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2012.11.24 Saturday

結婚相手としての牧師の厳しさ

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     ここのところ、気分の悪い記事が続いたので、ちょっとお気楽な(でもテーマ的には、気分が悪くなりそう)テーマで書いてみようかと。

     実は、いつも愛読しているヤンキー牧師のブログで、

    僧侶じゃなくちゃいけないんですか?牧師じゃダメなんですか?


    を受けて・・・。

     ポイントは、現代の若い女性が、結婚相手としてお坊様をお選びになるものの、牧師には嫁候補がいない、という話なのですね。教会には女性信徒がうなるほどいるのに・・・。ヤンキー牧師は、3つのポイントを挙げておられます。

    (1)牧師だと、悔い改めよ、と説教されそう。(ジョナサン・エドワーズか?)

    (2)生活大変そう(でも、若手ボンビー芸人と結婚する女子はいる)

    (3)信仰の内実が問われそう

    で、それで思ったことを書いておこうかと。しかし、三相交流電源みたいな、三『そう』交流不可能牧師の話になりそうだけど。

    (1)牧師だと説教されそう。

     確かにこれはあるだろう。冗談めかして、以前、IT系奥様幸せのためのしてはならない七カ条をもじって、説教者系奥様幸せのための七カ条などという戯けた記事をミーちゃんはーちゃんは書いたが、まァ、説教者系男子は、説教こそがキモ(一番重要)だと完璧に誤解している人が多いので、どうしても「説教1番、家族は2番、3時のおやつは文明堂(オリジナルはここをクリック。ガウディのサクラダファミリアと思しきお菓子の建物の前でのくまダンスのCM)」になってしまうのかもしれない。本当は違うのにね。説教がね、一番なんてことはないんですよ。神と共に歩む家庭というコミュニティこそ、まず、基礎なんですけどね。旧約聖書では、教会というコミュニティができる前に家庭というコミュニティが造られていること忘れて、現実に振り回される説教者の説教っていったい、・・・・とミーちゃんはーちゃんは思うのであった。

     キリスト新聞社刊(キリ新の回し物と呼びたければ、呼ばれよ。キリ新の御用ブログと言いたくば言われよ。)の「健康な教会」を目指して −その診断と処方 越川弘英編・関谷直人著(下記リンク参照) には、説教依存症のページに、次のような記述がある。

     説教は難しい。「長すぎる」と文句を言われ、短すぎると「CS(注 子供向け聖書学級)の説教みたいだ」といわれる。難しい話をすると、「何を言っているのか、わけがわからない」という信徒が出てくるし、わかりやすい話をすると、今度は「信徒を馬鹿にしている」と言われたりする。もっとも信徒が直接牧師に文句を言うことはなく、そうした「文句」はもっぱら、祈祷会後に湯飲みを洗う厨房でのおしゃべり(注 これを教会系女子は聞いている可能性大。聞かされる牧師夫人はつらかろう。)や、日曜日の夜遅くの役員同士の電話の中に登場する。文句を言うのは結構だが、同時に牧師の説教のためにぜひ祈ってほしい。そして、そんな祈り心を持って説教を聞いてほしいのである。
     牧師にとって一番きついのは、説教だに立つときに「はぁ〜、どうせ今朝もいつものつまらない話をするんだろう」というオーラを信徒から感じることだ。説教が始まってすぐに信徒が週報の報告欄を読み始めるのは悪いしるしだし、下向き加減になって目を閉じている姿勢は緩やかな拒絶だ。説教中にあちこちから聖書やら讃美歌やらが床に落ちる音がすることも説教者をなえさせるだろう。(同書 p32)
     牧師の奥さんとなるということは、教会のキッチンで繰り広げられる配偶者の文句、苦情、批評、批判を毎週聞くことに耐えなければならない、ということでもあるのだ。教会系女子は、ベテランの女性信徒(お局様みたいな女性信徒や大阪のおばちゃん風信徒のキッツイ女性信徒)のみなさんの物言いを知っているだけに、あれに自分がさらされるのか、と思うとそりゃ、二の足踏むでしょうよ。もし、二の足踏まないとしたら、マザーテレサ級の大物か、ステゴザウルスクラスの鈍感力に優れた方ではないだろうか(それはそれで偉大だけれども)。


    (2)生活大変そう。

     これは、切実な問題としてあると思う。経済的にも苦しければ、精神的にも苦しいとは思う。それ以上に、信徒から注視される精神的な監禁状態があるからだと思う。教会女子が牧師を配偶者に選ぶのに躊躇するのは、自分たちもしてきたことを、自分が牧師の配偶者になったらされることを知っているからなのではないか、と思う。これは、確実にそうだと思う。

     先ほどの、キリスト新聞社刊「健康な教会」を目指して −その診断と処方 越川弘英編・関谷直人著には、金銀は私たちにはない、のタイトルのもと次のような記述がある。

     しかし、貧しければそれでよい、というものではない。ときには過度の貧しさの強調は、特に牧師やその家族の上に想像以上のストレスを与えるものとなるからである。以前あるところで、一人の牧師の妻が、「教会の財務役員さんからガスを使いすぎると注意を受けた」と嘆いていたと言う話を聞いたことがある。その牧師家庭は前の月に赤ちゃんが生まれたばかりで、哺乳瓶を煮沸するためにお湯を沸かしていたためにそれまでの月よりもガス代が高くなっていたのだ。そのことを信徒に説明すると、「私たちが若いころには哺乳瓶の煮沸なんてしゃれたことはしなかった」と一括されたという。っクリスチャン(とくに献身者)は「清貧に甘んじる」べきだという思いがあったとしても、これはあんまりな気がするのである。
     私が牧会に出る前に先輩の牧師から言われた言葉。「関谷君、牧会に出て、特に地方の教会に赴任したら、自動車に乗ることになるだろう。自分で買うんだったら、2000CCはだめだよ。ちょっと立派すぎるから。1800CCも避けた方がいいな。1500CCのカローラなら安全件だ。もちろん中古だよ。僕はずっと中古の軽自動車だったよ。それならどの信徒にも負けるからね」。
     (中略)
     しかし、「貧しさ」の美点を強調する余り、自分たちの霊的指導者に過度なストレスを与えるようなことがあってはならない。そんなぎりぎりの状態では、創造的な牧師の働きは到底期待できないのだから。(同書 pp.53-55)


     これは、どう考えてもキッツイよな。ミーちゃんはーちゃんは、この話を読みながら、思わず涙がこぼれてしもうた。教会女子で、教会歴が長くなれば長くなるほど、この種の牧師夫人へのあしらいは肌感覚として知っているだろうから、これで二の足を踏まなければ、あなたは勇者だ。

     この話を読みながら、おとなり大韓民国の牧師先生のことを考えてしもうた。大韓民国の牧師先生のすべてではないが、規模の大きい教会の信徒数も多く、祝福を受けた教会の牧師先生が、スズキのワゴンR(あれは名車だと思うのだが・・・服部先生、見ていただけてます?)やダイハツのミライース(CMでブルース・ウィルスがコミカルなキャラででていた。彼はもともとコメディ出身なのでね。出世作は、こちらブルームーン探偵社)に乗っている人は寡聞にして知らない(ミーちゃんはーちゃんが無知なだけ、という説はある)。なんか、みんなメルセデスを転がしてそう(こう書くといやらしく聞こえるがベンツのこと メルセデスは女性名なので、いやらしさが漂ってしまうが、アメリカ人は、あの戦車みたいな車をメルセデスと呼ぶことが多い)な気がするのは、たぶん気のせい。

     キリスト新聞社刊「健康な教会」を目指して −その診断と処方 越川弘英編・関谷直人著の対談部(これがまた実に面白い)では、牧師の子供たちについて、こう書かれている部分がある。

    関谷ー PKというのは、日本ではなじみのない言葉かもしれませんが、英語でPastor's Kidsつまり「牧師の子供」のことを意味します。
     こう言う言葉が存在するということは、欧米では牧師の子供に何らかの共通する特徴があるということを意味すると思います。それは、おそらく日本でも同じだと思います。
     牧師に気をつけていただきたいことの一つは、牧師の子供というのは一般の家庭の子供と比べて非常に「露出度」が高いということです。
     (中略)
     また牧師の子供は、大体日曜日は教会に行くことが義務付けられているわけですから、常に多くの人に一挙一動を見られていることになります。ある意味では信徒から大事にされ、かわいがられてはいるのですけれども、やはり常に他人の目にさらされているということは、子供にとって大きなストレスになっているということを、親としては知っておいていただきたいのです。 
     (中略)
    関谷ー そうですね。逆に私は多くのPKたちが、教会における牧師としての父親と、家庭の中での父親のギャップに戸惑っているのを知っています。「あんな父親が礼拝説教で何を言っているんだ」などということを聞きます。(同書pp.119-121)
     そう、これまたキリスト新聞社のMinistry2011年冬号(Vol.8)(注 この号は上智の雨宮先生が取り上げられているので、大事な1号。ヲタのミーちゃんはーちゃんは保存用にもう一冊買おうかと思ったほどであった。)で取り上げられていたように、牧師の子供たちは、かなりつらい思いをしているようだ。中でも、一番、「あぁ〜」と思ったのは、「受験のときに期待された。牧師の子だからって頭がいいわけではない。(20代製造業・男)」、「何をやっても「信仰的、聖書的か」をチェックされるような気がした(40代福祉関係・男)」、「牧師を辞任に追い込むやり方がひどすぎる。(30代神学生・男)」という部分であった。これはきついだろう。

     そういえば、フランシス・シェーファー親子の問題が子シェーファーによる暴露本に近い自伝の出版で、アメリカでは一時期話題に上がったが、これも、この辺に関係しているのかもしれない。まだ、子シェーファーの問題となった自伝は読んでいないし、注文もしていない。

     先日、ある教会にお邪魔した(本当にお邪魔虫した。でも、
    ニコ生のアルファベット一文字牧師の超有名生主のように、ハレルヤーといって混乱させたりはしなかった)時のことをこの記事を書きながら思い出してしまった。その教会の牧師先生というか仲良くしてもらっている方に1歳の息子さんがおられ、その息子さんがまた愛想良しの可愛いお子さんなので、みんなのアイドルになっていたのだが、ある女性信徒の方が、かわいく思ったのであろう、お菓子をあげ始めた。それはそれでかわいいと思ったが故の行為だったようだが、そのお子さんのお母様に当たる牧師夫人の方は少し困った顔をしておられた。晩御飯を食べなくなり、甘いお菓子を子供が求めるようになるからだ。それを敏感に見てとった若い牧師先生は(偉かったよN先生)、とっさに子供さんを抱き上げて、「この子に『勝手にこの子にえさを与えないでください』って札、ぶら下げようかなぁ。」と冗談交じりに言いながら、何とか信徒の年配女性のお菓子攻撃からお子さんを守ろうとしておられたが、結局女性信徒の方はお菓子をあげてしまっていた。

     これを見ながら、結構厳しいよなぁ、と思ってしまったのだ。自分の子供が
    勝手に教会員のおもちゃになってしまうのを防ぎたくても、防げないのだ。その教会の帰り道、うちの奥さんが電車の中で、「N先生の奥さん、偉いなぁ。黙っていた。」というのを聞いて、なるほどなぁ、と思ったのである。「牧師家庭の子供は、信徒のおもちゃじゃございません。
    と思ってしまった。

     教会女子は、教会生活が長くなればなるほど、このようなことを見ているのだろう。だからこそ、牧師萌えにはなっていないのではなかろうか。求む。牧師萌え教会女子。

    (3)信仰の内実が問われそう。

     これは、キリスト者であれば、常にYHWY様から問われているはずなので、これは大したことにはならないのではないか。とは思った。問われてないとすると、逆に大問題ではないかと、ミーちゃんはーちゃんは思ってしまった。


     今回も、キリスト新聞社さんの書籍、雑誌などのオンパレードのなってしまった。キリ新の回し物と呼びたければ、呼ばれよ。キリ新の御用ブログと言いたくば言われよ。それでも、こういう本出してくれるキリ新が好き。

     特に「健康な教会」を目指して −その診断と処方 越川弘英編・関谷直人著 キリスト新聞社刊 は対談の部分がお勧め。教会で直面するかもしれないDVの問題とその対策などにも触れておられる。非常にお勧めの一冊。



    評価:
    関谷 直人
    キリスト新聞社
    ---
    (2007-10)
    コメント:教会が抱える様々な問題(症例)と対処法(治療方針)を、ユーモアを持ちつつ書かれた本。ミーちゃんはーちゃん大絶賛。

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