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2017.05.03 Wednesday

後藤敏夫著 『神の秘められた計画』 福音の再考 − 途上での省察と証言 を読んでみた(2)

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    今日もまた、後藤敏夫先生の『神の秘められた計画』 福音の再考 と題された新刊を読んで、つらつら考えたことを考えてみたい。

     

     

    まずその前に、ここ冒頭において、後藤先生から、前回の記事とミーちゃんはーちゃんにご過分のお言葉を賜ったことをご紹介し、そして、ここで、感謝の意を示したい。

     

    後藤先生、本当にありがとうございました。でも、ちょっこし、ミーちゃんはーちゃんのことを買いかぶり過ぎでございますです。ハイ。

     

    応答への後藤先生の応答はこちら、 川向 肇さん(ミーちゃんはーちゃん様)への感謝 から

     

    そして、後藤先生とミーちゃんはーちゃんの間を、『終末を生きる神の民』 というブログ記事で お取り持ちいただいた服部先生(現在ロンドンで奉仕中)に御礼を申し上げたい。この記事がなければ、お会いしたこともないのに勝手に私淑している後藤先生との出会いはなかったし、ミーちゃんはーちゃんの今もなかったと思うのである。

     

    個人の救済でとどまるのか、人類の救済も視程に入れるのか

    個人的には、福音派と呼ばれるキリスト者集団の隅っこで、キリスト者としての生活を40年弱過ごして、今は、どういうわけか、Anglican CommunionでCantabery Trailをたどっているが、時々は、Constantinopoli Trailにも顔を出している。その中で改めて思っているのは、聖公会や正教会、カトリック教会等の伝統教派での共同体性の強さである。確かに中世の時代、これらの教会は、ある面抑圧的なほど、個人を縛った側面があったであろう。必要以上に縛っていたのだと思う。それらの教会からの捕囚からの開放を目指して宗教改革は起きた、のだろうと思う。そして、個人を共同体の束縛から、共同体としての教会の呪縛から解放した、という側面があるが、それは同時に、Me and My Godの関係で神との関係をとらえる方向に、宗教改革以降の人々の神と人との関係について、大きく舵を切らせた、ともいえる様な気がする。そしてそのことが、教会から個人を開放もしたが、教会の共同体性の基盤を失わせることになったように思う。

     

    その結果としての福音派の宣教のポイントについて、後藤先生は次のように書いておられる。

    私がクリスチャンとして生まれ育ったのは、いわゆる福音派の教会ですが、そこでは「人類の救済」といういい方はあまり聞かれません。福音派の特徴は個人の魂の救いにあります。つまり、「私」や「あなた」という一人ひとりの個人がキリストの十字架の身代わりの死を信じることによって、罪を許され、永遠の命を与えられて天国に行くということが福音派の宣教の要点です。(中略)イエス・キリストを信じるということは、伝道による個人の回心ということを離れてはありえません。しかし、そこでは神の創造目的の回復としての「人類の救済」ということはあまり意識されません。というよりも「人類の救済」といった言い方は、救いのメッセージの個人的な焦点をあいまいにするように受け取られてきたと思います。これには、教会や神学の歴史が深くかかわっていますが、ここでは、それに触れません。(『神の秘められた計画』  p.48)

     

    ここで後藤先生がご指摘のように、福音派の教会にないものは、「神の創造目的の回復としての「人類の救済」という」概念だと思う。福音派の教会では、人類の救済が、分割された人類である個人がたくさん救済されて、その救済された人が集まった結果としての救済された人類の束としての「人類の救済」という概念になっている様な気がする。そして、人類ひとくくりで救済というと、すぐに、「万人救済論」だとかいう、レッテルかラベルか、レーベルかは知らないが、なんか烙印というかある種のシールが貼られるような気がする。確かに、この部分はややこしい部分ではある。ただ、聖書を見る限り「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」という指摘があちこちに見られる。いかに幾つかの例を上げてみたい。

     

    そもそも、創世記の中にはこうある。

     

    【口語訳聖書】 創世記
     17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、
     「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
     17:2 わたしはあなたと契約を結び、
     大いにあなたの子孫を増すであろう」。
     17:3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、
     17:4 「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
     17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、
     あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の
     父とするからである。
     17:6 わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。
     17:7 わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。
     17:8 わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう。
    そもそも創世記からして、どうも「神の創造目的の回復としての「人類の救済」という」概念があるような気がしてならない。

     

    【口語訳聖書 マタイによる福音書】
    24:14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

     

    もあれば、
    【口語訳聖書 ヨハネによる福音書】
    1:7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

     

