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2012.02.11 Saturday

心の刷新を求めて の紹介(続)

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     前回紹介した「心の刷新を求めて」ダラス・ウィラード著 中村佐知・小島浩子訳 あめんどう刊の紹介で、紹介しきれていないので、その続きを少しずつ書いていこうか、と。

     概念は、人間生活において重要であるにもかかわらず、それを定義し、正確に記述することは絶対にできません。しかし人々は、概念を支配しようと、それを定義する努力をむなしく続けています。概念とは、広く包括的な、時代とともに培われてきた物事や出来事の解釈方法で、その影響の大きさにもかかわらず、個人の意識に上ることはめったにありません。したがって、ほとんどの人にとって、どの概念がどのように自分の生活を支配しているのかを知るのは、非常に困難です。(p169)

     どうも最近思うのであるけれども、聖書を読み込むときの概念というかある定規というのかメガネみたいな概念が先験的というのか、アプリオリにあって、それを用いて聖書を読んでいる人が案外多いのでは、と思う。定規とかメガネをかけて読むと楽なんだけれども、意識せずに定規やメガネをかけてしまうことがあって、自分は、定規やメガネを使ってない、と思いになる方もおられるように思います。ウィラードはその後、こうも書いています。

     概念とイメージは、個人においても社会においても悪の主要な要塞でもあります。それらは、私たちが普段の生活の物事や出来事をどう受け取るかを決定します。物事にどのような意味づけをするのかを左右し、目の前にあるものを見えなくすることもできます。(p.173)


     悪の要塞!(デ、デス・スターっすか?あ、ダースベーダが死亡したところね)めっちゃおもろい。ミーちゃんはーちゃんのフォースが影響されて…。冗談はさておき、これと同じ状態が聖書に起きていると、結構怖いことじゃないですかねぇ。それが福音理解でも起きているかもね、って批判してのけたのが、McKnightのThe King Jesus Gospel(YouTube の下にざっとした日本語の内容紹介を付けました)なんだと思います。
     大体、概念を批判的に捉えることができる人がそもそも少ない、と思います。批判的に捉えることで、自らの世界の理解が壊れる、足元が崩れるような精神的に結構おっかない経験をするわけです。今読んでいる本でいえば、生の冒険(トゥルニエ)などがそのことの重要性を、伝えようとしたように思います。この批判的に捉えるきっかけは、HK様が言う「他者との交流」で生じ、その他者との交流で生じた自らの世界観というのか、概念の破れをどう処理していくのか、ということだろうと思います。

     今に始まったことではありませんが、今日の私たちにとって思考の果たす役割は非常に重要なものです。おそらく、かつてないほど重要になっているでしょう。地上で御心が栄えるか否かは、神の民がどれだけよく考えるかにかかっています。
     今日の私たちは、強い信仰を保つためには理性的な思考が必要であることを、軽視したり無視したりしがちです。そして悲惨にも、思考は信仰に反するとみなす人さえいます。そのような人たちは、それが神への侮辱になると気付かないまま、西洋の平等主義が生んだ徹底的な反知性主義に屈しているのです。この傾向は、デイビッド・ヒュームやジャン=ジャック・ルソー、また彼らを信奉する19および20世紀の人々に見られるような一時的な感情や根拠のない感覚のロマン主義的理想化に根差しています。彼らは気付いていませんが、その考えは、カンボジアの「キリング・フィールド(自民族虐殺)」を生み出したのと同じ悪魔的原理にのっとっています。
    (p.184)

     うわぁ、こんな「神への侮辱」とか「悪魔的原理」とかかいちゃって大丈夫なんですかねぇ。ウィラードさん。どうせなら、「すでにダークサイドに支配されているのです。」とか言ってほしかったなぁ、というのは、スターウォーズフリークのミーちゃんはーちゃんだからかな?

