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2008.02.12 Tuesday

神様と出会っていく瞬間に立ち会わせていただいた人々

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    神様とであった瞬間に立ち会わせていただいた人たちが、何人かいます。何の気なしに、福音をお話したり、教会でお話ししているとき、そして、その後、個人的にお話ししているときに、その経験をされた瞬間に立ち会った方が何人かおられます。真面目な信者でないので、数はそう多くはありませんが。


     


    いまの教会での話は、ちょっと生々しいので以前の教会で神様に出会う、という経験をした瞬間に立ち合わせていただいた方のお話をしたいと思います。


     


    その方が当時50歳代の後半だったでしょうか。木工職人さんでした。私は20代後半の若造でした。私の属していたブラザレンの教会では、講壇はすべての信徒に開放されている、というよりは、諸般の事情もあり、神戸という大都会でキリスト教の宣教が多く行われている場所ではありましたが、私のところは3人しか男性信徒がいないので、イヤでも話す機会が多いという教会だったので、毎週のようにお話していました。そこにひょっこり現れてきた、Yさんという方がおられました。最初はあまり熱心ではなく、時間つぶしで入ってこられた感じだったです。


     


    とはいえ、そのYさんが聖書を真面目に読むようになられ、2-3ヶ月たった頃でしょうか。一度食事にお招きし、お食事を一緒にする中で、イエス様の愛を感じられた瞬間、というのがあったように思います。特に泣き出したり、感極まったりされたわけではありませんが、ほっとした表情をされたのが印象的だったです。あー、たぶん、Yさん。神様とであったんだなぁ、よかったなぁ、と思いました。


     


    しかし、このYさん、ご自分のことはお話になりませんでしたのでよくわからないのですが、ご家庭があまり幸せでなかったのか、あるいはお母様と何かあったのか、母なるものへの思いがものすごく強い方で、マリア崇敬みたいなものが自分にはほしい、といっておられました。


     


    その頃は、ゴチゴチのプロテスタントの権化みたいな石頭君だったので、それは間違いだ、と思います。聖書からはそれは支持さないように思う、と言い放ってしまいました。それからしばらく、Yさんは教会に来てくださいましたが、やはり、マリア崇敬を大事にするカトリックのほうへ行ってしまわれたのか、私の集っていた教会には二度と来られなくなりました。


     


    今なら、時間をかけて、ゆっくりと進んだでしょうが、若気の至りで、Yさんの信仰の成長を待ちきれなかった自分の無謀さというのは思慮のなさを反省したりしています。


     


    コアラさんのブログを読んだり、Foceさんとのミニメールのやり取りをしながら、ふっとYさんのことを思い出してしまいました。Yさんがたとえ手を離そうとしても、それを離さないイエスの力強い手をYさんが今も感じておられるように祈りますし、そうだと確信しています。


     


    神とであった人間は、自ら神の手を振り解こうとするかもしれないけれども、神様はつかんでおられる、そのことを確信していたいし、そのためにおもいだしたときには、ふっと祈っています。


    コメント
    イエス様・・・私をつかんでいてくれてありがとう
    • さと☆ひつじ
    • 2008.03.01 Saturday 12:35
    本当にそうですね。私たちがどうつかんでるのかに関係なく、イエス様がつかんでくださっているのですよねぇ。 -----
    • 芦屋めぐみ
    • 2008.03.02 Sunday 19:06
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