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2017.08.16 Wednesday

昨日はポツダム宣言受諾記念日だったので・・・

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    ポツダム宣言受諾記念日の放送から

    ここ数日は、ポツダム宣言受諾記念日(敗戦記念日、日本の世間的には終戦記念日、アメリカ側では、太平洋戦争戦勝記念日)に合わせたように、帝国陸軍の無意味な兵力損耗の代表事例とも思われるインパール作戦の話が出ていた。作戦の実情はかなり知っていたので、あまり新規の話はなかった。新しいといえばカリバニズムが実際に飢餓から現場で起きた、というところである。また、同様な餓死と伝染病などでの悲惨さがフィリピンのガダルカナル島でも置きたことは知られており、ガダルカナル島を日本語で表記するときに「餓島」と呼ばれたことも知る人ぞ知るところである。

     

     

    貧すれば貪慾になるのが人間

    以下は、イスラエルが飢餓になったときにどのような状態になるか、なったかを、イスラエルが主に聞き従わず、主の主権性をイスラエルが認めずに、勝手に王政移行した結果、どのような悲劇が発生するのか、あるいは発生したのか、というその悲惨な状態を描いた部分であるが、まさに、それと同様のことが置きたようである。

     

    【口語訳聖書 申命記 28章 53ー57節】
    あなたは敵に囲まれ、激しく攻めなやまされて、ついにあなたの神、主が賜わったあなたの身から生れた者、むすこ、娘の肉を食べるに至るであろう。
    あなたがたのうちのやさしい、温和な男でさえも、自分の兄弟、自分のふところの妻、最後に残っている子供にも食物を惜しんで与えず、
    自分が自分の子供を食べ、その肉を少しでも、この人々のだれにも与えようとはしないであろう。これは敵があなたのすべての町々を囲み、激しく攻め悩まして、何をもその人に残さないからである。
    またあなたがたのうちのやさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者でも、自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、
    自分の足の間からでる後産や、自分の産む子をひそかに食べるであろう。敵があなたの町々を囲み、激しく攻めなやまして、すべての物が欠乏するからである。

     

    申命記はモーセ5書なので、一応、このような神からの預言があった、ということになると言うのが、福音派的な人々の間での多数派的な理解であろう。上記引用部分の編纂の時期がいつであるのか、ということは別として、このような悲惨さが起きることを学ぶという意味において、神の主権を無視して、自己の相対的な正統性や正義を主張することの無意味さを、この聖書箇所は告げているように思う。

     

    あの番組では、平坦を度外視していたり、より正確に言うならば、ロジスティクス(物流や兵站)を全く考えておらず、自己に対する過大評価、正義(それは、多分に自己都合的であるが)を抱えて戦闘行為に望んでいるから不敗であるはずである、という過信というか、自己に対する信仰とか、大和魂とか、積極性と行った精神論だけで計画立案がなされた様子も描かれていた。このような実情を見つめない、日本における日中戦争移行1945年までの戦争期のそのたぐいの精神論に頼る世界観は、『 失敗の本質 』や、山本七平氏の『 一下級将校の見た帝国陸軍 』でも、描かれているところであるが、その精神性がいかんなく発揮されたのが、ガダルカナル戦であったり、インパール作戦であったようだ。

     

     

    http://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/779.html?b=10 より

    人間を楽にするためにある砲架の運搬装置までも分解して、人手で運ぶというこの矛盾

     

    (映像と音声が約5秒から10秒程度ずれているようです)

     

    困ったときは精神論で切り抜けようとする困った考え方

    このような精神論にまみれ、鉛筆ナメナメ書いた作戦計画のようなを実際に実施するというような計画とその実行といったものは、戦争期のことだけか、というとどうもそうではない。戦後にも、そして、今なお現代的な課題として置きているのであって、それには不具合があって、それを実行するとまずい、というような声は、自らの限界を知った上での理性による合理的な説得による反論ではなく、大声での恫喝とか、作戦計画に異を唱える声を相手のみを『悪者』として扱い、自己に不都合な『悪者』の発言を聴く必要がないという言辞を弄するする例が見られる、あるいは、一部の成功例を反例として支持することで、これでうまくいくと主張し、個別案件の特殊性を無視して、ある特定の事例を一般論化して語る発言を以て圧殺されるのが常である、というのが日本という社会に於いて広く見られる性質であるように思う。

     

    米国がトランプ大統領になったので、今は殆ど話題にもならないが、TPP加盟するという時点で、農産物の自由化における議論でも、同じような構造が見られるように思う。このTPPに異を唱えた農業団体(全国規模の団体)は、もともと自民党農林族の支持母体の様相を呈した組織でありながら、現実をよく知るだけに異論を唱えたのだが、いまは、その組織の解体論が一方的に議論され、新聞紙上には、今頃になって、その組織の農家への農業用物資の販売価格が独占的であり(それは実態的にも、そうなのだが)云々と悪し様に表現する例が見られる。まぁ、その組織と協力しながら研究をしている側の人間の言うことなので、割り引いて考える必要はあるけれども。

     

    精神論と人材を消耗する日本の教会

    しかし、このような精神論中心というか、精神主義と言うか積極思考の病弊は、現代の日本のキリスト教世界には存在しないか、というと、実態的には、案外多いのではないか、と思うのだ。まぁ、それは、日本の教会が日本人からなっているからそうだ、といってしまえばそうなのであるが、それにしても、あまりにも日本のキリスト教会の人材の消耗と言うか無駄遣いが激しく、インパール作戦を思い起こさせるような消耗が行われすぎているような気がする。たとえば、人口減少社会であり、仏教寺院との紐帯が非常に強い地方部の実情を無視した『すべてのまちまち、村々に教会を』とか『コンビニ並みに教会を』いうスローガンとかは、たしかに理念系としては否定できないが、粗製乱造された牧師先生方が置かれて、消耗戦に入っていくのは見えているし、コンビニのようにコンビニチェーンの本部から責め立てられて自己破産や自殺、蒸発のような事例が教会で起きるのならば、コンビニ並みに隣り合うように教会を置くとか、そんな消耗戦のようなことはやめたほうがいいように思うのは、ミーちゃんはーちゃんだけだろうか。