     ミーちゃんはーちゃんは、18世紀イギリスのロマン主義の影響をたっぷり受けて始まったキリスト者グループ(いわゆる教派)にいるので(うちは、教派でない、という強硬派もおられるので・・・ね。むちゃくちゃロマン主義的でしょ)、現在もなお、まったりとその改革を目指して運動中ですけれども、なかなかねぇ。「地上で御心が栄えるか否かは、神の民がどれだけよく考えるかにかかっています。」が理解されない。「理性的な思考が必要であることを、軽視したり無視」されているように思えてならない。残念だけれども。最近、ちょっと、ましになってきたというものの。理性的な思考を前面に出すと、「信仰が学問的」とか、「私は、学識がないから」と逃げられてしまう。そして、対話が教会内で成立しない…。結構つらいんですよね。これ。ミーちゃんはーちゃんにとっては。説教の中で話すことはあっても、理解されないことが少なくないので、「ひかる」さんみたいに斜に構えながらでも、かまってくれる方がいるブログに逃げ込んでいる、という説がある。ははは・・・。

     ちなみに、「キリング・フィールド」の映画、以下のリンクで紹介しましたが、アジア人の方には、東南アジアの西の片隅で起きたことに関して、ぜひ見てもらいたいたいと思います。このキリング・フィールドの遺骨がある場所に水谷潔先生は行かれたときに、現在の働きに献身される決心をされたというお話をお聞きしたような記憶があります。違ってたら、ごめんなさい。

     まぁ、胎児がいともかんたんに、そして大量に捨てられていく姿と、大量の野晒しにされた野ざらし(人骨)は、確実に重なるでしょうね。ツタヤでもレンタルしていたはず。目をそむけたくなることも多いですが、目をそむけずに、見ていただきたい映画。







    評価:
    ---
    Happinet(SB)(D)
    ¥ 3,135
    (2010-02-19)
    コメント:あー、このアジアで起きた現実、どの程度、知っているだろうか。ベトナム戦争より悲惨だと思う。何より、若い時のサム・ウォーターマン(Law and Orderで検事補、検事総長役で出演中)やジョン・マルコビッチ(この時から髪の毛が少しかわいそう)が出ている。

    コメント
    HKです。まず昨年の娘の件でお礼申し上げます。祈ってまでいただき嬉しく思いました。あれから回復し、ボツボツ礼拝に通い始めています。ソプラノで歌う彼女の賛美が後ろの席から聴こえてくると、親バカながら何とも言えず幸せな気持ちになります。ありがとうございました。
    このブログはずっと愛読しております。昨年来、ここはとても賑やかで楽しい「場」になっていますね。ミーちゃんさんが神様から「良いお題」を与えられていること、ホスピタリティ溢れる精神がコメンテーターとの対話を継続させていることなどが、その要因ではないかと思います。これだけコメントが続くのを見ていると、うまく編集すれば「本」にできるのではないだろうかとの思いまで浮かびます。
    今回は何かお座敷がかかったような気がしたのでコメントさせてもらいます。

