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2012.02.15 Wednesday

先月読んだ本 (続)

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     このブログの以前の記事にコメントくださった、Pen子さんから、「いいよぉ」と紹介された本である。 ご紹介いただいたPhil DownerさんのA Father's Reward -Raising your children to walk in the truth-という本を米国アマゾン経由(中古のみ入手可)で入手して読んでみたのだけれども、ご主張はごもっともだったのだけれども、この著者の主張がどこまで日本で妥当性を持つのか、特に現代の日本で父親である立場にある壮年層と呼ばれる人々に訴求力と、実行力があるのか、ということを少し考えた。

    今月読んだ本の一部

     この本自体のご主張は、比較的明快だとおもいました。そのため、同じような主張が繰り返されるので、後半読むのが、かなり面倒になりましたが、とりあえずは読みました。

     非常に単純化(危険なので、かなりのディテイルを落としていることをお含みおきください)していうと、現代アメリカ社会の中において、大量消費社会とマスメディアやインターネットを介して提供されるその情報により、神を知る機会そのものが妨げられており、その結果子供たちが権威や聖書の権威、本来アメリカ社会がもっていたような社会の一員としての教示というのか信仰と密接に結びついたライフスタイルの家庭における復権をするために、「お父さん、家庭に戻り、子育てを一緒にしませんか」という本である。

     この本の著者は、どこでどうたどればいいのかはわからないが、ジョナサン・エドワーズという火を噴くような説教だったといわれるような18世紀の説教者の子孫のお一人らしい。このあたり、アメリカでは、歴史的伝統が薄い分だけ、このあたりの出自へのこだわりなどは、英国人と付き合ったときよりも、アメリカ人のほうが強いかなぁ、というのを思い出した。

     著者のDownerさんは、基本若いころにはノンクリスチャンの元米国海兵隊(ここは、忠誠の順序が、海兵隊、その次に神というところもあるらしい。詳しくは、ア・フュー・グッドメンという映画参照・ジャック・ニコルソンの怪物振りが・・・)隊員であったが、あるときに改心をした改心経験を持つクリスチャン(Born-Again Christian)であり、海兵隊を退役した後、弁護士(日本ほど、高給取りではあるが、基本成功報酬なので、その能力により、給与はピンからキリまで)になられた方のようである。ちなみにアメリカでは、軍役につくと、授業料がただになる場合がある制度がある(完全に余談)。

     要するに、著者の主張と聖書の主張を重ね合わせるなら、イエスが当時のイスラエル人に対して思った思いとよく似ているのだろうと思った。「群集が飼うもののないような羊のようであったので、・・・・」(マタイ9章)つまり、「(子供たちが、家庭で)飼うもののないような羊のようであるので、・・・・」という思いから、この本を書いたのだろうと思った。それはそれで尊い思いであると思う。

     しかし、この本を読みながら、どこまでこの本の内容が、日本の壮年層のサラリーマンに訴求力があるか、ということを考えた。

     ご主張は、よくわかります。家庭のことや子育ては奥さんにまかせっきりで、働くことにキュウキュウしたたら、子育てはできないし、世間様がそうするから、というので、世間並み(ディズニーランドでの大勢の友人を招いての豪華な誕生パーティや、ゲーセンとレストランの合体したチャッキー・チーズでの誕生パーティ、他人の持っているからという理由でボンボン子供にニンテンドー(もはや英語になっている)やユーギオーカード(これも、アメリカ人の子持ちには通じる)やポキモンカード(これもアメリカ人の子持ちには通じる)を買い与えることなどをすること、それは子育てといえるのか?と、幸せがおカネで買えるワケと同じ構造を批判しておられる。

     それよりも、子供と一緒にホームセンターにいって一緒に工具や部品の買い物してみたり、牧場で動物の世話してみたり、自然環境の中で、ロープなんかを使ったターザンごっこをしてみたりなんかの方がよいのではないか、そして、きちんとした信頼関係を構築し、そのうえで神とともに生きる生き方を父親として見せたらどうか、というのが、おおむねのご主張である。

     うーん、ここまでアメリカンなライフスタイルを実現するのは、日本では無理、と思った。だいたい、日本では、野外の自然環境と取っ組み合う環境に到達にすることが難しい。東海岸では暮らしたことがないので、よくわからないが、ロサンゼルスでも、休日で方向さえ間違わなければ、車で20分ほど走れば、State ParkやNational Forestにたどり着ける。そういえば、マンハッタン島にも、セントラルパークという野性味がある程度現存する森が都市の真ん中にある(そこでは、Law and OrderのSUVで犯罪行為が起こったとされる舞台となることも少なくない)。State ParkやNational Forestには、バーベキュー場やキャンピングカーで止まれるキャンプサイトなどがあるのが当たり前である。この本の著者Downerさんは、コロラドかどこかにお住まいだったことが長いようなので、コロラドなら、もっと手近いところにあるのは当たり前のような気がする。

     これにくらべ、日本では、手付かずの自然といってよいものが、そもそもほとんどない上に、その自然までが遠すぎる。電車に乗って2時間ほどかかるのが普通ではなかろうか。行ったところで、ここでつりをするな、ここでボールで遊ぶな、ここでバーベキューするな、木に登るな、池に入るな、自転車に乗るな、と禁止事項だらけであり、まるで美術品か珍奇な生物(パンダ)のようなものを眺めに来ているのかのような行動を求められていて、自然環境に触れるためにきているのか、何をしに来たのかわからなくなることのほうが多い。

     日本において、自然に触れるとは、自然の横を通過しながら美術品のように眺めることなのかもしれない。のびた君などのアニメの世界には、比較的大きなコンクリート製下水管がある空き地があるが、日本の都会には、自由に子供が立ち入れるような空き地はほとんどない。大体、国有林自体も割と少ないし、民有林で自由な活動することは不法侵入になってしまう。そんな状況の中で、自然に取っ組み合いするようにして触れる、というのは、かなり厳しい。

     その上、日本人男性(ミーちゃんはーちゃんを含む)の大半は、金槌やのこぎりを握って木工をするのは、中学校の技術の時間以降0回という人のほうが多いと思うし、ロープを使っての作業なんかは、運送業界とか農林水産業界の現場にかかわる人でなければ、したことない人のほうが多いだろう。そんな男性が、何のノウハウもなく、自然と取っ組み合いをするというのは、土台無理なのではないか、と思う。

     その意味で、日本の壮年男性の大半は、今の大河ドラマではないが、「殿上人」におなりになってしまい、地下人(じげにん)経験のある壮年層はそもそも限られるのである。UgoUgo君の嫌いな団塊の世代は、まだいい。中学校くらいまでは、実家での農林水産業関連の作業を手伝っていたり、家業を手伝っていたからである。その「残り」くらいはお持ちの場合がある。

     一人で一部隊相当や、ワンマン陸軍ともともいわれる海兵隊員(簡単な応急手術まで自分でやる。ランボーみたいな人たち)とまでは行かなくても、ある程度のライフスキルがある人々はよいが、今の50代以下は、サラリーマン化し、分業がすすんだ社会で過ごしているので、サバイバルスキルというのか、ライフスキルがそもそも存在しない方が多いように思う。そのライフスキルをアウトソース(自分たちで処理せず、他人任せにする方法)したのが都会での生活である。だから、災害が起きるとパニックになる。都会人には、ライフスキルがないから。ロープを渡されても、創造的な使い道すら思いつかない人たちである。この前、シンプソンズを見ていたら、冒険野郎マクガイバーのパロディ(声の出演はマクガイバー役していた本人だったと思う)をしていた。当然、日用品で奇跡の脱出を不思議にやってのけるむちゃくちゃな設定を皮肉りながら、ではあったが。アメリカ人は、この手の日用品の目的外利用というか創造的利用するお話が大好きな国民でもある。

     さて、日本に戻そう。江戸時代は、人口の10%以下であった殿上人(武士階級)ですら、一定のサバイバルスキルがあった。なぜなら、武士階級だって、基本農民上がり(新田さんなんかは、新田開発業者)であり、実際に俸禄で食えない武士は、自宅で農作業や近所での漁業を強いられた。現代の日本社会では、ボーイスカウトなどの集団やこの種の職業訓練を受けていない限り、生活の中で、サバイバルスキルと直結している人口層が非常に薄くなっている。

     日本の人口の80%強は、都市住民であり、ドライバーを片手に何か自分でするよりは、電話のボタンを押して業者を呼ぶ人たち(よしずみさんがタウンページのCMで推奨中)が増えているのが実際ではなかろうか。そもそも、Downerさんのお持ちのようなノウハウ(家庭内の小工作のノウハウすら)を持ち得ない人たちが大半であるのではないか、と思ったのである。

     あと、もう一つ思ったのは、日本の小学生は、塾やピアノ・サッカーや少年野球でお忙しい。そもそも、家にいる時間は、子供とお父さんとがいい勝負ではなかろうか。中学生になると、そもそも、家庭の行事より優先する「クラブ(関西では、ラの音に強調があるイントネーションになる)」と称されることの多い、実質強制参加型の課外活動が待っている。家庭の都合をクラブの都合に合わせるのが当然という雰囲気がある。それがいやで、クラブに参加しなければ、一部の学友から白い目で見られることも覚悟せねばならないし、学校の一部の教師は、若干普通でない子供と言う扱いをする場合もないともいえないようである。となると、子供と親が一緒に何かをする時間というのは、一般に想定される平均的なサラリーマン家庭(そもそも、すべてのことに平均である人は存在しないゆえに、平均的な人物というのは、どこにも存在しない)には、絶望的に少ないように思う。

     企業によっては、ノー残業デーがあるところがあるが、ノー残業デーが残業デーの残業時間の一層の長時間化につながり、サービス残業が増えていく実体もないわけではない。そもそも、ノー残業デーという発想がおかしい。そもそも、残業しないと仕事が回らない、というのは、どこかがおかしい(労働力の可少投入が原因か?)のかもしれない。まさしく、帝国陸軍の員数主義(人員や資源があるつもりで後は現場が何とかしてね)の再現かもしれない。たとえば、ノー残業デーで家に帰ったとしても、奥さんが残業してたり、子供が塾に行っていたとすれば、ほとんど意味がない。

     こういう状況を考えると、確かにこの本のご主張は正しいけれども、どこまで、この本の中身を日本に紹介する意味があるのか、ということを考え込んでしまった。現状の日本社会を基点として、日本社会におけるキリスト者家庭を考えるのなら、親子で参加するような日曜学校(親が教会学校の教職するのは、基本NGだとおもうが)などからはじめるのがいいのかなぁ、と思った。ただ、教会学校の教職している側、した側からすると、親付きの日曜学校は、しんどい。無言の圧力を感じるので。キリスト者家庭の実際を考えると、子供を早めに起床させ、朝ごはんだけでも一緒に食べるところからはじめるしかないのかもしれない。

     ちなみに以下の本には、ジョナサン・エドワーズのことがある程度触れられている。個人的には、森本あんり先生のアメリカ・キリスト教史がおすすめ。




     
    評価:
    森本 あんり
    新教出版社
    ¥ 1,785
    (2006-05)
    コメント:アメリカの宗教思想史のわかりやすい入門書。全体をカバーしているという点では、非常にコンパクトでありながら親切な本。アメリカ人とアメリカ社会の中に潜む宗教観との関係を解き明かしてくれる本。合衆国憲法の政教分離(国教会を持たない)などについても解説がある。

    コメント
    >野外の自然環境と取っ組み合う環境に到達にすることが難しい

     考え方です。確かに完全な原始状態は難しいですが、二次林か極相林かなどはそれほどの問題ではありません。重要なことは、在る期間の一定行動を独立して行えるかなんです。この国の人はそこが一番弱い。つまり後方が弱いんです。別のいい方をすれば輜重、兵料なんていい方も在ります。
     その中でどの程度の生活の質を維持するか・・・搬送重量が天と地ほど変ります。真冬の房総半島で寒い思いを一切しないで三日過ごすとすると、おそらく一人で持つ限度、40kgぐらいの重量になるでしょう。おそらくその重量を抱えると半島横断も難しいでしょう。震えるぐらい我慢するなら10kg弱まで減らせます。それなら場合によっては半島縦断すら考えられます。

     次の問題は、親の見栄と廻りからの圧力を何処まで無視できるかです。中途半端なクラブや習い事は一切させない。廻りからの苦情や忠告は一切聞き流す。怪我しようが、不虞になろうが、果ては死んでも納得する。そのくらいの気構えがなければなにもできません。結果、いわゆる小中学校の時代は子供らしい子供として育てる。(知人曰く、さすがにあんたの子供、今時まだ居るんだ)
    • ひかる
    • 2012.02.24 Friday 03:39
    ひかるさま

