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2016.06.25 Saturday

京都ユダヤ思想学会シンポジウム「聖戦と十字軍」参加記(2)

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    今日も前回 

     

    京都ユダヤ思想学会シンポジウム「聖戦と十字軍」参加記(1)  

     

    に引き続き教徒ユダヤ思想学会 シンポジウム 「聖戦と十字軍」の参加記録をご紹介したい。

     

    討論者がすごかった

    今日はいよいよ、予定討論者四名からのコメントのうち、最初のお二人のコメントを紹介したい。また、この4名の方が、まぁ、すごいのである。旧約学からは勝村弘也さん、キリスト教学からは小原克博さん、イスラム法学からは中田考さん、現代ヨーロッパ社会におけるユダヤ哲学からは合田正人さん、そして、司会が手島勲矢さんと、半端ないメンバーであったし、5人のうち3人が同志社大学一神教センターの関係者であったのが、をををであった。

     

     


    第1討論者の勝村弘也さんのコメントは、旧約聖書の立場からのコメントであった。
     

    イラク開戦日に卒業式があたったために以降卒業式で

    歌われることのなくなったOnward Chrisitian Soldiers
    冒頭、2003年の松蔭女子学院大学の卒業式が、たまたまイラク戦争開戦日であり、その際に本来は、「みよや、十字架の旗高し」がうたわれる予定であったが、取り消しになり、その賛美歌がうたわれることはなかったし、それ以降、この賛美歌が用いられることはなくなった。このあたりの精神性は、十字軍とかかわりがあるかもしれない。


     賛美歌 みよや、十字架の旗高し

     

    (リバイバル賛美歌で顕著であるが、結構戦闘的な賛美歌が多い。あるいは、戦闘のメタファーを利用した賛美歌は多く、時々ここまで言わんでいいん出ないか、という歌詞の讃美歌もあるし、それ、まずいんでないか、と思うような歌詞の讃美歌もないわけではない。それはどうなんだろう、と思う。なお、この開戦日には、ミーちゃんはーちゃんはブッシュ大統領がテレビで開戦宣言をホワイトハウスから、宣言するのをアメリカでライブで見ていた。)

     

    Bushの開戦にあたっての発言


    旧約聖書における聖戦
    旧約聖書と聖戦で思いつく限り書いてみると、葦の海のエジプト軍の崩壊の軌跡は神自身が戦ったタイプの聖戦になるし、ヨシュア記における戦闘は、神の戦いという側面があり、神自身が戦われるタイプの聖戦ということが表明されている。エリコの戦いも、一種の奇跡であり、その意味でこれになるだろう。

     

    エリコの壁の崩壊

    紅海でのファラオの軍の壊滅


    カナン都市国家とでボラの戦争は、神に代わっての戦闘という側面があり、そこでデボラの歌とされているものヘブライの詩は、ものすごく古いヘブライ語で書かれており、ほぼ翻訳が不能であるかと思われるほど難解であるが、神の権限に強調があることは注目すべきであろう。

     

