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2010.07.02 Friday

産業社会の変遷とキリスト者の労働観 かなり長い突っ込み!

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     KGKの山崎総主事の「社会経験という名の偶像?」に端を発し、

    それが、のらくら者の日記の「「社会経験」は偶像か?」で展開

    され、さらに、のらくら者の日記ではティリッヒの議論を受けた

    形で「神の子たちの本能」で少し考察の幅が広げられ、また、

    社会経験という名の偶像?」を受けた形で、

    大都会の小さなマンションでの「クリスチャンの労働の意義」や

    この大都会の小さなマンションでの発言者の意見投稿をうけ、

    小さないのちを守る会のブログでの「自立=正社員」伝説崩壊?

    シリーズへとつながっているように思う。

    いかんいかん、リンクだらけだ。

    ------------------------------------------------------


    うーん、団塊世代のすこし後に生まれ、バブル時代の初めごろに、

    就職もせず、大学院という施設に自主入院し、バブル時代に入院した

    人が少なかったこともあり、そのすきを突く形で、就職してしまい、

    まともな労働ということとは関係なく、雲の上に住んでいて一応

    仕事のようなことをしている虚業の業界の人間が言うのも、なんだ

    けれども、実世界に社会人を送り出す側から企業社会をしばらく

    見てきた感覚から言うと、この30年であまりに、世の中が急に変

    ったよなぁ、と思う。

    1980年代後半のバブル期に就職した友人など、就職後数年で

    金融系では、年収1000万近い友人もいた。それを横目に見ながら、

    日本育英会の奨学金で細々と、月6万円ほどもらいながら、アルバ

    イトで食いつなぎつつも、大学という組織の中での入院生活を続け

    ていた。そして、そこから飛び出ることなく、大学という世捨て人の

    世界から、世の中の変わりようを見ることになった。

    変わったことは、といえば、採用した企業側も、就職する学生側も、

    就職する学生のそばにいる親族の側にも、そして、それらによって

    形成される社会という世間も変わったような気がする。

    まず、企業側の変化についてであるが、まずもって、終身雇用を

    崩してしまった。そして、技能者のノウハウの継承ができなく

    なってしまったことは大きい。今になって、必死になって、そ

    の継承を図ろうとしているが、すでに継承できなくなってしまっ

    た技能は多いと思うし、今から必死になって継承しようとしても

    間に合わない部分も大きい。教訓。ノウハウや知識の体系は人と

    共に墓場に行く。本で読めるのは、この断片だけ。


     この20年の間、実力主義というものが企業の現場だけでなく社会

    のあちこちに登場し、説明責任といういわゆる大義のもと、本当に測

    定可能かどうかはかなり怪しい観測可能な測定法で測定された実力が

    云々されてきた。それも、一方で雇用契約の関係上、終身雇用的な制

    度をある程度残したまま。

     そして、これは企業が企業である以上仕方がないのであるが、

    その存続のため、労働力の安価な海外へのアウトソーシング、

    海外での現地生産に大きく舵を切ってしまい、国内が空洞化

    していったことはこれまた事実である。ダウンサイジング・オブ・

    アメリカなどで指摘されたのと同じような状況が、日本国内でも

    10年ばかり遅れてやってきた感じがする。

    従来だと、人間関係でつながっていた企業とそれを送り出す側の

    学校との関係が、93年ごろを契機に急速に変わってきた。

    従来の関係を前提に、採用があったものが、能力主義、人物主義

    と言われ、その関係が薄くなった。これには、90年ごろの人手不

    足の時期に、一定の人材を送れなかった学校側の責任もあるが。

    学校との関係や、教員の関係(いわゆるコネ)での採用が困難に

    なり始めたのも、この時期から目立ち始める。

     97年に山一と拓銀(一応都市銀行の一角を占めていた)が破たんし

    た。それまで、だれでもいいから、といった雰囲気で採用していた

    銀行業界が人材の採用を絞り始める。この絡みで、他も軒並み

    採用を絞り始める。それまでも、厳しいなぁ、と思っていたけれども、

    これを機に一気に、採用が締まった感じがした。従来ならば、

    都銀上位行か、地銀上位行に決まっていたような人材が、信用金庫、

    信用組合ですら相手にされない時代になり始めた。

    一時、この採用を絞りすぎた反動から、2003年から2006年ごろまで、

    採用が急増し、あれ、もう、もどったのかな、と思っていたら、

    2007年ころから急転直下、学生の就職先が決まらない、という非常に

    まずい状況が生まれてきた。

    また、企業の中でも、いわゆるできる人とみなされている人たちが、

    会社を渡り歩いて給料を釣り上げる、ということやヘッドハンティ

    ング(首狩り族(古!)、という言葉を思い起こさせる、とんでも

    ない言葉だとは思うが)される人材になることが重要だ、自己啓発

    が重要だ、という雰囲気が出てきたのも、2000年ごろの時期で、

    2−3年で会社を渡り歩く人々が出てきたのも、2000年ころからの

    ような気がする。会うたび会うたび名詞の会社名が変わるので、

    知り合いに、今、どこの会社にお勤めですか、と聞くことが増えて

    きたのもこの時期である。

    これじゃ、人事も大変だろう、バブル期の大量採用、その後の

    採用の急減と、即戦力採用ということでの渡り鳥のような社員の

    増加、その後の現場からの突き上げでの大量採用開始、その後の

    不況対策としての採用抑制。頭の痛いことだと思う。

     このことの背景には、小泉・竹中構造改革路線という日本の

    保守党がするとは思えないような大どんでん返し、日本企業の

    国際化、国際市場でのプレゼンス、国際市場での資金調達の展開

    の問題、顧客志向の追求と市場の細分化、といったようないろい

    ろな問題が複雑に絡み合っているので、単純ではないし、それを

    解説する能力もその気もないが、結局、企業体質が大きく変わっ

    たことだけは肌感覚としてある。

     日本が、終身雇用制に過去から存在したか、というと、これは

    そうではない様に思う。大手企業で、終身雇用的な側面はあった

    とはいえ(ノウハウや技能の継承の側面から)、このような雇用

    構造は戦後の高度経済成長期だけの特殊な現象であるのでは、

    という疑問がある。そもそも、日本の企業数の面でも、労働人口の

    面でも大部分をしめる中小企業では、終身雇用はそれほど、厳密に

    存在しなかったと言えるのではないか、と思う。大企業は、それな

    りに余裕があり、それなりの社風があったので、終身雇用的な側面

    があったであろう。


    とはいえ、青少年白書の平成21年度版によれば、恐ろしい数字が出

    てきた。中学校卒業者の80%が3年以内に転職、高校卒業者の約50%

    が3年以内に転職、大学卒業者の30%以上が、3年以内に転職している

    事実である。より詳細に統計の意味を考える必要があるが、なるほどねぇ、

    と思う事実であった。




    ところで、自治体などの政府機関や教育現場では、身分保証はあるもの

    の、所得水準が低いまま抑えられてきた。公務員があこがれの職種にな

    るのは、せいぜい、70年以降のことではないかと思う。雑誌などの記事

    を検索したわけではないので、よくわからないが。

     以前は、公務員は借金できるほど信用力がなかった(これは事実)