    この1年、町内会長を務めました。200世帯ほどですが、15人の班長さん(ほとんど女性)に働いてもらい、イベントや防災訓練を実施、老人会や子供会とタイアップ、時にはあからさまな住民エゴに直面して心労したり、その中で色々と教えられました。
    表立って福音を伝えることは控えましたが、ごく側近である役員の方に迷いが生じた時には、聖書の言葉を引用して私の考えを伝えたり、教会主宰のコンサートに町内会の方々がおいでになった折には、教会員として改めて挨拶したりで、多分、半数近くの方には、私がキリスト者であることを知って貰えたと思います。
    秋の体育祭(運動会)の時だけは、早朝の礼拝に出席せざるを得ませんでしたが、他のイベントはおもに土曜日に実施させてもらったので、礼拝を犠牲にすることはありませんでした。
    私は思いました。もし正面切って町内会の人たちに福音を語ったところで、集団主義というこの国の高い湿度の前では、所詮「結構なご高説だ」と聞き流されるのがオチではないか。いやそれ以前に、福音を「語ろう」とする私のうちに、不自然な「りきみ」が生じて、とても本質など伝わりそうにないような気がするのです。
    では今の私が「世の光、地の塩」にされるとは一体どういうことなのか。現時点での私の結論は以下です。この「町内会の仕事」をキリストの心を持って誠実にやりぬく、そのこと以外に、私は彼らに対する「共通言語」を持ち合わせていない。つまりそういう態度、姿勢こそが、私が当面、彼らに語ることのできる「福音」ではないだろうか。そう思えたのです。コリント3:3「墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものである」を思い起こしました。
    そんな私の1年を、これから神がどのように用いて下さるのか、あるいは私の理解の間違いを正して下さるのか、いずれにしても楽しみなことです。
    *(追伸)ミーちゃんさんが紹介くださった晴佐久神父の説教集を読みました。一部ついていけないところはあるものの、全体としては驚くほどストレートに福音の原初的な喜びと力が伝わってきます。「生き生きと」を説くケセン語の山浦さんなどと併せ、「正統性の確認」という隘路に迷い込んだ感のある福音派と比べるとき、これらカソリックの人たちに何か「本来の健全さ」を感じることの多い昨今です。また長々と場違いな「天然ボケ」をかましたようで、すみません。
    • HK
    • 2012.02.12 Sunday 17:21
    おひさしぶりです。芦屋めぐみさん(かわむかいさん)!!!!
    覚えてますか?
    CURURUでお世話になったさと☆ひつじです!!!
    今日、神様の導きでここにくることができました。
    今、泣きながら、メッセージをしています・・・
    2008.11.4の記事、(4年前にブログから姿を消した私へのメッセージ)を私の主人が偶然見つけてくれたんです。
    私のブログを読もうとしてグーグル検索かけたらそれがヒットして、「だれかが、さとひつじあてに手紙書いてるよ・・・」って言ってきて!!!

    最初は訳がわからなくて・・・でも芦屋めぐみさんとFOCEさんとのコメントのやりとりをみて、記憶がよみがえってきて!!! 記事を読んだ後、嗚咽して泣きました。
    神様が、教えてくれたんだ!!って思って・・・

    その時芦屋さんがくれたメッセージのように私もうすっかり回復して元気いっぱいにアメブロで昔のCURURUの時のように、またそれ以上に元気にブログで神様の事を伝えてます!

    姿を消した時は病から来る、恐れの気持が最悪の状態で・・・それから、ひっそりau oneブログでやってたのまではご存じだと思いますが、それもCURURUの時のようにブログ自体が閉鎖になり、それから、ここと同じJUGEMでひっそりとやってました。同じ時期位に、クリスチャンのSNSキャンドルズでも、やってました。今もそのままあります。キャンドルズはFOCEさんにも声をかけて彼もやっていましたが、ある日退会してしまいました。その後、神様にまた時を与えられてアメブロを始めました。もう半年になります。

    きっとあのときよりも私の信仰も成長したんじゃないかと思います。
    CURURUで一緒だった、一番のお友達、日本ライダーちゃんとはずっと繋がってて、彼は今アメブロを始めたのでまた楽しく交流してます。あと、テコンドーの岡本依子ちゃんとも交流はめっきり減ったけど、繋がりはきれていません。FOCEさんのフリーメールは知っているのですが、キャンドルズから姿を消してしまったので、アメブロを教えるのはまだ躊躇しています。

    JUGEMでも部屋はありますが、今は活動していません。
    アメブロに一度遊びにきてくださったらすごくうれしいです!!外部コメント受け付けてますので、ぜひ、コメントでも入れに来て下さい!!

    アメブロに来て下されば、サイドバーのブックマークから、JUGEMのおしゃべり子羊☆にも飛べますし、ツイッターもやってるので、やはりサイドバーから飛べます。

    アメブロ おしゃべり子羊☆ さと☆ひつじ
    http://ameblo.jp/godislove1416/

    JUGEM おしゃべり子羊☆ さと☆ひつじ
    http://hanna77.jugem.jp/


    何かありましたら連絡ください☆
    godislove.1416@gmail.com

    また交流できるのを楽しみにしています!
    HKさま コメントありがとうございました。

    まず、お子様のことについて。良かったですね。青年期は、疾風怒濤の時期ともいわれることが多く、何より本人が有り余るエネルギーと思いと、混乱とを一番もてあましており、親はそれのそばに立っていてやることしかできないのが、何より残念ですし、気ばかり焦ってしまうのは、同様でございます。ただ、それを含め、楽しい思い出になると思います。今は、たとえ、そうは思えなくても。

    書きなぐりをお読みいただいて、なによりです。良いお題に出会えたのも、HKさまやひかるさま、はちこさんや小嶋先生ともつながることができましたのも、神の関与があったものと思っております。

    コメントが続くのは、ありがたいことでございますし、自分自身の考えるネタを頂戴しているようで、何よりありがたい限りではあります。長い、ということにも少し配慮しないといけないかもしれませんが。

    町内会長されておられるとのこと、大変尊い働きだと存じます。地域と分断されて生きる、ということをこれまで日本のキリスト者は選択してきておりましたが、今後、キリスト者が日本社会とつながっていくためには、必ず必要な働きだと思います。ミーちゃんはーちゃんも、数年後には、その役割が回ってくるようなので、逃げずに対応しようかと思っております。HK様の地域へのアプローチ、大事だなぁ、と思います。ミーちゃんはーちゃんも見習わないと、と思っております。「伝道しなければ」という概念を捨てて、フランクに町の人々とお付き合いすること、というのは非常に大事かもしれません。実は一緒に何かをすること、というのは非常に大事だと思うんですね。何より、共通部分ができるので、それはなにより、大きな資源になります。そして、HK様は、地域にとっての資源となりますので、その面でも地域の方々とつながっていく、というのは、地域の方にとっても、HK様にとっても、大事なご活動と思います。神の守りと恵みがHK様と、地域の方々の上にあるよう、願っています。

    そうですね。ケセン語訳聖書の山浦さんの働きも、面白い働きですね。日本語で語られるより、それぞれの使いなれた日本語で語られた聖書訳のほうがストンと神のことばがこころに落ちる場合もありますし。その役割を果たすのが、教役者の役割か、と思いますが、なかなかこれまた難しいところもありましてね。ミーちゃんはーちゃんも頑張っていますけれども、なかなかうまくいかないことも少なくなってね。

    晴佐久さんの本、良かったとのこと、なによりです。マリア崇敬のところや儀式的な部分を除けば、福音のコアの部分では一致できるように思いました。分家筋に当たるプロテスタントが、いくら正統といっても、少し???のところはありますが、基本のところでは、キリストの体であることを感じております。

    コメントありがとうございました。娘さんの回復、ミーちゃんはーちゃんは何よりうれしいです。Caledoniaさんの件といい、HK様の娘さんの件も、何よりうれしい限りです。

    今後ともお付き合いいただければ、幸甚でございます。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.02.13 Monday 19:40
    最初に引用なさっている概念に関する記述の“その影響の大きさにもかかわらず、個人の意識に上ることはめったにありません。したがって、ほとんどの人にとって、どの概念がどのように自分の生活を支配しているのかを知るのは、非常に困難です。”というのはフーコーの「知識」とディスコースに対する姿勢に非常に良く似ているように思われます。

    この人はポストモダン的な哲学の影響を受けている人なのでしょうか。
    • クリスチャンの素朴な疑問ですが
    • 2012.02.18 Saturday 07:01
    さとさん、おはよーございます。

    大変だったんですね。そうじゃないかなぁ、と思っていましたが。Cururuの閉鎖直前の状況、大丈夫かなぁ、と思って見ていましたが、そういうことでしたか。公開していいということでしたので、公開しましたが、迷惑メール嵐のことく、にならないか、心配しています。

    何人かのクルル仲間とのおつながり、いまだにあるんですね。さすが、面倒見のいい、さとさんならではですね。私も、このブログに移ってから、かなりになりますが、このブログを介して、いろんな方とお知り合いになり、直接お伺いしてお話を聞いたり、おねだりをしたり(松っちゃんさん、かたじけない)、いろんな冒険の世界が広がっていて、楽しいです。まぁ、所属教会の長老からは、止めさせるよう一時期圧力がかかったことがありましたけど、楽しく、キリストの体としてつながれる人とはつながっています。Cururuのころのおつながりは、リハビリコアラさんのブログ、くらいでしょうかねぇ。

    ときどき、そちらのブログも最近拝見するようになりました。琴線に触れることがありましたら、またコメントさせていただきます。今後ともよろしく。

    しかし、ご主人とGoogleさんに感謝ですね。

    それでは。ではでは。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい AKA 芦屋めぐみ
    • 2012.02.18 Saturday 07:55
    クリスチャンの素朴な疑問ですが さんおはようございます。

    コメント、ありがとうございました。
    こちらは、現地時間が朝の8時でございます。

    > フーコーの「知識」とディスコースに対する姿勢に非常に
    > 良く似ているように思われます。

    そうですね。私は、フーコーは全く勉強してないんでわかりませんが、ハーバマスをかじった(ドイツ語が読めないので、日本語訳を苦心惨憺しながら読んだ)感じからすると、基本ハーバマスの言う意味でのディスコースというのか、相対化というのか、理性における対話、というニュアンスの強い人であるのだと思います。

    一応、著者の略歴を本のカバーから転載しておきますね。

    Dallas Willard 南カリフォルニア大学の哲学科教授、全学部長。米国の代表的なキリスト教霊性神学者の一人。The Divine Conspiracy(ゴールドメダリオン受賞), The Spirit of the Disciplines, Hearing God(いずれも邦訳未刊)

    > この人はポストモダン的な哲学の影響を受けている人な
    > のでしょうか。

    影響を受けているというよりは、それと取り組んでいるのではないかと思います。なんせ哲学学部の先生ですから。USCなんでねぇ。リベラルな学風のはずですし。カリフォルニア自体が、ワシントン州ほどリベラルではないとはいえ、リベラルですし、他民族主義的ですし、映画Crash(サンドラ・ブロックが差別主義者を演じていたので、ちーとびっくり)の土壌ですから、基本、ポストモダンの思想に取り組んでおられると思いますよ。少なくとも、この本を読む限り、非常に柔軟な思索をされる方だ、という印象をもっています。

    すみません。直接面識ありませんし、日本語で読める本は、この本だけなので。それ以上のことは、Dallas Willardでググっていただいて、ご自身で、ご判断をいただけますでしょうか。

    すみません。中途半端なレスポンスになっていて。かたじけないです。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.02.18 Saturday 08:12
     此処へ続けようと思っていましたら・・・不思議と色々な障害が起き始めまして・・・・その上いざ考え始めますと、唯名論や唯心論(東洋にもありますが、スコラの考え方は緻密で美しいです)から初めて結局のところ認識論までの定義付けが殆ど。文字数が多い割に面白くも何ともないの。で趣向を変えて次のご本を紹介させていただきます。

     少し話題になりましたので、既にお読みになっているかも知れませんが・・・

    ISBN978-4-06-287948-4 C0210 ¥740E
    理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性
    高橋昌一郎 講談社現代新書
    ISBN978-4-06-288048-0 C0210 ¥760E
    知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性
    高橋昌一郎 講談社現代新書

     マア、ハイゼンベルクに関してはゴミ箱行きですが・・・現時点では論旨として大きな変更を加える必要はないでしょう。

     この辺りも、不確定と確率に対する認識の差は説明しがたいギャップがありますが。
    • ひかる
    • 2012.02.24 Friday 02:58
    ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかいでございます。昨日は、英語にもなった某一次産業関連の団体(答えをいっとるがな)で講演するついでに、ほぼ一日拘束され、終わってからも懇親会に付き合わされたので、お返事遅くなりました。

    高橋さんの本は、読んだことはなかったです。ご教示、ありがとうございました。手出ししてみたいと思います。

    ご教示、ありがとうございました。

    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.02.25 Saturday 06:20
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