    口語訳聖書 士師記
    5:1その日デボラとアビノアムの子バラクは歌って言った。
    5:2「イスラエルの指導者たちは先に立ち、
    民は喜び勇んで進み出た。
    主をさんびせよ。
    5:3もろもろの王よ聞け、
    もろもろの君よ、耳を傾けよ。
    わたしは主に向かって歌おう、
    わたしはイスラエルの神、主をほめたたえよう。
    5:4主よ、あなたがセイルを出、
    エドムの地から進まれたとき、
    地は震い、天はしたたり、
    雲は水をしたたらせた。
    5:5もろもろの山は主の前に揺り動き、
    シナイの主、すなわちイスラエルの神、主の前に揺り動いた。
    5:6アナテの子シャムガルのとき、
    ヤエルの時には隊商は絶え、
    旅人はわき道をとおった。
    5:7イスラエルには農民が絶え、
    かれらは絶え果てたが、
    デボラよ、ついにあなたは立ちあがり、
    立ってイスラエルの母となった。
    5:8人々が新しい神々を選んだとき、
    戦いは門に及んだ。
    イスラエルの四万人のうちに、
    盾あるいは槍の見られたことがあったか。
    5:9わたしの心は民のうちの喜び勇んで
    進み出たイスラエルのつかさたちと共にある。
    主をさんびせよ。
    5:10茶色のろばに乗るもの、
    毛氈の上にすわるもの、
    および道を歩むものよ、共に歌え。
    5:11楽人の調べは水くむ所に聞える。
    かれらはそこで主の救を唱え、
    イスラエルの農民の救を唱えている。
    その時、主の民は門に下って行った。
    5:12起きよ、起きよ、デボラ。
    起きよ、起きよ、歌をうたえ。
    立てよ、バラク、とりこを捕えよ、
    アビノアムの子よ。
    5:13その時、残った者は尊い者のように下って行き、
    主の民は勇士のように下って行った。
    5:14彼らはエフライムから出て谷に進み、
    兄弟ベニヤミンはあなたの民のうちにある。
    マキルからはつかさたちが下って行き、
    ゼブルンからは指揮を執るものが下って行った。
    5:15イッサカルの君たちはデボラと共におり、
    イッサカルはバラクと同じく、
    直ちにそのあとについて谷に突進した。
    しかしルベンの氏族は大いに思案した。
    5:16なぜ、あなたは、おりの間にとどまって、
    羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。
    ルベンの氏族は大いに思案した。
    5:17ギレアデはヨルダンの向こうにとどまっていた。
    なぜ、ダンは舟のかたわらにとどまったか。
    アセルは浜べに座し、
    その波止場のかたわらにとどまっていた。
    5:18ゼブルンは命をすてて、死を恐れぬ民である。
    野の高い所におるナフタリもまたそうであった。
    5:19もろもろの王たちはきて戦った。
    その時カナンの王たちは、
    メギドの水のほとりのタアナクで戦った。
    彼らは一片の銀をも獲なかった。
    5:20もろもろの星は天より戦い、
    その軌道をはなれてシセラと戦った。
    5:21キションの川は彼らを押し流した、
    激しく流れる川、キションの川。
    わが魂よ、勇ましく進め。
    5:22その時、軍馬ははせ駆けり、
    馬のひずめは地を踏みならした。
    5:23主の使は言った、『メロズをのろえ、
    激しくその民をのろえ、
    彼らはきて主を助けず、
    主を助けて勇士を攻めなかったからである』。
    5:24ケニびとヘベルの妻ヤエルは、
    女のうちの最も恵まれた者、
    天幕に住む女のうち最も恵まれた者である。
    5:25シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与えた。
    すなわち貴重な鉢に凝乳を盛ってささげた。
    5:26ヤエルはくぎに手をかけ、
    右手に重い槌をとって、
    シセラを打ち、その頭を砕き、
    粉々にして、そのこめかみを打ち貫いた。
    5:27シセラはヤエルの足もとにかがんで倒れ伏し、
    その足もとにかがんで倒れ、
    そのかがんだ所に倒れて死んだ。
    5:28シセラの母は窓からながめ、
    格子窓から叫んで言った、
    『どうして彼の車の来るのがおそいのか、
    どうして彼の車の歩みがはかどらないのか』。
    5:29その侍女たちの賢い者は答え、
    母またみずからおのれに答えて言った、
    5:30『彼らは獲物を得て、
    それを分けているのではないか、
    人ごとにひとり、ふたりのおなごを取り、
    シセラの獲物は色染めの衣、
    縫い取りした色染めの衣の獲物であろう。
    すなわち縫い取りした色染めの衣二つを、
    獲物としてそのくびにまとうであろう』。
    5:31主よ、あなたの敵はみなこのように滅び、
    あなたを愛する者を
    太陽の勢いよく上るようにしてください」。

    ヤエル デボラ バラク


    ギデオンのミデアン人の追放や、ヨナタンの武功と神の戦慄が生じたというような表現も聖戦を示しているだろう。


    サムエル記上15章の対アマレクの戦いで、へレム(聖絶)の解釈をめぐる預言者サムエルとサウル王の論争があるが、聖絶とは、本来、神に対してささげられることであるのではないか、人というよりは、ものを神のものとするということではないだろうか。新共同訳では、この部分意訳が激しいように思われる。聖絶に関して言えば、そのうち出る仲介でかなりこの問題を指摘する予定である。


    アッシリア軍からのエルサレム開放も、神が先に闘われるという側面がある。

     

    アッシリアのエルサレム包囲戦


    申命記7章のヘト、ギルガシ、アモリ、カナン、ペリジ、ヒビ、エブスの7民族が、『あなたの前から追い払う』べき民として列挙されているが、これらの民族はパレスティナ先住民で当たろう。同民族名が、出エジプト記33章、ヨシュア記3章、24章にも言及されているが、これらの民族にはよくわからないものも含まれている。


    聖戦の裏に見え隠れするものとして、YHWHどどう考えるかと関係してくる。特に、ヨシュア記やサムエル記はだれによって書かれたか(編纂されたか)問題と関係するだろう。

     

    ノートのアンフィクチオニー仮説とのかかわり

    M.Noth(マーティン・ノート)の部族共同体により、宗教連合というか、部族が聖所及び聖なる契約の箱を輪番で保護したのではないかというアンフィクチオニー仮説は最近否定的にみられる傾向があるが、それ自体は、イスラエル法の起源を国家・王国という社会制度にではなく、国家成立以前の部族社会に求めた点にあるだろう(神が中心であるという理解の意味からの神権政治がおこなわれていた部族社会にイスラエル法の起源を求めたといえるかもしれない)。

     

    「聖戦」における順序

    「聖戦」に関するG・フォン・ラートの議論によれば、古代の聖戦には順番があり、

    (1)戦いの開始 角笛による民(民兵・軍)の招集
    (2)主の民の集合(アンフィクチオニー仮説との関連)
    (3)民の聖別と選出・聖別 このためのくじの利用
    (4)勝利の確信の宣言「救済の託宣」「元気づけの託宣」
    (5)ヤハウェによる行軍の先導(場合により「神の箱」登場)(出エジプトの再現)
    (6)ヤハウェの戦いでは、兵の数を数える、数の論理に頼る作戦計画は冒涜的行為とされる
    (7)主役はヤハウェであり、「敵」はヤハウェの敵となる。
    (8)「恐れるな、信じよ」と語られる
    (9)敵は恐れおののく
    (10)戦いの叫び(テルア)によって戦闘の開始
    (11)敵が恐怖に陥ったことが報告される
    (12)聖絶(へレム):略奪したものを主にささげる。皆殺しとされるが、それは拡大解釈で、略奪品の奉献ではないか。なお、この習慣はモアブ王の、メシャの碑文にも類似表現がある。
    (13)「イスラエルよ、天幕に帰れ」との呼びかけがあり、戦闘の終了

     

    (この部分を聞きながら、ミーちゃんはーちゃんとしては、こんなことを思ったのですね。イスラエルの民の招集に関しては、専門の軍隊を持たなかった古代イスラエルということは、もっと強調されてもされつくされることはないように思う。時々福音派の人で、古代イスラエルと、近代国家としてのイスラエルを混同して、旧約聖書を無理やり古代イスラエルとこじつけておられる人がいるけれども、鋤や鍬を持ったほとんど戦闘力を持たない農民兵が活躍するところに神が働かれるところに旧約聖書のだいご味があるのであり、マフィアが大好きなUziマシンガンや、世にも恐ろしいメルカバ戦車やクフィル戦闘機なんかを持った人たちに旧約聖書の記述が当てはまるというのは、聖書的な価値観から言ってどやさ、と思う。このあたりは、アメリカの福音派の神学校の先生のブログ紹介シリーズ

     

    アメリカ人の福音派の大学教員が、アメリカの福音派について語ったこと

     

    アメリカ人の福音派の神学部の大学教員が、アメリカの福音派について語ったこと(2)

     

    アメリカ人の福音派の神学部の大学教員が、アメリカの福音派の軍国化について語ったこと(3)

     

    からの受け売りではある。)

     

     

    Uziサブマシンガン マフィアの憧れ

     

    メルカバ戦車

    クフィル戦闘機

     

     

    (ミーちゃんはーちゃんとしては、民族に対する救済の託宣という指摘があるが、これは預言者や祭司、あるいは士師(Judge)と呼ばれる指導者を通してなされたものであり、実は、これがイエスの言った福音(すなわち解放であり、神の前での回復の宣言がそもそも福音)の原型となっていくように思う。このあたり、あとで書いてみる)


    へレム(聖絶)の語義
    名詞へレムの用例29か所、そのうち13か所がヨシュア記、動詞形では、ヒフィル形48回ホファル形3回であり、禁止するとか、ささげる、聖なるものとする、聖別するという意味を持つ用法である。この語根から、「ハレム」「娼婦」が派生する。

     

    聖書での用例を見ると、名詞へレムは、世俗的な目的には使用不能としたもの、として聖別することを意味する。神への奉納物としたり、廃棄することを意味する。大多数の用例では、使用禁止となったモノを意味している。動詞での用例を見ると、戦利品、つまり、町、家畜、貴金属、捕虜などが「禁制におかれること」を意味するが、そこから攻略した全住民の全滅、町の破壊という意味に拡大される。このような事象が実際に起こったのかどうかは別の問題であるから、聖書テクストを精査する必要がある。

    ラートの聖戦論に対する批判は、申命記及び申命記史家による編集者の部分だけを使って、上記のような図式を案出したのではないかと疑われる。また、多くの批判が起きている。

     

    ラートの学説に対する批判

    ゴットワルトの批判:従来古代イスラエル以外からの並行現象として参照されてきた文献は、ベドウィンなどの戦闘能力の高い遊牧民のものか、国家権力の記述したものであり、国家権力の記述のものは、事故の戦闘行為の正当化のための宣伝としての性格が強い。イスラエルにとっての万軍の主という名は、カナンの都市国家やエジプトからの解放にあたった、解放戦争を戦った「市民軍」にとっての神の名であり、他の古代国家の「聖戦」と、イスラエルの圧政からの解放や共同体の防衛のために遂行された戦闘とは区別される必要がある。  このゴットワルトの批判がそのまま受け入れられるかどうかは、疑問であるが、国家成立以前の部族社会での共同体の防衛戦争の記述に後代の歴史家(いわゆる申命記史家)が排外主義的な「聖戦イデオロギー」を持ち込んだ可能性は極めて高い。比較的史実に近いと思われる士師記などの歴史記述の場合にも、その意味で厳密な史料批判がなされる必要がある。

    ヴァイペルトとその関係の研究者は、アッシリア側の神々の託宣による戦争資料(政治文書としてのイシュタルトによる開戦があったとする一種の宣伝文書として書かれた碑文等)を丹念に調べていると、旧約と似た手順であることがあり、ラートが祝祭行事と考えたテルアは、単なる戦闘開始の信号であり、「聖戦」ラートの考えたアンフィクチオニーと結びついた制度ではない可能性を指摘した。ヴァイアペルトは、旧約聖書の記述を相対化するために「聖戦」のかわりに「ヤハウェ戦争」という用語を用いるが、これはアッシリアのイシュタル戦争などとの比較のためである。

    この部分は、勝村さんの当日配布されたハンドアウトから拾って、多少は加工しているものの、基本はそのままである。

     

    ミーちゃんはーちゃん的妄想 聖戦構造とイエスの生涯
    先ほどにも少し書いたが、この部分をおさらいしながら思ったのは、実はイエスの生涯のことである。ビッグピクチャーでみるとイスラエルの戦闘モードとのかかわりが深いのではないか、と思いついたのだ。当否はわからない。以下は、ミーちゃんはーちゃんの妄想、あるいは、思いつきの段階である。

    (1)戦いの開始 角笛による民(民兵・軍)の招集
    羊飼いが呼び集められた。東方の博士が呼び集められた。
    (2)主の民の集合
    飼い葉おけの周りの羊飼い
    (3)民の聖別と選出・聖別 このためのくじの利用
    12弟子の選出 バプテスマのヨハネのバプテスマ
    (4)勝利の確信の宣言「救済の託宣」「元気づけの託宣」

    神による「これは私の愛する子」宣言
    (5)「神の箱」登場(出エジプトの再現)
    弟子たちを連れて神の子として歩きまわるイエス
    (6)ヤハウェの戦いでは、兵士の数を数える、数の論理に頼る作戦計画は冒涜的行為とされる
    からし種のたとえ、パンを配る前には数えない
    (7)主役はヤハウェであり、「敵」はヤハウェの敵となる
    悪霊の追い出し

    (8)「恐れるな、信じよ」と語られる

    (ナザレのイエスの恐れるな表現)
    (9)敵は恐れおののく
    悪霊の追い出し事件
    (10)戦いの叫び(テルア)によって戦闘の開始
    十字架上での叫び

    (11)敵が恐怖に陥ったことが報告されるでの叫び
    地震や天変地異
    (12)聖絶(へレム):略奪したものを主にささげる

    イエスの十字架上での死と身代わりの聖絶
    (13)「イスラエルよ、天幕に帰れ」との呼びかけがあり、戦闘の終了
    大宣教命令

    まぁ、あんまりあたってもないだろうけど、一応、それは考えた。つまり、ナザレのイエスがメシアであるのではないか、と期待がもたれた背景には、諸藩はあったけど、基本的に旧約のメシアがやることのテンプレートに乗っていた、ということが言え、それであるからこそ、ギリシア世界のユダヤ教徒の中でイエスが突出したインパクトを与えたのではないか、と思う。

     

    正当戦争と浄化思想と後世への影響
    第2討論者の小原克博さんは、キリスト教神学の観点からの討論をされたが、事前に提出されていた山内さんのハンドアウトに、「ヨーロッパが異教徒や異民族との関係をどう築いていくか、という問題と深くかかわっている」との表現が重要であることを指摘しつつ、これが、正当戦争という時に、不浄なものを浄化するという側面を持っており、この十字軍という概念が、ピューリタニズム、また、現代のアメリカにつながっていることを指摘されており、小原さんのコメントでも現代のキリスト教、とりわけアメリカのキリスト教で生鮮志向がみられ、それは、現代のカトリック教徒よりも、プロテスタント側に強くみられるような感じがする。


