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2012.02.22 Wednesday

心の刷新を求めて の紹介(その3)

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     最近、読んだ本の中でもかなり気に入った本の上位を占める本である、ダラス・ウィラードの「心の刷新を求めて」でいくつか気に入ったところがあるので、それを紹介したい。基本、この本の主張は大事だし、その通りだと思うけれども、この本が読みにくい、と思う方もおられるようで。そうかなぁ、と思いますが…。あと2回くらい、この本の紹介にかかりそう。それくらい良い本なのですね。ポストイットだらけになっています。今回も、その一部を紹介しながら、思ったことを書いていきたいと思います。

     「感情(feeling)」という言葉は、ある種の「接触」、つまり「触れること」を示唆しています。魅力にしても嫌悪にしても、感じるのに理屈は関係なく、しかも強力です。私たちの感情を湧き立たせるものを「感動的」といい、それはこころの「琴線」にふれます。感じることによって、何かが「そこに」あるとはっきりわかります。しかし、何かがそこにあるのは確かでありながら、それが何であり、なぜそこにあるのかはよく分かりません。この「理屈抜きの力」という側面のために、「感情は人間を奴隷にする」とあらわされてきたのは周知のとおりです。(バルーフ・スピノザの『エチカ』第3部『人間の隷属について』とサマセット・モームの小説『人間の絆』(このタイトルはスピノザの著作から取られた)を参照。どちらも多数の版がある)理屈抜きの力を持つ点では感覚や欲望も同じで、感情同様、とにかく抗しがたいものです。
     この記述を読みながら、聖霊の導きと感情の混乱の問題を考えた。教会で感情のあふれる人々と時々で会うことがあるけれども、個人的には、しんどいなぁ、と思うことがある。むき出しの感情をぶつけられると、ミーちゃんはーちゃんは非常につらい。感情豊かな方は、ミーちゃんはーちゃんのむき出しの理性の部分がつらいのかもしれないけれども。

     ミーちゃんはーちゃんはほとんど感情的になることはないのだけれども、祈り会などでミーちゃんはーちゃんが祈るのを聞かれて、感情あふれる方が、びっくりされることがあるようです。聖霊の導きというか、祈りにおいて、神に対する受け入れ、神の主権の受容を示すからかもしれないなぁ、と思いますが。これって、相矛盾しないものなのだけれども、理解されないみたい。

     上の引用の文章を読みながら、時に人は、感情と霊の働きを勘違いするかもしれないし、その区別は非常に難しいものの、これはある程度真剣に考えた方がいいかもしれない、と思っってしまったのである。ある人々にとって、感情のほとばしりみたいなものを、霊の動きと誤認しやすいのではないか、と思ったのである。どこかにつながるチャンネルがあいているように思う。ウィラードさんが書いておられるように、感情があることから、そこに何かがあることはわかるわけで、感情そのものを霊の働きと誤認し、その感情を追い求めていく結果、本来の霊の働きとは別のものを追い求めていき、結果としてどこかずれてしまうのではないか、という危険性である。感情は、ウィラードさんの言うように人間を支配してしまうのでしょう。多分。

     そして、スピノザおじさんの言うように、感情は人間を奴隷にする」のだとすれば、霊の動きと誤認された「感情の動き」は、本来人間が求め、関係を持つべき神(JHWH)からキリスト者すら引き離す可能性すらあるかもしれない、という印象を持った。これは案外怖いことである。本来聖霊が座るべき座に感情(人間)が座っているからである。

     どこかで、感情に対してどこか冷めていて、理性の働きを重視する傾向にあるミーちゃんはーちゃんは、ロマン主義的な人の多い、わがキリスト者集団ではあまり受けがよくないのであるが(多分)、このロマン主義的なあり方にどこか、危険なものにつながる落とし穴がありそうなのかなぁ、とミーちゃんはーちゃんは思ってきたのであるけれども、この本を読んで、感情の働きにブレーキをかけうる理性の働きの重要性を改めて認識した次第。しかし、この両者がバランスを取って動くことが本当は大事なんだろうけれども。多分。

     ミーちゃんはーちゃんは、感性主体、感情的な礼拝や、そこに重点があるキリスト者集団がNGだといっているのではない。ミーちゃんはーちゃんのいるキリスト者集団にも、そのような人々はいる。そのような人々や集団をキリスト教ではない、と切って捨てる気はない。ただ、ミーちゃんはーちゃんの方向性とは違うということを認めてほしいということと、ミーちゃんはーちゃんがその種の方々を認めるのと同様に、その種の方々からも違うけれども、キリスト教だよね、という同意というのかな、承認というのかな、それがほしいだけである。そして、自分と同じようでなければならない、とご自分やご自分たちの感性の押し売りというのか、ご自分やご自分たちの感情の押し売りはご遠慮願いたい、ということだけなのだけれども・・・。


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