<< 教会では聞けない「21世紀」信仰問答III を読んだ | main | 京都ユダヤ思想学会シンポジウム「聖戦と十字軍」参加記(1) >>
2016.06.20 Monday

『福音と世界』2016年7月号 を読んだ

0

     

     


    Pocket

    今回は、福音と世界の7月号を読んだ感想を書いてみたい。

     

    難民とミーちゃんはーちゃん

    ミーちゃんはーちゃんがお子様だったころ、ベトナム難民の方が日本に大挙してボートで訪れたことは以前にもこの記事で書いたような気がする。こんな感じのボート(中古というか老朽漁船)で、日本まで漂流に近い形で来られたのだ。命がけで。

     

     

    時々、テレビでは母国での政治と絡んで難民となられた皆さんのことが、ごくまれに、それも思いだしたように流れることがあるが、その実情はほとんど知られていないし、日本は世界的にも難民認定に要する時間が長いことで知られているらしい。あと、難民の政府によって公的に受け入れられた人数が少ないことでも知られているらしい。そもそも、外国人が暮らしにくい国でもあるので、それは仕方がないのかなぁ、と思うが、国際化国際化といいながら、外国人の受け入れと定住しにくい国の一つであることはそんなに間違っていないと思う。

     

    ほぼ的中した予測
    今回、この企画を先月号の予告で見た段階で、アブラハムの遊牧民としての難民との類似性、旧約聖書のヤコブ一族の難民との類似性(経済難民)、出エジプトでの難民との類似性(政治的難民)、ナオミとルツの難民との類似性(経済難民)、捕囚からの帰還における難民との類似性、イエスの出生の段階での難民との類似性(政治難民)、初代教会の難民(宗教的難民)との類似性などが取り上げられるだろうなぁ、と思っていたが、案の定、そうなっていた。それしかないといえばそれしかないのである。

     

    飯論文(旧約テクストから考える「難民」の一断面)では、まさにこのあたりの事が触れられていた。まぁ、予想していなかったのは、アダムとエバが難民に近いのではないかというご指摘と、エリヤが一種の宗教的難民ではないか、という指摘であった。これは想像を超えていた。まぁ、言われてみれば、そういう側面はあるのである。ところが、ミーちゃんはーちゃんとしては、難民問題を書くとすれば、触れると思った、ハガルとイシュマエル母子に関しては、一切触れもされていなかったのは、何とも残念であった。

     

    同論文の最後に、近代の文化人類学、民俗学的な研究で中止されるようになった「まれびと信仰」(たとえば、浦島太郎の亀は難民説とか、浦島太郎は難民説とかまぁ、いろいろあるが)が取り上げられていて、それが大事であることについて触れられていた。まぁ、アブラハム自身のもてなしは、これに沿ったものであることは、最近の

    「福音と世界」6月号と5月号 を読んだ

    で6月号の池田先生の記事を紹介した記事でご紹介したとおりである。

     

     

    AUの英雄伝説のCF(浦島太郎編)

     

    「人の子には枕する所もない」と題された山口論文は新約聖書、とりわけイエスが、当時の社会の周辺者、周縁者に向けた目線を中心に向けられた世界であり、まぁ、福音派が言う典型的なリベラル派と福音派の皆さんならラベルを張るようなタイプの論文であった。そして、そもそも、ガリラヤ地方、あるいはナザレそのものが、周辺者で居場所を失った人々の世界であり、そこで、ユダヤではなく、ガリラヤを中心に神の国をイエスが伝えようとしたことの意味をくみ取ろうとした論文であるといってよいと思う。とはいえ、まぁ、ちゃんと、この論文での解釈は解釈の一つの可能性に過ぎないことが、文末には加えられている。そして、このような寄る辺(居場所)のない人々とどのように教会が現代において向き合っていくのか、ということを述べておられる。

     

    「敵意に抗う歓待の福音」と題された金論文では、欧州で問題になったイスラモフォビア(イスラム憎悪症)やシャルリー・エフド問題に加え、いわゆる川崎辺りでのヘイトスピーチなどを取り上げておられる。そして、最後の結びの部分で、デリダの議論を取り上げ議論しているが、別にこの議論はデリダを借りなくても、できたのではないか、と思う。その意味で、ある面社会派らしいという論文ではあるが、著者の方の特性のひとつであるそもそも日本社会で周縁におかれた人々からの視点の問題提起であった。