     

    現状でも、牧師給を維持できず無僕に陥る協会があったり、建物の維持費すら予算確保できず建物の維持すらできない教会があるという状況の中で、どうこれからの日本の教会を考えるのか、ということが一方で起きているし、幾つかのキリスト教団などでは、数年の現場経験の中で、アルコールに走る、非行に走る、蒸発するという事例などが置きていないわけではない。以前なら、『なかったことにするために…』と、闇に葬られていた話が、最近は、明らかになるようになった(というよりはマスコミが報道するようになった)ゆえに、『明らかになるようになっただけ、マシ』という話もないわけではないらしい。その意味で、インパール作戦の撤退時期と同じ状況とかなり類似したひたすら消耗を待つ状況に日本のキリスト教世界にあるのではないか、と思うと、これから、どれだけの人材が神の名のもとに消耗する計画が立てられ、現場で消耗していく人々が増加していくのか、と考えると空恐ろしい。Nexco3社のCMではないが、日本の教会に、『なくそう、逆走』と、つぶやいてみる。

     

    http://girlschannel.net/topics/233401/より

     

    なくそう逆走…

    現状でも、牧師給を維持できず無僕に陥る協会があったり、建物の維持費すら予算確保できず建物の維持すらできない教会があるという状況の中で、どうこれからの日本の教会を考えるのか、ということが一方で起きているし、幾つかのキリスト教団などでは、数年の現場経験の中で、アルコールに走る、非行に走る、蒸発するという事例などが置きていないわけではない。以前なら、『なかったことにするために…』と、闇に葬られていた話が、最近は、明らかになるようになった(というよりはマスコミが報道するようになった)ゆえに、『明らかになるようになっただけ、マシ』という話もないわけではないらしい。その意味で、インパール作戦の撤退時期と同じ状況とかなり類似したひたすら消耗を待つ状況に日本のキリスト教世界にあるのではないか、と思うと、これから、どれだけの人材が神の名のもとに消耗する計画が立てられ、現場で消耗していく人々が増加していくのか、と考えると空恐ろしい。Nexco3社のCMではないが、日本の教会に、『なくそう、逆走』と、つぶやいてみる。

     

    NexcoのCM

     

    本来、自分の弱さを見つめ、それゆえにそこに介在してくださる神のもとに戻り、自分自身の出来なさ、思いの至らなさ、不完全さを素直に神の前に認め、神の哀れみを求めていくという性質を持っていたのが、キリスト教の割りとコアにある部分にあったと思うのだが、明治以降、近代社会を支えた西洋道徳としてキリスト教が理解され、その中で日本の精神主義と妙なかたちでの化学反応が発生してしまい、結晶化したキリスト教が、日本のキリスト教の一部分にあるかもしれないと思うと、もはや、

    Lord have mercy,

    Christ have mercy,
    Lord have mercy.
    と祈らざるをえない。今の西洋社会の教会を見るだけでなく、西洋の影響を多少は受けつつも、どっぷり、国家とキリスト教が一体化したコンスタンティヌス型のキリスト教徒はある程度距離があるような、素朴なアフリカのキリスト教徒の皆さんとか、別の形でヨーロッパからの影響の遠い南アジアのキリスト教徒の皆様とか、東ヨーロッパの古いキリスト教の信徒さんのお姿とそのお考えを調べながら、自分自身を比較対照してみて、自分自身の信仰のあり方を見直すことが、案外面白くて仕方がない、ミーちゃんはーちゃんがいることは確かである。

     

    同じようなものと比較対照するよりは、同じものと思えないものをつぶさに検証しながら、何が重要なのかを考えることのほうが個人的には役に立つのではないか、と思っている。

     

     

    この記事、単発

     

     

     

     

    評価:
    価格: ¥ 822
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:日本社会の一断面を日本軍を例に切り取った本

    評価:
    価格: ¥ 648
    ショップ: ローチケHMV 1号店
    コメント:非常に面白い視点がわかる

    コメント
    >仏教寺院との紐帯が非常に強い地方部の実情を無視した『すべてのまちまち、村々に教会を』とか『コンビニ並みに教会を』いうスローガンとかは、たしかに理念系としては否定できないが

     お寺や神社も無住・兼任・放置沢山あるのが現実ですが・・・
    単に古さや歴史だけで残すことは無意味かと・・・確かに一抹の寂しさはありますが・・・・
    • ひかる
    • 2017.09.04 Monday 09:11
    ひかるさま

    ご清覧、コメント、ありがとうございました。

    >お寺や神社も無住・兼任・放置沢山あるのが現実ですが・・・

    そうですね。人口減少社会と寺院 - 法藏館書店  にはそのあたりのことがかなり詳しく記載されておりましたが、日本伝道会議では、そのあたりの分析も十分ないまま、イケイケどんどん路線の方々でお話になられた方がおられまして、正直、驚きました。

    >単に古さや歴史だけで残すことは無意味かと・・・

    まぁ、昔の総主教座で残っておるのも限られますし。そのあたりの歴史観のなさがねぇ・・・
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2017.09.05 Tuesday 19:22
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