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2017.08.28 Monday

Ministry Vol.34 を読んでみた(1)

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    ショッキングな記述の連続攻撃…

    今回のミニストリー、なかなか面白かった。何より面白かったのは、今回の特集「牧師と司祭の育て方」についての編集委員会の座談会である「神学教育をどうする?」という特集であった。非常にショッキングな記述が見られる。

     

    実態としては、おそらくそうだろうなぁ、と思ってはいたけど、やはりショッキングだったのは、次の朝岡さんがお話になられたことである。

     

    かつては新米の牧師を迎えてもみんなで育てようという気風が教会にあったのですが、最近は待ったなしの状態なので、牧師を育てるなんて悠長なことはいってられないですよね。「即戦力をくれ」と。後任としてくる牧師への希望は、「30〜40代」。子供がまだ小さくて、良い説教をしてほしい。役員会をうまく回してほしい。いろいろな集会を上手に企画してほしい。できたら音楽もできて、お年寄りのウケもよくて、若い人にも対応できる人をくれ」と。そんな人はいません。(ミニストリー Vol34 p.9)

     

    まるで、一人難役をこなすという意味では、今の新任牧師はスイス・アーミー・ナイフのような人材であることが求められているようだ。

     

     

    なんでもできると言われている、スイスアーミーナイフ

    https://www.knifecenter.com/item/VN53861/victorinox-swiss-army-ranger-multi-tool-red から

     

    この10年、ほぼ変わらないってことよね

    確かに、朝岡さんが言っておられるように、こんな人いるはずないと思う。もし、牧師に求められることが朝岡さんがおっしゃるように、なんでもそつなくこなせる若手の牧師だとするならば、みんなで育てよう健全牧師(場外乱闘編)に登場する、ランボー牧師である。なお、この記事は、水谷先生のブログへの、ミーちゃんはーちゃんのコメントがオリジナルである。この水谷さんの記事が、2008年だから、ほぼ10年前の記事である。その意味で、この10年、ほとんど現状はほとんど変化しておらず、かえって悪化しているのかもしれない、という感じのように思えてならない。

     

    映画 ランボーの予告編

     

    まさに10年一日のごとし、とはこのことだろうと思う。

     

     

     

    外装工事の仕方は知っているけど、構造計算ができない建築業者のような…

    牧師がぶつかる壁について、浅岡勝さんは次のようにお話になっている。

     

    僕の場合は、説教でした。つまり手順は教わっていたけれども、説教とはなんぞやということを問う最も肝心のところは教わらずに卒業しました。ある意味職人芸的に、教える側も言語化していないので、手順だけが継承されてしまう。(同誌 p.9)

     

    え、「そうなの」と信徒の側としては思ってしまう。プロテスタント派で最も大事にされているはずの説教ですら、このような状況なら、他の賛美歌の異義とか、聖餐とかとなると、どうなんだろう、と思ってしまう。肝心のところは教わるものなのかどうかは別として、結局、現場に出てから改めて考えることになる、ということが実際には多い、ということなのだと思うし、そういうのを考える余裕が無いほど神学校というか聖書学校は忙しい、ということなのかもしれないと思ってしまう。背後の仕組みを十分考えたり、理解もせずに建築業者が、自宅の工事をして、その一方で、「このやり方こそ代々伝わる由緒正しい工法で・・・」とか言いながら工事をしている(日本の家屋の平均残存期間が30年というのもこの辺にあるという話があるとかないとか・・・)としたら、それって結構恐ろしいことではないか、と思うのだが。

     

    説教は日曜学校の5つの約束に帰着される…まじっすか?

    あと、平野さんが福音派の牧師が神学校で教わったこととして、おっしゃっていることは強烈であった。

     

    いわゆる「福音派」に属する教会の牧師と接しながら、神学校で「説教は結局(教会学校の5つのお約束に収まる)」と教わったというんです。聖書を読む、お祈りをする、礼拝を休まない、献金をする、お友達を誘う。結局、どの聖書箇所を読んでも同じことだけを読み取る。(同誌 p.11)

     

    説教が日曜学校の5つの約束に帰着できてしまうのでは、ある意味説教準備とは、究極のパターンマッチングだし、お題目ばかりではないか、と思う。要するにコードを5つしか知らなくても演奏できるグループサウンズ(日本版のグループ・サウンドはコード3つで済んだらしい、という説をお聞きしたことがある)の曲並みということになるではないか。それこそ、今のような高学歴時代を迎えたとはいえ、大学が大衆化し、考える事を教えていない大学が少なくないから、それでいいのかもしれないが、ワンパターンの説教だとしたら、あきられてしまうのは早晩時間の問題ではないだろうか、とは思う。相手がわからないことをいいことに手を抜くというのであれば、それこそ悪質リフォーム業者や建設業者がしていることである。個人的には、そういうのはどうなんだろうと思う。

     

    「説教で奴隷にする」とか・・・

    さらに、説教と信徒との関係について、北村さんは非常に印象的なお話をしておられる。

    最近、ぼくは自分で意識して「みなさん、考えましょう」とひたすら言いまくっているんですが、「今日は先生にこんなことを教わりました」ということが普通になっているので、そうすると牧師の側は話を聞いてもらえていると、なんでも好きなことを言って自分の意のままに動かそうとしたり。(同誌 p.11)

     

