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2017.05.27 Saturday

いよいよ、あの本『焚き火を囲んで聞く神の物語』が・・・

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    『焚き火を囲んで聞く神の物語』という画期的なキリスト教書がでた。推薦文で、平野先生がおっしゃるように、奇書であるかどうかは別として、類書をこれまで見なかった書籍の一つである。最初から、最期まで楽屋話というのか、とはずがたりというのか、松竹新喜劇状態というのか、吉本新喜劇状態というのか、(この2者の間には、かなりの違いがある)そういうノリの本である。どちらかと言うと、松竹新喜劇のような本という感じがする。

     

     

    松竹新喜劇のような本
    今では、関西というと、吉本新喜劇が有名であり、お笑いといえば吉本新喜劇という印象があり、本書の著者が関西人であるので、読者の方は、吉本新喜劇が浮かんでくるかもしれないが、本書はどちらかと言うと松竹新喜劇的な書物なのである。

     

     

    吉本新喜劇の現在の出演者による 恋ダンス

     

    松竹新喜劇

     

     

     

    阪神間および首都圏鉄道文化と大衆演劇
    藤山寛美という昭和の大喜劇俳優を失ってから、もう25年余経過しているが、松竹新喜劇は、その藤山寛美(カンビさんと関西人は呼ぶことが多い)の一人で持たせた一代芸なのであり、笑いあり、泣きありしながらも、どこかに気品が漂う感じな大衆演劇風の演劇なのである。今は、テレビ露出などを含めて、松竹新喜劇の露出度が低くなり、その知名度も高齢者を除けば、知る人ぞ知る大衆演劇あるいは大衆喜劇、という感じになっているように思う。

     

    吉本新喜劇が、シモネタ、暴力性を含む下品さを内包した漫才系の庶民派の演劇であるとすると、松竹新喜劇は、そちらに走らず、言葉遊びや演者の表情、あるいは間のとり方などで笑わす落語系の庶民派演劇である。どちらが偉いとか、どちらがダメだという議論ではないが、阪神間における吉本新喜劇は阪神電車的な存在であり、松竹新喜劇は、JR神戸線的な存在である。ミーちゃんはーちゃんは、足を地面につけたことがないほどの上品な人物なはずはないが、どちらかと言うと、松竹新喜劇のほうがきれいな笑いだなぁと思う。
    参考   【口語訳聖書】申命記
    28:56 またあなたがたのうちのやさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者でも、自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、

     

    阪急電車はどうした、というご意見もあろうが、阪急電車には、宝塚歌劇があり、一緒にしてはいけない。

    吉本新喜劇(懐かしの岡八郎さんで)

    藤山寛美をしのぶNHKの放送

    宝塚歌劇

     

    どん兵衛ベルばらバージョン
    https://sociopouch.files.wordpress.com/2017/04/20170417-05.jpg

     

    http://www.donbei.jp/berubara/assets/img/pc/img_article_11.png
    どんべぇのパッケージ  http://www.donbei.jp/berubara/ から

     

    関東で言えば、吉本新喜劇が、京急路線風であり、松竹新喜劇はJR京浜線風であり、歌舞伎が東急田園都市線風であるというと、関東の読者の方にわかってもらえるだろうか。

     

    で、翻って本書は、宝塚歌劇団風の綺羅の空間を生み出しているわけではない。その意味で、宝塚ではないし、Photoshopで髪の毛の増量を依頼してくるほどのおっさんの大頭さんが宝塚歌劇をすることは気色悪いだろう。宝塚の男役よりはるかに身長の面で存在感がありすぎるし、もともと大頭さんがハグマニア(ミーちゃんはーちゃんは聖餐マニア)てあるので、ヘタをすると、BL(Boy's Love 美青年同誌の疑似恋愛もどきについての少女漫画の一分野)ならぬOL(Ossan's Love)の世界になりかねないので、それを想像させるご発言はやめてくれ、と常日頃からお願いしているところではある。まぁ、大頭さんは、BLの世界で描かれることの多い、男子校出身者なので別に違和感がないのかもしれないが、男女共学の公立の中高(それも、高校に関しては、強制的にどちらかの性が40%を下回らないこと、という条件付きだった)でしかそだったことのないもので、奥様と仲良しなミーちゃんはーちゃんとしては、あのがぶり寄りには参ることがある。

    https://www.amazon.co.jp/dp/4592138376
    BLもどきの名作 『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵 花とゆめコミックス)から この表紙の人は、「きさらぎ瞬」と呼ばれる登場人物だったと思うが、男性のはずである。

