<< 人口減少社会と地方部と教会の悩み(その2) | main | ふるさと納税ならぬふるさと教会献金(1) >>
2017.10.18 Wednesday

人口減少社会と地方部と教会の悩み(その3)

0

     

     

     

     



    Pocket

     

    音声ファイルダウンロード先

     

    この連載は、一応、本日で、最後にしたい。お付き合いいただいた皆様に感謝申し上げたい。

     

    そもそも論として、日本は人口減少社会の中にある。特に、これまで2回の連載で、地方部が先行してその人口ピラミッドの形状が、人口ピラミッドが起伏に飛んだものであったものから、年齢層にかかわらず、概ね平板な状態へと変容し、さらに90歳以上の女性の高齢者が飛び抜けて大きな人口を占めるであろうと予測されていることを、厚生労働省の過去の人口統計結果と、市区町村別の人口予測結果をもとにひなたGISが勝手に作成してくれる人口ピラミッド図でお示ししてきた。

     

    地域の人口構成が教会にも反映するはず

    人口ピラミッド図が多くの町村部でこのような構造になるということは、基本的に従来経験したことのないような人口構造に地方部での人口構造が変わってしまう以上、地方の町村部の中では、都市部以上に少数者である可能性が高くなる地方部(特に町村部)でのキリスト者の人口構造も、結果的には当然変わってこざるをえないように思う。

     

    教会の人口構成が地域の人口構成を一定程度反映するとすれば、地域の人口変化に応じて、教会の人口構成も変化するのが当然だし、変化するであろう。すると、以前は、あるイベントをやらなくても、退屈しきっていた地域に定住している人は何事か面白そうなことがあると思えば教会に集まっただろうし、イベントをやれば、教会が人であふれた(たとえ、その中で、その後も継続的に教会に訪れる人はほとんどいなかったとしても、一応、福音を伝えた、宣教ができたという自己満足はできたのではないだろうか)のに、今では、その教会の存続している市域や周辺の領域の人口構造がそもそも変化しているので、地方部で、何かイベントを打ったところで人は集まらない。

     

    昭和30年代の日本の姿 

     

    ここで上の動画で指摘されているように、1分間に3人も生まれる社会で、テレビも各家庭にない状態であれば、そのような状態の昭和30年代中期には、日曜日の朝の日曜学校はほっておいても満員になったであろう。

     

    関東と地方の情報感度の違い

    今は、東京の小さな教会に転任された牧師先生は、非常にユニークな方であり、先日、東京にも行ったときに話をお聞きしにお伺いしたのだが、以前の地方の任地は、九州の地方部の工場城下町の教会であったり、四国の地方部での地場産業だけがあるような街であった。これらの地方部の副牧師をしたりと地方部を回られた経験の中で、もちろん、普段奉仕している教会での礼拝でのメッセージや、無牧になった教会に月一回程度訪問しての礼拝やらはしておられるなかで、葬儀の説教はかなりの経験があっても、結婚式の司式や、バプテスマを授ける経験がないまま過ごしたことをお話になられた。

     

    地方におられた時期から、ツィッターもしていたし、フェイスブックといったソーシャルメディアネットワークにも積極的に投稿しておられたのだが、「ツイッターで反応があるのは極端なことを言ったときだけ、それもその反応は、地元から帰ってくるのではなく、東京や大都市のツィッターをしている人から帰ってくるだけで、ツイッターのその方の発言を見て教会に来ることはなかったなぁ」と印象深そうにおっしゃっておられた。ところが、東京でツイッターとかで写真をあげたり、Facebookでメッセージの要約をブログとしてあげたり、説教の録音をあげたりすると、かなりの反応があるとおっしゃっておられた。ツイッターとかブログとかの反応の中には、「長年、そちらの教会の前を通勤で毎日通っていたのですが、教会があることにこのツイッターを見るまで、気が付きませんでした」とか「ツィッターで説教を流しているその牧師さんは、どんな人なのかなぁ、と思って…来てみました」とか、という人が来られる、という趣旨のことをおっしゃっておられた。「こんなツィッターなどの反応がダイレクトに帰ってきて、教会にそれをきっかけにして人がくるようになった、これは地方ではちょっとなかったことだなぁ」と感慨深げにお話されたおられたのが印象的であった。

