アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(8)
これまでの振り返り
ここまで、
第一回
アメリカという国の建国神話とトランプ大統領の背景となった東部人の関係、ニューイングランドと新しいエルサレムとの対応関係、アメリカ建国神話が刷り込まれているうえでのアメリカの政治風土、今なお続く南北戦争としての選挙があること、2018年の中間選挙再考等について触れました。
第2回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(2)
では、米国の政治風土は、南北戦争以来の歴史的経緯から、地域ごとに支持政党の傾向があること、南北戦争で南部側であった諸州が、反ニューイングランドという意味で、共和党支持基盤になり、また、中西部の農業を主産業とする諸州が、共和党支持であることなどをお話してきました。
第3回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(3)
では、保守支持層の福音派系党の人が多い中西部人と建国神話との関係、アメリカの宗教地図、二大政党制ゆえのイシューで選択される構造、日米の政治への関与と、特に宗教関係者と政治とのかかわりの日米の違いなどをご説明しました。
第4回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(4)
では、アメリカの福音派が政治に接近するきっかけとしての福音派出身のジミー・カーター大統領の存在、そして中東和平(アラブ諸国とイスラエルの関係)その後のドナルド・レーガン大統領という存在と共産主義国崩壊に伴う国内問題の争点化といった側面に触れました。
第5回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(5)
では、テロ型小規模戦闘が戦争のスタイルになったこと、軍事支援のブーメラン効果で世界のあちこちでの紛争、ロシアとの微妙な関係、以前と変わってしまった大統領候補に求められる基準と2016年大統領選の候補があまりにユニーク過ぎたことと、消去法でトランプしかなく、福音派はトランプ支持に回ったこと、と述べました。
第6回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(6)
では、終身制ではないけれども生きている間大統領と呼ばれ続ける合衆国大統領の特別さや、トランプ政権以降のアメリカの内外政治、とりわけ、新移民(不法滞在者)に対する冷遇や排除と聖書から考えてどうなの?という意見等を述べました。
第7回
アメリカのキリスト教会とアメリカ政治をたらたらと考えてみた(7)
では、新たなるモンロー主義としてのトランプ政権の外交政策として理解できそうなこと、過去の世界の大国と国勢調査が陸軍国にとって重要であったこと、アメリカ合衆国で消えたフロンティア、その先にある宇宙開発があること、多民族国家であるがゆえに接着剤としての市民宗教として存在するアメリカのキリスト教という側面がある可能性があるのではないか、ということ、さらに、国家統合の象徴としての大統領とアメリカ国旗があることをお話した上で、福音派教会でも存在する熱烈なトランプ支持者がかなりおられること、その支持者の確保のために中国という共産党叩きに使える国の存在があり、その中国への態度が豹変しているように見えながらも一貫しているトランプ大統領の発言があることをご紹介してきました。
以上のように連載を続けてきたわけです。面白がってくださった方が結構おられたので、それはそれでよかったのですが、家人からは、この手の政治の話は退屈だ、と言われてしまいました。ま、人それぞれこのみがあるということで、よろしいかとは思っております。
まぁ、結局、自分たちの外交政策でなにか明白な目的を失ってしまった世界の大国がどこへ進むのか、ということが明確に主張できなくなった現段階で、国内のことにしか目が行かなくなり、さらに、その国内のことを自分たちが本来あるべきと思っていることを主張している人が、自分たちが本来こうあってほしくない、と思っている状態であっても平気の平左であるようなトランプ大統領が行ったり、やったりしてくれるというところが悩ましいものの、実利をもたらしてくれる以上、それを否定出来ないというのが現状のアメリカなのだと思います。
ポストインターネット後の社会と
多元化してしまった米国だからこそのトランプ支持
前回の記事でも触れましたが、民族的にも、信仰集団的にも多様化していることから、価値観が多様化してしまっており、社会の中で前提にされいたた以前のような社会の均質性を失っている部分があります。また、アメリカは国土が広大なこともあり、価値観が異なる複数のグループが互いに衝突することを避けることが、空間的に別の空間を専有することで避け得ることができた部分があるようにも思います。
しかし、インターネットという現実空間、あるいは物理的・地理的空間をぶち破る存在の登場により、サイバー空間が登場することで本来空間の存在として存在したはずの意見とか見解とかの差異を和らげていた空間いう緩衝材が消滅してしまい、その多元化した意見が直接対決することになったのではないか、と思います。そして、サイバー空間での発言と対立が、今度は、現実空間での人々の挙動(例えば選挙行動とか、デモ行為といった直接行動)に影響を与え、結果として社会の対立と分断を表面化させてしまったように思うのです。例えば、反トランプ支持派にせよ、トランプ支持派にせよ、集団的デモ行為などは、もともと政治的に活動的な人々が多いゆえ起きやすかったとはいえ、インターネットでのデモ行為への参加を呼びかける行為に、人々が呼応した結果という側面があるように思います。
このサイバー空間の登場の結果起きたのが、いわゆるアラブの春という現象でした。従来だと、口コミとか、電話とか、張り紙とかの伝統的メディアで情報伝達が起きていたものが、関心を同じものとする人々を集めやすい、インターネット、とりわけSNSの豊穣により、新聞、テレビ、ラジオといったメディアより実現しやすくなり、動員力も増したというのが、実情ではないか、と思います。
アラブの春とSNSの関係についての動画