    また、この聖戦の思想とその中での多民族の教化と純化ないし浄化がいつから支配的になったのだろうか。とりわけ植民地化は、聖職を伴う形で、植民地化していったわけで、異民族への対応として、異民族を非常に圧迫していったこととどのような関係があるのかは、もう少し検討が必要かもしれない。

    Californiaの探検の模様

    カリフォルニアミッションの出発点でもあったSan Diegoのチーム名はPadres(神父たち)である



    聖戦の普遍性とその特徴―正当戦争論との比較として
    現在では、存在論的な次元での善悪を峻別しようとする傾向がみられ、ヨーロッパでは、ドイツの反トルコ人運動やイスラムの排撃を目指すペギーダPEGIDA(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)や先日英国国内で、下院議員へのテロ事件を起こした人が加盟していた極右主義団体、アメリカにも白人至上主義を中心とした極右の台頭などがみられる。これらの人々の中では、民族浄化が一種の国家としての一体性Unityをもたらす傾向があるため、聖戦のメタファーが用いられている。とりわけ、米国福音派において聖戦思想が語られていることが多い。(米国福音派の中での聖戦思想の問題は、割と純化思想、民族浄化的なものと結びつきやすく、トランプ候補がどこまで考えていっているかどうかはわからないが、メキシコからの移民の流入禁止、アラブ世界からの移民の流入禁止を主張する背景には、もちろん、経済的な要因(労働市場の賃金低下など)もあるだろうが、異なる宗教、アラブ圏でのイスラム、メキシコおよび南米からの移民に対応するカトリックという側面もある。また、とりわけイスラエルの生存が何でもいいからといって保証されねばならない、従ってアラブ諸国やアラブ系パレスティナ系住民を蹴散らすのは当然かのような主張が、福音派の一部でなされることもある。)

    また、聖戦は特定の宗教の主導によってなされるだけでなく、国家が疑似宗教的な力、排外的な愛国心を帯びてなされる場合もある(ナチズム、大東亜共栄圏における理想、ベトナム戦争における民主主義の確立)。アメリカの軍事思想と聖戦が深い関係にあり、その意味で、近代の聖戦は近代国家が作っていった側面がある(以前、ある国際政治学のセミナーで、日本とキリスト教のセッションで講演をしたことがあるが、その時に指摘したのは、1941年から1945年の太平洋戦争は、実は神権国家間の戦争(市民宗教国家アメリカ合衆国 対 天皇宗教国家日本)あるいはイデオロギー戦争、あるいは神の実力がぶつかった戦争であるのではないか、ということである。『富士山とシナイ山』の中に、それを思わせる記述もある)

     

    当別神社の石灯籠に刻まれた石灯籠(聖戦の文字が見える)
    http://blog.livedoor.jp/ezorider/archives/2012-09-09.html


    また、絶対的な目的(大義と戦争指導者はよく口にする)を追求する場合、戦闘員と非戦闘員の区別の原則は、割と簡単に無視される(その出発点は、ドイツ、日本本土への空爆)さらに、世界を戦争状態として理解する場合(相手が悪いという前提で)、戦争という暴力行為が正当化するような道徳的根拠になる。

    聖性と暴力の結合と終末論
    十字軍という大量の人々を動員するのは、ローマ教皇の呼びかけがあったことはもちろん重要だが、それだけではダメで、一種の終末思想があったことは忘れてはならないと思う。千年王国思想(切迫した終末観、強い救済願望、反キリストの出現の預言からの影響)があったのではないか。広い意味での終末論がどうコントロールするのかが重要である。この終末観は、日本でもみられ、昔でいえば一向一揆である。現代でもオウム真理教がキリスト教由来(というよりは、学研の『ムー』的な世界の中で取り上げられることとなった宇野正美さんの終末論影響)の終末思想をもった。現代神学では、終末論の理解はポジティブなもので、神の前に積極的に自己がなしたことを問われる個としての人間理解につながり、近代的な個が確立されることは、全体主義的な体制をはぐくむ土台となり、社会の現実に対する批判的視座、社会改革への動機付けへとつながっていく。とりわけ、J.モルトマンの諸論や、解放の神学などへとつながっていくのではないか。

    また、終末論という観点からすれば、内村鑑三の「非戦論」は、再臨思想を根拠としていた。内村は、戦争の悲惨からの解放を考える際に再臨による回復を考えていたのではないか。

     

    次回へと続く

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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