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2009.10.13 Tuesday

カルトと教会指導者

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    のらくら者の日記


    にガリラヤ書と皇帝崇拝の問題が取り上げられており、

    かたちを変えた牧師崇拝という形での日本の教会の

    一部に根を下ろした問題についてのお話しが断片的に

    かかれていた。

     ガリラヤ書から、皇帝崇拝という形が暗に伏線と

    して存在し、それが教会を腐敗させていくのと同じ

    ように、日本の教会では、牧師崇敬が牧師崇拝とな

    り、牧師を天皇とし、信徒を国家とする疑似天皇制

    が生まれる問題が取り上げられていた。尊敬が、

    尊敬で留まっている間は良いが、日本人の精神性

    の中に尊敬が自然に崇拝、指導者のことばが絶対

    視されやすい雰囲気があると思う。私は、日本社会

    の帝国陸軍化と読んでいるが。

     15年戦争当時の日本の社会は統帥権問題で、

    海軍も陸軍も、結局訳の分からないものに巻き込

    まれていったように思うし、それを個人としてとめる

    こともできなかったのが日本社会だったし、その

    雰囲気は今もなお続いている。

     アジア的な指導者に対する絶対視というのが

    どこかで効いていると思う。それが、教会内で行

    き過ぎるとカルトになるのだろうし、無批判にいろ

    んなことを飲み込んでしまう無謀さが、いろいろな

    問題を生むように思う。そして、無意識のうちに

    カルトに加担することになるのかなぁ、とも思う。



     紹介された本をAmazon.comでも見てみたが、

    売り切れらしい。

     どうも、この問題には、アリストテレスやアウグ

    スティヌス、トマス・アキィナスなんかも関係して

    そうな気がする。

     もう少し考えを深めてみたい。
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