<< 『福音と世界』2017年11月号を読んでみた (7) | main | 向谷地生良著 『精神障害と教会 教会が教会であるために』を読んでみた (2) >>
2017.11.13 Monday

向谷地生良著 『精神障害と教会 教会が教会であるために』を読んでみた (1)

0

     


    Pocket

     

    音声ファイルダウンロード先

     

    今日もかなり短めである。

     

    今日は、向谷地生良著『精神障害と教会 教会が教会であるために』を読んでみたので、少し書いてみたい。非常に印象的な本であった。

     

    本書を読んでの黙想から

    本書を読んで得た黙想は、我々人間が、何かを自分のものとして持っているということで陥りがちな陥穽ということであった。たとえば、「我々は(神から与えられたにせよ)聖さを持っている人間である」という理解によって発生する陥穽、「我々は[神によって完全にされる、あるいは強い]ということによって、完全さを持っている」といった理解に達した結果、ある種の陥穽に陥ってしまいがちのように思う。実際に、そういう理解の方が現実に少なくないある部分のキリスト教会では、類似の説教メッセージを聞くことがないわけではない。

     

    そのような一部の教会では、説教の中身として、「聖さ」や「真理」が並べられている。そして、それを教会から受け取るように推奨するかのような内容が説教として語られることが多い。これは実は他人事ではない。なぜならば、かつて、そのように個人としても騙ってきた部分があるからだ。個人的には、それは間違いだったと思っているし、反省している。さらに、そのような説教をお聞きになった被害者の方にはなんとお詫びしてよいやらと思っている。

     

    聖くも完全にもなれない人間として生きる中で

    そもそも、人間は、自力で聖くなりえないし、人間の中から完全さは生み出され得ない、と思っている。従って、少しでも聖く見えるように努力し、完全であるように見せるため、限界まで人間的な努力も最大限利用しながら、それを試みようとする。そして、消耗する。実に無為な営みを送ってきたものだ、と我が身を振り返ってみても、思う。


    最初に、「浦河べてるの家」のことを知ったとき、正直、見捨てられた地域における、見捨てられた人びとによる、見捨てられた人びとのコミュニティだと思った。今、この本を読んでみても、その印象は変わらない。実際本書では、このように書かれている。

    浦河教会の歩みを象徴するキーワードは、「過疎」「無牧師」「精神障害」です。(向谷地生良著『精神障害と教会 教会が教会であるために』 p.5)

     まさに、「人手がない、牧師が存在しない、ふつうの人がいないと言うある種の「三無主義」が支配している社会である。実はこの表現に見られる「ないこと」「ないことを認めること」が大事であるのではないか、ということが本書での向谷地さんのご主張の一つだと思う。

     

    見捨てられた人びとと見捨てられたイエス
    浦河という地域は、近代化した日本の都市社会からは見捨てられた地域であるといえる。常人には扱いが非常に難しい感覚や身体性を持地精神病と呼ばれるがゆえに社会から見捨てられた人びとによる、そのような課題を抱えたまま生きざるを得ない人びとのコミュニティが「浦河べてるの家」なのであろう。イエスがこの地に生きた弟子たち[キリスト教バージョン0.0]時代の弟子のたちうち、少なくない部分の人びとも、もともとは、そのような生きにくさを抱えた人びと、あるいは普通の人々とともに生きにくい過去や履歴を抱えた人びとであった。

     

    http://orthochristian.com/80438.html から

     


    イエスが生きたその周りの空気、そこで聞こえた風は、まさにゴルゴダの丘でのイエスが示した空気、あるいは、風であり、イエスの息吹であり、イエスの声、「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」であった様に思う。とはいえ、そのゴルゴダの丘で成し遂げられたことに対して神から流れたイエスに向かう風、声、息吹は「あなたはわたしの愛する子」(マル 15:34)であり、見捨てられた存在となられたからこそ、「私の心にかなうもの」となり、そして、神からの受容があり、神との関係の回復がなされた、ということだったのだろう。見捨てられたものであるイエスが、神との関係を回復し得たからこそ、この神との関係の回復にも我々がかけられるという希望をお与えになったのだと思う。

     

     

    無菌室、無機質的な教会に変わってしまったのかも
    キリスト教会は、宗教改革を経て、近代社会の形成に大きく影響し、そして、同時に近代社会から影響も受け、本来宗教改革で目指したはずの[キリスト教0.0]から、いつの間にか大きく逸脱してしまったのかもしれない。いつの間にか、キリスト教信者とは、欠損部のない、完璧で、聖い存在であるという検証されない仮構に支配されてしまったのではないか、と思う。


    こずるく、こ汚く、社会から捨てられたようなザアカイや、イエスの周りには、何度排除しても近寄ってくる悪霊に憑かれていた人びとという我々の先人、いや、むしろ聖なる先輩方とも呼ぶべき人達、ないし、ある意味で、聖なる人びとを、我々の現代的な常識に合わない、ということで我々は教会から追い出してきてしまったのかもしれない。『聖性』に関する誤解のゆえに。その誤解の結果、いつの間にか無菌室のような無機質的な教会を作り、本来弱さや生きにくさを持つ人々のための場所であった教会を、この500年、とりわけこの200年の間という近代的な科学思想と衛生概念に社会が支配されてしまった時代の中で、何処かに置き去りしにしてきてしまったのかもしれない。この500年や、とりわけこの200年という時代は比較的キリスト教の歴史から見れば、割と短い時間の中であったように思うが、その近代社会と近代社会を支配した衛生概念が支配する中で、そのような教会を人間は作りあげてしまったのかもしれない。そして、本来教会を居場所としていた人びとの居場所を社会の別の組織のなかにつくりだし、そこに意図的か、意図的でないかは別として、置き忘れてきてしまったのかもしれない。

     

     

    弱さ故に神の憐れみを求める教会で
    伝統教派の雰囲気も残すAnglican Communionでの聖餐式に毎週参加し式文を、集まった会衆の皆さんとともに唱えるというか、声を出して告白する生活をおくる中で気がついたことがある。そこでは、聖餐式の冒頭に自分たち(私の弱さではなく)、自分たちという弱さを抱えるものの共同体であることを告白し、自分たちの弱さを神と会衆の前に情報公開する、という側面である。強くなった存在ではなく、自分たちが自ら弱いことを認める共同体であることを毎度毎度確認するのである。単なる儀式とは言い切れないし、単なる儀式として捨てされない何かがそこにはあるように思う。

    Almighty God, our heavenly Father,
    we have sinned against you
    and against our neighbor
    in thought and word and deed,
    through negligence, through weakness,
    through our own deliberate fault.
    We are truly sorry
    and repent of all our sins.
    For the sake of your Son Jesus Christ,
    who died for us,
    forgive us all that is past
    and grant that we may serve you in newness of life
    to the glory of your name.
    Amen.


    このような告白はいくつか行ったプロテスタント系の教会の中では口にすることはなかったし、いわゆる日本基督教団系の教会でもしたことがなかった。この式文を最初に口にしたときにはある面衝撃が走った。この教会では、誰もがお互いに弱さを認めることが儀式の中でなされている、ということについての素直で素朴な驚きであった。

     

    自分たちが弱い存在であるからこそ、神のあわれみと、哀れみに基づく自分たちの日々の生への介在を求め、神に頼って生きていく、神の主権のもとで生きていくということが実に見事に表されていたからである。思いにおいて、ことばにおいて、行いにおいても(キリスト者であっても)罪を犯していることをともに認め、心の配慮のいたらなさと、自分自身の弱さと、どうしようもない自身の欠落によって、罪を犯す存在であることを認めていくのである。

     

    このような式文を読むとき、自分自身の姿についての反省を毎週のようにさせられている。そして、結局反省するが故に、わが人生に神に介入を求めることしきりである。まぁ、年齢的な部分もあるのかもしれない。ちょうど、不品行の現場で捕らえられた女性に石を投げるのを諦めたのが、老人からであったように。

     

     

     

    次回へと続く

     

     

     

     

     

     

    評価:
    価格: ¥ 1,620
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:非常に考えさせられる内容を持った本

    コメント
    管理者の承認待ちコメントです。
    • -
    • 2018.01.19 Friday 15:49
    コメントする








     
    Calendar
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << April 2020 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM