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2012.12.03 Monday

バテレン追放令とキリシタンの講演会に参加して(2)

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      さて、過日、上智大学公開講座『なぜ秀吉はキリシタンを嫌ったのか。』に参加したが、その公開講座の内容が、非常に印象的だったので、参加報告をしてみようかと。

     今日はその第2回目。

    本日のポイントは、二つのバテレン追放令について。第1のものは、日本史などの教科書に記載されている各藩に送られたとみられる伴天連追放令。第2のものは、神宮文庫にのこっている伴天連追放令である。

     ミーちゃんはーちゃんは、高校時分工学部を目指していて、工学部もどきの学校に行ったので、古文、漢文は超苦手である。古文、漢文より、まだラテン語の方が読みやすい(ただ、辞書ひきひき読めるレベルではあるが)ので、途中ローラ語に機械変換した古文書が出てくるが、その変換精度は保証の限りではない。なお、川村先生によると、この伴天連追放令は意味が取りにくいらしい。

    では、川村先生のご講演の内容の紹介に移そう。

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     ポイントとなるのは、1587年(天正15年)の伴天連追放令だとかんがえられる。松浦の資料館に高札というかお達しがのこっているらしい。このお達しは、全国にまかれたかどうかも以前は、疑問視されていたが、近年の研究によって、これは真実性のあるものであることが日本史学的には、検証されているらしい。そのうえで、各地に配られたらしい。
    一応青字部分はローラ語に機械変換したものなので、正確さはわからない。

    一、日本ハ神國たる処きりしたん國より邪法を授候儀 太以不可然候事

     日本は神国なので、キリシタン国より変な魔法みたいなものをもらってくることは、むちゃくちゃありえないことと考えてね〜。おっけ(なんか、保守系の党首が喜びそうな表現だ。そういえば、森元総理大臣もそんなことを言っていたような気がする)
     
    一、其國郡之者を近付門徒になし 神社佛閣を打破之由 前代未聞候 國郡在所知行等給人に被下候儀は當座之事候。天下よりの御法度を相守、諸事可得其意処 下々として猥義曲事事

     地域の人々を呼びあつめて信者にさせて、神社や仏閣をぶっ壊した破壊工作があったことは前代未聞だよ〜。大名小名といった国や郡などの知行地を任されているサラリーマン社長の皆さんに管理をさせているのは、しばらくの間のことだからさ〜、天皇陛下や関白家から出る命令を守って、その意をくんで適当にうまくやってね
    (なんか日本的だなぁ)。おっけー?普通のいろんなお仕事している皆さんも、変なことはしないようにさせようね。わかったー?

    一、伴天聯其知恵之法を以 心さし次第に檀那を持候と被思召候へは 如右日域之佛法を相破事曲事候条 伴天聯儀日本之地ニハおかされ間敷候間 今日より廿日之間に用意仕可帰國候 其中に下々伴天聯に不謂族申懸もの在之ハ 曲事たるへき事


     バテレンさんたちはさぁ〜、頭がいい方法を使って、心を操って、だんだん、パトロンのおとーさんをもつんじゃないかと思うんだけど〜、これはさっき書いたみたいに、地域の仏教をとんでもなくすることなので、気をつけてね〜。しちゃーだめだよ〜。あと〜、バテレンさん達が日本にはいることはできなくなっちゃんたんで〜、今日から20日以内に強制退去させるから〜、その用意をさせるからね。わかった〜?その間に、バテレンに普通の人たちが変なことをしてしまったら、それは、ダメだからねー。おっけ〜?

    一、黒船之儀ハ 商買之事候間格別候之条 年月を經諸事賣買いたすへき事


     黒船さんたちは、ビジネスだから、特別だからね〜。これからもずーっといろんなビジネスやってね〜。よろしく〜。


    一、自今以後佛法のさまたけを不成輩ハ 商人之儀は不及申、いつれにてもきりしたん國より往還くるしからす候条 可成其意事


     これから〜、お寺のことを邪魔しない人たちだったり、商人である人たちはもちろんオッケ
    だからね〜。どんなキリシタンの国からきても、行ったり帰ったり、どんどん外国に行ったり、外国から来たりしても全然「オッケ〜」だからね。なるだけみんな頑張ろうね


     ということらしい。この文面の概説(なんとなくミーちゃんはーちゃんはローラ語で書いてみたくなったので、自動変換にかけてみた)があったあと、この文章の意義を川村先生は、これは、秀吉の全国統一の意図が現れた全国メッセージ(ミーちゃんはーちゃん流に表現すると、今でいう大統領就任演説)のようなものだ、と解説された。

     特に着目すべきは、今諸侯に与えている知行(支配地域)の割り当ては、当座のことで、永久のことではない、ということや、常住している民をキリシタンにするということはだめだし、バテレンが20日間内に帰国すべきで、その帰国準備の間、乱暴狼藉は許さない、黒船はビジネスする限りはOKで、案外、これが秀吉の本音ではないか、ということを言っている文章だと説明されたように思う。

     では、この伴天連追放令という文書は、どういうことか、といえば、秀吉にとって、南蛮人の相手することの主目的はビジネスではなかったろうか、そして、この伴天連追放令は、思想的なもののみに対する禁令ではなかろうか、ということであった。というのは、この文書の中に結構寺内という語や、門徒という言葉が出てくるからである。実はこの翌日に発布された形の神宮文庫(伊勢神宮の書庫?)に残っている伴天連追放令があり、それは神官向けのドキュメントだった可能性があるらしい。

     この文書の発令者は不明だそうだ。この文書に関しては、三木清一郎氏は当初にせ文書で後付け説だったそうであるが、大議論の結果、一応三木清一郎氏も、文書の正当性を認められたらしい。

     以下紹介するあまり研究が進んでない方は、覚えと呼ばれるもう一つのバテレン追放令である。実は、この内容を解説した文書がないうえに、論文すらまともにないらしい。

     上がオリジナルのはず、写し間違いタイプミスの段、お許しくだされたく。青字がローラ語に機械変換したものなので、正確さはわからない。

    一 伴天連門徒の儀ハ、其者之可為心次第事


     バテレンの信徒さんのことだけどさぁ〜、その人の「う〜ん、そんな感じぃ〜」っておもうんだったら、なることができるよー。なってもいいんだよ〜


    一 國郡在所を御扶持ニ知行   中之寺諸百姓等巳下を心さしも無之処、押付而給人伴天連門徒可成由申、理不尽に成候段 曲事候事

     サラリーマン社長さんみたいな大名やお役人のみんなはさ~、中の寺のおぼ〜さんたちや、いろんな市民でお仕事している人たちが「そんな感じ~」じゃないのに、無理やりそのサラリーマン社長さんやお役人みたいなひとたちが、「バテレンの信者になれ」とか言ったり、
    勝手に命令するのは、それはむちゃくちゃなので、ダメ〜、ダメ〜だからねぇ。それは、法律違反だからねー。しちゃぁ、ダメだよ~。

    一 其國郡知行之儀、給人ニ披下候事ハ当座之儀ニ、給人は替り候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不盡之儀何かに付て於有之ハ、給人を曲事披仰出候間、可成其意事

     サラリーマン社長さんみたいな大名やお役人のみんなはさ~、そこちゃんとやんなよ、と任しているのは、ちょ〜っとの間だけのことだから、サラリーマン社長さんみたいな大名やお役人のみんなはさ~、あっちの町やこっちの田舎にいってね〜とか、言われることがあるんだけど〜、地元のいろんな仕事をしている人たちは場所を変わったりしないので、何かにつけて無理やりさせるってことがあったら、それはめちゃくちゃだから、それは法律違反だとそのサラリーマン社長さんみたいな大名やお役人のみんなに怒っちゃうから~、雰囲気読んでうまくやってねー。おっけ〜?

    一 弐百町弐拾参千貫より上之者伴天連二成候二おゐてハ、奉得 公儀御意次等二成可申候事。


     200町2〜3000貫目より上の給料をいっぱいお給料もらった人でも、バテレンになっても、お仕事できるんだけどさぁ、そういうことしたいなぁと思っているおじさんやおばさんで、お給料いっぱいもらっている人は、事務室の人にちゃ〜んと連絡してね〜。


    一 右の知行より下を取候者ハ八宗九宗之儀候条、其主一人宛ハ心次第可成事。


     200町以下のサラリーマンみたいなおじさんや給料の低いお役人さんで、給料が2〜3000貫以下の人たちは、どんな宗教を信じてもいいけど、それを許可するかどうかは、その人のボスが気分で決めちゃっていいからねー。


    一 伴天連門徒の儀ハ一向宗よりも外に申合候由被聞召候、一向宗其國郡二寺内ヲ立て給人へ年貢を不成、并加賀一国門徒二成候て国主之富樫を追出一向宗之坊主もとへ令知行、其上越前迄取候て、天下之さワりニ成候儀、無其隠候事。


     バテレンの門徒のみんなについて〜、一向宗のみんなよりも、バテレンの門徒の人たちはさぁ〜、中で相談して物を決めるたり、秀吉君の言うことを聞かないと思うんだよね〜。一向宗のみんなはさぁ〜、秀吉君が管理しているはずの地域の中に寺内(自主自治共同管理地)を作り、サラリーマン社長のおじさんみたいな大名なんかに、税金(年貢)を納めもしないし〜、その上、石川県(加賀)全体を門徒にしちゃってさぁ〜、そこの県知事のフガシさん家まで追い出しちゃってさ〜、一向宗のおぼーさんの言うことだけを聞いちゃったりしてるでしょ〜。それだけじゃなくってさ〜、あの〜、富山県までさ〜、勝手に自分たちのものにしちゃってさ、いろんな面で、日本全体で困っちゃうから〜、一向宗とかバテレンのこと、絶対ナイショにしちゃーだめだよー、おっけ〜?

    一 本願寺門徒其坊主、天満二寺を立させ、雖免置候、寺内二如前々二は不披仰付候事。


     本願寺さん家の〜おぼーさん、いるじゃない。天満という場所にお寺を作らしてあげたんだけど〜、そこにいても本当はおっけ〜じゃないんだけどさ〜、寺内(自主自治共同管理地)が昔のまんま、というわけにはいかないからさぁ〜。わかった〜?

    一 國郡ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒二押付成候事ハ、本願寺門徒の寺内を立て候よりも不可然候義候間、天下之さわり二可成候条、其分別無者ハ可被御成敗候事。


     管理しなさいって、場所が指定されている大名のみなさーん、みんなの家来をバテレンの門徒に無理やりすることは、本願寺の門徒さん達がさぁ〜、寺内(自主自治共同管理地)を作ることよりも全然駄目だからね。このことは日本全体の問題になることだから、そういうわけわかんない事しちゃうみんなは、ローラが秀吉君と一緒に、びしばしやっちゃうからね。わかったー?

    一 伴天連門徒心さし次第に下々成候義ハ、八宗九宗之儀候間不苦事。


     バテレンの門徒さん達に言われちゃってさ〜、フツーのいろんな仕事をしてるおじさんやおばさんがさぁ、バテレンさん達や門徒さんになることは、宗教的なことだから、苦々しく思っちゃ駄目だからねー。


    一 大唐南蛮高麗へ日本仁を売遣候事可為曲事、付日本二をいてハ人之売買停止之事


     中国やさ〜、ヨーロッパやさぁ〜、朝鮮半島にさぁ〜、日本人を派遣労働者みたいに派遣したり人身売買みたいなことしたりすることは法律違反だからね〜。おまけに、日本の国の中でも、人身売買しちゃだめだからね。おっけ〜?

    一 牛馬を売買殺し食事是又可為曲事事。


     牛や馬を売ったり買ったりして、殺したりして食べたりしたら、これは法律違反だからねー。やっちゃダメだよ〜。


    右之条々堅披停止畢、若違犯之族は忽可被処厳科者也。


     これまでに言ったことは、全部やっちゃいけないことだからね。わかった〜?やっちゃいけない事をやった人たちは、びしばしローラと秀吉君が怒っちゃうから、気をつけてね〜。おっけ〜?


    天正十五年六月十八日 御朱印

     大事なのは、この第6項目で、バテレン門徒の儀は・・・という部分で、要するに秀吉は、キリシタンは一向宗以上の寺内(これがキーワードらしい)という自主管理の自治領 を作るので問題にされたと思われる。ということらしい。この中に出てくる、「知行いたし坊主」というのは、信徒リーダーや門徒リーダーで毛坊主と呼ばれる半ば俗人半ば僧侶の人たちがその地域の宗教集団の管轄する寺内を運営したのだけれども、キリシタンは、それよりも手ごわいと聞いている。ということを反映したものらしい、とお話しされていた。

