション神学 at ESB, 第四回 ディスペンセーション神学研究会 資料集, ディスペンセーション神学会(聖書福音神学校).
ある方から紹介されて読んだ本の中に、ディスペンセイション神学研究会の資料集というのがあって、全5冊からなる資料集で、一応、Progressive Dispensation説という時代区分が聖書の預言理解にとって有用ではないか、という考え方に立たれる方から見て、これまでの過去のDispensation説をどう位置付けるのか、ということに関する講究録であった。非常に勉強になった。一番勉強になったのは、第3巻目と第4巻目であった。
一応、「Dispensation って、何、それ、おいしいの?」という方のために、簡単に説明しておくと、聖書をいくつかの時代に区分して読み解いていく方法のことである。たとえば、創造からいのちの木の実を食べるまで、いのちの木の実を食べるまでからノアの洪水まで、ノアの洪水からバベルの塔事件まで、バベルの塔からモーセまで、モーセからキリストの復活まで、キリストの復活から終末まで、終末以降と分けて、それぞれの時代に神の特定の方法による人間や世界への関与があるとして考えていく考え方である。多少、分類時期や、その名称、あるいはそれぞれの時代における考え方が違うけれども、時系列的な考え方に沿って、時代とそれぞれの時代における神の関与の流れを考えるという意味では、割と分かりやすい、そうかなぁ、と思えるような歴史観なのだね。さらに、この歴史観は、福音派の多くのキリスト者のイスラエル支援やイスラエル支持とも非常に密接に結びついているのは、ユダヤ人の位置づけを考える中で利用されてきた背景があるからなのだと思う。
この考え方は、上坂昇さんという方の書かれた、ちょっと残念な本でもある「神の国アメリカの論理」でも、現代のアメリカを読み解く意味では、重要な概念として紹介されている。この「神の国アメリカの論理」という本は、便利な本ではあるのだが、ちょっと違うよなぁ、という点がいくつもあるのと、少し残念な本である部分については、後日記事にしていこう。
さて、これらを読んでわかったのは、まず、ディスペンセイション説は大きく分けて3つの種類に分けられるらしい。今では。一応真鍋孝(2000)にしたがって、まとめてみると、こんな感じらしい。
その3つとは、Classical Dispensation説(古典的天啓史観論)、Revised Dispensation説(修正天啓史観論)、Progressive Dispensation説(進歩的天啓史観論)の3種類である。
Classical Dispensation説が、いちばん古く、John Nelson DarbyやC.I.Scofield等が主要な影響を与えた考え方というか聖書の読み方である。わがキリスト者集団は、基本、この読み方の人がやたらと多い。今年の関西の学び会の学び手で2回しゃべった人は、完ぺきにこのお立場であった。あと、この立場は、ダビデの直系のユダヤの王国が再建されるという再建神学へとつながっていく(と思う)。
Revised Dispensation説は、次に古く、もともとMoody聖書学院にいたC.C.ライリーという方が1965年に書かれたDispensation Todayという本にその考え方が現れているらしい。伝統的なディスペンセイション説が、歴史的なというかクロニカルな時間軸において時代分断的であるのに対し、人類の統治のあり方として理解している点が違うらしい(真鍋(2000)p15)。この立場の特徴は、真鍋(1997)によると、教会の扱いにあるらしい。
この立場は、教会を挿入された時代と見るところにあるらしい。つまり、新約の教会と旧約の契約との不連続性を強調するらしい。そして、イエスの伝道を初期伝道と後期伝道に分けて考えているらしい。真鍋(1997)によると、
この立場(修正ディスペンセイション主義)に見られるのは、旧約預言の継続としてのイエスの初期伝道と教会時代のあり方を掲示したイエスの後期伝道との間にある一種の断絶である。旧約と教会時代は「非連続」という関係でとらえられていると言える。このような見方は、ライリーだけではなく、RD(修正ディスペンセイション主義)の立場に立ち神学者のほとんどに見ることができる。(p6)
ということらしい。こうなると、旧約聖書が軽くなっちゃうよね。旧約読まない信者の増加につながるだろう。一応、日本だと、高木 慶太という方が、この立場の代表的な人物になるらしい。
で、今のところ一番新しいProgressive Dispensation説ではClassic Dispensation説やRevised Dispensation説での、不連続性について、もう少し配慮して、連続的なものととらえるようにしているという意味で、従来とは説が違っているようです。また、教会の取り扱いの不連続さ(特に教会挿入説 別記事で紹介予定)がおかしいということで、旧約聖書とイエス時代の連携をもっとスムーズにしましょう、という話らしいです。
また、いわゆる空中携挙を起点として発生するとされている、いわゆる『千年王国』にかんしても、もう少し連続性を持たせたい、ということで、一貫したような読み方ができるように設定をしておられるようです。
おそらく、UgoUgoさんの言うDispensation説はおそらく、このProgressive Dispensation説だろうと思います。多分感覚としては、そうなるのだと思います。これで行けば、NTライトの説明とそう非整合的ではなくなるのですね。印象として。割と相性が良い、というのは、なるほど、と思うた。うちのキリスト者集団の大半の人たちが立脚している視点は、ミーちゃんはーちゃんが思うに、おそらくClassic Dispensation説であり、ごく一部にUgoUgoさんのようにProgressive Dispensation説なのだと思うのだね。
個人的にはどのディスペンセイション説でもいいのだけれども、あんまり、この種の理解を先験的に持って聖書を読まないほうがいいのではないかなぁ、と思うのだね。
次回以降、これらの資料集からのご紹介を予定。
参考文献
高木 慶太 芦田 拓也(2003), これからの世界情勢と聖書の預言, いのちのことば社 .