     

    最近の大頭さんの写真は少女漫画もどきの桜の花を背景にした映像が多く、疑惑はほぼ確信に変わり始めている。(ウソw)

     

    著者に関する小ネタ集
    さてさて冗談めかしたお話(本当はこういうのが大好きだが)はここまでにして、本書では(というよりは舟の右側連載中の連載時点から)、藤山寛美も真っ青の見事なボケっぷりを見せておられる(関西方言では、ボケをかます、と表現する)。この人の実力がどの程度のものなのかは、関西凸凹神学会(今度は上沼老師をスピーカーとしてお迎えするし、なんとあの日本基督教学会元会長の水垣渉老師も時々ご出席(水垣老師がご参加になられたのは、大頭さんの貢献ウルトラ大である。これは、正当に評価されるべきであろう)であるし、ユダヤ思想師がご専門の手島イザヤ老師にもご登壇いただいた)でももう3年ほどのおつきあいがあるが、ミーちゃんはーちゃんが尊敬してやまない英神父を高校の後輩ということで昔のあだ名でエイちゃんと呼んでみたりするこの人が、どこまで天然ボケなのか、どこまで賢いのか、未だに図りあぐねているが、独自の感覚というか、嗅覚というか、センスというか、地頭はどうも良いらしいように思うが、ときどき、「え?」と思うような質問をミーちゃんはーちゃんに、ぶつけてくることがある。

     

    教会のウェブサイトも自己管理しておられるし、内容豊富でかなり立派な教会ウェブサイトを運営しておられる。ただ、基本形とその運用マニュアルは、ミーちゃんはーちゃんが作成いたした。それほど一定の技術はお持ちのようなのだが、時々、What?と言いたくなるようなWeb技術周りの質問「焚き火の歌をYouTubeに載せたら、Youtuberになって、お金が儲かるかなぁ?」とか「メルマガで改行ができないんだけど…」とか言った質問を遠慮会釈なくぶつけてくる。ここでは、久保木先生から悪口禁止令出てないので、ちょっとくらいは悪口を語ってもバチは当たるまい。

     

    この本書の主著者の大頭さんという人は、ものすごく極悪非道なのである。教会員が減ったのはそのせいかどうかはわからないが、教会員が減り、当然のごとく、教会の献金が減ったのを見て取って、自ら牧師給の減額を総会に申し出て、それを必死で教会員に止められて、思いとどまったというのである。
    こんなことをやると、ただでさえ少ない全国の牧師の牧師給が減額されてしまうではないか。「大頭先生は申し出たのに、うちの先生は申し出ない。実にけしからん」ってことになるではないか。どうせ、ミーちゃんはーちゃんは、牧師ではないので、関係ない話ではあるけれども。こういうわけのわからん事をするから、ぼけているのか、賢いのか、と本当に当惑してしまう。その挙句の果てに、「Youtuberになったら、お金が儲かるかなぁ?」と聞いてこられたりする。もう、訳が分からん。

     

     

    本書の面白さ
     本書の面白さであるが、松竹新喜劇の故藤山寛美よろしく大頭さんがボケ倒した、もともと「舟の右側」の連載として掲載されてきた文章に、大頭さんが、知性と勘で、というよりは第六感で、対論あるいは対話者を呼んで来たのだと思っている。その第6感で、見つけてきた予定討論者、それも結構なキリスト教福音派界隈での著名人を、無理やり引っ張り出し、自分がぼけて見せた文章に突っ込みを入れさせるという、実に高度な芸当を展開しているのが本書であるといっても過言ではなかろう。この本に、ミーちゃんはーちゃんも本書の世界に、引きずりこまれているが、実際に、相当な顔ぶれが多いのである。特にキリスト教関係のネット業界関係者を中心として、かなり有名な関係者を引きずり出してきているところである。
    ところで、この多様な教派の関係者を引っ張り込んでいるのも、実は、売るための戦略なのである。