     

    橋本論文「ドイツから見る難民と教会」では、ヨーロッパから難民が流入し続け、それを受け入れることを国是としてきた国家としてのドイツとそこの中での教会の取り組みに関してまとめた論文であり、難民の受け入れにあたって、6つの取り組みをしていること、異文化との出会いの場を提供する、人々への注意を喚起する預言者的態度、他者理解のファシリテータとしての役割、ネットワークの基盤、そして、難民に対する護民官(弁護者)的態度などがあることのではないかとある牧師のレポートに沿う形でまとめている。

     

    受け入れ側の論理と出てきた側の論理のずれ

    と、まぁ、ある面、想定の範囲内であったのと、この特集が、ある面難民問題に対して19世紀から20世紀型の国民国家という枠組みの中で、受け入れ側の国としての教会側での対応やその論理をどう考えるのか、ということに焦点を当ててまとめられた特集であったので、その難民問題のそもそもの出発点とその前提条件をどう考えるのか、ムスリム側で何が起きているのか、ムスリムがそのように行動するのはなぜか、ということまで含めて考えられていないのは、ちょっと残念であったのだ。たまたま同時期に、『イスラームとの講和』と題された内藤正典氏と中田考氏の新書を読んでいたということもあるからではあるかもしれないが。難民問題を考える点で、この本から示唆を受けることの方が、よほど多かった。以下その内容をかいつまんで紹介したい。

     

    「神」がほとんど機能してない西洋

    中田 そうですね。その現状は「難民問題」といわれますが、そういっているのは我々を含めて豊かな国にいる人間であって、シリアからようやく逃げてきた人たちにとっては、まさに目の前で国境が閉ざされる、無理に超えようとすれば撃ち殺されることもある。正に「国境問題」なわけです。

    内藤 ええ、もともと国境という意識が希薄なシリア人にとってみれば、どうしていきたいところに到達できないのかと。しかも、病人も年寄りも子供もつれているのに、水や食料さえ分けてもらえないのはどういうことなのだろうと疑問に思う。前にも話したとおり、このあたりの国教など、わずか100年前に惹かれた戦に過ぎないわけで、それまでは、シリアからヨーロッパまで商人たちは都市から都市へ割と自由に移動することができた。

    中田 そうですね。

    内藤 ある報道では、ヨーロッパのある国にたどり着いた難民の人が、警察官に「水をください」と頼んだらこと我れたと。「お前に水をやるのはおれの仕事ではない」と警官は答えたそうです。まさしくこれが、国家というものの矛盾を明らかにしていますね。警察官にしてみれば、自分の国家が決めたルールを守っているだけでしょうが、目の前に水すら得られなくて困っている人間が表れたときに、国家も民族も関係なく水をいっぱい差し出すのが人間ですよね。些細なルールを間もおることがどれだけ大事なのですか。

     一方でこれがムスリムだったら、即座に助けます。トルコが結局国境を閉めなかったのは当然なのです。やはり球場にあえいでいる人をその中に閉じ込めて見殺しにするということはイスラームの価値観に照らしてできないですから。

    中田 はい、困っている人を助けるのは、イスラームの義務ですから。

    内藤 ムスリムたちに取って、人助けは神が課した義務ですよね。(中略)ところが西洋ではほとんど「神」が機能していませんから、義務といえば国家がかしたものぐらいしかない。目の前に困った人がいても、一人の人間として処遇しようと思えないのですね。国家の論理で行動すると、こうした矛盾がいくらでも出てくる。

    中田 それなのにヨーロッパの人達は「人権が大事」といっているので、まさに偽善が生じる。( 『イスラームとの講和』  pp.75-77)
    しかし、内藤さんという方の

     

    西洋ではほとんど「神」が機能していませんから、義務といえば国家がかしたものぐらいしかない。

     

     

    という指摘は「神」が機能していないのではなくて、神そのものは機能しておられるのだが、「神」にあるものとして神の国の果実を地にもたらすという信仰者の機能が機能してないのは、確かにそうだなぁ、と思う。それは、「クリスチャンであるとは」という本で、NTライトが繰り返し指摘していることである。

     

     

     またこの傾向は、西洋近代の社会システムと、西洋近代のキリスト教を輸入(米国経由のものの方が多い気もするが…)して、それを保存している、あるいは温存している、あるいは正倉院御物のように保管している日本のキリスト教でも、キリスト者の義務というかミッションといえば、日曜日の教会参加と、献金くらいになっているという教会も案外多いのではないか、と思うのだ。本当はそうではないと思うのだが。神の国が来たということを生きることを通して、生きていく中で出会っている自分と違う考えの方々(他者性を持った方)に、ウエメセではなく、誇るでもなく、街宣車に乗ったり、ラウドスピーカーで広報することなく、神がよい方であることを善きことをさり気に行うことの中で、さりげにお伝えするのがキリスト者の義務のような気がするのだが…。

     

    そもそも、近代の国境概念、近代概念のないムスリム
     同書の中で、ドイツでの移民や難民に関する国籍問題に触れた後、中田さんは次のように言う。
    中田 そもそもムスリムは「世界市民」的なものですから、国の概念とかあまりないんですけれど…
    さらに、スコットランドが弱者に対して優しく、人が笑いかけるという内藤さんの話題の後、
    中田 中東と同じですね。中東の人も顔が合うとみんなニコっとします。
    内藤 しますよね。
    中田 ただパキスタン人だけは笑わないので、最初は怒っているのかと思ったら、別に起こっているわけじゃない。どうもインド亜大陸の人たちは意味がないと笑わない習慣の様ですね。中東の多くは遊牧民ですから、定住せずに家畜と一緒に移動しますよね。国家や国境意識が薄いのもそのことと関係が深いわけですが、彼らが移動する土地は、砂漠だったり、かなり自然条件が厳しいですから、人と出会ったらお互いに助け合わないと死んでしまう。代々助け合って生きてきたので、人と出会ったらまず、「私はあなたに敵意はありません。助け合いましょう」という意思を示す。厳しい環境の中では、それが最も合理的なのです。(pp.95-96)

     

    まさに、彼らはアブラハム、イサク、ヤコブの神と祖先のことをいった頃からの生活を、延々数千年間にわたり彼らは続けているのだ。その意味で彼らは父祖の物語の中での生活をそのまま実体験で21世紀やっているにすぎない。食うものがなくなれば、食い物があるとこに行って、時に武力を使った実力で、あるいは、技術力や持てる資産(金や銀の装身具や奥方の美貌)を使った実力で、またはその地の支配者(王たち)の温情に縋りながら食わしてもらい、流動民として、寄留者として、遊牧民として、過ごしているにすぎない。まさに、アブラハムの生きた生き方をしているのが、現代の中近東でもおられるし、それを、国内での内乱が起き、軍隊が動いて内戦が起きたので、やったら、行き場を失ったというのが今のシリア難民の姿でもあるように思う。

     

     

     まぁ、現代人感覚で、「まれびと信仰」でアブラハムが神の人と見える人を世話した、という見方もできるが、それよりも、旅人で、苦労している人と自分が旅をしていたころの姿を重ねて、助け合いの一環として、もてなした、という方が普通のように思った。

     

     

    イスラム社会、中東社会の複雑さ

     

    中田 そうです、先ほども触れましたが、例えば日本から見ると、シリア人難民はサウジアラビアとかクウェートとか、お金がたくさんある同法の国へなぜ向かわないのかと、不思議に思うかもしれません。中東諸国の多くは植民地から独立を果たして作られた国家ですが、独立を進めたエリートたちは西洋の教育を受け、非イスラーム的領域国民国家システムの中で育った人たちです。ですからシリアのムスリムたちはそこへ行け無いのです。止める同法の国に行っても信仰生活の自由が得られないと分かって居る。これはあまり語られてないないし、日本に居るとほとんど見えない問題ですが、もはやイスラーム圏の中にもシリア難民が安心して逃げていける場所がない、ということが最大の問題です。(p.111)

     

    日本では、中東があまりに遠い。「油田があって、ラクダがいて、砂漠があって、その中に浮いたようなドバイがあって」という程度の認識があればいい方ではないかと思う(どうせ、向こうも、侍、アニメ、コンピュータゲームの国くらいしか認識していないからお互いさまである)が、中東の問題、特にイスラームの問題は、結構面倒なのだ。有名なシーア派とスンニ派だけではなくクルド独立問題が絡み、更にサウディアラビアとイランの石油の経済的利権(イランは結構埋蔵量が多いのと、経済制裁で禁輸措置を喰らっていたので輸出したくて仕方がない)問題などが絡み、また、サウディがイスラム教シーア派の有力な宗教指導者ニムル師の死刑執行をして、イランの国民感情を逆なでしたことは記憶に新しい。イスラムは一枚岩ではないのだ。

