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2016.06.22 Wednesday

京都ユダヤ思想学会シンポジウム「聖戦と十字軍」参加記(1)

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    本日からは、2016年6月19日(日)に京都市の同志社大学烏丸(からすま)キャンパスで開催された公開シンポジウム「聖戦と十字軍」― 現代・歴史・一神教が交差するところ― の参加記を何度かにわたって紹介したい。なお、カッコ内の小さめのフォントで示したものは、ミーちゃんはーちゃんの感想である。全体の感想は、感想のセクションで示す。なお、今回はPCを持ち忘れていったので手書きメモの内容を中心としたものなので、制度は若干落ちていると思っていただければ、幸甚である。

    キーノート講演は「十字軍と聖戦の思想」ということで、一橋大学名誉教授で、西洋法制史の専門家の山内進さんがお話しになった。より具体的には、十字軍とは何か、ということで国際公法、とりわけ戦争国際間法制の成立に関する視点と西洋近代の人権思想の出発点としての十字軍という視点からお話があった。

     

    聖戦をどう考えるか
    まず、聖戦を考える際に、聖戦、正戦(正当戦争)、合法戦争(国際公法上の戦争、現在における合法性を持った戦争)があるが、これらをどう考えるのか、という議論をきちんとした方がよいだろう。特に戦闘の正当化の論理、合法戦争の論理は、第2次世界大戦以降の国際間紛争に深く関与している。(そら、東京裁判とかニュルンベルグ裁判やった以上、そうなるだろうねぇ)

    聖戦の6類型
    ターナーによる聖戦の類型化を参照すると、


    (1) 神の命令のもとに戦われる戦争
    (2) 正しく権威付けられた神の代理人により、神のために戦われる戦争
    (3) 神自身によって戦われる戦争
    (4) 内外の敵に対して宗教を守るために行われる戦争
    (5) 正しい宗教を宣伝するか神の権威と一致する社会秩序を打ち立てるために行われる戦争
    (6) 宗教的一体性を強制し、かつ(あるいは)逸脱者を処罰するために行われる戦争

     

    ということになるらしい。

    十字軍の特徴
    また、ライリー・スミスによると、十字軍の特徴として、


    衣服や武具に十字のしるしをつけていること
    ローマ教皇の呼び掛けに対する応答であること
    十字軍参加者の贖宥の享受
    十字軍参加者の関係者に対する特権の付与(残された家族や、財産や借金からの保護)


    があったことであると要約されている。

    カトリック世界を作り上げた十字軍
    ところで、十字軍とは言われるが、これは、広い意味での防衛戦争ということもでき、とりわけ聖地エルサレムに居住する各国人の人命財産を保護するという意味がないわけではなかった。さらに、そこに当時の1000年期が終わる当時の強い終末感が影響している。また、この十字軍を考える際には、ローマ教皇の存在の意味は大きく、またローマ教皇の権威の確立という観点からも、みていく必要がある。カール大帝・オットー大帝の時代までは、皇帝により任命された教皇という状態であり、国王の権限の方が優勢であった。

    なお、神の代理人という形で教皇の権威が増すのは12世紀以降のことであった。その意味で、ハーバード大学のハロルドJボーマンによれば、十字軍というのは社会のシステム改編ともいうようなものであり、聖俗が混然一体となっていた時代から聖と俗が分離していく状況の中にあったと言えるのではないか。その一つがウルバヌス2世のクレルモンの教会会議であり、聖職の叙任は、教会の権限によることが定められた。

    クレルモン公会議とウルバヌス2世

     

    教皇革命と十字軍

    重要なポイントは、教皇革命(教皇の権威の確立)があって十字軍の成立があり、十字軍そのものは、一種の教皇権確立運動と裏腹の関係にあった。また、ウルバヌス2世のクレルモン公会議で十字軍が形成され、その時から聖戦となることになったのだが、その中には、聖戦参加することにより、神の恩寵を得るということになったのであり、その恩寵とは、罪の赦免であり、キリスト教化のための聖戦という一側面も持った。


    教皇革命がヨーロッパ内での神の平和と浄化(純化)の思想の反映であったように、十字軍は聖地での浄化の思想であったといえるのではないか。(むしろ、これは、ヨーロッパとしての統一化、共通化、均質化を目指した動きとして理解した方がいいのかもしれない、とは思った。そして、日本のキリスト教理解は、このヨーロッパでの均質化を経た動きとしてのキリスト教をキリスト教と呼んでいる気がする。こう考えれば、その均質化の障害となったヴィザンチン帝国、オーソドックスチャーチへの圧迫は当然と言えるような気がする。)

     

    概念拡大する十字軍

    拡大する十字軍という動きがみられる中で、

     

    伝統主義者アプローチ:エルサレムの解放と防衛を主張するもの

    プルーラリスト・アプローチ(複数アプローチ):エルサレム以外にもキリスト教のローマを守る戦争を主張するもの

     

    の二系統があり、プルラリスト・アプローチの中には、スペインにもバルト地方や、プロイセン、ロシアやフランス、イタリアやイギリスにまで派遣される十字軍が見られるのなど、かなり拡大したものがあり、破門されたままエルサレムに向かい、ヤッファ休戦協定を結んだフリードリヒ2世を攻撃した十字軍まであった。

     

     

    ヤッファ休戦に合意するフリードリヒ2世とスルタン・カーミル


    中東でのフリードリヒ2世の宮廷の模様 (左下にムスリム風の服装の人物が描かれている。

    ただし、グラティアヌス法令集注釈集成(1188-1190)によれば、「異教徒に対しては正しく(iuste)戦わなければならない」とされている。

    十字軍開始の割と初期段階では、フグッチョ(ピサのフーゴー)の主張に見られるように、異教徒への戦いというよりも、エルサレムの自治権回復戦争という側面が強かったが、イノケンティウス3世のころになると、異教徒そのものが正値に存在することが不適切であり、それを追い出すことが正当なのではないか、という理解が出てきた。

    イノケンティウス3世

    正当戦争論という概念から
    トマス・アクイナスは、君主の権威に基づき、正当な原因で、正しい意図で行われる戦争が正当戦争であり、その中でも異教徒の権利は保障されるべきという立場に立っている。ホスティエンシスの正当戦争論としては、キリストの生誕以来、すべての裁判権(iurisdicto)、統治権、名誉、所有権が異教徒からキリスト教徒へと移り、今日では、裁判権、支配権もしくは所有権説いたものは異教徒の下には存在しない、というものである(いまだにこういう物言いを直接していないというものの、異教世界を下位に見る言動をするキリスト教徒がおられるのが、かなわない)。この見解に従えば、そもそも異教徒たちにはそのような能力がなく、キリスト教徒たるものローマ帝国を認めない異教徒たちを攻撃しなければならないことになり、キリスト教国であるローマ帝国を認めないような異教徒たちに対するそのような戦争は、キリスト教徒に関する限り常に正当で合法である。(この辺、アウグスティヌスの神の国理解が、影響しているのではないか、と思った)

    ホスティエンシスにより戦争の類型がなされているが、その中でのローマ戦争という概念(キリスト教全体VS異教徒という戦争)を提示し、ローマ戦争は合法であるという立場となっている。(しかし、こうなってしまえば、相手に異教徒というラベルを張って、「キリスト教の敵」と言ってしまえば何やってもいいことになり、この辺が後々問題を生む原因になっており、自分と考えを異とする者に、キリストの敵、反キリストとラベルを張れば、大手を振って何をやっても善いことになる。この辺、現代の過激なカルト的なキリスト教会の協議にも影響の残滓がみられるような気がする。)

    コンスタンツの論争
    北方に向かった十字軍でもあった、ポーランドとリトアニアの合同軍とドイツ騎士修道会との戦いをめぐって、コンスタンツの公会議が行われたが、この時代、同時にローマ教皇が3人もいた時代であり、そこで、議論が行われたのである。この議論の中で、ヨーロッパの国際法の出発点になった議論があり、神学者たちが正当戦争の問題に対して容喙すべきでない旨の発言が出ている。

     

    また、パウルス・ウラディミリは、異教徒にもその個人や彼らの国家の存在が保障される基本的な権利があることを主張したことで知られる。その意味で、聖戦の思想(異教徒の改宗や異教徒の戦いを目的とした戦争)と正当戦争をめぐる議論が行われ、ヨーロッパの国際公法をめぐる戦争とその正当性の基礎の一つになっている。

     


    コンスタンス公会議の模様

    基調講演(キーノート講演)のおまとめ
    ミーちゃんはーちゃん風に山内さんの主張をまとめると、


    ローマカトリック教会の成立、とりわけ、教皇権の成立とその内部の純化のための十字軍という性格があること
    本来十字軍は、エルサレムにおけるヨーロッパ系諸国民(旅行者と居留民)の保護と自治権の確立ということで始められていたものの、戦争という手段が目的化し、自分たちと意見を異とするものへの戦争と化していったこと

    多民族、他の信仰をもつものとの接触が起き、その中で、正当戦争という概念が生み出され、戦争に関する国際公法と、戦争における人権・人道思想が生まれていったこと

    十字軍はヨーロッパが現在のヨーロッパとなるための戦争であったこと

     

    ということなのかなぁ、と思った。

     

    この講演で困ったことと感動したこと

    レジュメ類が直前配布で、資料全体に目を通す暇がなかったことに加え、この辺の分野の基本常識がないので大変困った。もうちょっと中世に関する知識があれば、違う面で楽しめたと思う。少なくとも、北の十字軍(最下部参照)とかの本を読んでおけばよかった、と思ったことは確かである。

     

    さらに、この講演で困りものだったのが、レジメが異なる2系統配布され、さらにパワーポイントでの発表資料ともこれら2系統が微妙に違い、さらに、別の参考資料(文献の切り抜き)が配られ、聞いている方としては、何を開いて、何を見たらよいのか、混乱が生じてしょうがなかった。

    従来の文系(神学関係、法学関係や経済学史関係は読み上げ型発表が多い)の発表よりは格段に参加していて面白く、前提知識がなくてもある程度楽しめる講演であったのではあるが、どうも講演者の方がパワーポイントを用いた発表に慣れておられないのが手に取るように分かるご発表であった。それでも、70歳近い大先生が果敢にも、一生懸命、なれないパワーポイントを用いて、一般にも理解可能なように、視覚的にも表現することを試みられたことは極めて高く評価したい、と思った。

    実は、このシンポジウムの面白さは、討論部分である。それを次回以降紹介したい。











     

     

    山内 進
    講談社
    ¥ 1,242
    (2011-01-13)
    コメント:この本を先に読んでおけばよかったと反省しきり

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