     

    そもそも、地方の人は、ツイッターもあまりしないし、地方在住者で、ツイッターをしている人たちというのは案外偏った人が多くて、そこでいくら発言したとしても、それが伝道につながらない、ということをおっしゃっておられた。そのお話した時にちょっこし出た発言の中で、ツィッターで話題になっていることの大半は、地方の住民に直接あまり関係のないことが多いので、そもそもツィッターで拡散されても、地方部ではそれが大きな運動につながらない、というところはあるんじゃないかなぁ、ということをお話しておられた。

     

     

    人間関係(口コミ)で情報が伝わる地方

    人間関係が希薄だからネットで情報が伝わる都会

    その時に話題になったのは、地方部の人々にとっては、人間関係のネットワークが密である(人間関係の紐帯の束が太い状態である)ので、必要な情報は、人間関係のネットワークからまずもって入ってくるのであって、別にツィッターでの情報をキャッチしなくてもよくなっているとか、ツィッターで流れる情報は芸能人関係の情報以外(それも、大抵は誰ぞがくっついた、別れた、痴話げんか中だの)という本来、犬も食わないはずの話なのに、なぜかテレビ局のワイドショーでは国際ニュースで流すべき話があるはずにもかかわらず、特集を組んでくれたり、雑誌ではやたらとお知らせしてくれるので、いつの間にか、国民の関心事になっていて、お天気の話程度の話題の一つになっている。そもそも、街のスーパーの特売情報は新聞折込が教えてくれるのであって、ツィッターやネットでは教えてくれないので、基本、ツィッターなるものは田舎の人にはあまり関係ないメディアらしい。まぁ、どこそこで、韓流スターのコンサートがあるだの、外国の有名オーケストラや有名演奏家のコンサートに行ったのだのというような情報を垂れ流しにされても、他人をうらやむ原因にこそなれ、自分がかえってみじめになるだけ、いけなかったことを悔しく思うその思いを深めるだけに過ぎない。

     

    このような東京との連動性のなさは、情報化社会の現代でも、500kmという距離で隔てられただけの、関西でも同じようなものかもしれない。首都圏、関東圏では、SEALDsの動きが起きたとしても、東京での盛りあがりはかなり盛りあがりがあっても、関西では、それに連動した動きはちらちらと見られたものの、安保闘争の時のような大騒動や大衆運動とまでにはならなかった。その背景は何か、ということを考えてみると、どうも、学生や世間の側の関心が、昔は反対運動にしても単純であり、明確な路線対立があったこと、もう二度と戦争は嫌だというそれぞれの個人の戦争での悲惨な個人的経験が社会全体に広く存在していたことなどがあり、その観点から、安保反対で、一本化できていて、学生運動や労働運動など社会のさまざまな運動体が反戦争、反安全保障条約を目指して運動が一体化しやすい状況があったようにおもうのだが、現代では、理解関係が本来の複雑さを持ったものとしてみられ、社会の各層の関心事が多元化していて、妥当すべき対象がうっすらと焦点がぼけてしまっていることに加えて、戦後すぐの貧しさを経験していない若者(60年安保反対運動に関係した人々は、戦後すぐの貧しさを個人的体験として、かなり体験していたと思われる)にとって、現状に特段の不満があるわけではない、といった側面もあって、SEALDsは大衆運動たりえなかったし、秘密保護法に関してだって、現状で仕事がない、飢えているなどの現実的な個人に関する生存の危機が起点になっていない以上、社会的な運動とはなりえなかったように思うのである。そういえば、交通ゼネストというのが年に2階はミーちゃんはーちゃんが小学生くらいの頃まではあって、先生が出勤できない、というようなことがあったのだが、そんなことも今はほとんど記憶の中にしかない。

     