    ので、地方公共団体では、職域の信用組合を作り、頼母子講よりは

    少しまともな形での金融システムを自前で構築しなければならない

    ほどであった。50年代とか60年代は、県職員といえども銀行は、金

    を貸そうとしなかったのである。大体、教員だって、昔は、でもしか

    先生という言葉があるくらい、見捨てられた仕事であったようである。

    給料は安く、労働条件が厳しい職場であったのである。だからこそ、

    聖職と呼ばれ、この職種に就く人は奇特な意識の人材、特殊な職業意

    識に燃えた人材か、ほかでは勤まらないような人材しか、職に対して

    応募がなかったようである。

     私の高校時代の日本史を教えてくれば恩師は、高度経済成長のころ、

    毎年給料が倍になった、という体験を授業中語った(日本史の授業で

    唯一覚えていることはこれだけ)が、なぜそれが可能であったか?それ

    ほど給料が安くなり手がいない不人気職場だったことが背景にある

    ようである。あまりに給料が安く、良い人材が集まらないので、給料

    を急速に増加させた結果、現在の給与水準になっているように思う。

     こんな状況をつらつら思いだしながら考えると、今の社会状況は、

    戦後の高度経済成長という特殊な環境下を通して形成された状況で

    あり、その反動と急速に国際競争力を意識し、その環境下で生き残

    ろうとする結果として、現在の非正規雇用の増加といった雇用環境

    が生み出されてしまったように思う。日銀のレポートのなかに、

    2000年ごろの日米労働市場を比較したレポートがあったが(やっぱ

    日銀調査局は、こんなこともしてるんだ、と思った)、この4ページ

    5ページには、日本での労働市場の固定制とアメリカでの労働市場の

    柔軟性が書かれていた。アメリカの柔軟な労働市場が形成された裏で、

    ダウンサイジング・オブ・アメリカに描かれたような悲惨な現状があ

    ったように思う。とはいえ、アメリカ自体、戦後かなりたっても週給

    制やレイオフ制度に見られるように柔軟な雇用のスタイルを維持した

    国であったように思う。まぁ、マッカーシズムなどの反共主義の

    影響もあるけれども。


     ところで、就職しようとする学生も学生の側で、従来見られなかった

    様なタイプの就職活動をする学生が生まれてきたのが、2000年

    前後からだと思う。業界では有名であっても、世間的に名前のあま

    り知られてない会社に就職したがらない学生が増え始めた。テレビの

    CMや日常使う大量生産品を生産している会社にしか、就職活動せ

    ず、結果として、就職できない学生が相当数に出始めた。かと思え

    ば、業界、業種、職種かまわず手当たりしだい就職活動をして、

    軒並み不合格をもらってくる学生が出始めた。それでも、教員の

    説得に乗って業界ではそこそこ有名な企業に受験しくれる学生は

    まだよく、説得に乗らない学生の対応に苦慮するようになってきた

    のも、このあたりからのように思う。

     就職活動をする学生と相談していて、この企業はいい企業だか

    ら、どうか、と勧めても、聞いたことのないような会社に就職す

    るのは、と本人も言いだすし、どうも本人の周辺の親兄弟も、そ

    う言っている印象を受け始めたのもこの時期である。いわゆる

    TVでCMを打っているようなだれもが知っているビッグネームの

    会社の子会社であれば行くが、部品や部材メーカーの超優良企業

    でも、学生が行きたがらなくなったのも2000年ごろからの傾向で

    ある。大抵、そういう学生は、8月や9月にあわてて就職し、

    ごく稀にうまく決まる学生もいるが、たいていの場合、難航する。

    就職時の考慮として、有名企業を希望する傾向は、景気の良しあ

    しに関係があまりない。そして、採用枠が少ないにもかかわ

    らず、大企業本体への就職を希望する傾向も。そして、大企業

    につとめても、つまらない、といっても理解されない傾向も。

    世の中で、3Kという言葉が生まれ、そのような職種が嫌われ始め、

    ガテン系という言葉が生まれたりしたのも、1990年代後半。

    いわゆるテレビドラマの影響で、ウェディングプランナーとか言

    うようなわけわからない職種が人気になり始めたのも、1990年ご

    ろからの傾向と思う。

    ホリエモンが成功者とみなされると、自己の才能はさておいて、

    いわゆるベンチャー企業を興そうとする学生が増え、それを

    社会システムとして後押しするような雰囲気も一時気はあったし、