多元的であること、もともと国家が州法(州最高裁判所などの判決による判例法)で分断されており、そもそも分断的であることなどから、国家としてのまとまりがなく、さらに、いつまでも続く湾岸戦争、対イラク戦争の後片付け、アフガンへの米兵の中流の長期化、対テロ戦争で心が冷え切ってしまっているし、国内でのHome Grown Terroristsとも言うべき、もともと米国市民であるにもかかわらず、高校での銃乱射事件や国内での銃乱射事件の多発というなかで、大国としての威光が輝いていた1950年代から1960年代の栄光のアメリカ社会(とはいえ、1950年代から1960年台は国内に貧困がはびこり、経済格差は深刻だったし、核戦争の恐怖やキューバ危機など、結構危機的な状態であったけれども)の栄光を再び、というのが、おそらく、高齢者層や、ベビーブーマーズでその頃の良い思い出しかない人々にMake America Great Againというキャンペーンスローガンがうけ、そして、United We Standという言葉の再理解に繋がり、非常に受けた結果が、2016年のトランプ支持につながったように思います。
トランピズムというプラグマティズム
アメリカ社会では、概念的な理解よりも、それが実際にどのように役に立つのか、というプラグマティズムが重視される傾向にあります。特に、一般市民レベルでは、このプラグマティズムは社会の隅々にまで行き届いていて、実際に役に立つこと、生活を便利にすること、生活を快適にすることが非常に重要な概念になっています。要するに、絵に描いた餅は嫌われる、ということのようなのです。
ニュートン・ギングリッジ元下院議長(共和党)によるトランピズムの解説
オバマ政権は理想を掲げて登場はしたのですが、目に見える形での国内の経済状態が飛躍的に改善したわけでもなく、わかりやすい形で南下政策が形になった何かができたわけでもないという側面があります。あと、オバマケアと呼ばれる、無保険車対策ができたのですが、これが自主自立を良しとする古いスタイルのアメリカ人の生き方と一致せず、結構人気がなかったということなどもあります。
特に、注目したいのは、ラティーノと呼ばれるスペイン語をしゃべる人々の中にもかなり熱狂的なトランプ支持者がいることです。本来、ラティーととか、ヒスパニックと呼ばれる米国内にいる人々の仲間であるような人々の流入を壁を作ったり、移民阻止政策で防ごうとする人々には反対であるはずの人々がかなり見られるという現象です。この理由がなかなか説明的に明らかにできないのですが、こういう人々がいて、現トランプ政権があるということは忘れてはならないと思います。たとえ、一時の状熱に浮かされているのであるとしても。
CNNのトランプ支持のラティーノへのインタビュー動画(まるで天使だとかいっている)
Miami NewTimesから
https://www.miaminewtimes.com/news/the-blacks-for-trump-guy-at-florida-rally-is-former-yahweh-ben-yahweh-cult-member-8843111
特に米国内ムスリムという存在と国内の多様化
オバマ大統領は、ムスリムではないのですが、そのお名前が、アングロ・サクソン的でなく、音の印象からか、ムスリムだと誤解されていたようですが、この度の中間選挙での下院議員選挙では、女性のムスリムがお二人当選し、そのうちのお一人は難民として米国に来た世代の下院議員さんでヒジャブをおかぶりになった女性議員さんが選挙で、選出されたりしました。いずれも民主党の議員さんですが。
ミシガン州のパレスティナ系ムスリムの女性の下院議員
ミネソタ州という保守色の強い州で、下院議員に当選したソマリア難民出身の議員さん
女性のムスリムの下院議員(二重に厳しい、ムスリムというだけで厳しいですし、おまけにムスリム社会では、やや地域が低い立場とされがちである女性の存在もあるので)というのは、もう少し先かなぁ、と思っておりましたが、今回、お二人モデルとは、予想はしておりませんでした。
こういう現状を見ると、従来のインド系、アジア系に続き、ムスリム系のアメリカ国内在住者人口の増加、ということを考えねばならない時代になってきたのではないか、と思います。今回の中間選挙の結果に現れたような価値観の多様化が進んでいく米国のなかであるからこそ、なんとか、これまでの古き良き(Good Old)アメリカを維持したい、という人々の切実な思いがトランプさんへの支持へとつながっているように思うのです。たとえ、いわゆる30年か40年前の大統領であれば、眉をひそめられ、失意を集める原因となりかねない言動を乱発していたとしても、全くその支持が揺るがない大統領になっているという意味で強い大統領なのでしょう。以前のレーガン大統領は、何やっても問題視されなくて、ほとんど傷がつかないという意味でテフロンコートされた大統領と言われましたが、トランプ大統領はそれ以上なので、多分ダイヤモンドコートされた大統領、ということになるのでしょう。
その背景には、レーガン大統領時代には、まだ、テレビ、特に政権に批判的なことを書くような、New York TimesやWashington Postといった、かなりリベラル色の強い新聞などを郵便で買ってまで、読む人々がいたわけですが、そういう人々が大きく減少するなかで、マスメディアの力が相対的に弱まっているということはあろうか、と思います。つまり、ネットが、新聞やテレビに触る時間を人々から奪った結果、マスメディアを名指しで、Fake Newsとトランプ大統領がいう以前から、ポストインターネット社会(インターネットが普及して社会基盤になってしまった時代)では、実際に投票行動を含め、社会への影響力を失っているのではないか、と思います。
ポーランドで米メディアをFake Newsと批判するトランプたん
まぁ、この前の中間選挙で、下院で民主党が強くなった結果起きた、予算がなくて行政機能の一部が年末に向けてすでにとまってしまっていますが、そんなことは一向にお構いなしで、喋り続けるトランプ大統領という構造は、いつまで続くのか、という感じがしていますが、次の選挙までは大統領なので、もう当分続くのだろうなぁ、という印象を持っています。
ということで、この連載は、おしまいです。長らくお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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