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2018.12.31 Monday

説教随想 ホーム・アローン・ゴッド 

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    いつも参加させてもらっている教会での昨日の聖書個所は、イエスが12歳の時のエルサレムに行って、宮で祭司長と律法学者と話し込んでいる間にマリアとヨセフがイエスを神殿に置き去りにして、帰りかけた話のルカ2章41−52節からの部分でした。

     

    いろいろなクリスマス映画

    ちょうど、今はまだクリスマス習慣絶賛実施中です。多くのキリスト教界では、新年モード・迎春モードかもしれませんが、教会歴に沿ってしている教会では、まだクリスマスモードだということもあり、クリスマスシーズンの映画の話から、ということで、Home Aloneもクリスマス映画だよねぇ、という話になって、ある意味で、今日の福音書のルカ2章からの部分と、ホームアローンって、似ているよねぇ、というところから始まりました。

     

    Home Aloneの予告編

     

     

    個人的には、34丁目の奇跡とかJingle All the Wayが個人的には、面白かったような気がします。ほかにも、まぁ、クリスマス時期は、いろいろシーズンに合わせた映画が公開されるので、かなりバラエティが多いシーズンではありますが。

     

    34丁目の軌跡

     

    Jingle All the Way

     

    いろんな事に気を取られてしまっている人間の姿

    そして、親をしている人で、ホーム・アローンのように子供を置き忘れたことがあるか、とかいう話になっていったんですが、ホーム・アローンでは、パリ旅行のためにあれやこれやしなければならないことがあって、大事なことを忘れてしまう人間の姿を描いているよね、ということから、どういうことかはわからないけれども、ヨセフとマリアもほかのことに心をとられていて、イエスをホーム・アローン状態にしたのかもしれないよねぇ、という話で、この大切なことを割と忘れてしまうっていうのは、人間の姿を現しているかもしれないよねぇ、と話が続いていきました。ここで、イエスを忘れたマリアとヨセフは人間の姿を現しているのかもしれないよねぇ、という話になりました。

     

    人間は、実に様々なことに気を取られているのは確かで、仕事のこととか、人生のこととか、健康のこととか、いろんなことに気を取られていて、本来見ておかなければいけないことを見ていないよねぇ、本来、人間が気にかけておくべきことは、神とともに歩むことなんだけれども、それができていないのが人間だけれども、仮に、我々が、時に神とはぐれた、神に目を向けることを忘れていたとしても、神は、常におられるべきところにおられて、我々はそこに戻ることができ、常に、神は我々が神のもとに帰ることを待っておられるのだ、というのが説教の要約です。

     

    ホーム・アローン・ゴッド

    この説教(全部で10分ちょっとくらい)まぁ、聖書のルカの福音書は、父の家にヨセフやマリアからは置き去りにされていましたが、その周りには、祭司だとか、律法学者がいたので、一人ではなかったわけですが、イエスは、我々人間と神がともにいる、という本来の姿を取り戻したいという神の意向を伝えるために、そして、父の家には人間のための空間がある、ということをこの地の人々に伝えるために、本来の神の王座を離れて、残虐な殺され方をするために来たのに、人間の側が割とあっさりと無視していて、ある意味で、神の片思い状態にしているという意味で、神の御座というホームに神だけがいる、という状態になっているよなぁ、ということを思うと、私たち人間は、ホーム・アローン・ゴッドにしているよなぁ、と思ったのでした。

     

    主の祈りから

    ところで、主の祈りの中に、次のような部分があります。

     

    み国が来ますように

    みこころが天に行われるとおり
    地にも行われますように。

    your kingdom come,
    your will be done,
    on earth as in heaven.
    この部分には、神と人間との関係が、遠いものや無関係なものではなく、かなり近いものであること、神の支配がこの地にあることを示しているわけで、神の側が、神にとってのホームである天におられれるだけでなく、人間も天の支配、神の支配というその世界に含まれるということについての祈りであるのだと思うのです。

     

    その意味で、私たちが日常生活の中でともにおられるはずの神を、忙しさや仕事、様々なことのゆえに見ないことはよく起きてしまうわけですし、旧約時代のイスラエルは、神とともに歩みながらも、神を忘れたり、無視したかのような歩みをし続けた民でもあったわけですが、そのイスラエルの民に、神は、「わが子よ、わが元に戻ってこい」ということを言い続けられたわけで、言い続けた内容は、「神を神のホームでもある天にホーム・アローン状態にするな」ということでもあるように思うのです。

     

    神をホーム・アローンにしている人間
    その意味で、キリスト者は、この地に神がキリストという形で歩んだことを知り、キリストを聖餐を通して、自らのうちにな移住していただいているものであり、さらに、キリストのゆえに、神の聖霊(聖神)がおられるということを日々体験している民でありながら、人間の側の都合で、割と、本来、自らのうちにおられる神をホーム・アローン状態にしている部分があるよなぁ、と素朴に思いめぐらせていました。

     

    この神と人がともに歩む、神が人間をホーム(宮)にするというのは、

     

    【口語訳聖書】 コリント人への第一の手紙 3章 17節
    神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。 

     

    【口語訳聖書】 コリント人への第一の手紙6章 19節
    自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

    とも書いてあるのだけれども、人間はともすれば本来、神のホームであるにもかかわらず、そのことを自分の思いのあまり、あまりにも無視していることが多いのかもしれないなぁ、ということを教会からの帰り道の道すがら考えておりました。

     

    イスラエルが、道を外れまくりながらも、預言者などの声にこたえる形で神のもとに戻っていったように、神のもとに戻っていく、ということをキリスト者として考える必要があるのだろうなぁ、ということの意味を今週は考えることになりそうです。

     

    ホームアローン状態だった放蕩息子の父

    そういう意味でいうと、放蕩息子の父は、弟君からは、リアルな意味でホーム・アローン・ファーザーにされていたし、兄貴からは、リアルな意味では同居しつつも、精神的な意味で、ホーム・アローン・ファーザーにされていたという意味で、ダブルでホーム・アローン状態にあったという意味で、現代のキリスト者からは、放蕩息子の兄のような状態で、ホーム・アローン・ゴッドにされているのかもしれないなぁ、とも連想してしまっていました。

     

     

    こういうシュワちゃんにドアップで迫られると結構怖いだろうなぁ

    https://imgflip.com/i/1tlx6m から

     

    ちなみに、現在も絶賛クリスマス期間実施中ですので、例年この時期は、電車等での落し物が多い時期でもありますので、皆様も、皆様のクリスマスの精神(Christmas Spirit)をどこかに置き忘れになられませんように。ドンジョバンニに出てくる騎士団長のような、こんな人が出てくるかもしれませんし。

     

    https://www.dailyedge.ie/muppet-christmas-carol-best-christmas-film-3137821-Dec2016/ より

     

    ドン・ジョバンニの最後のシーンに出てくる騎士団長様

     

    とりあえず、来週月曜日まで、年末年始のお休みに入ります。よきクリスマス週と、エピファニーをお迎えください。

     

     

     

     

     

     

     

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