    もあるし
    【口語訳聖書 コリント人への手紙 第1】
    15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。

     

    とか
    【口語訳聖書 テモテへの手紙 第1】
    2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
    などというのもあるし、さらには、
    【口語訳聖書 テサロニケ人への手紙 第2】
    3:2 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。

     

    とある。

     

     

    個人的には、大航海時代のスペイン系カトリックの人びとが南米で行ったように、個人的な神との関係を全く無視し、伝道といいつつも、地域の領主を改宗させて、手っ取り早くその領主の支配下の全ての人々をその進行の内実を問うことなく、キリスト教に改宗したことにするかのような、大きく共同体制に依拠し、共同体性をハイジャックしたかたちの伝道と改宗の方法はどうなんだろう、とは思う。おそらく、福音派の人々が全人類の救いというと救いのメッセージの個人的な焦点をあいまいにするように受け取ってきた背景には、このような過去の黒歴史の影響があるように思うのだなぁ。

     

    とはいうものの、逆に、共同体性を全く無視し、個人主義的な神との関係にのみ偏った聖書理解もまた、どうなんだろう、と思う。これ、両方あってはじめての話であって、どちらか一方という話でもないように思うのだが。近代では、個人と神との、Me and My Godの話になってしまっているように思う。

     

    ホロコーストという西ヨーロッパ・キリスト教社会の黒歴史

    ユダヤ人差別は、ある段階から西洋社会においてかなり大きな問題になってきた。そして、社会の片隅に置かれながら、経済的な実力的にも、様々な影響力の面でも、大きな力をもっていたユダヤ人は、社会不安のはけ口になり、ポグロム、ホロコーストという悲惨な事件を生み出していたのである。そして、ホロコーストは知られていても、それはナチスが悪かっただけであると日本人の多くには理解されているかもしれないが、このような分断が千年単位で西欧社会の中にあることは案外知られていないかもしれない。

     

    ポグロム http://musey.net/mag/21から なお、この画像が載っていたhttp://musey.net/mag/21 「本当は深い「ドナドナ」の真実:ユダヤ人との深い関係とは?」の記事は読まれたほうが良いと思う。

     

     

     

    https://en.wikipedia.org/wiki/The_Holocaust から

    新約聖書の時代、人間を互いに隔てる最も深い敵意の壁は、ユダヤ人と異邦人の間にありました。私たち日本人も異邦人です。しかし、ユダヤ人と異邦人の問題といわれても、遠い世界のことのようで身近に感じられません。ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の歴史がある西欧では、これは今日に至るまで、聖書研究のような分野においても非常に神経をとがらさざるを得ない歴史と社会の問題です。身近に感じられないといっても、同じような敵意が私たちにないということではありません。ただ、そういう歴史と社会の経験がない、あるいはあっても気が付かないというだけです。(同書 p.61)

     

    後藤先生のおか気になられたものを読みながら、聖書の中にある次のような部分を思い出していた。

    【口語訳聖書】ガラテヤ人の手紙 

     3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
     3:29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

    上のような記述の中に、パウロがこのように書いていたとしても、結局、西洋社会において、ユダヤ人と非ユダヤ人の間に敵意と分裂は存在し続けたのである。とは言え、そもそも、初代教会は、改宗ユダヤ人のシナゴーク(ユダヤ会堂)の中で、パウロが伝道することから始まった、と使徒行伝はお伝えしておられるけれども。

     

    シナゴーグのパウロ

    http://spu.edu/depts/uc/response/new/2012-spring/bible-theology/close-to-corinth.asp から

     

     

     

    支配階層と被支配層が共存する教会とその問題

    支配、被支配の関係は、どのようなものであっても、人間関係に歪みをもたらさない訳にはいかない。支配された皆さんは(被支配者側)は支配する側の皆さん(支配者側)に恨みを持たざるをえないし、貧しいものは、豊かなものに対して、僻みの混じった視線をどうしても向けたくなってしまうのではないだろうか。そのような人間関係性が、初代教会時代から問題を起こしているのではないか、と思う。あるいは、支配、被支配でなくても、ギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人の間で、問題が起きたことは使徒行伝の中で書かれている。

     

    【口語訳聖書】使徒行伝
    6:1 そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。

     

    同じユダヤ人であってもこの状態である。数の上での支配的、被支配的関係が教会内にある場合に、教会がどうなったか、ということが書かれているのようなのである。そのあたりのことに関して、後藤先生は次のように書いておられる。

     