     

    外国人に対する日本社会の中の排他性

     

    なんか、他の本の紹介になってきたので、『福音と世界』に戻るが、今回の記事で一番面白かったのは、日本における難民支援の実像を描いた石川論文「日本における難民支援」という論文であった。この記事の冒頭でも触れたが、日常あまり意識することのない、日本社会における政府系の難民支援と、ボランティアベースの民間の難民支援とのかかわりを当事者の視点から描いているという点で面白かった。神学的な中身が必ずしもあるわけではないが、政府見解ではない民間の難民支援機関の当事者の立場からの意見の表明という意味で面白かった。何が面白かったかというと、冒頭の部分が面白いのである。夜間か早朝の雑居ビルの事務所前にたむろする難民、そして、とりあえず朝食をとるか雑居ビルの事務所の一角にごろ寝するスペースを作って休んでもらう、シャワーが無いので、男性トイレでとりあえず水浴びする難民、まぁ、その苦労たるや想像を絶する感じがある。

     

     そして、「おわりに」の部分でかかれた冒頭の次の一文であった。

     

     

    難民支援を通じて私自身が感じているのは、制度面の日本社会の中の排他性、社会的排除である。

     

     

    を想いながら、一方で国際化と称して、時刻に取って都合の良い国際化(これはわが国だけではない)を言い、時間限りで来てくれる外国人労働者、家政婦労働者、介護職関係者を欲しがるこの国の姿になんだか割り切れないものを感じる。まぁ、英語が喋れないこともあるのかもしれないが、これは日本の教会でも同じだと思う。

     

     

    教会で知り合ったあるアフリカからの留学生ご一家や昔いた教会に来ていた留学生の方をお世話したことがあるが、基本的に彼らは同じキリスト者として、そして、神の家族として迎え入れられると思っていたのだが、日本の教会では、どうも受け入れてもらえなかった、ということを言っておられたのが印象的であった。言語の壁だけではなく、外国人というだけで、自分たちで固まってしまって、外国人を前にして、教会内でハドルを組む日本人信徒という構図になる教会は多いのではないか、と思うのだ。

     

     

     そもそも日本の教会派、異郷の地にあるので、神の武具を身につけて、世に対してハドルを常時組んでいて、教会に立てこもっていて、そこで常時ハドルを形成している節もないわけではない。

     

     

     

    アメフトのハドル

     

    ところで、外国人への対応がむごい、という意味では、皆さんはご存じかどうか知らないが、わが国では、ほぼ日本の年金の恩恵を受ける可能性のない留学生の学生にも年金を納める義務があるらしい。以前世話した留学生が、授業料が払えなくなったので、わけを聞いてみると、年金関係の事務で行き違いがあって年金未納者扱いになり、銀行口座が差し押さえされてしまったらしく、それで授業料が払えないという事案が発生した。この辺の役所の論理に縛られた外国人対応のむごさなどを考えると、一体何なんだろう、と思ってしまう。

     

    若干突っ込み不足かも

    あと、今回の記事で、「現代の人身売買/人身取引をニューヨークで考えた」という女性に関する人身売買の宍戸氏のレポート記事も、切り口として面白かったのだが、いかんせん聖書的な側面からの突っ込み不足であったのは否めない。もう少し、この号に載せるのであれば、人身売買としての奴隷制度と旧約聖書とか、あるいは地中海世界の奴隷制度との違いとか触れてもよかったんではないか、と思うけど。

     

     

    まぁ、この雑誌のこの号は買いかと言われたら、是非にとは言わないが、買って損した気にはならなかった(なぜならば、レヴィナスに関する連載があったり、南洋伝道の記載があったり、辻さんの新約聖書の釈義や、月本さんの詩篇の講解など、圧倒的な連載を持っておられる執筆者集団のゴージャスさがあり、そして面白い連載があるからではある)とだけは申し上げておこう。

     

     

     

    おしまい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    評価:
    内藤 正典,中田 考
    集英社
    ¥ 821
    (2016-03-17)
    コメント:非常に示唆的であった。

    評価:
    N・T・ライト
    あめんどう
    ¥ 2,700
    (2015-05-30)
    コメント:お勧めしています。特に最後の方の章がよい。

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930     
    << September 2019 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM