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2012.12.02 Sunday

バテレン追放令とキリシタンの講演会に参加して(1)

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     さて、昨日、上智大学公開講座『なぜ秀吉はキリシタンを嫌ったのか。』に参加したが、その公開講座の内容が、非常に印象的だったので、参加報告をしてみようかと。

     まァ、読者の皆さんへのかなり早めのクリスマス・プレゼントのつもりでござる。一応、このシリーズに関しては、毎日連投を予定している。というのは、通常トラックでやると、次の講演が始まるから。

     参加者には、結構シスターとか、高齢者が多かった。平均年齢は、ざっと60歳代くらいだったでしょうか。一番若い人が、30代前半女性ではないかと。ほとんど上智大学のOB/OG会に迷い込んだ、某国公立大学出身者の雰囲気でした。うーん。プロテスタントと社会階層の雰囲気が違うかも。年齢層は同じでも。プロテスタント系の集団と、少しだけだが、集団の『味わひ』が少し違う感じがする。

     川村先生、若い感じがした。年はミーちゃんはーちゃんより、少し若いくらいかな。まず、配布物の確認。年表・講演資料・キリシタンベルト(次回利用)の地図があることを確認した後、本命の公開講座、「秀吉の伴天連追放令 なぜ、キリシタンは迫害を受けるようになったのか」のご講義開始となった。

     12月1日の結論を言ってしまえば、秀吉君がキリシタンにNG出したのは、九州の大村宗麟のところで、浄土真宗の集団と類似性を持つ形で発展した『こんふらりあ』の組織のすさまじさを見てしまったから。この『こんふらりあ』と呼ばれる自主自治共同組織をつぶさないと、将来の政権運営においてやばい事が起きる、と秀吉君が思ったに違いない、ということであった。まぁ、千利休が最初はもてはやされたのに、のちにディスされたのは、茶の湯がゆるく結社的な性格を持つところも影響したかも、と思うてしもうた。


     さて、このご講演の内容をこれから、何回かに分けて、ご紹介していこうと思う。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     まずは自己紹介で、先生のご専門はキリスト教史 (ヨーロッパのキリスト教史)なのだそうで、アメリカに行って勉強し始めた時、指導教官から民衆史としての『コンフラリア』を勉強するように言われたそうだ。

     日本では、この分野の研究者としては、松田毅一氏や海老沢有道氏がいるらしい。

     そもそも、中世キリシタン研究は、先生によれば、1920年代に京都大学で新村出(広辞苑のおじさん)が、キリシタン語学研究として、16世紀の日葡辞書の研究から始まったらしい。そもそもはこの日葡辞書に、当時の言語が残されていることや、現代では意味が変わってしまった語などが残っているため、それを国語学の見地から、その分野の研究者による研究が行われたようである。

     その後、1940年代に上智大学にキリシタン文化研究会ができ、姉崎正春氏やヨハネス・ラウレスなどにより研究がはじめられ、のちの上智大学『キリシタン文庫』の研究が始まったらしい。

     川村先生は、キリスト教思想史を志望しておられ、西洋思想史を研究しようとされていたとのことだったが、アメリカ留学やイタリア・グレゴリアン大学での研究を通して、キリシタンの組織論・共同体論をされるようになったらしい。

     キリシタンの歴史研究は、不思議な歴史らしくて、ヨーロッパの言語で残った文献資料を当たるため、日本語ではできない研究らしい。日本語資料はほぼないそうだ。

     ルイス・フロイスやヴァリニャーノらの記録がすべてらしい。当時の日本人では残せなかった視点からの記録でもあるらしい。

     例えば、ルイス・フロイスは、めちゃくちゃ観察マニアらしく、ものすごい観察量なのだそうだ。それは、フロイスの日本滞在記を見れば想像がつくが。博覧強記なおじちゃんだったようだ。以前の日本史での扱いでは、ルイス・フロイスの記述は、日本史の分野では、以前相当いい加減だとされていたらしいが、実際に調べてみるとかなり精度のある記述があるそうだ。たとえば、岐阜城については、山麓低地付近の館と山の上の館の記録が残っていたそうだが、実際に発掘してみた結果では、まさにその記述通りの移行が見つかったとか、安土城について、ルイス・フロイスは空中廊下(高いところにある土台なしの渡り廊下)の記述を残しているそうだが、実際にその遺構が安土城遺跡内にあるらしい。こういった意味で、キリシタン研究は、ラテン語、ポルトガル語、スペイン語でするようなかなり特殊な日本史研究となるらしい。

     このキリシタン系文書研究の第一人者であったシュール・ハンマー神父が、日本の城跡を地元の人と本丸を歩いた時に、このあたりに別棟の記録があったはずだが、といったところで、発掘したら、本当にあった、というような話をしておられた。この辺、日本の高山右近をはじめとした研究をするためには、ポルトガル語とスペイン語、ラテン語が必須のようですな。

     本日の御紹介は、ジョージ・エリスンの書籍に沿ったご紹介らしかった。基本、あくまでキリシタンの側から見た時代区分ということで、宣教師側から見た、宣教師としての時代区分として、I初期宣教期・II信徒の急増期・III 充実期・IV禁教と潜伏期 V 嵐の前の静けさVI 徳川禁教期 に分けて考えることができるそうである。

     その意味で、1549年の宣教開始期から1569年の初代宣教師の入れ替わり(カブラル到着)期には、キリシタン人口4万人ほどで推移し、カブラル到着に伴う、初代の宣教師の入れ替わり期には、カブラルの宣教方法により、信徒が急増し、15−20万人に達したとのことである。この時期には、大友領で集団改宗(2万人)が起き1570年代には、キリシタンの最盛期をむかえる。これはカブラルが南米で行われていたその地域のリーダーを改宗させることで、その地域の住民全員を改宗させるという方法などがあったらしい。これをみた、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、カブラルの宣教方法が、日本の文化や精神性に配慮した方法なのだろうか、この方法がおかしいのでは、と言い始め、カブラルの論争をおこなったらしい。

     1587年に、バテレン追放が始まって以来、キリシタンの潜伏活動が開始され、それまでイエズス会の宣教師の派遣に加え、フランシスコ会からも派遣が始まった。もともと、イエズス会は、ポルトガル系の宣教師で、インドを拠点にしていた人たちに加え、中南米を経由した、禁教後、スペイン系のフィリピンを根拠にしたフランシスコ会系の修道士も来るようになったらしい。

     お話を伺っていて、びっくりしたのだが、この1587年以降1599年の潜伏期でも、キリシタン(信者数)は増大したらしい。そんなこともあるのかぁ、と素朴に思ってしまった。

     1599年以後10年ほど、迫害もされないけれども、支援もされないという時期があったらしい。これは知らんかった。この時期に日本にいたらしいセルケーニャによると、一人の強大な独裁的な支配者がいるよりは、キリシタンの生存確率が高まるので、諸侯乱立状態の方がありがたいといった記録があるらしい。そして、この時期、諸説あるもののキリシタンは、およそ22万2千人(イエズス会公式記録)から40万人というあたりらしいが、実際には、30万人から40万人弱だったらしい。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     というところで、今回はお終い。これで、全体の4分の1くらいである。

     しかし、教科書で聞くのと専門家の川村先生からお話を伺うのでは、ずいぶんイメージが違うと感じた。まぁ、御紹介したのは、川村先生が整理して語ってくださったことで、当日配布された資料と、PCでカチャカチャタイプして取ったノートをもとにしている。

     しかし、ルイス・フロイスが、ミーちゃんはーちゃんと同じような記録ヲタク、博覧強記の御仁であることに驚いてしもうた。ルイス・フロイスは、八木谷涼子さまかミーちゃんはーちゃんかといった感じの御仁であったらしい。なお、八木谷涼子さまも、ミーちゃんはーちゃんも元飛行機ヲタク(というよりは軍用機ヲタク)であることがツイッターで遊んでいるうちに判明してしもうた。ははは。仲間だ、仲間だ。わーい、わーい。

     今回お話をお伺いしながら、キリシタン研究が外国語で書かれた当時の文献を頼りにしなければならないご苦労様な研究であることがよくわかった。どうも、ポルトガル語やスペイン語、ラテン語が読めないと研究ができないらしい。プロテスタントの人間にはハードルが高いなぁ、とおもってしまった。
     
     川村先生 のたまわく、「鏡を見ながら研究するような感じ」ということらしいが、ミーちゃんはーちゃんに言わせれば、ビンチ村のレオナルド君【モナリザの作者として 超有名】の手稿を見ながらレオナルド君の研究成果を研究する研究者のようなものだと思う。ビンチ村のレオナルド君は、超変人なので、左右反転したかがみ文字で手稿を書いているのだ。だから、まともに読みたい人は、鏡を立てて、手稿を読んでいくらしいぞ。暗号化にも、ほどがあると思う。

     さてさて、実は、この後もっと驚くべき事をミーちゃんはーちゃんは発見することになるのであった。それは、次回または、次々回あたりに。




    評価:
    ルイス フロイス
    中央公論新社
    ¥ 1,200
    (2000-01)
    コメント:文庫にしては信じられない金額ですが、研究者にしては、この金額で買えるのがこのシリーズのよいところ。

    評価:
    ルイス フロイス,岡田 章雄
    岩波書店
    ¥ 735
    (1991-06-17)

    コメント
    ひかる様

    お仕事ご苦労様です。無理なさらないでください。そんな大したこと、書いていませんから。国内に戻られたときにでも。

    記事は基本消したりしないようにしていますから。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.12.05 Wednesday 07:25
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