    この記述を見ながら、昔、平信徒主義の教会(そこは集会と自称する)で「皆さん、どうお考えになりますか」とか、「…ということだと思いますが、どうぞ自分でお考えになってください。」とか説教中に言っていたら、その平信徒主義の教会で一緒に奉仕していた年長の人から、「説教というものは真理を語るものだから、そのような曖昧さを持つような説教はいかがなものか」と、苦情めいたお叱りの言葉を受けた記憶が蘇った。説教は真理を語るものという事はあるのかもしれないが、そもそもMI6(ものすごく(M)いい加減(I)レベル6)であるミーちゃんはーちゃんだと自分で熟知しているので、「これが真理です」なんて、神ならぬミーちゃんはーちゃんには言えるはずがないと思ったのであるが、反論するとややこしいので、「そうなんですかねぇ」とお茶を濁していたことがある。しかし、ここにあるように、「わが意のまま動かす」とか、本当に神ですらやらないことを、説教で実現しよう、とされる方もおられるというのがねぇ。どうなんでしょう。こうなれば、確かに、教会がカルト化するわけだ。そりゃ。

     

    大体、イエスは、人を罪とかこの地上にはびこる諸悪による奴隷状態から開放し、神の支配に映ることを主張したはずである。なのに、牧師の奴隷状態になるって、「それってどういうことよ」と思ってしまう。牧師が信徒を意のままに扱うための説教が福音だと称されているのなら・・・、と思うと恐ろしくてならない。たしかに牧師にとっては、素晴らしいことではあるので、牧師にとっての福音という意味では、福音かもしれない。

     

    垂れ流される説教?

    北村さんという方が、現代の日本における説教について、非常に印象的な表現をされていた。それは、自分のパーソナリティと時代が向き合っていない結果、どこかで聞いたような説教が垂れ流しにされている、という指摘である。

     

    自分のパーソナリティと時代とがちゃんと向き合っていない状態で聖書と向き合おうとするから、自分の中にある情報だけで聖書と向き合ってしまって、結局そこに何も新しいものが出てこないし、時代も浮かび上がってこない。説教を毎週垂れ流しにしているだけになってしまっているんじゃないかという恐怖はありますね。(同誌 p.11)

     

    大学時代の授業の時に、かなり、たらたらと講義する先生がおられて、その授業の声を聴くと生徒の大半が眠くなるので、サブリミナル効果があるのではないかと思うほどの先生がお一人おられたが、それと同じことになるかもしれない、と思ってしまった。それこそ、BGMなら心地よいし、人を快適にもするが、BGMにもならない説教を垂れ流しにされたのでは、もう信徒が教会内で眠りこけてしまうことを責めるのは酷、とおもうし、その垂れ流しにされる説教に、「ありがとうございました」とか「素晴らしい説教でした」とか、ウソを言わなければならないとしたら、とんでもない罰ゲームであるし、それこそ嘘をいうことを強いられるわけであるから、誠に罪作りな話ではないか、と思ってしまった。

     

    マーク・モンモニアの「地図は嘘つきである」という本の原著の表紙

    オレンジ部分を見ると、不都合な真実が描かれているが、見えないように意図的にオレンジ色などで塗色されている。

    http://www.markmonmonier.com/how_to_lie_with_maps_14880.htm から

     

    昔お世話になった平信徒主義の教会で、色の代わった説教ノートから、お語りになられる方が居られたが、「聖書の言葉は真理だから、萬代不易のものである」ということでそうされていたのであろうが、真理が石のように固くて、変わらないものだとするならば、それこそ、説教集からコピーしたものを騙るのもOKだろうし、そんな他人の書いたものを読み上げるのではなくて、垂れ流すだけなら、テープやCDに予め吹き込んだものをひたすら流す、というのもありなのではないか、と思う。この地に生きている人間が説教を担当する、ということの意味って、本当にどういうことだろうか、と思った。

     

     

    次回へと続く

     

     

     

     

    評価:
    Mark Monmonier
    Univ of Chicago Pr (T)
    ¥ 1,750
    (1996-04)
    コメント:面白いです。

    評価:
    マーク モンモニア
    晶文社
    ---
    (1995-08)
    コメント:日本語版

    コメント
    >日本の家屋の平均残存期間が30年というのもこの辺にある
     紙と木で作られていること、高温多湿の気候風土であること、住環境や建築設備に対する管理者や所有者の考え方、ライフサイクルコストに対する考え方、穢れなどに対する考え方、住居に対する投資性行など社会的習俗などと近年に於ける経済的余裕からの時代的傾向です。木造でも主要部材は千年を超える寿命を持つ者もあり、まともに建てた民家で陌年以上の使用に耐える物も多くあります。
     簡単に言えば、管理して修繕するより建て替えたほうが安価だったりすることも原因です。新築がそれなりにチープであっても素人さんの多くは本物を知りませんから品質に気づきにくいことも大きな原因の一つです。
    • ひかる
    • 2017.09.04 Monday 07:18
    ひかるさま

    いつもの様にご清覧、コメント、ありがとうございました。

    もちろん、ご指摘の点は、都市計画屋を目指していたものとしては、よく承知はしているのですが、最近のひどいリフォーム業者の営業職の言行の状況を見ておりますと、なんだかなぁ、と思っておりましたので。

    まぁ、戦後の建物の素材は、非常に劣悪ですので、持ちがあまり良くありませんし、工事に手間をかけておりませんので、どうしても貧相になりがちですよね。それとライフスタイルの変化の速さ、と。

    いずれにしましてもコメント、ありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2017.09.05 Tuesday 18:43
    >最近のひどいリフォーム業者の営業職の言行の状況
     ずいぶんと言葉を濁されているようですが、彼らはひどいのではなく、元々詐欺を行なうことが主目的ですから目的に合致した行動で当然です。施主(注文主)の要望や心情などは利用すべき物であって、あくまで自分たちの利益を最大にするかだけしか考えていませんから・・・
    • ひかる
    • 2017.09.06 Wednesday 03:30
    ご指摘のとおりか、と思います。
    サイドのコメントありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2017.09.07 Thursday 07:50
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