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2018.10.20 Saturday

教会と宣教とIT(その1)

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    先日、KDK神学会という大阪府枚方市で開催されている牧師先生の研究会で、Youtube等の教会の教材用に利用できるPreziというウェブアプリケーションの利用方法についてご紹介したのだが、今回やってみて、一番面白かったのは、プレゼンテーションツールの利用講座そのものよりは、牧師の先生方からのご質問とそのご対応でした。今回から、数回にわたって、教会とIT(イットではなく、アイテー、ないしアイティ。間違ってもアイスティではない)ご紹介したいと思います。

     

    Preziの入門

    まず、PCをお持ちください、とお願いしておきましたが、お持ちでない方のために、自分用のプレゼン用のPC1台を含め、4台持ち込み、Preziでのアカウントの作り方、そして、その中でのテキストの入れ方、文字サイズの変更、Youtubeの挿入の仕方など基本的な使い方をお話ししました。

     

    Preziというプレゼンテーションツールへのリンク ⇒ Prezi.com

     

    何年か前にあるところのクリスマス会の説教で利用したPrezentation

     

     

    http://prezi.com/6bon3tauktp1/?utm_campaign=share&utm_medium=copy

     

    本業として、とある学会報告で利用したPrezentation

     

     

    KDK神学会で利用した、簡易利用マニュアル

     

     

    こういうツールを紹介した後、教会がインターネットにどう向き合うべきか、どう使っていくのか、というお話になりました。

     

    インターネットの存在をほとんど意識していないかもしれない教会
    ツールのご紹介後、ざっくばらんなお話をしているときに、こういうのを使うのはいいですよねぇ。インターらくてぃぶな感じになりますから、とか、頭の中の構造がそのまま素直に配置できて、細かいところはズームインするとか、いろいろできるからいいですよねぇ、という話をした後、このツールをうまく使えば、賛美歌の演奏者がいなくても、事前に演奏した讃美歌をYoutubeに挙げるとか、すでに上がっている讃美歌をPreziに埋め込んでおいて(そんなに面倒なくできます)、演奏すれば、ヒムプレーヤーとか要らないですよねぇ(すいません、ヒムプレーヤー製造しておられる業者さん、ごめんなさい)、もし、曲がないんだったら、それこそ、コンピューター使って楽譜ぶちぶちぶち込んで、Youtubeにアップしておけば…とか、Youtubeも、公開制限ができるので、知っている人だけ、公開できますよ、とか、いろいろできるんで、そこは、頭の使い様、というお話になりました。

     

    そんな話をしていると、「インターネットのホームページもってないことは世の中に存在していないのと同じことですよ」とお話ししました。「だって皆さんだって、新しいところに行くようにGoogleで検索するでしょ、その時に状況がわかるような写真とか、内部の顔写真は無理でも、写真があるだけでだいぶん違いますよねぇ」というお話をしました。

     

    Google StreetViewを依頼する以前に
    自分たちで撮影した教会のきれいな写真を上げましょう
    そうしたところ、ある若い牧師先生から、「Googleが教会内部の映像を撮影するサービスの売り込みが結構あるのですが、結構いい値段なんですよねぇ」という話が出ましたんで、こんな風にお答えしました。「そんなものするよりも、まず、Googleに自分の教会の情報を自分で上げましょう。できたら、内部の写真もアップしておきましょう。そしてウェブサイトに挙げておきましょう。まず、それからですよねぇ。」

     

     

    SNSの使い方
    情報を流すだけなら、FacebookよりTwitter
    そのうえで、「情報を伝える、っていう意味では、Facebook、という話もあるのですが、それ以上に、拡散する、という目的の場合、SNSでも、ツィッターを使うと、うまくいきますよ。Twitterで上馬キリスト教会ってのが面白いんですが、ご存知ですか?」と言われたんで、「なにそれ?」とか「東京の上馬キリスト教会ですよね」とか言われたんで、「じゃぁ、今見てみましょう。」ということで、上馬キリスト教会のTwitterをお見せしました。

     

     

    こういう面白ツィートだと、3000位ありますし、1000リツリート越えています。とはいえ、真面目系のツィートも、上馬キリスト教会のアカウントはしているので、それについても見てもらいました。

     

    こう真面目なツイートだと、いいねも少ないし、リツリートも少ないですよ、ということでお話ししました。

     

    伝播拡散とIT(インターネット)と宣教
    今、ネットワーク社会なので、ネットワークにつながると、いいことか悪いことかわかりませんが、いいことも悪いことも、ネットワーク状態となった人々のつながりを通じて、一気にそのネットワークの島の中の人に流れ、さらに、人を介して、別のネットワークに属する別のネットワークの島に流れていき、という形で、人によって、ネットワークとネットワークが連接されて、情報が拡散される、ということをお話ししました。

     

     

