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2016.10.15 Saturday

京都精華大学での中田考さんの講演会にいってきた(講演編)

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    今日は、先週、京都精華大学で行われた中田考さんの講演会のときの速記録をもとに、その公園結果を可能な限り、再現してみようかと。本当は、ペルシャ語専攻の息子殿と行く予定だったのですが、ボランティア先でやんごとなき事情が出たらしく、結局奥さんと二人で行くことに。スクールバスがあるとのことだったのだが、叡山電鉄は乗ったことがない(用事がなかった)ので、出町柳から叡山電鉄で、京都精華大学までいくことになった。なお、三橋はマイルド鉄ちゃんとも呼べないほどの人間である。

     

    可愛らしい叡山電鉄に乗って

    なんと1両のワンマン電車・・・奥様テンション上がりまくり。私、びっくり。電車に乗って、京都の北西方向に進むと岩倉という地名が・・・おお、あの岩倉卿が蟄居召されておられた岩倉じゃございませんか。昔、500円札のおじさんだった。



    可愛い叡電 復古型361(これだけで動いてた)

     

     

    内部は、阪急電車そっくりw

     

    岩倉具視さん(500円札バージョン)

     

    学内向けのポスター(食道前)

     

    さすが芸術系学部があるだけのことは、実にわかりやすいビラ。

     

    以上京都精華大学構内で。

     

     

    最初、マリ出身の学部長さんからのご紹介が軽くあり、どうもこのアセンブリーアワーというのは、この京都精華大学の見学依頼の伝統でもあるらしく、その講師として時代のカッティングエッジな人達を呼んできているというようなかんたんな紹介があったあと、講演者の中田考さんのご登壇であった。

     

    のっけから、自分が書いたレジメをもってこない、中田さんであったがある面、それが中田さんなんだなぁ、と思った。ご自身で、自分はマイクの使い方は下手なので、聞こえなかったら言ってほしい。聞いてもらうことが大事なので、それには最大限配慮したい、ということであった。

     

    また、レジメを配っているがこれは、メモ程度であり、これに関わりなく思ったことを喋りたいとおもいます。(ミハ氏註 なんてイスラム的なんだ)。1時間位喋るので、終わってから積極的にフロアからの質疑応答をしてみたい。


    中田氏の研究のバックグラウンド
    多くの人にとって、ムスリム=イスラムという認識があるだろうし、それは喫緊の現代的な課題の一つでもある。。私は東大のイスラム学科で勉強。思想系(文学部哲学とか、インド哲学、宗教史学の研究 思想を勉強するしてきたが、私の専門は、イスラム神学やイスラム法学などである。

     

    イスラム国のこと
    イスラム国の事から始めたい。イスラムとか、イスラムとなんとかと言った類の本が出ているが、案外本を書いている人で、イスラム学そのものをやっている人はすくなくて、歴史学の先生や国際関係論の関係者の人が多い。その意味で、イスラム思想を真面目にやった人は居ないので、どうしても見方が偏っているところはある。

     

    日本の宗教シーンとイスラムの宗教シーンの違い

    ところで、現在、イスラムに興味を持つ人は多いが、イスラムについて興味を持っているのか、ムスリムに興味があるのか、わからないまま、議論がされている傾向があるだろう。現実に実際的な問題が生じるのは、ほぼ、イスラム教徒との間であり、多くの人にとって、ムスリムと付き合っていくことで知りたいことがある人が多いのではないだろうか。

     

    ところで、日本人の多くは仏教徒とか神道の氏子とか、基本自己申告でカウントされているので、その信徒数を合わせると、日本の国民の総数を遥か超えるし、仏教や神道などの信仰を持っている人がそれぞれ、何人いるかはっきりしないという現状がある。また、仏教徒であると言っても、本当に仏教に詳しい人は、それほどは少ないだろう。パーリ語とか、サンスクリット語で仏教典を読んで、仏教典について議論できる人はほとんど居ないのではないだろうか。

     

    ところで、タイやミャンマーの上座部仏教は、生活の中で生きている仏教であるが、日本では、仏教とその思想が生活の中で生きていない事が多いだろう。その意味で、仏教徒でも、仏教がわからない人が多いのではないだろうか。しかし、ムスリムは生きていて、イスラム教は生活の中で生きている存在なのだといっていいだろう。


    今話題になることが多いイスラム国というものができているが、それは、そういう名前の国が新たにできたということであり、そこに行ってきた日本人は2〜3人しかいないだろうし、私はその一人である。そもそも、イスラム国は出入り禁止であるので、イスラム国から来る人は居ない。でも何かあるとあなたはイスラム国から来たの、と日本人は多くのイスラム教徒に聞く事が多いのではないだろうか。

     

    では、信仰としてのイスラム教に生きている人で、イスラム国と自らを名乗っていない国や地域は、イスラム教国ではないかと言われると、それは確かにある意味当たっていて、イスラム教徒が多くいる国から来ている人はたくさんいることは確かではある。日本から近いイスラム教徒の多い国には、マレーシアとか、インドネシアがあり、たしかにマレーシアでは、憲法的にイスラム教国であると宣言しているが、これはイスラム国そのものではない。


    インドネシアは、偉大なる唯一の神を信じるのが憲法上の国民の義務となっているが、ここで言う唯一の神を信じる人のなかには、イスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥ、仏教、も含まれ、儒教が最近その中に含められるようになっている。なお、インドネシアは、イスラム京都が最大数いる国ではある。

     

    また、イスラム協力機構と呼ばれるものがあり、このイスラム協力機構は一種の国家機能を果たすが、OCI Organisation of the Islamic Conference → Organisation of Islamic Cooperationと呼び方が変わっており、この組織は国連にも登録されている。もちろん、サウジアラビアなども加盟しているが、ソ連もOCI に入っている。その辺怪しいところがないわけではない。

     

    イスラム的な政治体制とイスラム国

    本来のイスラム的な政治体制は、カリフ制であり、中世の11世紀くらいからそのままである。カリフという国家元首をいただき、それに従うものが、イスラム国家であるということになっているが、カリフそのものがなくなっているので厳密な意味でのイスラム法上のイスラム国家があるかどうかは怪しい。その存在に様々の問題はあるにせよ、カリフを担いでいる国家であるという意味では、イスラム国が結果として、イスラム国家のかたちに近いかなぁ、というくらいの感じであろう。

     

    なお、エジプト・トルコとかは、カリフ制を採ってはいないし、イスラムの国ではないのは、学問的に明らかである。このような情勢の中で、世界中には15億人くらいのイスラム教徒がいる。その意味で、イスラムの理念と現実は別のところになっている。

     

    正しいイスラムとは?

    日本にいるとわかりにくいのは、正しいイスラムとは何か、ということである。どうすれば正しいイスラムがわかるのか、というと、正解は実はわからないというのが正解である。正しいイスラムがどのようなものかをわかろうと思えば、どうすればいいかというと、何らかの権威に頼ることを普通の人は考えることだろう。学説が分かれた時に、大学の先生に聞くというのは素人が良くすることではあるが、文部科学省認可の学校で教えてもらえば、何らかのお墨付きの見解は一応は聞かせてもらえるので、その意味ではある面、正しいといえるかもしれない。キリスト教であれば、中でも、カトリックであれば、ローマ教皇が言うところや公会議で決められたものであれば、正しいと言えるだろうし、教会連合のような一種の組織の声明文があれば、その見解は一応は正しいと言えるかもしれない。この公会議に当たるものは、宗教者会議という性質を持つものであり、それが現在の社会の中では一種の権威の源泉となっているのである。

     

    ある人が言ったら正しいとか、正しくないとか言うことはできないと言える。その意味で、何が正しく、何が正しくないのかについては、神だけが知っているというのが、イスラムの思想であるといっていいと思う。これを聞くと、なんといい加減なことかと思うのは、それはそれで仕方がないが、単純にそうとも言い切れないのではないだろうか。

     

    標準化されたイスラムの宗教儀礼

    例えば、戒名とかお墓のことに関して、まともに喋れる仏教徒が言えるかというと、それはそんなにおられないのではないだろうか。仏教徒に、礼拝のやり方がどんなものかを聞いても、色々宗派ごとに違いが有りすぎて、決まっていないといえる。しかし、もしイスラムに聞けば、教義の正式の決定機関はないとはいうものの、イスラム教徒なら誰に聞いても、礼拝のやり方は決まっている。

     

     時間も決まっている。カーバーの方向に向って、立って、お辞儀をして、地面に膝を付ける形での礼拝をする。唱える言葉も確実に決まっている。イスラム教徒の誰に聞いても概ね同じ答えが返ってくる。イスラム教徒にとっては当たり前だが、仏教やキリスト教徒に聞いても礼拝の仕方も別々。公式の教義を聞いても、バラバラな答えが返ってくるのが、現在の日本の仏教とかキリスト教である。また、服装規定、暦規定が公式の組織がなくてもイスラム教徒にとっては決まっているのである。

     

    聖典文書の大切さ

    なぜ、イスラムは安定的か、といわれれば、それは書かれたテキストとしての聖典があるからであり、それがクルアーンである。また、預言者ムハンマドの言行録、ハディースがあり、それを読めば、何をすべきかがわかるようにできている。したがって、イスラム教徒なら誰に聞いても同じ答えになるし、そうならざるを得ない。これらの聖典を読めば、理解できるようになっているのである。とはいえ、みんなが読めているかというわけではない。その意味で、イスラム教徒にとっては、基本的に正しい教えがあるのである。クルアーンにしてもすべての人が完全に覚えているわけではないものの、何十万単位で、クルアーンを暗唱している人がいて、かなりの教義はこの聖典としてのテキストに従っていると、遡れる人がかなりいるのである。とはいえ、すべてのイスラム教徒は、毎日、常に、教義ばかりを考えるわけではなく、普通に生きている。

     

    イスラムと西洋文明の最大の違い

    では、イスラムと西洋文明の最大の違いは何かを考えてみたい。
    我々は、現代社会に生きているが、サウディアラヴィアであれ、日本であれ、西洋文明を考え方の基本にしている。ところで、その西洋文明によって、植民地化された地域がある。イスラム教徒が多いムスリム中心の国でもこれらの西洋文明の考え方は、学校教育で教えられていて、現在では、それが主流になりつつあるのである。

    西洋文明を学校で教えられている国は多く、基本的には、小学校に行ったころから、そのような概念を習っているところが多い。この西洋文明では、自然科学と生活が分離されているのであり、特に科学の世界では、世の中には物質しかない、と分けて教えている。ところが、世の中には、自然科学に含まれえない、人文科学的要素もあるのである。例えば、自然科学には善悪はないし、物理学とか生物学でも人間は対象になるが、人間も単なる物質とその集合であると理解している人が多いのではないか。

    人間はいずれ死ぬのは決まっているというものの、善も悪もないという概念が西洋文化で支配的であり続けた。もちろん、そうではない価値観も西洋文明の中にあり、ヒューマニズムとか、民主主義とかは存在する。しかし、イスラムによれば、神は物質を作り、善と悪、法とか倫理も神によって定められたと考えている。これがイスラム文明の考え方の特徴である。

    西洋文明では、心身二元論とか、聖俗二元論などが存在はするが、これは矛盾でしかないのではないか、というのがイスラムの側からの主張である。そして、二元論的な概念構成が諸悪の根源だと思っている。これがわからないとイスラム文明を理解することはできないし、これがわからないとイスラムの異文化性といおうものは、わからないだろう。物質でないもの、自然科学の範囲と人文学の範囲がが分離している。また、はっきり矛盾だ指摘できるものも西洋文明の中にあるのではないか。例えば、国家が勝手に決めた領域国家システムとか、人類の平等という理想などが、その矛盾の例である。

     

    領域国家と西洋近代と西洋諸学

    領域国家に関して言えば、西洋が大航海時代に帝国時代に進出(進出された方は侵略だと思うのだが)する中で作り上げられていった概念であり、状態なのではないだろうか。また、西洋人は、人類の平等を言うものの、他の世界を知った時に、3つの段階に人類を分けた。それは、文明人(西欧のみ)と、劣等民族と未開人であり、その3つのグループに分けて考える習慣がある。文明人の対象の学問が、社会学や経済学であり、西洋人ではないが、高度な文明を持っていて、実際に社会を運用する力もあるが、ちょっと劣っている劣等民族があり、それ対象の学問がオリエンタリズムであり、その範疇に入らないものが、未開人であり、その研究分野が人類学 民族学である(ミハ氏註 これはわかりやすい学問累計の仕方であると思った)

     

    西洋文明が最初から進んでいたようにみえるが、インド(ムガール帝国)などや、中国などが、かなりの時期軍事、経済で優勢であった時代もある。(ミハ氏註 西洋文明の自然科学は、ギリシアで始まったが、中世では壊滅的状態になったのであるが、イスラム世界に冷凍保存されたギリシアの哲学や数学や自然科学が、ルネッサンス期に逆輸入されて、西洋でメジャーになったのである。数学などでのアラビア都の関わりは、皆さんが普段計算機でお使いの数字は、アラビア数字と呼ばれてないだろうか)西洋人は、人権とか人類の平等を言ったが、文明人に限った話であって、そうでない人は、人権も与えられないし、西洋人の奴隷として使われただけである。

     

    ところで、第1次世界大戦で、西ヨーロッパがお互いに殺し合って自滅したし、ほぼ自壊しても先進国出会ったから、なんとか持ったのであるが、第2次世界対戦後、民族自立ということで、植民地が列強が引いた国境を許に、どんどん独立していくことになッタ。そして、領域国民国家システムはそこに人や民族を閉じ込める牢獄の役割を果たしたのではなかったろうか。


    その結果、アラブ世界などでは、人が領域国家を超えて移動できなくなっていった。本来、人間は好きなところにいる権利があるはずであり、どこに居ても、どんな人でもどこかに居てもいいはずなんだけど、それが許されない世界が生まれ、それが、第2次世界対戦後固定化され、現在の世界ができたのである。

     

    イスラム国と西洋文明の矛盾

    この矛盾を顕在化させたのが、イスラム国である。そもそも、もともとは、イラクのイスラム国であったものが、シリアとイラクのイスラム国となり、つい、2年前にイスラム国を名乗ったに過ぎない。諸悪の根源は、サイクス・ピコ協定であり、それが、現在の国際秩序の国境を作ったのであるが、それを破壊して、挑戦したのがイスラム国であるといえる。

     

    シリアに行くと、確かに国境がある。とはいえなおイスラム国の中の多くの部分では、過去の経緯もありシリア・リラというシリアの通過、イラク・ディナールというイラクの通貨が流通しているが、独自発行している金貨も流通し始めている。

     

    難民の流出の構造

    国境を外して、イスラム国ができたのであり、西欧文明の矛盾を国境を否定することで否定しようとする動きであるといえる。イスラム国が原因で、難民が発生したと主張する向きもあるが、難民の発生は寧ろシリア政府によるものであり、シリアの内戦の結果、30万人が死亡しているが、そのうちの90%がシリア政府による殺害事件(内戦)といって良いだろう。イスラム国の攻撃によって難民が逃げているわけではない。

     

    いまイスラム国が空爆されている。ロシアやシリア政府ほど、アメリカ人は非道ではないので、意図的に民間人を殺してないという側面はあるものの、指導者であるムジャヒディーンは民間人と暮らしているので、それだけ攻撃するわけに行かないので、どうしても民間人が犠牲になり、大量に死んでいるという側面はある。その意味で、領域国家制度から脱出しているというのが現在の難民の構造であり、2000万人のうち、シリアから出ているのが、400万人ほどである。

     

    逃げらるのであれば、600万人くらいの人が逃げたいと思っているようであり、それを、塀や鉄条網を作ってトルコは防止しようとしている。塀を作って逃げるのが、留められていてなくなっているのが現実だろう。合法的に他国に脱出できないので、漁船や小型船でまともに操船技術のない人が操縦する船で地中海を渡って密入国しようとして、沢山の船が沈んで人が死んでいるのである。こういう非人道的なことが国境があることで隠されているのではないだろうか。


    人権があるという建前で西洋世界は生きてきたが、シリアとかイラクとか、アジア・アフリカ諸国を西洋諸国が無理矢理に抑圧してきただが、それが制度として機能不全を起こし始めてきたのである。

     

    先進国の分裂
    新自由主義、グローバリゼーションがアメリカを始めとする多国籍企業を利するような流れとして語られ、それに向けての流れが生まれてきたが、一国ではこのグローバリゼーションの流れに太刀打ち出来ないので、地域ブロックで対抗しようとする動きが見られている。

     

    対イラク戦争のとき、ブッシュは「テロとの戦い」とよんで参戦国を募ったが、そのアメリカの呼びかけに対して、ヨーロッパは拒否している。それは、ヨーロッパが世界の中心になろう、ということで生まれたのEUであり、ヨーロッパは米国の戦争に巻き込まれることに抵抗した。つまり、テロとの戦いというのは、単にアメリカが攻撃されただけなのに、ヨーロッパ世界がアメリカの戦いに巻き込まれようとしたと見えたのであろう。実際、フランスとドイツは反対しているし、古いヨーロッパは軒並み反対したが、唯一イギリスが巻き込まれて、戦闘することになった。(ミハ氏註 当時のイギリス首相 トニー・ブレアの顔つきからブッシュのプードル Bush's Poodleというあだ名もあったらしい)

     

     

    我々からすれば、西ヨーロッパというと、アメリカと西ヨーロッパは同じ文明圏に属すると考えるが、地理的にも文明圏的にも違うのである。実際、イギリスは、大陸諸国と戦い続けてきたし、その中で、かなり独立を保ってきた。アメリカとイギリスとヨーロッパを合わせた法律の体系は現実に存在しないのである。その意味で、イギリスのEU脱退は大きいかもしれない。

     

    ローマ帝国は分裂しているが、欧米と読んでたものは、西洋プラスアメリカであったが、それが2つに別れ始めている綱引きの時代が来ているのではないか。西ヨーロッパの大陸諸国と、英語を話すイギリスおよび北米国家とに二分化しつつあるのではないだろうか。

     

    文明の生態史観
    梅棹さんの歴史の世界観であるが、これによれば今までは、西欧の世界システムが世界を覆ってきた。その生態史観によれば、ロシア帝国が再建されたの形がソ連であろうし、地中海イスラム世界の巨大帝国の再建を考えているのがイスラム国であるとも考えられる。また、これによりイスラム文明系の再生がなされるのではないか。

     

    これを世界システムと読み起こしたのが、田中明彦さんの『新しい中世』の理解である。いま、ウェストファリア条約世界の弱体化が起きており、多国籍企業は主権国家を超える時代が起きている。

     

    この種を研究したのが、トインビー(歴史家 歴史の研究)であり、そのなかで、これまでの世界では、自分で作ったものの奴隷となり、結果として選択の自由を失うのではないか、ということを指摘している。つまり、システムという偶像を作っているのではないか、これにより、かつてあった文明を滅ぼしたし、そして、その自分が作ったものにより西洋近代が滅ぼされることになるのではないだろうか。

     

     

    次に、国民国家ということについて考えてみたい。キリスト教が西洋の宗教とい割れるものの、キリスト教の神に頼らず、国民国家というものに現在は頼っているのではないか。そもそも、神にも人類にも頼ってないのではないだろうが。言い換えると、現代人は、国家しか信じてないことになろうし、また、教会は信じてもいないのではないだろうか(ミハ氏註 N.T.ライトの『クリスチャンであるとは』を思い出した)

     

    イスラムは、この西洋近代が作り出したものの解毒剤になる可能性がある。トインビーは、現代の人類文化に貢献できるものは、アルコールの撲滅であり、プロレタリアートの生活を壊すものがアルコールであることを考えると、このアルコールの毒と戦うのには、イスラムがいいのではないか、といっている。また、ナショナリズムも、民族や人種による差別を生み出した。これは、イスラムが解決の一つになる可能性があるだろう。そして、ナショナリズムの台頭は現在進行形で世界で起きていることなのではないだろうか。

     

    日本からは理解できないイスラム世界

    日本でも、現在、国家意識が高まっていていて、その主体である国民や個人が国家に集権的に扱われている状況になってきているが、これと戦うためににイスラムがあるように思う。イスラム国は、このコンテキストで考えないとわからないだろう。ウェルベックという人が書いた金未洗い小説がいま、日本語で翻訳されている。そもそもは、フランスで出版された時に、シャルリー・エフドという雑誌が出版された頃に、ムスリム候補がフランス大統領になるという近未来小説を書いたのだが、この本がものすごく売れた。この本は実在の政治家の名前が入った近未来小説であった。

     

    そして、政治家になるイスラムが現れるのが、近々、フランスだけでないと指摘している。要するにイスラムの候補が何を考えているかといえば、ローマ帝国の再興、或いは地中海世界の再興を考えているというのがストーリーラインに流れている。


    今の北アフリカとか中東の領域は、ローマ帝国の領域であった。それらを統一するのは、ヨーロッパだとかんがえられてきたのだが、地中海圏域を作ることをイスラム世界の候補は考えた。地中海世界を作れば、ヨーロッパをもう一度、強くでき、アメリカのグローバリゼーションによルシ杯を、地中海世界という地域でブロック化していって対応する。地中海以外にも、イランからバングラデシュ、マレーシアとかもあるけど、地中海的なイスラム世界の再建を目指していくという考え方である。(ミハ氏註 これをやろうとしたのが、北アフリカ出身のハンニバルである。将に、ハンニバルRevisitedを絵に描いたような近未来小説らしい)

     

    カルタゴ(古代北アフリカ)の将軍 ハンニバル

     

    一番のインセンティブは経済である。地中海世界を巨大の生産拠点にして、経済が回れば、ロシア&東欧ブロックやアメリカにも対応できる経済圏ができるということをぶち上げるという小説らしい。(ミハ氏註 経済的ハンニバルの再現である)

     

    文明の再編
    文明の再編を考えてみたいヨーロッパと英米に別れるだろう。米を中心とする英語圏がヨーロッパ文化権と対決している構図に見える。アメリカとイスラム世界が対立しているのは、911以来であり、また、現在、アメリカは、ヨーロッパそのものと対抗しているよりも、中国ーロシア連合ととの対立に移りつつりつつあるように思われる。

     

    トルコ民族の紐帯

    新しい対応、世界の動きを考える上では、スンナ派ベルト イランからアジアにかけてのベルトは重要だし、チュルクベルト(トルコ民族の分布地域)は、中国の北部から始まっている。今のトルコは、中国北部からの遊牧民が西に流れ着いて、トルコにいる遠いう状態のナノである。東の領域の境界が、ウィグル族。新疆自治州あたりであるし、このあたりの民族は、チュルク系の言葉を使っている。言語的には、東京、大阪ほどの差しかないげんごであり、相互の言語で、しばらく話していると理解できるようになるレベルである。タジキスタンとかは違うが、トルコ系の民族がつながっているという現状は抑えたほうがいいだろう。その意味で、スンナ派のベルトがある。

     

    セルジュク・トルコは、19世紀までは、スンナ派のカリフと一緒にトルコ人がイスラム世界を守ってきたという自負がある。その意味で、トルコ人たちが軍事的に指導的立場につくという概念があって、それがイスラム国と対立しているのである。そして、ウィグル族を始めとする民族問題で、トルコと中国が対立していて、中国の問題は、チュルクベルトにいるトルコ系住民との衝突であることである。

     

    また、タタールのくびきということもある。その対立の背景に、オスマン朝とロシアの戦争の継続という側面がある。ある面、ロシア正教文明と中国文明、トルコ系の文明、ヨーロッパ文明、英米文明が現在世界的に綱引きをしている状態であり、その中心部にトルコが有り、その中にシリアと地中海世界があるという構図である。(ミハ氏註 こういうのを地政学というのだと思う)

     

    変わる世界と日本
    これまで、日本はあまり巻き込まれないで済んできたが、いま、安倍政権がトルコに原発を輸出しようとしたり、イスラエルに武器売ろうとしていたりしていて、アメリカにくっつい探湯で、軍事行動する中に日本が巻き込まれていく世界ができつつあるのではないか。日本にいると直感的に理解し難いが、一歩日本を出ると、肌でこの辺りのことを感じている人は多いのではないだろうか。
     

     

     

    質疑応答と、感想は月曜公開します。

     

     

     

     

     

     

     

    評価:
    田中 明彦
    日本経済新聞社
    ---
    (1996-05)
    コメント:非常によろしかったです。今の技術社会を考えるための基礎となります。今となってはちょっと古い部分もありますが。

    評価:
    N・T・ライト
    あめんどう
    ¥ 2,700
    (2015-05-30)
    コメント:絶賛おすすめ中です。

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