    1969年の難波のデモの模様

    http://www.takanoetsuko.com/sub19690615.html から

     

    その意味で、空間は差別で気であり、空間がある以上、それが交通手段の発達で移動の摩擦抵抗やネットの存在で、情報伝達の辞さの抵抗がかなり軽減されたとはいえ、空間ごとに特徴が生まれ、よって、地理屋と地図屋の飯の種は減らないのである。ありがたいことである。空間は一様なふりをしているものの、実は、ちょっとした地表の凸凹や空間的な距離は、社会において多様性を生み出す母であり、地図屋にとっての飯の種を生んでくれるありがたい存在だと思っている。

     

    対立を覆い隠しうる豊かさ

    対立を助長する貧しさ

    「金持ち喧嘩せず」という俚言があるが、豊かさ、というのは、社会の安定要因になるのである。ヨーロッパ生まれのムスリムが過激化する背景には、仕事がない、仕事があっても、社会の底辺の仕事しかさせてもらえない、受けた教育を活かせない、人種的な違いによる差別待遇を受ける、言葉にどうしても、鉛が残ることによる差別とか、その差別がコンプレックスを生み出すというの複雑な要因で過激化しているに過ぎないのであって、ムスリムだから過激なのではない。それが証拠にサウディアラビアのムスリムのあるグループは過激思想を持っていることで有名であるが、国内において、豊かさを享受しているので、テロ活動はあまり見られないように思う。むしろ、貧しい国、豊かさが享受できない人々がいる国の中でこそ、過激派と過激派の行動が生まれるように思う。

     

    日本は、昔貧しかったので、決死隊的なSuiside Mission(自爆行為)、典型的にはKamikazeと呼ばれる自殺行為的な作戦に遂行に若者は参加できたが、豊かさを享受した人々にはそのような作戦に参加する意義はほとんど見出せなくなるのではないだろうか。同じ、軍歌のメロディーでも、2010年頃の若者にとっては、こんな替え歌になってしまう。

     

    加藤隼戦闘隊の替え歌

     

    元歌の加藤隼戦闘隊

     

    先に、少し60年安保闘争に触れたが、それは絶望的な貧しさがあったからこそ、ある種自殺行為的に近い反政府運動ができたのであり、社会が豊かになった70年代安保では、思想的な反対運動であったが、内ゲバは見られたものの、自殺行為的な反対運動にまではならなかったのではないかと思うし、もっと豊かになった80年代には、闘争そのものが下火になり、三里塚闘争を最後に、このような闘争自体が下火になってしまったように思う。

     

    これまでの地方部での拠点型宣教と

    これからのキリスト教の定着

    ところで、明治期以来、日本では、外国人宣教師により、日本での拠点型での宣教活動が行われてきた。そして、その後日本人宣教師が、そのパターンを踏襲しながら、外国人宣教師たちと強調する形で、地方での拠点型形成型宣教が行われてきた。それは、ヴェネツィアの海軍基地戦略、イギリスの海軍基地戦略、ポルトガルの領土戦略、あるいは、15年戦争期(日中戦争期)の帝国陸軍の中国侵攻計画でもそうであった。このタイプの戦略は、投入できる資源、ことに人的資源が少ないので、どうしても橋頭保を形成し、その橋頭保となる拠点を守り、極力その勢力を保持するために耐久型、ないし持久型作戦しか取りようがないという問題がある。面的、ローラー的に広げることは、物理的に不可能なのである。となると、拠点を抑えてしまって、その後、拠点からの影響力を期待しつつ、時間をかけて浸透していくしかないように思う。それが一番無理がない(合理的)であるように思う。こういうことを考えると、日本のキリスト教も、面的に拠点間を結ぶような連携策をとって、広げていくような、急拡大を目指すのではなく、都市部の橋頭保にこもりながら、400年計画位の感じでじわじわと広がっていく戦略の方が、人的資源の面でも、物理的資源の面でも、適切なのかもしれない、と思い始めている。この拠点形成型タイプの場合、戦略拠点を抑えることで、一見支配領域が広がったように見えるものの、実は、拠点は橋頭保のような存在でしかないので、面的な広がりの面で安定性に欠けることである。日本のキリスト教は、これまでもこの橋頭保型の教会形成がなされてきたように思う。それが最も日本社会への合理的な対応戦略であったから、そうなったのかもしれない。