    「Network Society Network Island Bridge」の画像検索結果
    こんな感じ https://www.utwente.nl/en/bms/communication-theories/sorted-by-cluster/Interpersonal%20Communication%20and%20Relations/Network%20Theory%20and%20analysis_also_within_organizations/ から

     

     

    そして、この上馬キリスト教会は異様にフォロワー数が多く、こういう面白ツィートをしていくことで、フォロワー数を数万人獲得し、そうすると、その数万人のうちの一部、1000人でもリ・ツィートしてくれるようになると、そこからさらに広がっていく、ということが起きるわけです。そして、それは、単にネットだけで完結しないわけです。このツイートが面白い、と思った人の何人か、本当に限られた何人かですが、実際に教会に行ってみよう、という気になるわけです。そこでキリストがこの地に存在したこと、キリストが現代に生きる我々の生にともにあろうとすること、そして、そのキリストともに生きようとする人々が存在し、教会にいることが伝われば、もうそれは、立派な宣教なわけです。

     

    つまり、ちょうど、結核とか、インフルエンザの健康保菌者が行動することで、結核菌とか、インフルエンザウィルスとかが空間的に広がっていくように、情報も拡散していくわけです。これが、電波拡散モデルの恐ろしいところで、指数関数的(よく使われる言い方をすれば鼠算式)に情報は伝わっていくわけです。このようなことは、インターネット社会だけではなくて、ネットが発生する以前にもうわさで同じようなことが起きたり、デマの構造は、まさにこの電波拡散だったわけです。

     

    それがネットワーク社会の現実である、ということを実際に上馬キリスト教会や以前一度この研究会に参加された大阪の日本ナザレン教団 大阪桃谷教会の牧師さんの木坂さんのツイッターの事例をお見せしながら、お話したわけです。こういう内部の写真載せているのはいいですよねぇ、こういう内部の写真が載っていると、教会って、ドアが閉まっていることが多いので、ドアを開けるのに勇気がいるし、ドアを開けて中に入って行かなくても中の様子が見えるというのは大事なんですよ。皆さんだって、レストラン予約するときに、内部の写真や料理の写真などが、グルメサイトで上がっていると安心ですよね。ちょっと小さな工夫で、わざわざ自分たちが出ていく代わりに、外に自分たちの存在をアピールすることができるんですよ。トラクト撒く、ということも大事ですが、トラクトを撒くだけが伝道活動じゃないですよ、ということをお話ししました。

     

     

    ツィートするキリスト広告塔としてツィートするという宣教
    こういう話をし終わって、帰りの電車で思ったのですが、トランプ大統領がツィッターを使うのも、わざわざ自分から記者を呼び寄せて記者会見しなくとも、自分の言いたいことを他者に伝えることができるから、彼はツィッターを使っているのだろうなぁ、ということを思ったのでした。つまり、何かをつびぶやくようにツィッターで短く言ったり、ゴルフにだれか行ったり、誰かと食事をしているシーンを写真にとってTwitterに投稿することで、彼は歩く広告塔として生きている、ともいえるわけです。

     

    基本的に、クリスチャンは、歩くキリストの広告塔なのだろうなぁ、ツィッターで呟く、ウェブサイトで書く、ブログを書く、インスタグラムで美しいキリスト教の姿を見せる、というのは、必要なのかもしれないなぁ、と思います。それが、個人的には、今の時代の宣教だと思うわけです。ツィートするだけで、教会に来る人が出始めてきたり、出張のついでに、中の人を見てみたい、という希望から、上馬キリスト教会に出張ついでに行ってみる人々が出始めた、という出来事を見ていると。

     

     

    その場でも少しまとまってない形でお伝えしたのですが、これまでの宣教は、あくまで個別の教会が個別の教会に定着を目標としての宣教、といった側面が強いのではないか、と思うのです。しかし、宣教、伝道というものは、個別の教会の教理や聖書理解の考えを伝えることなんでしょうかねぇ、とは思います。本来、宣教とは、自分が信じる神の存在と、神がこの地に来て、人間に関与しようとした、という一般的なことを伝えるものであって、個別教会、個別教会の牧師・個別教団全体で共有されている教理があるとして、それらの教理のみを人々に伝える行為なんでしょうか。違うのではないかなぁ、と思います。

     

     

    先日ご紹介した『ザ・ユーカリスト』での非常に印象的な記述を紹介したいと思います。

     

     

    信仰に聞き、それがゆえに信仰において解釈しつつある人間は、もちろん歴史において彼自身であり、彼が聞いたことについてのその解釈は、とりもなおさず、その状況に彩られている。そしてこのことはけっして単独で、あるキリスト者仲間を「非正統的」と呼ぶ権利を与えない。私自身が自らの正統性について人間的なあるいは批評的確かを持ちえず、ただ神の恩恵のゆえにただ固く望むだけの時に、どうして他者の正統性をさばくことができよう?個々のキリスト者による信仰についての常に育ち行く解釈はいつも誤説と誤解にさらされるのである。(ザ・ユーカリスト p.159)

     

     

    次回へと続く

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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