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2010.07.18 Sunday

ナアマンについて

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     ナアマンのお話しに移る前に、まず、聖書

    を読んでいただきたいと思います。旧約聖書

    の中の、第2列王記5章1-19節です。

     まず、ナアマンの背景について、簡単に触

    れたいと思います。まず、ナアマンの出身国

    のアラムについて、考えてみましょう。この

    アラムという国は、イスラエルへの侵略の意

    図のあった国でイスラエル王国(北王国)の北

    東にあり、今のシリアあたりからイスラエル

    (北王国)を侵略していた国です。侵略といっ

    ても、拉致事件が多発したり、農作物を荒ら

    したり、収奪するというようなことですが。

    実は、中東における奴隷売買や拉致は、身代

    金目当てで行われ、身代金が払えないとき、

    代わりに奴隷として売り飛ばす、ということ

    が行われたようです。その意味で、アラムは

    国家的ビジネスとして、人身売買をやってい

    たと言えるかもしれません。ところで、いま

    だに誘拐(身代金目的)はビジネスとして行わ

    れています。それがシチリアで行われている

    ことは、塩野七海さんのエッセーに書かれて

    います(たぶん、男たちへ、だったと思う)。
     
     アラムは、メソポタミアから地中海やエジ

    プトへ抜ける通商路を支配した国家でして、

    この地で話されていた言葉であるアラム語は

    当時の陸上交通路での国際取引言語であった

    と考えられます。海の上の国際取引言語が

    ギリシア語であるように。今の英語みたいな

    言語です。おそらく、イエスが日常的にしゃ

    べったと理解されている言語も、このアラム

    語と考えられています。旧約にも、一部のア

    ラム表現が収録されています。(エズラの一

    部、ダニエルの一部、エレミアの一部)

     また、エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ

    (マルコ15章34節)という表現はアラム語と

    考えるのが妥当でしょう。
     
     ところで、ナアマンは、アラムの優秀な軍

    事的指導者(II列王5:1)といえます。今

    でいえば、参謀本部長か国防長官(主席大臣ク

    ラス)です。しかし、ツァラアト(ハンセン氏病 皮膚病)

    患者でもあったようで、この病気での悩みも

    抱えていたようです。

     ナアマンの妻のところの拉致してきたイス

    ラエル娘(奴隷)から、サマリアにいる預言者

    であるエリシャの話(II列王5:2-4)を聞

    きます。
     
     サマリアとは、残留ユダヤ人と現地住民と

    の混血が始まる前のサマリアでありまして、

    とはいえ、多少の混血はあったと思われます

    が、もともとマナセ族とイッサカル族の居住

    地でありました。このサマリアにエリシャ

    (II列王5:3)がいたわけであります。

     ナアマンは、イスラエル王のところに行き、

    アラム王からの手紙(親書)を持参して訪問

    (II列王5:5-7)いたします。このような

    親書を持参するということは、正式な外交団

    のスタイルでありまして、かなり公式な訪問

    となります。特に、軍の司令官であるナアマ

    ンが親書を持って訪問するということは、国

    交断絶や宣戦布告の場合もあるわけです。

      だから、イスラエル王(ヨラム・ベン・アハ

    ブ)は困ってしまうわけです(II列王5:7)。

    アラム王がナアマンの件で、イスラエル王に

    言いがかりをつけて、対イスラエル戦争を起

    こすつもりだろう、と思い込んだのも無理の

    ないことです。特に、ナアマンが戦車できて

    いる事に注目(II列王5:9)しましょう。

     地政学的にイスラエル王国を見た場合、他

    国の軍隊から攻められやすい位置にあり、北

    方の強国と2つの前線で隣接しており、2面作

    戦を強いられる上に、防御線や防御面になる

    山脈、大河、砂漠などいわゆる軍事的干渉帯

    がすくない地域でもあります。その面で、非

    常に厳しい環境に置かれていたのがイスラエ

    ル王国です。

     ナアマンの来訪に対し、イスラエル王が、

    敗北宣言(服を引き裂く:奴隷としての立場、

    敗者としての立場であることを示す中東の

    文化的表現)したことにエリシャは反応して

    います(II列王5:8)。
     
     そして、エリシャは、ナアマンを呼びつけ

    ているのですが、これは、ある面で、失礼な

    態度ではあります(古代中東の文化から考えた

    とき、国交断絶の可能性もある態度と言える

    でしょう)。そして、呼びつけておいて、使

    者による伝言だけをしています(II列王5:

