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2011.11.23 Wednesday

賛美歌の強さ

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     最近、ある機会で、お会いする機会のあった遠方にお住まいの闘病中の信者さんに楽器演奏のみによる賛美歌のCDをお贈りした。お受け取りになる前は、かなり精神的にもお疲れのようであったらしいが、それを聞いたら、気分が大分、良くなられたそうである。賛美歌というのは、そういう効果もあるのか、と改めて感心した次第。

    しかし、日本でこの種のCDを探したのだけれども、なかなか良いものがなく、結局米国Amazonからの直輸入となった。結構、需要があると思うのだが、米国や英国でも、いいなぁ、と思っていたCDがすでに販売中止だったり、この種のものはあるときに買っておかないと、ということのよう。まるで、陶芸作品を買うときみたい。

     私の家族の関係者が、いま、ボランティアとして始めたキリスト教系の老人施設への慰問の中で、賛美歌を歌ったりしているときに、たまたま「主我を愛す(Jesus loves me)」を訪問している一団と一緒に歌ったことがあったようです。すると、そこに入所していて、聖書にもほとんど関心を示さないご老人が、突然「主我を愛す(Jesus loves me)」の京都方言バージョンの「エッさん(イエス様)うちを愛さはる」を歌いだした、ということを聞いた。どうもその高齢の方は、依然、京都の街角で伝道していたグループの教会学校に行っていて、そこで覚えた歌が数十年の年月を経て、よみがえったということだそうです。(河辺貞吉のリバイバル運動の関係者かもしれないと、その話を聞きながら思ったのであるけれども。)その事に直面した家族の関係者は、伝道というのは、話をするだけではないのだなぁ、と思うと同時に、一生懸命そこで牧師さんなどがお話しても、残るものは、聖書への関心ではなく、「エッさんうちを愛さはる」だけなんだなぁ、という感想を持った。

     その意味で、讃美歌と讃美歌に乗せる歌詞、ということは意外と重要なのかもしれない、と思ってしまった。長年の星霜に耐えるだけの歌詞と曲を持った讃美歌が、望ましいなぁ、と思った。

     この話を聞きながら、伝道という行為の意味と難しさ、何を人々に残していくべきか、ということをもう一度昨年のマクグラスの講演を思い出しながら、一瞬の消耗品として消えていくかもしれない聖書からの話をしている、語り手として考えている。
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