     

    自分の本に討論者として寄稿させておくと、寄稿者が勝手に自分のブログやウェブサイトや、ツィッターや、Facebookで、自分が書いた本であるとして、紹介するだろう、と読んでいるようだ。といっても、印税は寄稿者には一切入ってこない仕組みになっているw。Facebookで紹介もするし、ツィッターでも独自に情報を拡散するだろう、という実にひどく戦略的な書籍の販売計画が大頭さんが陣取っている作戦本部には存在するのだ。こういうことは、きちんとばらしておかないといけない。w

     

     

    さらに、執筆陣も日本基督教団から福音派に至るまでと幅広く(やや福音派が多い)であり、教派・教団を抜け出した、とかいうような評価もある一方(詳しくは、本書の「推薦のことば」に当たる部分での祝辞と称される部分で「教派や教団から飛び出た広場の創造 」というタイトルにもそのような評価が反映されているようである)、実は、これもまた、販売戦略なのである。それぞれの応答者の教団教派の人の何人かは、買うだろうし、そこの神学校の図書館には入るだろう、と実に、計算高い戦略が隠されている。

     

    その読みの上での応答者を巻き込んでいるのだから、もうこれは悪辣非道、金儲け主義と言われても仕方がないだろう。関西凸凹神学会で清貧の思想なんかの話も聞いているはずだが、その時は信徒さんのお葬式だったか、何かだったかもしれないので、清貧の思想の話は聞いてないかもしれないが、そんなものなんか「そんなの関係ね~~~、はいおパピ~」のノリなのである。

     

    小島よしおさんの、ハイおぱぴ〜~~

     

    松竹新喜劇というよりはプロレスじゃん

    なぜに、この本が松竹新喜劇的かというと、著者の大頭さんとであった、あるいは無理矢理に大頭ワールドに巻き込まれた関係者が、大頭さんの藤山寛美さんのようなアホ話を含む(ただしアホ話だけが本書で展開されている訳ではないが、多分にアホ話も少なくない)に付き合わされて、それちゃうんちゃうんとか、それおもろいなぁ、ともっと上品なことばでゆるく話し合っている状態が生まれているのである。だからこそ、神学的『徹子の部屋』と同書の帯には銘打たれているが、残念ながら、一方通行である。まぁ、世の中にシンポジウムとか、公開討論会とかあるが、現在の段階では、壇上で繰り広げられた交換討論会とか、公開シンポジウムみたいなものを読者は見せられているだけ、という印象が強い。

     

    こう考えると、なんとなく松竹新喜劇と言うよりは、新日本プロレスとジャパンプロレスの間の異なる競技団体のプロレスのような気がしてきた。或いは猪木対アリのような異種格闘技のような気がする。そういえば、大頭さんは、驚くほどナイーブな割に体格はいかついので、ジャイアント馬場のような感じかもしれない。そうだ。この本は聖書の理解に関するプロレスが展開されている本なのだ。そして、大頭さんは、プロモーターであり、神学的レスラーであるような存在なのだ。

     

    そもそも、イスラエル人は、その父祖であるイスラエル(ヤコブ)が神の人とレスリングをしてもものつがいを打たれた話が大好きなのだ。このレスリングの話から、イスラエル(神の人と争うものという意味)という名称が来ていることを何より喜ぶのが、イスラエルの民なのだ。だからうなじがこわい民と呼ばれてもしょうがないだろう。

     

     そのことは、実は同書での応答文の執筆段階で、薄々気がついていたから、第6章の応答の部分で、ミーちゃんはーちゃんはちゃんと書いている。この人は場外乱闘の常習犯であると。

     

    この章でも、大頭さんは、場外乱闘モード全開で、オープン神学をナルニアや指輪物語の人物を登場させつつ、わかりやすく説明しようとはしている。それが成功しているかどうかは別として。(『焚き火を囲んで聞く神のものがたり・対話篇』, p.162)

     


    新日本プロレス V.S. ジャパンプロレス

     

    猪木対アリの関連映像

     

