『万人祭司』になったけれども・・・
今年は、宗教改革500年
今年は、宗教改革500年ということで、色々な催しがあったり、いろいろな本が出ている。そういう流れのイベントなどに参加しながら、思ったことの一つを今日は述べてみたい。
宗教改革の一つの大きな役割は、従来、司祭職に限られていた礼拝への主体的参加、教会運営への参加の道を一般信徒に開いたことである。教会での祈りや賛美ですら、司祭たちのみが実際に声をだして参加が許されるものであったものが、宗教改革によって、一般信徒が参加することも可能になったし、ラテン語で、教育を受けたものしか読めなかった聖書、理解できなかった聖書が、宗教改革で、聖書が通常の庶民の言語に翻訳されることで、普通の人が聞いて、理解できることばで読まれ、理解できるものになったし、更に、普通の人が読めるものにもなった。それは、たしかに重要な意味があることだ、と思う。そして、それは、本当に画期的なことであったのだと思う。いまでは、それが標準になってしまい、そのありがたみのようなものがほとんど理解されないほどになってしまった。それはそれで、良かったのだろうか、とは思う。
それとともに、『万人祭司』ということで、ひとりひとりの信徒が神を礼拝する存在になるとともに、結果として、「Me and My God」の側面が強くなり、つまり、十字架における神が上にいて、人が下にいて、それがイエスによってつながれているという縦棒の方向性と縦方向の性質が強くなってしまい、人々の間の中に神の霊がとどまるという、十字架の横棒の性質、つまり信徒におけるコミュニティの側面がいつの間にか弱くなってしまったような気がする。
評価:
藤本 満 日本基督教団出版局 ¥ 2,592 (2017-06-30) コメント:社会の状況と宗教との近現代史を概観する名著 |
- コメント
- >カトリック教会内部での改革も、宗教改革とほぼ同時に起きたと言われている。
当然改革の雰囲気は周りにあったであろうし、歩みがのろく感じるかも知れないが改革も行なわれていて当然かと。大体時代に合わせた変更を全くせずに二千年も連綿と続くわけがない。ただ、この宗教改革と呼ばれる要因によりより早く、また強く改革がなされたことも確かと思います。
>カトリックから飛び出すつもりはなかったのかもしれない
これも当然なことで、ナザレ派も当初は独立した異なる信仰集団として設立されたと思えず、その予定もなかったようにみえます。これは多くの宗派、カルトも同様で、東方諸教会(非カルケドン)、正教会の分裂も多くは些細な違いがその他の要因により今に至ったと考えるべきではないかなと・・・
仏教でも根本分裂や日蓮のように明確な分派活動(立教)の場合を除き、殆どが行きがかりや、分裂する気もないのに弟子が突っ走ってしまい教団が出来る例のほうが多く見受けられます。(時宗の一篇や曹洞宗、浄土宗も初期は明確ではなかった)
宗教改革も信仰的にいかにもまずい部分は大人の振る舞いで密かに修正していたりしますので、その変革速度は改革の有無で速くなったのか否かは検証の方策はありません。しかしラテン語聖書のみでなくギリシャ語、へブル語、アラム語その他のテキストも参照するようになり学問としては深まるより好ましい方向へ向かっていると思います。
しかし、信仰そのものが深まる方向に向かっていると言い切れない部分はあります・・・余辺はマア個々人個別のお話しかなと・・・ -
- ひかる
- 2017.07.29 Saturday 20:23
- 光様、御清覧、コメント、ありがとうございました。
ご指摘いちいちもっともなんですが、このブログの読者には、時々光様のような霊性な方ばかりでなく、ガチ勢の方が、別のところで、苦情を送ってこられたりするので、なんだかなぁ、と思うこともあり、あえてぼかした表現にしたり、両論併記で中央公論風を醸し出しているところもございます。そのあたり、ご理解いただけるとありがたいです。
京都ユダヤ学会の記録にもございますように、宗教改革も、レコンキスタ語のイスラム世界の弱体化、それに伴うスペインでのユダヤ人迫害とそれに伴うヨーロッパでのユダヤ人の流動化、オランダの独立などなどの影響もあり、まぁ、そのへんも書き始めると終わりそうにないので、割とさらっと済ませてしまいました。
まぁ、分派分裂は本流からラベルが貼られ、それで激化した関係者が暴走するというのが一般的かもしれませんね。
御清覧、コメントありがとうございました。 -
- ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
- 2017.07.29 Saturday 21:04
- 興味深く読みました。
裁判員制度が思い起こされるところもあり、考えさせられました。
ウチの教会では、牧師にリーダーシップを持ってもらってついて行きたい方々が多く、それに対して牧師は、自分に権力が集中しないよう、自分の意志が教会員に影響を与えることができるだけ少なくなるように、リーダーシップを教会員サイドに持ってもらいたいというお考え(と私は解釈しています)なので、
リーダーシップという名のお鉢は預かり手がなく、誰も責任を持ちたがらないまま、浮いている感じです。
本当に万人が祭司なら、ウチの教会運営のありようも違っていたでしょう。 -
- リリィ
- 2017.08.11 Friday 14:46
- リリィさま
コメントありがとうございます。
>リーダーシップという名のお鉢は預かり手がなく、誰も責任を持ちたがらないまま、浮いている感じ
これ、大事なポイントですよね。多くの日本の教会でも、同じことが起きているように思います。信徒が萬重宝で牧師に丸投げしないような形になるには、どうしたらいいのかなぁ、と思います。
御清覧、コメント、ありがとうございました。
-
- ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
- 2017.08.11 Friday 21:09
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