    ローマ教会は異邦人クリスチャンの群れになります。やがて(引用者補足 クラウディウス帝によるローマからのユダヤ人の)追放令が解かれてユダヤ人クリスチャンたちがローマにもどってきますが、教会は最初からのユダヤ人クリスチャンよりも、もう異邦人クリスチャンたちの数の方が多いのです。そこで問題が起きます。ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの民族的・文化的な違い、聖書理解の違いから生じる問題です。「ローマの信徒への手紙」は神学的・教理的に読まれることが多いのですが、−− そして確かに深い神学的議論がなされていますが ーー その背後にあるのは、非常に現実的、具体的な教会の分裂問題です。「異なる者たちがキリストにあって互いに愛し合って一つになる」という課題です。(同書 p.62)

     

    同じキリストを共有しているはずのキリスト教徒であっても、今日、キリスト教の教派は数え切れないくらいあるし、その教派感での微妙な差を巡ってのディスり合い、微妙な神学の違いで、あたかも異端であるかのごとく悪し様に言い合うさまには残念でならないし、まぁ、それこそ、罪の醜さを見る気がする。

     

     

    神の平和

    平和というのは、某国の防衛大臣ではないが、戦闘行為がない状態ではない。平和維持活動は、何らかの理由で平和が維持できないから無理やり1軍隊というむき出しの武力で、無理やり戦闘がない状態を作り出す必要があるのである。そもそも、戦争が起きるのは、宗教だとか政治だというが、実際は、ほかと比べて自分が貧しい状態に置かれている、と思い込むことが争いの原因になるのである。だから、金持ち喧嘩せずなのだ。

    喧嘩しても何もいいことがない事が多いのだけれども、貧しい人や失うものすらない人にとって見れば、争うことで、ひょっとして、千に3回でも自分の状態が良い方に変えられる、少しでもより良くなる、ということを思うから、争うのである。その意味で、他者との比較を始めた瞬間にろくなことが起きないし、平和を味わうことができなくなる。平和は、人間が作り出すものでもないような気がする。神から与えられたシャロームを享受するのが、せいぜい人間にできることなのかもしれない、と最近は思っている。

     

    その平和について、後藤俊夫先生は次のように書く。

     

    キリストの「平和」は、ギリシア語では「エイレーネ―」ですが、その背後にはヘブル語の「シャローム」があります。「シャローム」という「平和」は、ただ争いがないという状態ではありません。すべての被造物が神に作られた目的や役割を満たして、全体が調和して、本当に命に満ち満ちている状態です。旧約聖書で「シャローム」は日常的な光景にも使われます。例えば、自分たちが育てた果樹の下にみんなが集まって、その果実を喜びながら互いに和らいで過ごす時、それは「シャローム」です。(同書 p.66)

    後藤先生は、シャロームについて次のように表現する。「例えば、自分たちが育てた果樹の下にみんなが集まって、その果実を喜びながら互いに和らいで過ごす時、それは「シャローム」です」と。これは、ご自身が、北の大地でのご経験に立脚したことばのような気がする。そして、それは、まさに、詩篇の中の次のような表現のことなのかも知れないと、読みながら思った。
     
    【口語訳聖書 詩篇】
     133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは
     いかに麗しく楽しいことであろう。
     133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
     133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。
    あるいは

     

    【口語訳聖書 イザヤ書】
     11:6 おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
     11:7 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、
     11:8 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
     11:9 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。
    の中の、特に、「彼らは、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである」というイメージこそ、平和なのだろうと思う。

     

     

     

    http://www.movemequotes.com/lion-sheep/  より

     

     

    しかし、旧約聖書やイスラエルの民を見れば、兄弟がまともに融和していることは殆どない。アベルとカイン、ヤコブとエソウ、ヤコブとその他の兄弟とは揉めているし、ベニアミン族は、イスラエルの他の部族との間との混乱で滅ぼされそうになった記述が士師記にはある。なかなか、兄弟間でも平和ではないのである。

     


    Cain&AbelTiziano
    ツィツィアーノ作、カインとアベル

     

    その意味でも、キリスト教会での聖書無誤論か無謬論なのかなどを巡る論争や、各種教派間の対立や分裂というのは、イスラエルの兄弟げんかみたいな形を、今もなお違う形で繰り返していて、それを神は、「しょうがないなぁ」と悲しみつつも、深く憐れみの心(ヘセド)ももってご覧になっておられるのかもしれない。そして、最終的には、その分裂や対立を神の憐れみのうちに回復、あるいは修復し、平和をもたらすことができるご計画をお持ちなのだと思う。

     

     

    次回へと続く

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    評価:
    後藤 敏夫
    いのちのことば社
    ¥ 1,188
    (2017-04-21)
    コメント:おすすめしております。

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