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2018.10.03 Wednesday

クリスチャンn世代の若者からのお願い(12) 勝手に職質を教会でしないで・・・ その4

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    一回目の記事では、小学生の教会に来た子供たちに親の職質をされると、連れてくる方も、つれてきた方も結構しんどい思いをすること、ポストインターネット時代での子供たちにとってみて、教会で提供される遊びや視聴覚補助教材が今一つ、なんと言いますか、昭和な感じ、でもあって、その意味で、教会に信徒家庭以外の友達を誘ってくるのが大変なのに、その上職質をされたのでは、結構つらいよねぇ、という感じをお話してきました。2回目の記事では、もうちょっと年齢が上の自らがティーネイジャーさんだったころの視点から、書いてみました。3回目の記事(前回の記事)では、婚約者を選ぶ年齢層に達した若者とのかかわりの中で、日本の初婚年齢の急上昇が見られること、恋愛中の人を教会に連れてきた時に起きること、などを実際にその場に居合わせて経験したことから少し書いてみました。本日は、次の展開につなげるために、教会員の質問攻勢つながりで新しく来た配偶者の方への質問攻めというか、わりとどうでもいいこと(教会ミーム、個別教会しぐさ)にそこまでこだわらなくてもいいじゃないか、ということについて、書いてみたいと思います。

     

    異なる文化(しぐさ)同士が出会う結婚という場

    基本、結婚という場は、異なる背景を持つ個人同士(異なる存在として神に作られたもの同士が一つとなるということは、アダムとエヴァの段階でも起きていることであるようにおもいます)が出会い、ぶつかるわけです。最下部でご紹介しています、ハッチンソンの名著に『文明の衝突』という本がありますが、『文化の衝突』だったり、『所作(しぐさ)の衝突』『教会ミームの衝突』が結婚とともにおきます。それまで、常識と思っていたことが通用しない状態が発生することが、結婚した当事者同士にも、結婚した当事者の周辺にも起きるわけです。それは、仮に同じ教会のメンバー同士で同一の地域で居住している人同士の結婚の場合でも、起きる話です。

     

    たとえば、食材の好き嫌いというものが典型的にはあるように思います。ミーちゃんはーちゃんは、干しシイタケと、干しエビからとる出汁の匂いが耐えられません。吐き気を催してしまうので、干しシイタケの煮物を食べることは、かなりの苦痛が伴います。出されたら、善意で残さずに食べますが、かなり苦戦することは確かです。したがって、我が家では、このタイプの食物がほとんど出ません(家人のご協力に感謝)。

     

    あるいは、外国人にとっては、関東炊き(かんとだき と発音します)とか、おでん とかいうごった煮系の茶色一色になったものを食べる日本人の感覚を理解するのに苦労することがあるようです。関西人にとってみれば、いろんな具材を一緒に焚きこみ、その焚きこんだものから出る出汁のハーモニーという感じもするのですが、こういう味が混じることの文化を持たない人からは、理解ができない料理に見えるようです。

     

    日本以外では、スコットランド人が食べるハギスという料理がありますが、あれも好き嫌いが分かれるようです。

     

    関東煮 https://blog.goo.ne.jp/sugichan_goo/e/78fca40536128fc08da3babe315bd4c9 から

     

     

     

    Scotland Haggis.jpg

    スコットランドの名物料理 ハギス(これは、ブリトン人でも食べられない人も多いらしい)

     

    こういう細かなことでの衝突とまでいかないまでも、好みの違いがある場合など、十年もたったあとになれば笑い話にはなりますが、時に深刻な問題が生まれかねない部分が起きることがあるようです。

     

    教会ミーム再び

    こういう、所作、しぐさにあわらわれる文化をミームということがあるのですが(ミームについては、こちらのWikipediaのサイトをご覧ください)、教会ミームについては、アーギュメンツ #3 を読んでみた(7) で触れておりますので、そちらをご覧いただくと嬉しく思います。こういう、教会ミームが、結婚に伴って、異なるミーム同士の衝突に至ることが時に発生します。例えば、賛美歌の節回しや、フェルマータの伸ばし具合の時間の違いとか、礼拝で用いる讃美歌の違いとか、聖書の読み方、祈りの時のあいの手の入れ方(ハレルヤ族、アーメン族、大きくアーメン族、Praise the Lord族)、祈りの際の親指をどちらを上にするか、祈りの際に手を合わせるのか、手を組むのか、祈りの際の手のあげ方と体の位置をどうするか、とか、まぁ、教会ミームはいろいろあるわけです。

     

     

    https://brokenbelievers.com/2016/03/19/pray-like-you-mean-it/ より

     

    異なる教会ミームについての囲み取材や本人さておいて朝まで生テレビ状態…

    さて、同じ教派であっても、複数の教会ミームはそこでの教会形成の中で、次第に形成され、他の教派とのすれ違いの中で、交流の中でもちこまれたミームが、拡散し、独自に発展し、それぞれの教会の中で、固定されていく過程は、まさに、異なる病原菌が突然変異しながら拡散していく伝播と拡散の過程によく似ているので、それはそれで研究対象としては面白いのだけれども、とか不謹慎なことを書いていると怒られかねないのだけれども、構造としては同じであるように思います(どこまで行っても構造主義者w)。

     

    さて、異なる教会ミームに出会うと、包摂的な態度をとるか、対立的な態度をとるかは、人によって異なるようです。個人的には、かなり包摂的なほうだとは思うのですが、そうでない方にとってみると、ちょっとでも違うミームが入ってくると、はたらく細胞に出てくる最強マクロファージさんのような感じで、異物に対決するマクロファージのように、異なるミームに対してウルトラ攻撃的な態度をとられる方も時にお見掛けします。

     

    そうなると、異なるミームを持つ方を取り囲んでの囲み取材になり、取材される方は、何の気なしに元居た教会でそうだったから、ということで、自然にそのミームを発動させただけに過ぎないのに、何人かの方に囲まれての囲み取材でワタワタワタ、としてしまうことになりかねません。個人的には、もうちょっとぬるく見守ってあげればいいのに、とは思うのですが、気になる方には、どうしても気になってしまわれるようで、マクロファージよろしく、異なるミームの排除あるいは、矯正(強制、かもしれない・…)を目指される方も中にはおられるようです。

     

     

    国立研究開発法人日本医療研究開発機構 のサイトでの 腫瘍(がん)とマクロファージに関する研究成果 から

    https://www.amed.go.jp/news/release_20171129.html

     

    『はたらく細胞』のマクロファージさんの回 

     

    囲み取材されたところで、本人は何の気なしの習慣でそうしているに過ぎないので、取材に対して、ご回答のしようもないのですが、取材する方は、なぜそうするのか、その聖書理解の根拠とは何か、とか時に結構しつこく聞かれて、取材を受ける方は、辟易することもあるようなないような…こうなると職質というよりは、本格的な取り調べ、尋問に近くなってきます。

     

    まぁ、こういう囲み取材ならまだしも、教会によっては、本人さておいて、小田原評定ならぬ、本人蚊帳の外に置いての朝まで生討論が、ご本人の教会ミームについての神学的理解をめぐって、勝手に朝まで生テレビ状態をしてくださることもあるようです。これは、実際に私自身が、アメリカの同じキリスト教会のグループに属するある教会で経験したことがあって、うわぁ、って思ったことがあります。

     

    昔の朝生テレビ ハマコウにしても、野坂さんにしても、石原慎太郎にしても、みんな若かった…

     

    異なる教会集団間での結婚にまつわる悲喜こもごも

    プロテスタント教会のかなりの部分の教会は、このブログでも何度もご紹介しているように、非カトリックとしてのプロテスタントの標榜をしておられる教会(残念ながら、非カトリック、非正教会ではなく、正教会は視野の外の方が多いので、非カトリックのみのことが多い模様)が数が多いようです。その意味で、プロテスタントと言っても、ひとくくりにできず、多様性があり、何が何だかとなっている状態であるように思います。となれば、そのプロテスタントのサブグループの教派ごとにミームがあるようです。

     

    同じキリスト教だといっても、カトリックとプロテスタントの間に断絶はありますし、正教会とカトリックとの間にも残念ながら、断絶はありますし、プロテスタントのサブグループ間にも、断絶というほど大きくはないかもしれませんが、はしごが必要なくらいの段差はあることが多く、そうなると、ミームも違うので、外から来られた方の行動というかミームに昔からいる人は違和感を持つし、昔からおられる方のミームに新しく結婚とか、転勤とかで移られた方も、ミームの違いを感じることになります。

     

    こうなると、よその教派から結婚などで移動してこられた方に対して、「あの方は、元○○教派だから…こんなことをして」「元○○教派だから、お化粧が濃くていらっしゃって…」「元○○教派だから、教会に着てこられるお召し物が派手で…」とか、あらぬことで噂が立って、教会にいずらくなるという事例も少なくないようです。

     

    こういうことが起きるのは、キリスト教のガチ勢だからではなくて、ある教派のガチ勢、ある教会の教会文化のガチ勢なのに過ぎないのではないか、とも思うのです。私たちは、次のイエスのことばをもう少し真面目に考えたほうがいいかもしれません。

     

     

    【口語訳聖書】マルコによる福音書
     9:38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。
     9:39 イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。
     9:40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。
     9:41 だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
     9:42 また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。

     

    まぁ、ほんまもんのガチ勢のクリスチャンでしたら、この後にどんな表現が並んでいるか、よくご存じでしょうから、これ以上は、何も申し上げません。

     

     

    一旦、これで、このシリーズは終わりにしますが、関連した話題を次回以降、お送りします。

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    コメント:まぁ、未来予測者であるけれども、もはや世界がキリスト教文明で覆いつくせず、イスラム世界的な文明との対話が必要であることを説いたという意味では、重要な指摘をしていると思う。内容は、やや古い。

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