    今でも一部は存在するとは言うものの、今は昔、竹取の翁・・・・、

    の世界になってしまった。

     もちろん、大企業そのものは、つぶれにくいし、それなりに安

    定していることも多いのであるが、近年、そうも言えなくなって

    きているにもかかわらず、世間一般に、非3K職種、大企業、有名

    企業の人気が依然として高い。

     虚業の業界人が何を言うか、とおしかりを受けるかもしれないが、

    それは甘んじて受けたいと思う。しかし、日本の企業社会に人材を

    送り込む側の虚業の側からみると、受け入れる企業の側も、そこに

    潜り込もうとする学生の側も、そしてそれを取り巻く家族というか

    親の側も、この20年程の間に相当変質したような気がする。

     その中で、現役で、非正規雇用、正規雇用にかかわらず働いている

    人々、働いているキリスト者は、どっち向いて走ったらいいのか、

    わからなくなっているし、わかりにくくなっている。現役で、実業の

    世界に働いている人ですら、キリスト者であっても、非キリスト者で

    あっても、どっち向いて走っていればいいのか分からなくなっている

    のだろうと思う。とにかく、それでもがき苦しんでいるのだと思う。

    それが、キリスト者にとって働くことの意味、というUgoUgoさんの

    問いかけになり、のらくら者の日記での

    この世で信仰の証しに奮闘する信徒の皆さんが、牧師の説教や牧会

    姿勢にどうも共感や連帯を感じないというもどかしさ、苛立ち、ひい

    ては具体的な言葉に表 せない「呻き」として発せられた表現

    となっているように思う。そして、製造現場などでも、従来であれば、

    8時5時の勤務体制であったものが、崩れ始めている。そういう意味で

    社会全体に余裕がなくなり、「呻き」を抱えるキリスト者が増え、

    それに牧師が対応できないのではないか、と思う。

     どっち向いて走ればいいのか分からないとき、とにかく安全そうに

    見えるほう、みんなが進んでいるほう、ということで、赤信号

    みんなで渡れば怖くない、をしている方も少なくないだろう。

    過去の社会システムの存在と成功経験にすがりつく人々もいてもしか

    たがないことなのかもしれない。

     小泉・竹中路線が華やかなりしころ、そして、社会人の自己啓発や

    企業での実力主義が盛んに言われ始めたころ、それが目指す社会が、

    週給制を前提とした、アメリカ型の不安定な雇用環境であることを

    明確に想定した人は少ないように思う。クリスチャンにとって、働

    くことは必要であるし、働くことに誇りを持つことは、大切だと

    思う。

    それが、非正規労働なのか、正規労働なのか、という問いは、それ

    ほど意味のある問いでなくなり始めている。これもまた、小泉・竹中

    改革路線の結果として、非正規労働でも正規労働でも同じ法制の

    もとにおかれ始めている。極端な場合、アルバイトでも、雇用保険

    に加入できるのが、現在の法制度である。もちろん、いろいろと正規

    雇用者と比べ、制約条件やら保障の観点で見劣りがするけれども。

    また、アルバイトでも労働組合に加盟することも可能である。この

    あたりの議論を抜きにして、個別(特殊)から普遍を引き出そうとする

    帰納法的な方法で議論を進めると、少しおかしいことになっているので

    はないか、そして、対比というのか聖書と現実の相似性、相対対応の関

    係の妥当性があるか、のというのが、「のらくら者の日記」ちょっと

    長いつぶやきでのご意見だと思います。これはそのとおりかな、と思い

    ますし、それを受けて、やんキー牧師さんは訂正されているようです。

    ただ、帰納法は帰納法として有効ではあるものの、演繹法にはない弱さ

    があり、個人的には、帰納か演繹か、ではなく、どっちも大事、

    と思うんですが。私?基本的にプログラマ出身なので、帰納法です。

     UgoUgo王子の思いは、高度経済成長に乗ってのーてんきに成長できた

    時代のおじさんたちの現状を良く知らないで発言する無神経な根拠のない

    言いたい放題に対する怨嗟であるのだろうと思います。高度経済成長期

    の尻馬のバブルに乗って棚ぼたで得た職業生活を続けている筆者のよう

    な発言にも。気をつけようと。

     キリスト者と労働に関して言うと、

     今はもう絶版かなぁ、ロイドジョンズの

    働 くことの意味―エペソ6・5-9講解 」(何と、中古で4000円?