     大阪の天満(今の大阪城のあるあたり)に本願寺を再建することは赦したが、寺内(じない)町にはさせていないらしい。どうも、寺内が結構厄介な存在と秀吉は思ったと考えられるそうだ。当時、門徒自治区があり、一種の自治独立行政区ができていた、と考えられるということであった。

     本願寺派の人たちは寺内町の運営やめていたが、キリシタンが同じことをしているので秀吉君は、危機感を持ったのではないか。
    ---------------------------------------------------------

    ということであった。伴天連追放令に二つの系統があったとは知らなかった。まァ、論文もまともに書かれてないらしいので、これからの研究を待つしかないらしい。ミーちゃんはーちゃんの日本史の知識は、高校2年生の平安朝で終わっているので、この種の話、寺内町などの話はよく知らなかったのだな。

     ちなみに、私は網野先生に私淑しているので、「百姓=農家の皆さん」とは理解しません。「百姓=いろんな職業の市民の皆さん」という理解です。

     堺に見られるように、当時の中世は中小の商工業者が経済力をつけ、それが政治的な発言をし、自由都市に近い形の市民社会を作り出しそうでもあった時期であり、それの対応に当時の指導者は相当苦慮しています。従来の安土桃山時代以前の足利時代までの比較的安定した社会構造から、産業技術や金融技術、物流技術の第変容により、大変革を遂げた先にあったのが、足利政権時代以来続く安土桃山時代であり、その政治的・軍事的トップランナーが実は、誰であったかというと、信長君だったのです。

     つまりなんとなく社会制度が産業界にとって窮屈になってきたところに、信長君が現れ、楽市楽座じゃ、と言い始めたために、「ををを、自由化、規制撤廃、改革開放路線!」となったので一気に産業と国内の社会構造の変容がすすんだのがこの時代じゃなかったかと。それを支える農村社会での一種の自治領としての寺内町というのがあったと考えるのが自然かなぁ、とミーちゃんはーちゃんは思うのですね。ハイ。

     その意味で、信長君は時代の波に乗っていたし、当時の人としてはカッティング・エッジだったのであるのだろうと思う。そこに乗ったのが、当時のキリシタンだったのかもしれない。

     ただ、お武家階級(もともと、農家のでなのだな。新田義貞は新田開発農業者の末裔なので、新田なのである)の皆さんは、自分で耕作もするものの(今でいう自治体やJA職員の仕事を持ちながら、兼業で農業をする農家のようなもの)それだけでは戦闘集団として生きていけないので、農家から年貢という形で税金をまき上げないと生活できないのだ。それを勝手に寺内町なんか作られてきた日には、仏教の名による合法的脱税(実は荘園制度は宗教組織を活用した合法的な脱税なのだ)を認めることになるので、これの対応をせざるをえなかったので、寺内町は対応に苦慮したのだし、それをいいことに好き勝手やって僧兵までいる比叡山延暦寺を壊したのである。

     しかし、キリシタンだけが神社仏閣打ち壊したわけではないのだが、武家集団による神社仏閣の打ちこわしはおっけ〜なのね。

     とはいえ、この門徒衆の寺内町と同じことをしたのがキリシタンだったので、おまけに話がまともに通じない外国人に率いられている寺内町もどきが日本中にでき、それが武家集団による社会制度の構造を変えることを恐れた、というのが、バテレン追放令のどうも実情だったようだ。

     その意味で、それまでの戦国時代から、織豊政権、徳川政権の確立に合わせて、社会システムの安定化、固定化に向かう中で、寺内制度の持っていた世俗の政権に対する対抗意識というのか、寺内制度の持っていた世俗政権からの独立性と徴税忌避システムとしての役割などが、政権運営システムの根幹を揺るがしかねない問題を持っていたことに端を発する、ということが分かった。

     私の記憶に間違いがなければ、大阪城は、昔天満にあった一向宗の巨大なお寺をぶっ壊して作ったのではなかったかと。

    なお、バテレン追放令に関する北國新聞の記事のご紹介。一応御紹介。

    http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon19.html

     次回へと続く。


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    コメント:あなたの中世日本史理解に確実に疑問の一隻を投ずる本でしょう。ミーちゃんはーちゃん大絶賛。

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    コメント:海洋国家として日本史を見直してみたときに周辺諸国の交流史の別の側面が見えてくるでしょう。特に北陸方面では、陸上交通より海上交通の方が重要であり、日本は海の都のベネツィア並みに海洋国家であったようです。

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