     

    あと、このタイプの問題は、ヴェネツィアにしても、ポルトガルの植民地にしても、帝国陸軍の大陸侵攻にしても、日本のキリスト教会にしても、外国や都会からの宣教師という来て帰る人達による運動と運営であって、それらの人が現地化のしないところにメリットがあったし、来る人は定住しないことが合理的であった。もし、本格的な地域や地方での定着を目指すのなら、どこかから来て帰るのではなく、定住し、定着できるかどうかが地元の人からは問われているのではないか、と前回、前々回の記事をめぐるFacebook上のやり取りをする中で思った。このような現在の宣教モデルがどのような合理性があり、どのような方向性で宣教モデルがこれまで組みあげられてきたか、というのは案外反省してみる必要があるのではないか、と思った。今後、日本でキリスト教が面的な広がりを持とうと思ったら、信徒が定住する社会での存在を大事にしたキリスト教でないと、面的な広がりを確保できないのではないか、と思った。その意味でも、これからの地方でキリスト教が広まるためには、信徒さんの人間関係の束というか、人間ネットワークに依存した伝道しかないのではないか、とも思うのだ。

     

    地方の地元に残る人々の特性とキリスト教会

    あと、Facebook上での対話で面白かったのは、長崎のN先生の前回の記事へのコメントである。地元に残る若者(ないし地元にUターンしてくる若者)の特性である。地元に戻ってくる、ないし地元から元々出ていかない若者は、基本体育会系、運動部系の人々が多く、文化部系のオサレさんたちは、都会に行ったまま、基本返ってこない、というご指摘があった。これまで、キリスト教は、文化部系の文字を読んだりするのが好きなオサレさんを多く含む層への伝道を得意として、それに取り組んできたように思う。そして、地元に残るような文字を追っかけるより、ボールを追っかけたいと思うような、ちょっこしやんちゃな部分のある体育会系の人への伝道はどうも二の次、3の次になっていたのではないだろうか。とすれば、高校生や中学生のころに分化部系の人々に熱心に伝道した結果、それらの人々が大学や就職で大都市に張り付き、東京などの首都圏や大都市圏では、やたらと教会ができ、キリスト教人口が集中し、地方での教会の礼拝出席人数が一けたになるという構造はある面、当たり前の様な気がする。

     

    ところで、この基本大都市に出ていったままの文化部系の人々は、都会に出たら、年に盆暮れ正月だけには都会に出てきた人々は戻ってきて、その時期限定で、地元での消費を増やし、地元で活発な消費活動を行うので、地元で人口が起きるのは、盆暮れ正月だけだ、というのである。でも、これは事実だと思う。しかし、この盆暮れ正月消費にしたって、地方部の商業活動の売り上げが急増するのではないか、という指摘が出てきたのであった。これは、非常に大事なのである。要するに、地方部で都市部の住民からの消費を通じた所得移転が店や商工業者やその時期にも働く地元の人々も所得増で多少は潤うものの、その消費支出の大半は千葉の幕張メッセに本社を置くAEONさんにその大半を巻き上げられてしまうというどうしようもない構造が、現代の日本には渦巻いているように思われてならない。

     

    いずれにしても綴浦々にまで、キリスト教が伝わるのには、あと数百年かかるかもしれないが、そして、現状での効果は見えにくいかもしれないが、50年後、100年後にキリスト教の花が咲くように、数先年の歴史を超えて花を咲かせた大賀ハスのように神が花を咲かせて下さるものとして、今日も、明日も愚直に生きていきたい、と思っている。というのは、ミーちゃんはーちゃんには、それしかできないからであるが。w

     

     

    この連載、今回で終わりにしたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930     
    << September 2019 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM