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2012.12.08 Saturday

アメリカ人の福音派の神学部の大学教員が、アメリカの福音派について語ったこと(2)

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    どうも、Preston Sprinkleさんが本を来年あたりお出しになるらしいので、ちょっとステマっぽい記事なのだが、前回のAre American Evangelicals Seduced by Militarism?アメリカの福音派の人々は、軍国主義に魅惑されているのだろうか?に続く第2弾(おそらくこれが最後と思われ)を日本語変換してみたい。

    タイトルは、

    Old Testament, Militarism, and Idolatry

    であり、日本語に変換すると、さしずめ

    旧約聖書と軍国主義そして偶像崇拝

    になるだろうか。

    ちなみに元記事は、こちらをクリック。http://www.patheos.com/blogs/jesuscreed/2012/11/13/old-testament-militarism-and-idolatry/

    この記事がすごいのは、現在アメリカに住んでいて、アメリカ市民でなおかつ福音派の神学校の教育スタッフが、コーユーことを臆面もなく書いているところなのだね。常識的な判断ができない方などに刺されたり、銃で撃たれたり、殺されたりはしないことを期待したいなぁ。アメリカには、ヘイトクライム(人種差別的な犯罪)や狂信者による事件、結構いっぱいあるからね。ハンパなく怖い国ではある。

    以下は、日本語変換しただけですから。問題点があっても責めないでね。もし、不満があるなら、原文を最後に挙げてありますので、Google先生に変換してもらうか、自分で変換してくださいね。

    -------------------------日本語変換-----------------------------------------
    このポストは Preston Sprinkle から寄せられたものである。

    旧約聖書に制裁的な意味を含む暴力と戦争が特定のケースで書かれているのは事実であるものの、旧約聖書自体も、軍事優先主義(militarism)を非難していていることは間違いない。もう一度、軍事中心主義(or 軍国主義)とは、
    政府や国民によるその国の軍事的能力が強力な状態であり、国防と国家の権益を拡大するために軍事的能力を積極的に利用できることに関する信念または欲望である。
     軍事優先主義を支持する福音主義者グループの多くの人々は、旧約聖書を神の制裁的な軍事力の証拠として用いるだろう。Wayne Grudem は旧約聖書のイスラエルの記事に触れながら、「政府が攻撃する軍事力を持って対抗するような敵を倒すために十分な軍事力を持っているならば、それは望ましいことである(Politics, 388ページ)」と主張している。このようなものの見方は、福音主義のグループの人々の中で継続して支持されてきたが、実際には旧約聖書が軍事優先主義に対して言っていることを無視している。実際、旧約聖書は、それは血まみれのものであり、剣や槍が出てくるとはいうものの、上のオックスフォードアメリカ英語辞典で定義されているような軍事優先主義に対して、非難しているのである。

     軍事優先主義が聖書の教えに反するだって?


     まず第一に、(注 多分旧約時代の国家としての)イスラエルが非常に複雑な経済システムを持っていた一方、常設軍を経済的に支えるだけの余裕がなかった。イスラエルの税金から一銭たりとも、専従の軍隊にまわされたことはなかった。他国においては、このような税制は通常のものではあったが。このことは、神がそのような状態(注 税金の剰余の非軍事的使用)であることをまさに望んでおられた通りであった。税の余剰資金は、宗教的な目的に用いられ、主として、貧者救済に回された。以下に見るように常設軍は潜在的に危険な常備軍に資金を投入することは不適切でとされた。

     第2に、そして第1の要素と関連することだが、神は、イスラエルに戦闘技能に優れ、武装を完備した訓練された兵士からなる専従の常設軍を持つことを許しておられない。イスラエルの軍事的な方針に関する神が直接語られた聖書の箇所(申命記17章20章)を見るなら、イスラエルの軍事力(それを軍事力とよぶならば、であるが)それは義勇兵からなっていたことが分かるだろう。もし、誰かが最近結婚したり、家を買ったり、戦争に行くのを恐れるのであれば、戦闘からの免除が自動的になされたのである。さらに、申命記17章やほかの場所では、優位な戦力、たとえば、戦闘用の馬、戦車、巨大な訓練された歩兵部隊などを過剰に蓄えておくことを禁止しておられる。これらのことは、旧約聖書において、非難されていることなのである。

     この意図的なイスラエルの軍事力の弱体化は、申命記17章14−20節に示されている。これらの部分は、イスラエルの王に対する神の望みであり、軍事力を背景とした王であるものの意図を意図的に排除するためのものである。主として、王は専従の軍隊を育成することを許されなかったし(変換者注 王は馬を増やしてはならない。申命記 17:16)、他国とも軍事同盟を結ぶことも禁じられていた(17:16-17)(変換者 民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない」と主は言われた 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない 申命記17:16-17)。王のすべての軍事力の武装解除をすることは、王が神への信仰を増すことを推進し、イスラエルが異なる軍隊のモードに入ること(変換者 直訳すれば、異なる軍隊行進のためのドラムを鳴らし行進すること)を示すするものであった。彼らには、天に一人の神がおられ、その神は、彼らを守り導き、そして、守り、そして相手を攻撃される方がいるのである(変換者注 著者はその不変性を示すためか、現在形を用いている)。イスラエル人は、人間の軍事力を伴った補助的な(あるいは取って代わるような)神は必要なかった。そして、実際に彼らが戦うとき、一般市民からなる週末だけ戦うような戦士たち(変換者注 州兵の予備役をさすようだ)を除隊させられたし、そして、彼らが勝利した時(それは彼らが神への信仰を持っていたときであるが)彼らの目にも、そしてだれの目にもイスラエルの神が勝利されたのであり、イスラエルの軍事力によって勝利したではないことが明らかになるのであった。

     これが、いくつかの事例で、イスラエルが、敵の馬の腱を切ったり、敵の戦車を燃やしたりしたことを命じられた理由である(ヨシュア11;6・9)。馬や戦車は現在の戦車に当たる古代の兵器である。馬や戦車は当時の優れた兵器であった。数多い馬や戦車を持つ方が戦闘に勝つと決まっていたのである。そして、ヨシュア(とほかの人々が)馬の件を切り、戦車を燃やした時、彼は、イスラエル人が将来の戦闘において使えるであろう有益なものを破壊したのである。それは、敵をナイフで無力化するようなものであり、銃で撃つようなものではない。この理由は明らかである。主(YHWH)が戦士であることを信頼していることを示すために、こられのより優れた兵器は無視されたのである。(Lind Warrior, 84ページ)

     しかしながら、イスラエルは、職業的な軍隊を構築することを常に諦めたわけではなかった。ダビデとソロモンは、彼らの軍事力、馬や戦車や巨大な歩兵隊について、不平をいっていた。そしてある人々は、これらのことが近代の軍事的兵器の蓄積を正当化すると考えているし、他国に対する『正義の戦争』を継続することが正当化できると考えている。しかし、これらの聖書の表現を利用することは非常に重要なポイントを見逃すことになる。ダビデとソロモンは、彼らの軍事力に不平を鳴らしたことで、非難されているのだ。ダビデの人生の悲惨な終末のように、ダビデは、常設軍を所有したことの批判を受けており(例 第2サムエル24章)、人の血を流し過ぎたと批判されているのである。(第1歴代 28章)

     旧約聖書全体を通して、軍事優先主義は、基本的に、神を信頼していないこととして理解されている。そして、預言者は、このことを有名な単語で避難している。それは偶像崇拝である。(イザヤ22章、詩篇147:10−11、参考詩篇33:16-22・44:4-8)

     聖書は、一貫して、そして、きわめてビジュアルに、軍事優先主義は国家が追及する何かであり、神の民が当然として求めてはならないものであると明らかにしている。神の民は、何かを達成するために軍事的な力の中に信頼をおくことの誘惑に陥ってはならない、とされている。そして、そのような他の国々のような戦争行為は、預言者によれば、霊的な売春行為と同様であるのだ。エゼキエルは、軍事同盟を『お前はまた、肉欲の強い隣国エジプト人たちと姦淫を行い(16:26)』さらに、『それでも、お前は飽き足らず、アシュルの人々と姦淫を行った。(16:28)』ショックと恐怖は軍事力の象徴として描かれ、地獄(または黄泉の世界)の住民にとって重要であるとされている。(エゼキエル32:23-32)イザヤは、軍事力は、単純に『肉的な』もので、荒々しい人々や不法を行うものどもの性格的特徴であると指摘している。(イザヤ31:2-3・アモス1−2章)大きく、強く、そしてかなり意欲があり、そして恐れられた国々のように戦争に関与することは、性行為に飢えた愛人に合わせてあなた自身が売春することに等しく、そしてそれはやめたくてもやめられない依存的なものに金を払いながら、なのだ。下品な表現だとおっしゃるだろうし、それはその通りであるが、しかしこれが軍事的な勇猛さに対して夢中になることについて、聖書が言っていることなのだ。

     私は、表面をちょっと引っ掻いただけなのだ。私は、戦争時における戦争と暴力についての近著で(タイトル 戦闘 非暴力についてのキリスト者の場合)これらのことをきちんと詳細に述べる予定だ。(変換者注 この辺、ちょっとステマっぽい)しかし今、私は、もしイスラエルの今日の軍事政策にこれらのことを当てはめると何が起きるのかを考えざるを得ない。聖書を信じる軍人が旧約聖書をある戦争にかかわる政策を支持するために利用することは一般的なことである。もし、彼らが神ご自身の完全な言葉を神からのものとして受け取るならばどのようなことが起きるだろうか?アメリカの軍事力が、たとえば、ボランティア兵(義勇兵)からなり、税を資金源としなければ、そして、アメリカ合衆国が膨大な高性能兵器を蓄積しなければ、戦車もなく、無線操縦兵器もなく、F-22もなく、もちろん核兵器もなければどうであろうか。そして、勝利は軍事力ではなく、神の奇跡的な介入により決まるとしたらどうであろうか。敵に数で勝るよりは、我々は、人間によって、そして、多少の銃によって(マスケット銃(火縄銃のような初期の銃)や何本かの剣で戦うことを選択的に選ぶだろうか。軍事演習もなく、新兵訓練もなく、準備もなく、断食と、祈りと、賛美を歌うことで戦う(第2歴代誌20 ヨシャファトの記事)だろうか。もし、アメリカが『新しいイスラエル』であり、神の聖なる国家(ある人たちはそう思っているようだが、私はそうは思わない)か、それに近いことを思うなら、私たちは、神と神の霊感を受けた軍事的なマニュアル(変換者注 どうも福音派の好戦的な人たちが持っているといううわさがある黒皮表紙に金文字で聖書と書かれたのことらしい。強烈な皮肉。)からその方法論につながるものをとるべきなのだ。しかし、その信念に反して、多くのキリスト者は、聖書の選んだ部分を買って気にカットアンドペーストし、アメリカの世界観に合わせて、宗教的な支持を我々の軍隊に与えようとしているのだ。ある人々は、これを悪質なハーメニューティクス(変換者注 解釈学とも呼ばれる。)と呼ぶ人もいるだろうし、他の人々はシンクレティズム(信仰の習合)と呼ぶだろう。しかし、イスラエルの預言者は、これを偶像礼拝と呼ぶ。

     それが、旧約聖書である。新約聖書は、ローマ13章において軍事力を賛美しているではないか?というかもしれない。チャンネルはそのまま、次回(最終回)を待て。ローマ13章について解き明かそう。

    -------------------------------日本語変換終わり---------------------------------------

     確かに、イスラエルは、常設軍を持ったのは、王政が始まって以来であって、それまでヨシュアの時代も、サムソンやデボラやエルバアル AKA ギデオンなどの士師の時代も、常設軍はなかったし、そもそも、専業の軍隊というのはなかったのだな。大体、エリコの城壁だって、攻城機で攻撃したわけではなくて、ぐるぐる回って、角笛鳴らして、鬨の声を上げただけ、であったのである。トマホークもA10も、何もつかわずに崩壊している。確かに、エリコは全滅している・・・。後に再建されたが。

     民が神を勝手に捨て、王をほしがるまでは(士師記の最後にあった悲惨なレイプ事件とそれに伴うイスラエルの内ゲバ事件とエリのバカ息子どもが好き勝手にした結果とはいえ)、イスラエルは確かに常設軍は持っていなかった。