    10)。

     この使者はゲハジではない可能性がありま

    す。無名の使者ですから、相当身分が低い可

    能性もあります。したがってナアマンが馬鹿

    にされたと感じたとしても無理はない、とわ

    たくしは思います。
     
     このような状況で、エリシャがナアマンに

    いったことは、ただ、ヨルダン川にいって、

    身を洗えということです。もちろん、ここに

    バプティスマとの関係性を見出すことも可能

    ではあります。ただ、このような習慣は、

    中東に見られた伝統的身体行為としての水浴

    しろ、とナアマンに理解された可能性もあり

    ます。
     
     エリシャは、ナアマンにきよくなります、

    といっていますが、もともとのヘブル語は、

    タァヘーァということばで、この語には、

    「病気からきよくなる」・「罪の問題が解

    決がつく」という両義性を持った言葉でも

    あります。これは、ヘブル語の持つ両義性

    であり、当時のユダヤ人たちが、それらに

    ついて、同じことばを二つの意味合いで使

    っていたことであり、それゆえ、病気の改

    善と罪の問題は、相互に関係があるものと

    捉えられていたことが分かりますし、だか

    らこそ、イエスが、病気を治したときに、

    誰が罪を許す権威をもつのか、と律法学者

    が批判したことにつながっていきます。

     さて、この部分の表現を見ると、ナアマ

    ンは、エリシャが何らかの直接的な行為を

    ナアマンに対してなし、彼と直接の関係性

    を持つことを希望した (II列王5:11)

    のですが、それは実現されず、伝言だけが

    ナアマンに残されたのです。また、ナアマ

    ンにしてみれば、泥まみれのヨルダン川で

    すから、こんなことで、清くなるはずがな

    い、と怒り心頭に達したようです。
     
     このナアマンの怒りは、ナアマンの予想

    に反する2つのでき事に失意したためと思わ

    れます。一つは、エリシャによる 具体的な

    直接的な行動のなさであり、もうひとつは、

    ヨルダン川の汚さでもあります。

     人間の怒りは、想定が裏切られる事によ

    ってもおこるのではないでしょうか。もち

    ろん、人間が持つ予測が自分勝手な想定で

    あったとしても、期待がかなわないときに、

    人は怒りを覚えるようです。

     しかし、ナアマンは変心します

    (II列王5:13-14)。
     
     彼のしもべとなっていますが、ナアマン

    の地位からすれば、佐官級か、士官クラス

    と思われる随行員の一人の発言と考えるほ

    うが普通だと思います。この随員の諌言に

    よって変心します。「わが父よ」という

    呼びかけがありますが、これは、この地方

    の普通の関係性のようです。

     さて、ナアマンについてのイエスの直接

    の言及がルカ4:27にございます。エリシャ

    時代に唯一いやされたのが、非イスラエル

    人のナアマンだけ、という発言です。
     
     これは、異邦人における「きよめ」や神

    の民としての復帰、神の民を考える上での

    重要な示唆を与えます。新約聖書には、ナ

    アマンとの類似性のある事件として、マタ

    イ8章に現れる「百人隊長の信仰」がござい

    ます。この2つは、異邦人への癒しがあった

    こと、言葉にのみよったこと、奇跡として

    現れた神の力があったことが、非常に共通

    していると思えます。つまり、「ことば」

    に対する信頼とそれに対応する信仰による

    行為としてあらわれていることは、注目に

    値すると思います。

     ナアマンの言明「イスラエルのほかに、

    神はいない」は、神を礼拝する場所が、

    イスラエルである事を指し示すのでしょ

    うか?神の存在を認めた表現と考えるこ

    とができるようにも思えます。ただ、イ

    スラエルの神に贈り物をしようとするナ

    アマンの姿を見るとき、我々は、我々

    の方法で、神を礼拝しようとするという

    人間の姿をここに見ることができるので

    はないでしょうか。人間の弱さとも言え

    るでしょう。

      この行為に対するエリシャの答えがユ

    ニークだと、私は思います。エリシャは、

    「主は生きておられる」、「私は受け取

    らない」といっていますが、エリシャの

    意図は、信者でない来会者から何も受け

    取らない、ということを意図したのでは

    ない、と思うのです。そのような解釈は

    少し行きすぎのように思います。
     
     思うに、エリシャは、神の栄光と人の

    栄光を混乱させることを、避けようとし

    たのではないでしょうか?

     2010年夏号のMinistryの中に、牧会

    者と神の混乱について「あの方はここに

    おられません」という記事がありますし、

    皆さんご存じのところでは、京阪神の教

    会に消火器が投げ込まれた事件の当事者

    のことを思われるかもしれません。この

    方は、牧会者と神との関係がずれておら

    れたように見受けられます。

     エリシャの発言をさらにこまかくみて

    みると、エリシャは仕えている(ハァマァ

    ード)と表現しています。この語は、私が

    基礎としている、とか、私がその前に立

    っている、という意味を持つ語です。こ

    のことから、エリシャもキリスト者も、

    神の前に立つ人としての性質をもつ、と

    考えることもできましょう。

     この表現が、18節に示されたナアマン

    の疑問を生んだようにも思えます。ナア

    マンは、リモン神殿での彼の行動につい

    て、エリシャに問うています。

     リモン神殿で、立場上(アラムの将軍と

    しての役職上)身をかがめる事について

    問うていますが、かれに、礼拝の心がな

    いことを表明し、それが形式的なものと

    してのナアマンの行動であるといってい

    ます。
     
     このことは、実は意外と素朴で重要な

    疑問を生み出すといえます。キリスト者

    と戦前の宮城遥拝・内村鑑三の御真影礼

    拝事件の評価をどう考えるか、というこ

    とです。近時で言えば、学校行事におけ

    る君が代や日の丸への対応を考える際に、

    一つの参考とできることかもしれません。

     この問いに対するエリシャの応答は面

    白く、直接指示するのではなく、「安心

    していきなさい」といっています。

    この安心とは、シャロームであり、一般

    的なあいさつとも考えられますが、どう

    せよ、ともいっていないようです。それ

    は、その行為がどうであれ、神の前に生

    きる人が持つ平安(シャローム)のことに

    も思いをはせることができるのではない

    でしょうか。

     ナアマンの問は、非キリスト者の中で

    の異教との関係性を示しているのではな

    いでしょうか。もう少し他の人々ととも

    に生きる、という事、他の信仰にたいす

    る否定をしていない点、アラムの信仰を

    見下していない表現となっている事に少

    し注目してみてもよいのでは、ないでし

    ょうか。

     最後に、皆様にお願いしたい事を申し

    述べます。
     
     私は、今日は、いくつかの側面からナ

    アマンを取り上げ、考えてまいりました。

    これは解釈の可能性の一つにすぎません。

    皆さんはみなさんなりのナアマンの解釈

    があり得ると思います。ご自身で、ナア

    マンのことについて、エリシャの発言に

    ついて、思いめぐらせ、考えていただき

    たいとおもいます。それが、聖書を読む

    ということですし、聖書を通して、神と

    交わることだからです。ぜひ、時間を

    取って、ナアマンからお考えになられる

    よう、心からお勧め申し上げます。
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