    足元見られている)が良かったし、労働経済学者で、満州まで潜り込んで

    調査をした隅谷 三喜男さんの日本の信徒の「神学」 やそのほかの著作を

    読みながら議論できるといいのになぁ、と思う。

    しかし、今の時代を隅谷 三喜男さんが見てたら、なんというか、聞いてみ

    たいとふっと思う。むりだけど。隅谷 三喜男さんは「わが家」にお帰りに

    なっているので。


     ヤンキー牧師さんとUgoUgoコメント王子さまへ。

     「自立=正社員」伝説崩壊?」の記事、残しておいていただいてありがとう

    ございます。あまりめげないでね。もともとお笑いをテーマのお気楽なブログ

    として、ぜひとも続けてほしいです。お笑いネタ、もういちどしませんか?

     そもそも、「自立=正社員」という間違った理解をしているおじさんたちの

    問題設定や意識があまりに疎漏というのかステレオタイプな意識となっている

    のでは、というのがUgoUgoさんの立論というか疑問であって、多くの責任者

    が現実社会でおきている事実を正確に見ていないのでは、という批判だろうと

    思います。ただ、高度成長期に乗った段階時代のおじさんたちは、金の卵と呼

    ばれ、企業戦士になり、ランボー顔負けのバイタリティでまともにしゃべれな

    い英語をたどたどしくもつかいながら、タイの奥地だろうが、アフリカの奥地

    だろうが行って(業務命令でいかされて)仕事をしている人も少なくないので、

    そんな「金の卵」のおじさんたちにしてみると、上で示した、青少年白書

    平成21年度版の高卒の半分が3年以内に離職、という壮絶な自分の会社内の

    現実や現在の大学卒と称するに値しない大学卒業者の現状に耐えがたいだけで

    はないか、と思うんですね。このことは、大学卒業生というものを送り出して

    いる虚業人としては、大変反省していますけれども。

     どうでしょう。

    のらくら者の日記のHATTORI先生へ

     HATTORI先生のお書きになられたものに、個人的には非常に同意していま

    す。おそらく、現代の牧師に現在の社会人である信徒の「呻き」への共感がない。

    これが問題、というのはご指摘の通りかもしれません。とはいえ、このブログの

    宣教師の孤独」でもふれたように、宣教師とか、教役者が社会の現場から

    離れた瞬間に、時代や社会から切り離され、本人が持っている測定ツールと

    測定能力の化石化が始まる可能性は高いのではないか、というのが私の読み

    です。

     それを埋め合わせるのが、牧師の務めといえば牧師の務めでしょうが、それ

    ができる人もそう多くはない、と思うのです。そのあたりのことが、これからの

    日本社会での教会と牧会、教会論をどう考えていくのか、のキーになるとおもい

    ます。その意味で、ナウエンの「共感」の意味を考えています。

    HATTORI先生、いつもおもしろくインスパイアリングな記事ありがとう

    ございます。


    -------------------------------------------

    そうそう、あめんどうという出版社の一ファンとして皆様にご紹介。

    ナウエンのエッセーのエスプリとも言えるような、「わが家への道」があめんどう

    から出ています。これにも、現代における共感や平和の問題が取り上げられていま

    す。ご興味のある方はお早めに。そのあと、「傷ついた癒し人」や

    イエスの御名で」、「愛されているものの生活」などがお勧めでしょう。

     冒頭のリンクらだけの部分での百家争鳴状態は、私の思考の幅を広げるのには、

    大変役に立ちました。KGKの山崎さんHATTORIさん水谷さんUgoUgoコ

    メント王子
    、ありがとうございました。


    そして、かなり長い突っ込み(本当に長い)にお付き合いくださった、皆様。

    ありがとうございました。本当にありがとうございました。多謝。

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