     民が王制を求める中で、神は、エリを通して、「あんたたちに王はやるけど、王政に以降したら、あんたたちの息子は軍役にとられるというかたちの血税を払う悲惨な目にあうし、そのうえ金で払う税金もとられるし、あんたたちは、奴隷の生活になるぞ。」と一応警告を発せられた上で、王政に移行するのをお認めになっておられるのだな。本来、イスラエルの民にとって、神は王であった。

     その中で、イスラエルは王政に移行し、ダビデ、ソロモンで、絶頂期を迎え、あとは衰退と自滅の道をたどっていく。

     そもそもボーイスカウトとほとんど変わらないような弱体化された軍隊が、近代兵器に勝つところに、神の栄光と神の力が示される、というのが旧約聖書的な発想でいうところの神の勝利であって、新入幕クラスの力士に横綱が相撲を取るような戦い方は、神の戦い方ではない、というのが、そもそもの旧約聖書の発想である。

     ダビデとゴリアテの話にしたところで、そもそも、イスラエルにとっても、パレスティナ(ペリシテ)人にとっても、犠牲は一人で済むので、結構効率的な闘いなのだ。ダビデは、それこそ、バズーカ砲を持ってフル装備(サウルのを着たが動きにくいので断っている)でゴリアテに臨んだわけでなく、相手からバカにされる服装で臨んだのである。まさしく、今でいえばTシャツ一枚にジーンズ姿で戦闘ヘリのブラックホークかエイブラハム戦車に向かっていったのである。ちょうどこんな感じか。リンクはこちら。http://www.youtube.com/watch?v=mrQqDqOx3KY&feature=fvwrel 基本的に今イスラエル軍に向かっていくパレスティナのインティファーダの人たちみたいなのである。インティファーダの人たちのほうが、よほど現代のイスラエル軍より聖書の意図を知っているのではないか、と思えてしまうほどである。

     エゼキエル16章の記述は、その通りである。エジプトの軍事力にこびへつらい、アッシリアの武力にこびへつらう様は、まるで、売春婦、といわれても仕方のないイスラエルの姿ではある。国際的な弱小国が国際的な陸上交通の要路で生存するためにはいたしかたがないのかもしれない。日本という国は、神を信頼しない国なので仕方がないが、アメリカにこびへつらう様は、まるで、当時のエジプトにこびへつらうイスラエルとどうしても重なる。現実のリアリティとしては仕方がないことは確かではあるが。とはいえ、東アジアでは、抜群に自衛隊の装備品はいいらしい。そのため、アジア諸国がビビっているというのはあるだろう。

     あと、一応、エゼキエル32:23-32の口語訳のこの部分を載せておきますね。しかし、おどろおどろしいが、これは、イスラエルに敵するものの記述だけではなく、軍事力に頼ったイスラエル自体の結末でもあるのだね。これが。残念であるけれども。

    お前(イスラエル)は割礼のない者の間に
    剣で殺された者と共に
    打ち砕かれて横たわる。
    とあっさり書かれているけれども。たいていの場合、この部分を見ない、意図的に見ない、読み飛ばしているんだろうなぁ。