    日本イエスの大頭眞一 V.S. 日本基督教団の久下倫生の10分間一本マッチや、日本イエスの大頭眞一 V.S. 福音自由教会の高橋秀典の10分間1本マッチ、日本イエスの大頭眞一V.S. 日本長老教会の古川和男・・・・・ のようなかたちで、実に多くの教派の牧師の先生方を巻き込んで神学的プロレスの録画集のような本なのだ。

     

     おまけに、祝辞ということで、大阪ハリストス正教会のマリア松島純子先生(正教会音楽の研究者)や、あの岩渕まことさんまでリングサイドで、応援させている。ろくでもない。どこまでのプロモーターなんですか。全く。

     

    そんなことを思っていると、そういうことをしたアメリカのお笑いの人がいたことを思い出した。

     

    それは、誰かというと、ジム・キャリー主演の映画「マン・オン・ザ・ムーンに出てくるアンディ・カウフマンである。なんとなく、大頭さんは、あの映画に出てくるジム・キャリーの風貌にも似てなくはない。そうだ、大頭さんは、日本の福音主義神学の世界におけるジム・キャリーなのだ。そして、ミーちゃんはーちゃんは、リングに無理やりあげられた「さすらいの悪役レスラー」のような存在である。そういう存在であるから、悪役レスラーにふさわしく、この本の第6章というリングの上で、悪役レスラーにとってのお約束である対戦相手に悪態をつくということを、ちゃんとやって見せている。詳しくは、是非とも、本書をお買い上げ頂き、ご覧いただきたい。


    マン・オン・ザ・ムーンのスペイン語字幕版でのアンディ・カウフマンと女性のプロレスリング・シーン


    異種格闘技のあとのN B C のLetterman Showに出ているアンディ・カウフマン (1982)

    実際のレスラーとの対決シーンあり

     

    ところで、プロレスでもそうだが、公開シンポジウムとか、公開討論会では、観客はリングと言うか、シンポジウムの壇上には、あげてもらえない。

     

    一般読者にも挑戦状を叩きつける大頭さん

    それではかわいそうだと、大頭さんが、公開シンポジウムや、公開討論会で、よくあるタイプのフロアからの意見とか、コメントとか、リングに上がらない安全な環境にいるままのリパーカッションをネット上でだしてもらおうという企画が大頭さんの頭のなかに浮かんだらしい。もうここまでくれば、毒を喰らえば皿までのノリである。

     

    本人が気が弱いのか、先週メガンテを投下されたからなのか、事もあろうに、ただでさえご迷惑をおかけしている出版社ヨベルの安田さんまで巻き込んで、ミーちゃんはーちゃんにそういう交流サイトを作ってほしい、と安田さんから連絡をもらった。もちろん、その段階で、楽屋事情が露呈したので、ミーちゃんはーちゃんの大頭さんにたいする堪忍袋の緒が切れそうになったことは言うまでもない。
    なぜ切れなかったのかは、ただただ主の哀れみによるのだと思う。

     

    メガンテ http://ameblo.jp/mademoisellego/entry-12028695966.html より

     

    Lord have mercy,
    Christ have mercy,
    Lord have mercy on me, as a sinner.

     

    の効果であろう。
    一応、読者参加型掲示板もできた(というか、正確には依頼を受けて作った)

     

     

    よろしければ何か書いてほしい。大頭さんが小人閑居して・・・ならぬ大男閑居して とならないように。w

     

     

    その意味で、この本は面白い本であることは断言できる。プロレス、それも、異種格闘技系である。面白くないはずがない。
    そして、出版後も目が離せない世界が広がりそうである。 (完 多分・・・)

     

     

     

     

     

     

     

    コメント
    管理者の承認待ちコメントです。
    • -
    • 2017.05.27 Saturday 09:59
    久下先生

    コメントありがとうございました。メルアド流出するとまずいので、コメントでお返しさせていただきます。

    >愛にあふれた大作ですね。大頭さんへの最大の誉め言葉?

    大頭先輩がどうなろうとかまわないのですが、大頭さんにこの出版やら、神の物語やらの出版やらで振り回されたヨベルさんがおかわいそうで、おかわいそうで、攻めてもお販促活動・・・・でございます。w

    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2017.05.27 Saturday 15:40
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