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2018.06.13 Wednesday

クリスチャンn世代の若者からのお願い(2) 勝手に期待しないで・・・ その2

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    前回のあらすじ)))

     

    高齢化で、時代の超最先端を行く教会になっており、このままいくと、捨てられる教会が出てきかねないこと、捨てられる教会になったら、それは何かを生み出すための資産ではなく、片付けや処理が必要な不良債権となること、そして、教会を建て始めたものの、建てることができなかった日本の教会となりかねないことをご紹介いたしました。

     

    それで、今日は、続編です。

     

    教会のリバイバルを求めることは悪くないかも
    これを防ぐために、現在多くのキリスト教会が取り組み始めているのは、「(現在の高齢信徒が大量に入信したころの)教会の輝きを今もう一度・・・」ということになることが多いかもしれません。もちろん、このようなことを教会として、神に祈りもとめることは、悪いことではないだろう、とは思います。

     

    とはいえ、教会の不良債権化(維持するだけで資金が減少していくような教会の状態)を防ぐために、現在多くのキリスト教会が取り組み始めているのは、「(現在の高齢信徒が若かりし頃に大量の若者の皆さんが入信したころの)教会の輝きを今もう一度・・・」ということになりやすいのではないか、と愚考します。

     

    私淑しているドクター(外科医だから)と呼ばれた、ロイドジョンズ先輩の「リバイバル」という本には、リバイバルが起きる前には、多くの皆さんの熱心な祈りがあったと書いてあったし、そのことは否定するつもりはありません。元きよめ派に分類可能な一キリスト者集団にいた一信徒として。

     

     

    ロイドジョンズ先輩 https://www.youtube.com/watch?v=2w1NyU-_bbU から

     

    ロイドジョンズ先輩の説教音源(祈りの力について) Wales訛りが素敵

     

    本当に、現在多くの日本の教会がしなければいけないのは、神の哀れみを求め、祈ることではないか、とも思うのです。そこで、アングリカンのチャペルに寄留させてもらっているものとしては祈りたいと思います。

     

    Lord have mercy,
    Christ have mercy,
    Lord have mercy,
    (Silence)
    Hear our prayer.

     

     

    Lord have mercy というワーシップソング

     

     

    教会が若者で満ち満ちていたころ(1950年代の教会)
    教会が、昔若者で満ち溢れたころに回帰しようとすると、どうしても、勢い教会員(特に高齢者)の目は、数少ない青年、青少年、30代以下に目を向けられることになってしまうように思います。

     

    そして、「自分たちが若いころは、若い人たちで教会がいっぱいだった・・・・」と目を半開きにし、涙で潤ませながら、語るのに若者は、喜んでか、いやいやながらかはよくわかりませんが(たいていの場合、いやいやだと思います。それを口に出せないほど、彼らは品が良いのです…たぶん)、ご高齢の信徒の皆様の昔話に拝聴するかのような状況に教会の数少ない若者は陥ることになりやすいのではないでしょうか。

     

    さらに、「自分たちが若いころには、友達を教会に誘ったら、みんなすぐ来たものだった・・・」と武勇伝が始まることになって、こうなるともう、昔話がかなり長い間、続くように思うのですが…。昔話で終われば、それはそれで麗しい情景ではなかろうか、とは存じますが、教会によっては、ご高齢の信徒さんから、「今の君たちは…」となったりすることは予想される教会は皆無でしょうか。「今の君たちは、自分たちに比べ・・・・」というご高齢の信徒さんから、若者に向けてのお言葉が、予想されない教会の信徒の皆様は、本当に幸せな教会におられる、といってよいだろう思います。

    昔、教会が若者で満ち満ちていたころ、現在はすでにご高齢になっておられる信徒の皆さん方も、確かに熱心に伝道に励まれたことでしょう。そして、教会は満ち満ちていたことでしょう。その中には、数々の武勇伝をお持ちのご高齢の方もいらっしゃるでしょう。

     

    ご存知、オリエンタルラジオの武勇伝

     