    アッシリアの墓は穴の最も深い所にあり
    その周りには仲間たちの墓がある。彼らは皆、剣で殺され、倒れた者
    かつて、生ける者の地で恐れられていた。
    そこには、エラムとそのすべての軍勢がいる。彼らの墓はその周りにある。彼らは皆、剣で殺され、倒れた者
    割礼のない者で、地の最も低い所に下って行く。生ける者の地で恐れられていたが
    穴に下る者と共に恥を負う。
    殺された者たちの間に、床が設けられた
    エラムとそのすべての軍勢のために。彼らの墓はその周りにある。彼らは皆、割礼のない者、剣で殺された者。生ける者の地で恐れられていたが
    穴に下る者と共に恥を負い
    殺された者の間に置かれる。
    そこには、メシェクとトバルと
    そのすべての軍勢がいる。彼らの墓はその周囲にある。皆、割礼のない者、剣で殺された者。生ける者の地で恐れられていた。
    彼らは、遠い昔に倒れた勇士たちと共に
    横たわることはない。この人々は、武器をもって陰府に下り
    剣を頭の下に、盾を骨の上に置いていた。これらの勇士は
    生ける者の地で恐れられていた。
    お前は割礼のない者の間に
    剣で殺された者と共に
    打ち砕かれて横たわる。
    そこには、エドムがその王たちと
    すべての君侯たちと共にいる。彼らは力をもっていたが
    剣で殺された者と共に置かれ
    割礼のない者、穴に下る者と共に横たわる。
    そこには、北のすべての君主たち
    シドンのすべての人々がいる。彼らは殺された者と共に下る。彼らはその力のゆえに恐れられていたが
    辱められ、割礼のない者、剣で殺された者と
    共に横たわる。彼らは、穴に下る者と共に恥を負う。
    ファラオは彼らを見て
    失ったすべての軍勢について慰められる。ファラオも、そのすべての軍隊も剣で殺されたと
    主なる神は言われる。
    まことに、わたしは生ける者の地に
    恐れを置いた。ファラオとそのすべての軍勢は
    割礼のない者の間に
    剣で殺された者と共に横たわる」と
    主なる神は言われる。
    (口語訳聖書 エゼキエル32:23-32)
     しかし、このPreston Sprinkle 先生、かっこいい。軍事行動は、霊的な売春行為、と言っておられる。私が言ってんじゃないですからね。おまわりさん。この人(顎髭のほうの人)です。

     聖書に書いてあるとはいえ、「肉欲の強い隣国エジプト人たちと姦淫を行い」という表現は、えげつないですね。神に対する信仰を捨てられた神からしてみれば、これでもまだ言い方が可愛い方かもしれませんね。

     強烈な皮肉は、軍事的なマニュアル注 どうも福音派の好戦的な人たちが持っているといううわさがある黒皮表紙に金文字でHoly Bibleと書かれたの本のことかもしれない。強烈な皮肉。)という表現である。聖書の表面は読んでそこから軍事作戦のアイディアでも考えておられる軍事指導者がいるとしたら、それはもう終わっているだろう。

     軍事的マニュアルとして聖書を利用する人は、聖書の使い方が基本的に間違っている、とミーちゃんはーちゃんは思う。聖書は人間の霊的なマニュアルであり、人と神との関係をどう考えるためのマニュアルでまずあるべきだと思う。いくら聖書に何でも書いてあるからといって、物理の教科書や化学の教科書、生物の教科書にするのは、いかがなものかと思う。このあたり、聖書を大事大事にし過ぎて、本来神が座されるべき場所に聖書を据えてしまって、神の御座から神を押しのけている人間の姿があるのではないだろうか。聖書が聖書であるのは、その聖書を神が語らせたが故、聖書の背景に神がおられるのである、ということを忘れて。

     あと、軍事力には依存性がある麻薬みたいなものだと言っておられる。麻薬とはよく言ったもので、一度始めてしまうと、それを利用しなくなるのが難しいのは、有名な話。詳しくは、28daysという映画にある。(サンドラブロックのファンとしては紹介は欠かせない)そして、オーバードースになっていくのも。SALT交渉は非常に困難であったのである。両方ともやめたくてもやめられない。チキンゲーム状態が造られてしまったのだね。それこそ、軍事依存症になっている人には、28daysに出てくるRehab(リハビリ施設)に入ってもらって、治療してもらいたいなぁ、と。と書きながら、「肉欲の強い隣国エジプト人たちと姦淫を行い」ということで、Sex Addictionの問題を思い出してしまった。そうか、軍事Addictionは、Sex Addictionと似ているんだなぁ。本当に早く、Rehabに入ってもらいたい。

     しかし、Preston Sprinkleさんの新刊、Fight: A Christian Case for Non-Violenceは、まかり間違ってもいのちのことば社は出せないだろうなぁ。基本、無理ゲーですよね。ね。いのちのことば社 の ことはちゃん♪。出してくれたらおぢさん、ことはちゃんのことの評価が激変するんだけどね。ヨテンゴ ゴゾ ゴゾ ゴゾ ゴゾ エミゴラソン。(I have the joy, joy joy, joy down in my heart.のスペイン語版)ちなみにミーちゃんはーちゃんは、メキシコ系のカリフォルニアンのお子様からスペイン語を習ったので、ヨーロッパのスペイン語はしゃべれないのだけど、お許しを。

     さて、ハーメニューティクスという言葉が出てくるが、これは、もとはギリシア語のヘルメネオスに由来する言葉のようですなぁ。これに関連する語としては、新約聖書では、使徒の14章に出て来るリストラで、パウロがガンガンしゃべったので、ヘルメスだ、と呼ばれましたな。そーいえば、あのヘルメスと関連の深い言葉のようです。ヘルメスがフランスに行くとバッグやスカーフなんかの婦人小物メーカーさんのエルメスに化けます。これは、完全に脱線。

     しかし、 Stay tuned for the next (and last) post だって。アメリカでは、結構連続もののドラマでこれが流れる。典型的には、Close to Home(日本語名女検察官 アナベスチェース)。あー、Preston Sprinkle先生もテレビっ子なのだろう。ここにも、ミーちゃんはーちゃんの仲間発見。それで、Preston Sprinkle先生と、ミーちゃんはーちゃんは思考の周波数が合うのだろうか。

     実は、すでに、英語では数週間前に次回、最終部分(ローマ人への手紙13章の再解釈)は公開済みですが、これはまた、後日改めて。

    ----------------------------オリジナル原文を掲載-------------------------------------


     This post is by Preston Sprinkle.

    While it’s true that the Old Testament sanctions violence and warfare in some cases, it condemns militarism. Again, militarism is:

    [T]he belief or desire of a government or people that a country should maintain a strong military capability and be prepared to use it aggressively to defend or promote national interests.

    Most Evangelicals who endorse militarism will turn to the Old Testament to prove that God sanctions military might. “It is a good thing,” writes Wayne Grudem in reference to Israel in the Old Testament, “when a government has enough military power to defeat the enemies who bring its armies to attack” (Politics, p. 388). Such a view, though ubiquitously held by Evangelicals, ignores what the Old Testament actually says about militarism. In fact, the Old Testament―with all its blood and guts, swords and spears―actually condemns militarism as defined by the New Oxford American dictionary above. Here’s how it goes.

    Is militarism contrary to the Bible’s teachings?

    First, while Israel had a very intricate economic system, there was no room to financially support a standing army. Not one ounce of Israel’s taxes went to fund a professional military, even though (or because) such taxation was common among other ANE nations. This was exactly the way God wanted it to be. Excess money should be used for religious purposes, or, primarily, for poverty relief. Not to fund and unnecessary and potentially dangerous (see below) standing army.

    Second, and related, God did not allow Israel to have a professional, standing army―a body of soldiers who were trained, highly skilled, and armed to the teeth. If you look at the two passages that speak directly to Israel’s military policy (Deut 17 and 20), you will see that Israel’s “military” (if we can even call it that), was by volunteer only. If anyone had recently been married, bought a home, or was simply afraid to go to war, they were automatically exempt from fighting. Furthermore, Deut 17 and other passages forbid Israel from stockpiling superior weapons, such as war horses, chariots, and a large trained infantry. All of these are condemned in the Old Testament.

    The intentional weakness of Israel’s army is put on bold display in Deuteronomy 17:14-20. This passage lays out God’s desire for the king of Israel and it deliberately strips the would-be king of all military might. Namely, the king would not be allowed to build a professional army (“he must not acquire many horses for himself”) nor can he make military alliances with other nations (Deut 17:16-17). Depriving the king of all military strength would help ensure his faith in God rather than in military power, and would testify to the nations that Israel marches to the beat of a different military drum. They have a God in the heavens who guides and protects, who defends and delivers. They don’t need to supplement (or supplant) God with a human army. And when they did actually fight, God wanted them to remain a rag-tag group of weekend warriors, so that when they won (if they had faith in God) it would be clear to them and everyone else that victory belongs to Israel’s God, not Israel’s military.