真鍋孝(1997)総括, 第二回 ディスペンセーション神学研究会 資料集,ディスペンセーション神学会(聖書福音神学校).
真鍋孝(2000)ディスペンセーション神学 at ESB, 第四回 ディスペンセーション神学研究会 資料集, ディスペンセーション神学会(聖書福音神学校).
---
Oxford Univ Pr (T) ¥ 2,084 (1999-03-25) コメント:ま、Scofieldの解説付きの聖書です。 |
チャールズ・C・ライリー
聖書図書刊行会 --- (1981) コメント:修正ディスペンセイション説の立場らしいです。うちにはありますが・・・ |
評価:
高木 慶太,芦田 拓也 いのちのことば社 --- (2003-02) コメント:Revised Dispensation系の聖書理解が割と分かりやすい。個人的にはNGでしたが。 |
- コメント
- >・・・ちょっと残念な本でもある・・・ちょっと違うよなぁ・・・
この視点は、良書であろうと、悪書であろうと、もっと広げて考えると、宗教、哲学、思想、全てが当てはまってしまいます。
思考と呼びますか、思想と呼びますか、まぁ一定の考え方をすれば、必ず枠=定義と位置付を定めるわけです。前提なしの善や正義が存在しない真実と、全能でない人の身である我々にとって、全き本(宗教、哲学、思想)をその定義からして記述できるわけがない。
違わないと思えるのは、その内容に同調しているにすぎないわけで、視点を変えれば、その様な得るモノがない本など読むのは時間の無駄ともいえる。
今日は少しひねくって考えてみました・・・
その流で考えると「ディスペンセイション説」も、単に整理するための枠組み(手段)として読むには便利(整理しやすい)なのですが、目的として流れに乗ってしまうと危うい考え方の一つになってしまうと改めて思います。 -
- ひかる
- 2013.02.06 Wednesday 11:56
- ひかる様
インスパイアリングなコメント、ありがとうございます。
あ、「神の国・・・」が残念なのは、「結論らしい結論が皆無!」な点なのです。アメリカの多くの国民が「反中絶(いや、プロライフ)」・「反同性愛(いや、反同性婚)」なのかの理由は書いていて、なかなかありがたい本なのですが、「だから・・・」を期待していると、「えぇぇぇぇ、これで終わりかい?」という点で残念な本だったのですね。崖から突き落とされる感じでした。中絶と同性愛関係のキリスト教関係の反応について情報量は多かったですが・・・。善悪の判断がどうのこうのという以前のところで、止まってしまうというのと、信仰がない方がお書きになっただけあって、あ、ここ、ちょっと違うなぁ、というのが多かった本だからでした。ま、これは仕方がないってことで。
ディスペンセイション説は、まー、整理した結果としてはなかなかな部分があるのですが、それを元にして聖書を読むというのは、本当になんだかなぁ、と思うお話ですが、うちの人たちは、これにロックインされているという認識すらないのが・・・。それはほかのいわゆる「教派」でも似たようなもんみたいですけど・・・。セルフ・ロックインされたい方は、それはそれでいいのですが・・・。
上坂さんの本は、中古で安く買ったんで、それはそれでよかったのですが・・・。
上記の本についての詳しくは別記事で。
コメントありがとうございました。 -
- ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
- 2013.02.06 Wednesday 12:19
- >「結論らしい結論が皆無!」
・・・・だから・・・刺激や、別な視点を得るために読むのはよいが、結果を他人に請け負わせるのは好ましくないと言わんとしていたんですが・・・
却ってそのものずばりついてしまいましたか・・ -
- ひかる
- 2013.02.07 Thursday 04:12
- いやぁ、他人にどう福音派が映っているのか、ということを聞いてみたかっただけなんですけどね。一応、事情通で、大学の教員なら・・・と期待しただけです。
まぁ、本なんてそんなもん、という話はあるのですが、ジャーナリストならそれでいいんですが、ジャーナリスト上がりで、大学の先生だったのと、最初の2章は一応まともな学術書としてかなり期待できる書きぶりだっただけに・・・・です。
ま、タイトルだけで本買う方がどうかしているんですけどね。これ、定価で買った人、起こるだろうなぁ。
学術書の体裁をとったジャーナリズム本だったということで。
コメントどうもありがとうございました。
-
- ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
- 2013.02.07 Thursday 08:18
- おひさしぶり。名前がでたので、一言。
まーとにかく忙しくなっちゃって・・・
仕事も変えて、家族も増えて・・・・色々と。
自分のブログも放っておいています。
まぁ、あと「なんで話が噛み合わないか」の理由が、現時点で限定的ですがなんとなくわかったような気がしたので、あまり時間を割いていないという次第です。
定期的には見てますよ〜 -
- ugougo
- 2013.02.08 Friday 12:49
- UgoUgoさん。
ようこそ。コメントありがとうございました。
仕事でお忙しいとのこと、そうかなーと思ってました。家族もね。子育て中ですもの。余り無理なさらないように。
お元気でね。また、どっかですれ違い、お会いできるといいですね。ではその時まで。
では
-
- ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
- 2013.02.08 Friday 22:12
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