    コメントありがとうございました。確かに、日本の原始林は絶滅危惧種というか絶滅種なのですが、関東では里山(茨城では、林でしかありませんがヤマと呼んでました)のアクセスが良いようですが、関西ではわりと限られます。あっても無粋なフェンスで囲まれていたり…。

    確かに、日本人は、ロジスティクスは極端に弱いです。順序立てて準備をしていくロジスティクスに対する根本的な概念がないので、使用順序を考えて準備していく発想は極めて限られるように思います。とりあえず、出たとこ勝負の人達が多くてね。逆算する発想というんですかね、そういうものが少ないですね。学生さん見てると、困ります。

    > 親の見栄と廻りからの圧力を何処まで無視できるかです。
    > 中途半端なクラブや習い事は一切させない。廻りからの
    > 苦情や忠告は一切聞き流す。怪我しようが、不虞になろ
    > うが、果ては死んでも納得する。そのくらいの気構えが
    > なければなにもできません。結果、いわゆる小中学校の
    > 時代は子供らしい子供として育てる。

    うちの教育ポリシーとほぼおんなじですね。うちは田舎にある社宅だったんで、小学生時代は保安林の中に入って、探検したり、基地作ったりして遊んでおりましたので、体中虫さされの跡だらけ、歯は欠け(一本は完全に折れた)でございますが、幸せな子ども時代を過ごしていたようです。最近、高校生になった子供たちが、その保安林に遊びに行った(高校生でよく行くよなー、とは思いましたが)そこがあまりに狭く小さいので驚いておりました。彼らにとって、昔は異様に広い場所だったようです。ま、まともに塾に行って、知識の断片を詰め込むタイプの勉強はほとんどさせません(高校で、某T進ハイスクールの無料講習に行っただけ)でしたが、高校でも何とかなっているようなので、そんなに間違っていないのかなぁ、とも思っています。

    あ、ご本人特定の情報の方もどうも。あれ、消しときましたんで。どうも本当にほとんど同業者の方だったようですね。なんとなく書かれていることからは、同業者の方だろうなぁ、と思っておりましたが。某陸軍参謀局間諜隊の後継組織で提示していたリストを見ていると、会ったことがある人が3人くらいいたりして。

    お元気で、ご活躍をされますように。よい週末と主日を。ではでは。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.02.25 Saturday 06:46
     (ー'`ー;)う〜ん・・・・確かに私が関西にいた頃とはだいぶ異なるんでしょうが・・・・それは関東でも殆ど同じ事で、探し方と使い方次第かと。松茸山の関係があるので、フェンスのことは致し方なきにしもあらずといいますか、別に赤松など必要ないですから・・・

     別記情報誤解された部分があるようですが、私の周辺での情報です。使用者としてだいぶ重なっていることはあるのですが、俗界と共同体といいますか、オフ会の扱いといいますか、何処まで供用させて良いかは論議のあってしかるべき部分です。
     今回は地図界ばかりでなく、影響が大きいと感じましたので広く関係者以外の方にも現状報告をお伝えする意味があると思いまして記載しました。(決まってしまってから知ったのでは意味がありません。意見の言える内に言うべきことは発言しておきませんと行けません)
    • ひかる
    • 2012.02.26 Sunday 23:04
    関西でも、住んでいるのが、都市の近くからかもしれません。中国山地近くまで行くと、大分違うんですが。まぁ、猪名川あたりも、住宅地を超えるとね。違うんですが。今は、シカよけ、イノシシよけのフェンスがかなり出回ってます。時期に行くと、猟銃で撃たれそうな雰囲気もあります。

     仕事関係では、大分使い方が異なるのは、そうだと思いますね。私の方は、対象をいじるためのシステム周りをいじったり、プログラム書いてることの方が多いですから。ただ、まぁ、知り合いが同じリストにおられたことも確かですし。彼らに云々はしませんし、海上保安庁の方や市役所の方とも、そこまでの付き合いはないので。

     以前の学経よんではい終わり、最近のパブコメすましてはい終わり、というのも、どうかと思います。ご発言と、リンク先のご教示、ありがとうございました。ときどき、拝見させていただきます。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2012.02.27 Monday 20:50
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