    This is why in several instances Israel was commanded to hamstring their enemies’ horses and burn their chariots (Josh 11:6, 9). Horses and chariots were the ancient version of tanks. They were superior weapons. The army with the most horses and chariots was bound to win the war. So when Joshua (and others) hamstrung horses and burned chariots, he destroyed their potential usefulness by Israel for further battles. It’s like killing an enemy with a knife and not taking his gun. And the reason is clear: “Superior weaponry was rejected, in order to demonstrate trust in Yahweh as warrior” (Lind, Warrior, 84).

    Israel didn’t always reject building a professional army, however. Both David and Solomon beefed up their military might―including horses, chariots, and a massive infantry. And some people think that this justifies a modern stockpiling of military weapons, or waging “just wars” against other nations. But such use of Scripture ignores one very important point: David and Solomon are rebuked for beefing up their military might. Such is the sad ending of David’s life, when he’s criticized for having a standing army (cf. 2 Sam 24) and far being a man of bloodshed (1 Chron 28).

    Throughout the Old Testament, MILITARISM was seen as fundamentally NOT trusting in God. And the prophets have a well-known term for this: idolatry (Isa 22; Ps 147:10-11; cf. Ps 33:16-22; 44:4-8).

    The Bible consistently―and quite graphically―considers militarism as something the nations pursue but something God’s people should never due. God’s people should never be seduced into trusting in military might to achieve anything. And such warfare “like the nations” is tantamount to spiritual prostitution, according to the prophets. Ezekiel considers military alliances as “playing the whore with the Egyptians” (16:26) and “prostitut[ing] yourself with the Assyrians” (16:28 NLT). “Shock and Awe” displays of military power are worthy of inhabitants of Hell (or the “netherworld,” Ezek 32:23-32). Isaiah considers military might to be mere “flesh” and character traits of evildoers and workers of iniquity (Isa 31:2-3; Amos 1-2). Waging war like the surrounding nations―bigger, stronger, more powerful, more fearsome―is equivalent to prostituting yourself out to sex-hungry lovers, while paying your clients for their addictive services. Crude language, I know, but that’s just what the Bible says about such infatuation with military prowess.

    I’ve only scratched the surface, and I’ll fill in the details more thoroughly in my new book on violence and warfare in the Bible (titled: Fight: A Christian Case for Non-Violence). But for now, I can’t help but wonder what would happen if we applied Israel’s military policy to today. It’s common for Bible believing military personnel to use the Old Testament to support a certain warfare policy. But what would happen if they went all the way and took God as His full word? America’s military, for example, would be by volunteer only and would not be funded by taxation. America would not stock pile superior weapons―no tanks, drones, F-22s, and of course no nuclear weapons―and it would make sure its victories were determined by God’s miraculous intervention, not by military might. Rather than outnumbering our enemy, we would deliberately fight out manned and under gunned―perhaps we could use muskets, or maybe just a few swords. There would be no training, no boot camp, no preparation, other than fasting, praying, and singing worship songs (2 Chron 20). If America really was the “new Israel,” God’s holy nation (as some believe; I don’t) or the nearest equivalent, then we need to take our queue from God and his inspired manual for military tactics. But as it stands, many Christians will be content to cut and paste selected verses that align with America’s worldview to give our military some religious backing. Some call this bad hermeneutics, others call it syncretism. The Israelite prophets called it idolatry.

    But that’s the Old Testament. The New Testament actually praises military might in Romans 13; doesn’t it? Stay tuned for the next (and last) post. I’ll offer some thoughts on Romans 13.

     



    評価:
    ---
    日本基督教団出版局
    ¥ 8,925
    (1998-11)
    コメント:古代オリエント史の碩学であるワイズマン博士による日本では専門書。池田裕先生が翻訳しておられる。安くはないが、あると便利。

    評価:
    並木 浩一
    教文館
    ---
    (1999-03)
    コメント:旧約聖書時代の人間間の一端を知ることができる。

    評価:
    ---
    ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
    ¥ 992
    (2009-11-04)
    コメント:アトム(Astro Boy)のTシャツを着た、サンドラブロックが出てくる。リハッブと呼ばれる依存症センターに出てくる人々の人物模様と現代アメリカ社会を考えさせられる。

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