    そして、「この教会を立派にしたのは、私だ・・・」とオリラジの中田あっちゃんよろしくおっしゃる信徒の方が出てくる教会もないわけではないように思います。こうなると、聞いている若者の側は、オリラジの藤森君よろしく「あっちゃん、かっこいぃ〜〜〜」ではなく、「じぃちゃん、カッコうぃい〜〜〜〜」、「ばぁちゃん、カッコうぃい〜〜〜」とチャラ男キャラよろしく、お追従するのが、おそらく精いっぱいでしょう。

     

    冗談はさておき。

     

    なぜ空しいかというと、お話になっておられる方が、若く美しかったころの思い出に浸るような昔話をしたところで、今の教会が直面している現実には何の解決にもならない、と思うからです。そして、その当時の伝道にまつわる環境と、現在、2018年の伝道環境は、果たして完全に同じと言えるでしょうか?
    個人的には、かなり違うのではないか、と思うのです。このあたりについて、昭和30年代の文化について、次回ご紹介していきたい、と思います。

     

     

     

     

    教会の変化をめぐる空しさの中で…
    ところで、現在、ご高齢となられた皆さんの昔話からも学ぶことがあるように思うのです。というのは、現在の教会の姿は、昔最先端だった時代の名残であるということを学ぶことができるのではないでしょうか。最先端であったものも、いずれは、古び、その存在はかすんでいくことが学べるのではないか、といってもよいように思うのです。

     

    昭和20年代後半から30年代に、いわゆるミッション系の大学、女子大学、女子短大は、時代の最先端でした。いわゆる○○学院大学、○○女学院、○○女学院短大、これらは、時代の最先端であったわけです。ちょうど、昔のNHKの朝ドラの「花子とアン」が描き出したように。

     

    NHK 朝の連続ドラマ 花子とアン

     

    その意味で、考えてみれば、今の教会の姿は、結果として、昔の最先端だ、と思っていたものが、時代を経過していくうちに古くなり、そして、そのまま、その形態が保持された結果となっているように思うのです。こないだ、日本大学の悪質タックル事件でその相手方になった関西学院大学(くわんせい がくいん だいがく)はアメリカ型メソディスト系のミッションスクールですが(校是は、Mastery for Service ラテン語でないあたりがアメリカン)、メソディスト系教会も、ウェスレー兄弟が当時の英国国教会(The Church of England)内の運動として始めたころは、最先端だと思って「新しいメソッドなんだ」といいまくったので、つけられたあだ名がメソディストだった、と記憶しています。このあたりは、藤本満先生がご翻訳になられた『はじめてのウェスレー』をお読みいただければ、と思います。野呂先生の名著よりは、格段に読みやすいと思います。

     

    その意味で、教会は、この2000年間、変化し続けてきました。新しい、と言われるものが、大変たくさん出てきました。そして、いつの間にか古びていく、という実に空しさを感じざるを得ない、歴史的発展をたどってきたようにも思います。このあたりの発展の歴史をお考えになりたければ、藤本満先生の『歴史』という本をお読みくだされば、と思います。宗教改革以降の、プロテスタント教会の歴史的展開の入門書として大変名著だと思います。

     

    しかし、このように、歴史を振り返るとき、ある種、実に空しい時間だけがただ流れているようにお感じになるかもしれません。

     

    確かに、空しい時間が過ぎていくのは、実際に存在しうる事ではないか、とおもいます。聖書の中には、そのことについて、次のように書かれているのではないでしょうか。

     

    【口語訳聖書】伝道者の書(コヘレトの書)
     1:2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
     1:3 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
     1:4 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
     1:5 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
     1:6 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
     1:7 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
     1:8 すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
     1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
     1:10 「見よ、これは新しいものだ」と
       言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
     1:11 前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。

     

     

    評価:
    D.M. ロイドジョンズ
    いのちのことば社
    ---
    (2004-10)
    コメント:なかなかよろしいか、と思います。

    評価:
    W.J. エイブラハム
    教文館
    ¥ 2,052
    (2013-07)
    コメント:このシリーズは手軽に読めて、非常によろしい。藤本先生の翻訳も読みやすいです。

    評価:
    価格: ¥ 2,592
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:プロテスたんの発展の概観をする上では極めて有益な歴史神学入門書

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