2018.07.12 Thursday

アーギュメンツ #3 を読んでみた(1)

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    同人誌もいろいろ…

    お若い友人の一人が寄稿しているということで、出版記念パーティにでて、そして、この本を入手してきました。支援の意味で、友人に誘われるまま参加した出版記念パーティで、買ってきました。この本というか、雑誌は、ある意味で、同人誌と言っていいと思うのですが、以下のようなコミケで売っているような、うっすい本という別名を持つような同人誌とは内容的には異なっていました。

     

    うっすい本と呼ばれる同人誌の例

    http://buyee.jp/item/yahoo/auction/x541061060 から

     

    どちらかというと、太宰治が出していた『蜃気楼』という同人誌に近いかもしれないなぁ、とおもいました。文芸評論雑誌というよりは、哲学評論雑誌に近いのではないか、とおもいましたが、これが、実にいい雑誌というか、ムックでした。何がいいかというと、哲学的に、あるいは芸術批評的にインターネット時代と、その後の時代、ポスト・インターネット時代をどう考えるのか、ということに関する雑誌でした。

     

    太宰治が出していた同人誌『蜃気楼』

     

    いくつか、この本の中から、気になった表現を拾っていきたいと思います。まずは、山内朋樹さんの第一論文『なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのか ー浪江町における復興の一断面』からご紹介したと思います。

     

     

    アーギュメンツ #3の写真

     

    日本のあちこちにある第三風景

    浪江町に見る自然と社会の相克がもたらす、緊張関係を、現代文化という視点から、近代で課題となったエコロジーという視点から、どのように見るか、の論文でした。もともと都市計画屋を目指して大学に入り、図学のセンスの無さに設計側の人間となることを早々に諦め、都市や地域の数理的解析の側に回った人間になったのですが、阪神大震災で被災地で勤務し(と言っても現場勤務ではなかったですが)、空間情報技術を専門にし始め、現在はJAさんや、農事法人さんなどと一緒に研究を進め、農業でのIT支援業務(耕作放棄地対策)なんかのお手伝いをしている側の人間からすれば、ここに書かれていることは、中山間地域(山がちだけれども、ぎりぎり条件悪い中で農業がかろうじて営まれているような地域)で支援業務をする際によく目にする光景でもあるので、なんとなく印象深いなぁ、と思いました。

     

    窓や戸口にコンパネが打ち付けられたままのコンビニの駐車場には多数のクラックが生じ、一つ一つのひび割れからはセイタカアワダチソウなどが密に吹き出している。田畑だった乏しき放棄地の植生推移は、草刈りがなされている場所も混在しているはずなのに、すでにヤナギを始めとした木本類のパイオニア種が草本類よりも優勢になっている。

     悲劇的な風景ではある。とはいえ衝撃的ではない。人口減少にあえぐ地方の放棄地や自然界の撹乱地を繰り返し観察してきた目にとって、それは十分に予想された風景だ。ところが、こうした現状にこうするかのように、そこには唐突に色鮮やかなパンジーの寄せ植えがあった。

    (中略)

    人が関わりを持たなくなった放棄地や空き地、道端に生い茂る植物。非人間的で悲劇的であるが故に、少なからず美的でもあるような風景。フランスの庭師ジル・クレマンなら、それを「第三風景」と呼ぶだろう。

     この区域やその周辺のほぼ全域に第三風景のようなものが広がりつつある。

     

    「第三風景」[…]は、人間が風景の進化を自然だけに委ねた空間全体を指す「第三風景」は都市や田舎の放棄地、つなぎ目の空間、荒れ地、湿地、荒野、泥炭地に関わっているばかりではなく、道端、河岸、線路の土手などにも関係している…。[…]人間の制御と開発に従った領域の全体と比べるなら、「第三風景」は生物学的多様性を受容する特権的な空間を構成している。

    (アーギュメンツ #3 pp.2-3  下線部は、もともと傍点)

     

    ここで、「悲劇的な風景ではある。とはいえ衝撃的ではない。人口減少にあえぐ地方の放棄地や自然界の撹乱地を繰り返し観察してきた目にとって、それは十分に予想された風景だ。」というのは、この種の絵面に営農支援組織の研究でお伺いするたびや、阪神間から自動車で1時間ほどで行ける領域でも、もはやあまりに普通になっていることを経験したためか、もはや、衝撃性を持たない、というご意見に関しては、おぉ、仲間がおられた、という印象を抱きました。

     

    30年近く前、まだバブル経済の余韻に日本が浸っていた頃、研究会で、海外の地域科学の研究者が来られたときに、地域研究の立場から言えば、「東京は日本ではなく、日本全体から切り離して考えるべきである」という旨のご発言があって少し驚いたことがあるのですが、実際に地方(とはいえ、太平洋ベルトコンベア地帯の隅っこ)に住んでみて、数十年経つと、本当に東京って異常だなぁ、と思います。数年に一度生え変わるかのように林立するビル群、いつ言っても迷子になりそうな、東京駅を始めとするターミナル駅…地方では、ビルが生え変わるのではなく、セイタカアワダチソウやクサネムがヤナギに生え変わりはするのですが・・・・

     

    なお、クサネムが、下の画像のように、水田に収穫時期に大量発生すると、困りものなのです。下の写真のように生えていると、(大型)コンバインで収穫しようとしたら、コンバインの刈り取り用の刃がかける、コンバインに詰まりが発生するとか、いろいろ面倒なのです。そして、こうなった場合には、収穫前の水稲もろとも、小型の火炎放射器みたいな草焼バーナーで燃焼させてしまうことになります。残念ですが・・・

     

    水田に生えるクサネム(色の濃いやつ) https://www.jataff.jp/satoyama/summer/37.html より

     

    コメリさん提供の草焼きバーナーの使い方の動画

     

    余談はさておき

     

     

    宮崎アニメと第三風景
    ここで、著者はジル・クレマンという作庭家のアーギュメントである第三風景という、概念を取り上げます。多分、第三風景とは以下のような光景のことを言うのでしょう。この第三風景のメタファーは、宮崎駿アニメの定番の風景でもあります。ラピュタでは、人類の欲望が行き着いた先の天空の城ラピュタのラピュタのメタファーとして出てきますし、『風立ちぬ』でもラストシーン直前のシーンで飛行機の墓場の光景として、まさに第三風景が現れます。

     

    打ち捨てられた昭和の洋館 https://ameblo.jp/fury99/entry-11335636023.html より

     

     

    天空の城ラピュタ https://www.amazon.co.jp/dp/B00005GF78 より

     

    風立ちぬに現れた戦闘機の墓場のシーン https://www.pinterest.jp/g900708/animate-background/ より

     

     

    あるいは、『もののけ姫』のシシ神は変容することで、第三風景の主祭神あるいは祭祀者としての役割を同作品中では担っています。宮崎アニメには、この第三風景がメタファーとして非常にたくさん現れます。その意味で、日本という風土が、この第三風景に適した風土であるというのはあるかもしれません。

     

    アメリカの飛行機の墓場や、旧開拓村が放棄地に残るのは砂漠がおおいのですが、日本では、なぜだか、植物がそれを覆ってしまうという現実を宮崎駿氏がよく知っているからかもしれません。

     

     

    もののけ姫 海外版の予告編

     

     

    アメリカの飛行機の墓場 https://www.airplaneboneyards.com/davis-monthan-afb-amarg-airplane-boneyard.htm から

     

    アリゾナ州TuscanにあるDavis-Monthan Air Force Base  部品をとったあとか、まさに、バラバラにされたB52の機体

     

    アメリカの西部の放棄された開拓村 http://capitolhstudios.com/ より

     

    都市は、自然をコントロールし、人々の行動をコントロールしようとする一種の権力(Power)とも呼ぶべき強力な力が行使される権力空間であると言って良いように思います。自然をコントロールするからこそ、ラスヴェガスのような砂漠のど真ん中に強力な灌漑用水を用いて無理やり作り出した人工の遊興都市を作れるのだと思います。そこでの人間は、巧妙に誘導されることで、自らがコントロールされていると思わずに生活をすることで、実態的には行動をコントロールされているように思うのです。

     

    どうコントロールされているか、って?例えば、信号、鉄道の時刻、テレビ番組の時刻、飛行機の搭乗時刻…実に多くの制約が課されているのです。こういう拘束構造を嫌うからか、アメリカ人はどこでも自動車で移動するのかもしれません。片道100キロ(1時間半くらいの運転)をフリーウェーで時速75マイル (だいたい時速120キロメートル)で、気軽に車で運転して移動するのがアメリカ人で、それも当たり前のように言うのです。最初は驚きましたが。

     

    第三風景とは、その都市の権力構造というか人間の力の行使が弱まったところに、たち現れるものであるということになるのでしょう。

     

    原発事故と第三風景

    そして、本論文の著者の山内朋樹さんは、震災以降、というよりは原発事故以降の浪江町を題材に取りながら、次のように書きます。

     

    確かに、第三風景は、20世紀後半のエコロジーを批判的に拡張し、あらゆる終焉的な場所に自然保護区と同等の機能を設定する試みであった。とはいえ眼前の風景は保護すべき多様性の避難所だろうか。とりわけ震災以降、経済的停滞や人口減少に由来する都市や地方の減圧が目に見え始めた現在の日本において、こうした風景はいたるところに蔓延しつつある。

     この概念が持つラディカルな意識はすでに蒸発してしまったのではないだろうか。

     

    (中略)

     

    本稿は第三風景を20世紀的エコロジーのリミットととして捉え直し、特定の地域をモデルとしながらも、現在日本のいたるところで生じつつある一つの状況を描き出すことを目的としている。

     それは豊かで純粋な共生のエコロジーを見出すことでもなければ、貧しく不純な共生なき反エコロジーを見出すことでもない。そうではなく、生態系未満の所持物がひしめき合う、エコロジー以降のポストエコロジー世界を想像する試みだ。

    (同署 p.4)

     

    ここで、「20世紀的エコロジー」という言葉が出てきますが、これは本論文のキーワードの一つでしょう。いろいろお考えはあると思いますが、「20世紀的エコロジー」とは、ミーちゃんハーちゃんが思いますのに、「20世紀」という国民国家、産業社会、大量生産大量消費、近代という時代を背景としたエコロジー理解ではないか、と思うのです。ところが、もう時代は、いいか悪いかどうかは別として、現実には、ポストモダンの時代に入り込んでおり、その意味で、ポストモダン的時代に生じた、「生態系未満の所持物がひしめき合う、エコロジー以降のポストエコロジー世界」ということを扱う必要があるのではないか、というご指摘です。つまり、それが、第三風景であるというご指摘ではないか、と思うのです。

     

    そして、ここで、通常これまで言われてきた「純粋な共生のエコロジー」という概念に変わる概念が必要なのではないか、というご指摘は重要ではないか、と思うのです。要するに秩序立たない世界を内包する必要性があるのではないか、というご指摘です。

     

    これは、里山運動などと深く関わっていると思います。日本では、里山と呼ばれる集落界隈にあるある種の放棄地が共同管理されることで、照葉樹林を形成し、エネルギー源となったり、水源の涵養装置となったりするということで注目されていますが、里山自体は、かなりの長期間に渡る綿密な管理があってこそのものだとされています。とすれば、人間の手(あるいは力、権力)が関与してはいないけれども、ある種の生態系未満の状態を生み出している第三風景を考察するようなポストエコロジーとは何か、ということを考える試みの重要性があるように思います。

     

     

    これは、ミーちゃんハーちゃんが深く関与してきたキリスト教でも同じようなことが言えるかもしれません。これまでは、建物としての教会を舞台といいますか、建物とか組織と言った入れ物を前提にしたキリスト教会という人の群れを中心とした形でのキリスト教形成における集合体の形成が目指されてきましたが、現在では、中国の「家の教会」、House Church Movement, Taize…といった従来の枠で捉えられないキリスト教が目指されているという側面があるように思います。これについては、工藤信夫著「暴力と人間」を読んでみた(6)で、すでに触れたところではあります。

    もし、時代が、「秩序立たない世界を内包する必要性があるのではないか」というご指摘の内容を欲しているとすると、教会もまた、「秩序立たない世界を内包する必要性がある」ようにも思うのです。そして、教会も、どの程度かは別として、「秩序立たない世界を内包する必要性」を少しは考えてみたほうがいいのかもしれません。

     

    ポストエコロジーと亜生態系
    現代を特徴づけるものとして、本論文の著者の山内氏は、ポストエコロジーと亜生態系という概念を提唱しておられます。
     エコロジーからポストエコロジーへーーポストエコロジーは共生や自然保護を歌うものではない。それは、気泡化し、空き家や廃品や植物の集積に呻吟する都市や地方から導かれた状況であり、その構成要素は第三風景に似て非なるものとしての亜生態系である。
     第三風景から亜生態系へーー亜生態系は、人間が立ち入らない非人間的風景や植物が多様性を回復させる奪還の過程ではない。ここでは都市同様に部分としての自然もまた奇形的な変質を蒙りながら、都市と自然は互いの本性を蚕食しあい、なし崩し的に混濁している。偶然隣り合う非固有なものたちからなる生態系未満の生態系こそがそれである。

     

     かつて、こうした特徴を持った場所が「造成居住区」と名指しされたことがある。(同書 p.8)
    この部分の議論に見られるように20世紀を特徴づける言葉は、エコロジーであった用に思います。それまでは、エコロジーや、エコシステムとい雨概念が声高に叫ばれ、環境保護への関心はそれほど強くなかったように思うのです。なぜなら、20世紀に入るまでは、未だ自然の力が強く、人間がそれに拮抗することはほぼ不可能であったからかもしれないと思うからです。20世紀になってはじめて、人間の力が自然の力を凌駕しうる、つまり、自然に対して圧力をかけ続け、自然をある領域の中に強力な圧力によって、閉じ込めることで、山内氏のいう「気泡化」を抑止してきたように言えるのかもしれません。非常に大きなエネルギーを消費しつつではあったかもしれないけれども。

     

    そして、あまりのエネルギーの必要性への反省から、そのままのあり方を続けうるのが望ましいことなのか、ということがエコロジーという考え方であったり、河川改修において、強大な堤防を構築する河川改修ではなく、水害の危険性の増加の懸念をはらみつつ、水辺へのアクセスを図るような河川改修への転換など、自然共生型の河川改修へとの転換が行われてきたように思います。結果として、「都市と自然は互いの本性を蚕食しあい、なし崩し的に混濁している」という状況が生まれているように思うのです。そして、都市が都市としての権力構造、圧力構造が人口減社会の中で維持しきれなそうな状況を迎える中、日本の国土全体が、「生態系未満の生態系」となり、亜生態系化へと移行しつつあるのかもしれない。

     

    この問題は、現状の移民政策とも重なるかもしれないなぁ、とおもいました。日本は、戦前から、長らく、ハワイや南米、北米に移民を移出する側であったことは確かです。しかし、今、日本は、ある種の経済的移民を受け入れなければ、現状の経済活動の維持が困難な国になっているようです。そのことは都市部の夜のコンビニエンス・ストア、ファミリー・レストランに行くと、体験的に感じることができるのではないでしょうか。もはや、日本は日本人だけからなる純粋な国や地域とは、言い難い生態系を呈しているように思います。

     

    田中角榮氏の列島改造論の時代以降、日本中に「造成居住区」がパッチ状に形成される国になり、都市環境の面でも、「生態系未満の生態系」がまだら状に生じる国になっていったということはあるでしょう。その象徴が下のドラえもんのアニメだったのかもしれないなぁ、と思うのです。そして、今、その「造成居住区」のインフラストラクチャーが建設から一斉に50年から60年経過し、道路に穴が開いたり、水道管が破裂して吹き出したり、と逆襲を食らっている国になっており、「生態系未満の生態系」へと、その面でも向かっているように思われます。

     

     

    「造成住宅区」の象徴、土管(ヒューム管)でコンサートをするドラえもんのジャイアンとのび太くん

     

     

    各地で水道管が破裂して洪水・浸水が発生する事案の一例のニュース

     

    この論文は、実に印象深い論文であったように思います。

     

    なお、この本は、このアーギュメンツのグループの手売りでしか手に入らない稀覯本です。2,000円は高いかなぁ、と思ったのですが、読んでみますと、2,000円でも安いくらいだと思います。もし、このブログ読者の方で、読んでみよう、とご所望の方は、まず、”アーギュメント#3”で検索して、直接著者の方々から買う機会をお探しになるか、コメント欄で連絡先等いただきますと、販売者の方におつなぎいたします。

     

    次回からも、もう少し、この本からこの論文の次の論文の内容をご紹介いたたいと思います。

     

     

     

     

     

    2018.07.12 Thursday

    アーギュメンツ #3 を読んでみた(2)

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      さて、前回は、『アーギュメンツ#3』から「第三風景」とポストエコロジーに関する巻頭論文をご紹介いたしましたが、今回は、そのポストエコロジー時代におけるキリスト教を扱った第2論文、波勢邦生論文 「トナリビトの怪」を何回かに渡って、「第三風景」との係わりを意識しながら、取り上げたい、と思います。

       

      神と接触した人類

      聖書の旧約聖書の創世記では、この地球ができたときの『物語』あるいは『歴史的な事実』として、神が「光ある」という『ことば』に始まり、『ことば』のみにより天地万物を創造し、人類もその被造物に含まれ、男と女が創造されたとなっています(ミーちゃんハーちゃんは、「聖書」の権威性については、極めて尊重しているということだけは申し上げておきたいと思います)。ここで、それが『物語』なのか、『ものがたり』なのか、『歴史的現実』なのかは、ここで議論する意味はないと思うし、その場にふさわしい場でもないし、それを議論し、論証する実力と時間が、筆者のミーちゃんハーちゃんにはございませんので、議論はこれ以上深入りしないことにしたいと思います。しかし、同じ創世紀の冒頭では、アダムとエバ(Adam and Eve 土人と母(アダムは、土人という意味であり、エバは母という意味の語とヘブライ語の語根が共通なので))はエデンの園から追い出され、神との関係を失ったさすらい人になるのですが、旧約聖書(あるいは、ヘブライ語聖書、タナッハ)によれば、神と人とはすれ違うように、時々、様々な時代の様々な場所ですれ違うのです。例えば、ノア先輩は、大洪水の前に箱船を作るようにと通りすがりにいうかのように、神から言われていますし、アブラハム先輩は、アブラムと呼ばれた時代に、父祖の地から出ろ、と神から問答無用で言われて、それにしたがっていますし、モーセ先輩は、燃える柴の前で靴を脱げ、と言われたり、石の板をもらったりしてますし、エリア先輩とは、声なき声として神とすれ違います。

       

      シャガールによる燃える柴の前のモーセ先輩(角が生えたモーセ先輩は、ヘブライ語のラテン語誤訳?に基づくもの)

      https://www.marc-chagall-paintings.org/Moses-and-the-Burning-Bush.html から

       

       

      そして、ナザレのイエス(ヨセフの息子のイエス)時代の人達は、リアルな存在としての神の子、「人の子」と出会っていくわけです。他の人たちが割と短い時間でしか遭遇していないのですが、弟子たちはかなりの時間共に過ごします。パウロにしたって、盲目となったときに、神の声に導かれる経験をしています。それ以降の人々は、イエスの弟子たちの伝えた『ことば』によって、そして、そのイエスの弟子の弟子の弟子の・・・・・弟子たちの伝えた『ことば』によって、あるいは、弟子たちが残した言葉を編纂した『ことば』あるいは『新約聖書』という言葉を介して、神という存在と接触していくことになります。

       

      こうやって、人類は、世界各地の様々な時代に神と人格的に接触、あるいはすれ違っていきます。不幸にして、時代や空間、政治的制約、歴史上の制約を通して、接触できかねた人々もいるわけですが、その人々は、理性や自然を通して、神と接触している、すれ違っているかのように出会っている、とも聖書は主張しているようです。

       

      このあたりのことを踏まえて、波勢さんは、次のように書きます。

       

      人間の5指の形と役割が違うように、人類と世界は、各伝統の中で神と接触した。神の5指は6大陸文明史の動態において積極的にも消極的にも機能した。『教会史を見直せば、環地中海地域の時代、環大西洋地域の時代、そして環太平洋時代と区別されるであろう。そこには中心の移動があり、問題領域の拡大がある。しかし、環太平洋の時代は最後決定的』だという意見もある。

       

      神の掌を地中海沿岸弧とすれば、5指の頂点をつなぐ弧が太平洋の形となる。2016年夏、コプト正教会が京都で正式に教会を開いたことで、5大教区の伝統が日本列島に到達した。しかし、いずれのキリスト教であれ日本において浸透しているとは言い難い。つまり日本の文化と言語は、神の掌と向き合うように指の隙間にある。(『アーギュメンツ#3』p.25)

       

      この部分を読みながら、こんな感じかなぁ、画像合成して描いてみたのが、次の図です。ちょうど、エルサレムあたりに掌のくぼんだ部分を置き、それから、北の方にほぼ陸続きの大陸を書くと、たしかに指先に当たる部分はは弧のようになります。

       

      波勢さんのイメージする手のイメージと太平洋弧

       

      ここで、波勢さんは、『教会史を見直せば、環地中海地域の時代、環大西洋地域の時代、そして環太平洋時代と区別されるであろう。そこには中心の移動があり、問題領域の拡大がある。しかし、環太平洋の時代は最後決定的』と書いておられますが、これは、ヨーロッパを立脚点にしてみた場合の世界理解、あるいは教会史理解であり、ある面、そのヨーロッパの出身者が別の大陸に流入した結果形成されていったアメリカ合衆国を中心とした北米大陸で、独自に展開した『教会史』的なものの見方という部分もあるのではないか、と思います。

       

      西廻りと東廻りのキリスト教

      ヨーロッパ人は、アメリカ大陸に西廻りで、西側からアプローチをし、北米大陸を自分たちの領域化していきました。それは、ネイティブアメリカンにしてみれば、収奪の歴史でもありました。そして、ヨーロッパから到達した移民とその子孫の皆様は、さらに西へ、西へとWild Westを目指します。このような西向きの動きが彼らに啓示されていた運命であることを示す言葉に、マニフェスト・デスティニィという言葉があります。ヨーロッパからの移民の彼らにとって、西部開発は神が公言された、啓示された(マニフェスト)運命の場所(ディスティニィ)であると思っていたようです。とはいえ、いつまでも西へ西へと移動はできなくなる時期が来ます。そして、一旦はカリフォルニアで太平洋の海という、どでかい溝に直面します。しかし、その頃に蒸気船が発明され、カリフォルニアからハワイ経由でアジアに向かう太平洋航路が開発され、そして、ペリー艦隊が日本に到着し、中国を始めとするアジア諸国が西廻りにヨーロッパ人とその子孫たちが、到達可能な地域となりました。そして、かなりの明治期からの日本のプロテスタント系の教会の多くは、西廻り(もちろん東廻りもありますが)で日本に入ってくることになります。

       

      逆に、織豊期(戦国時代)と江戸末期には、太平洋を渡るのではなく、インドのゴアを経由したり、マラッカ海峡を経由し、マカオや中国本土を経由して、スペイン語系、ポルトガル語系、フランス語系(ザビエル先輩、あるいは、ハビエル先輩は、パリ大学のご出身・江戸末期に日本に来たのはパリ宣教会)のラテン語圏のカトリック系の人々が伝えたキリスト教が、キリスト教として日本に伝わることになります。一部には、ネストリウス派の一部と想定されている大秦景教が、ちょうど空海さんの中国留学中に流行していたこともあるので、空海経由で日本に入ってきていているという説はあるのは存じ上げておりますが、結局空海が伝えたのは密教(真言密)であったように思いますので、個人的には、キリスト教の伝来とするのには、論としてもかなり厳しいものがあるのではないか、と思います。

       

      さて、東廻りできたのは、ローマ教区由来のカトリック教会、ハリストス正教会(ロシア系)です。ロシア系正教は、基本、コンスタンティノーポリ教区・イェルサレム教区・アンティオキア教区由来です。これらの者は、カトリック教会は、東まわりとはいえ、インド、食う語句経由で、ハリストス正教会は東廻りとはいえ、シベリア経由で日本に来ています。コプト正教会は、アレキサンドリア教区と由来だと存じますが、現在の日本コプト正教会は、オーストラリアのシドニー司教区扱いだと聞いておりますので、これまた南太平洋経由の東回りでの日本への到来です。

       

      神の右手と左手が交差した指のあいだの日本?

      ところで、西廻り(アメリカ経由)できたものの多くは、ローマ教区の分家筋に当たる所謂プロテスタント系教会が多いように思います。その意味で、日本の教会は、東廻りと西回りのキリスト教が交差する交差点のような状態であり、その両手の指先が触れあっているあたりが太平洋弧ということになるのだと思います。

       

      波勢さんは「いずれのキリスト教であれ日本において浸透しているとは言い難い。つまり日本の文化と言語は、神の掌と向き合うように指の隙間にある。」と書いておられますが、ミーちゃんはーちゃんとしては、東回りできた神の右手と西廻りできた神の左手の間にすっぽり落ち込んだのが、日本列島という気もしています。神様の手の指が5本だとは、聖書のどこにも書いてないので、この辺は想像の域を出ないのですが。

       

      先日、水曜日の夜のチャペルの聖餐式で、ちょうど似たような話をしておりました。Kenさんというミーちゃんはーちゃんのお友達によれば、日本は、信仰告白という意味でのキリスト教化した社会にはなってはいないが、文化という側面でのキリスト教化は、確実に定着しているとおっしゃっておられました。

       

      確かに和魂洋才という声を上げて、明治期に必死になって近代西洋に追随するために、脱宗教化した西洋文明を吸収した結果だとは思うのですが、たしかに、様式論的には、霊的世界の内実という意味での信仰という側面を除けば、キリスト教的な世界観が知らず知らずに、日本人を支配していることは確かです。

       

      すると、英国人の司祭が、個人的経験を振り返りながら、日本は表面的なリチュアル(Ritual 儀式)的な側面へのこだわりがものすごく強くって、お辞儀の仕方とか、手の合わせ方とか、そんなことにこだわりがあるからちょっとつらいこともあるよねぇ、とかいう話となり、そこでなんとなく話が終わってしまいました。

       

      宗教的第三風景が広がる日本

      閑話休題。

       

      こう考えてみると、宗教的な意味でも、「アーギュメンツ#3」の第一論文の、山内論文で取り上げられていた「第三風景」が、信仰とか霊的内実、精神世界の面でも起きているのが、日本という国なのかもしれません。

       

      必死になって西洋文明というものを吸収しようとしたものの、結局日本やほかの海外の精神的、霊的、文化的植生が混じりこみ、ある種のキリスト教や、特定の仏教的世界観が支配的な社会とはなっていないようにも思うのです。そして、ある種の品種や設計で統一的に支配された空間支配が行われていないという意味で、霊的な世界、あるいは精神的な世界における「第三風景」が成立しているのが、日本という国に住まわれておられる多くの人びとのお姿なのだろうと思います。

       

      つまり、クリスマスには教会に行き、墓参りはお寺で、新年は、神社に初詣という一般化したスタイルや、あるいは、大阪の釜ヶ崎の素敵なオジサマたちのように、生きている間は、教会さんか、天理さんにお世話になって、死んだらお寺さんにお願いしたい、ということがなんの矛盾もなく言えるのが、日本という宗教的な「第三風景」が広がる社会なのかなぁ、と思いました。

       

      その意味で、日本は、「第三風景」に風土的にも、精神世界的にも、霊的にも適合的な社会なのかもしれないと、この2本の論文を比較しながら思いました。

       

      弱い主体の集合体としての日本人

      キリスト教と弱い主体と題された節で、波勢さんは、次のように書いています。

       

      神の指と太平洋弧でせめぎ合う問題は、西洋的なるものーーキリスト教と近代化ーーである。ぼくは、太平洋弧における「遅れた近代」を考えている。ある言語・文化圏における遅れた近代化とキリスト教受容の仕方は、その社会が西洋近代的自我を「主体」としてインストールしてゆく過程と、軌を一にしている。「超越・啓示・主体」という社会的形式。そこに「主体」隣り得なかったものの存在を捉えようと思う。それを、ここでは便宜的に「弱い主体」としよう。

       

      「弱い主体」とは、近代市民社会を構成する「主体」になりえずに排除されたもの、または主体化以前の人間性である。たしかに、創世紀のエデンにおいて、神は人に問うた。「あなたはどこにいるのか」。「神の声」としてのキリスト教が現象するとき、必ず「主体」が問題になる。それは近代的自我として想定されやすい。しかし「神の声」が要請するものが、自我と責任を引き受け、行為と意思の「主体」としての西洋近代的自我だけとは限らない。西洋的なるものを普遍として騙るキリスト教の一部は、これを西洋近代的自我として、まさに喧伝してきた。しかし、別の形もありうるのではないか。

       

      日本語キリスト教はその歴史故に「主体」的にならざるを得ない。なぜなら、そこでキリスト教は近代化のための文化的表彰として、卓越した近代人の宗教として喧伝され、他の宗教を貶めるような形で輸入されたからである。(同書 p.26 )

       

      この「弱い主体」というのは、強い自己主張を持たない日本人、あるいは、場の空気に支配されやすい現代日本人を表すのに、実に適切な表現だと思います。アメリカで大学院生のクラスを担当していたときには、彼らの自己主張の強さに辟易したことが何度もあります。とりあえず、アーギュメント(主張)を述べてなんぼというところがあり、大きな視点から見た場合、かなり論理矛盾していようが、自己の信念に基づきガンガン主張してくるので、本当に参ってしまった経験がございます。

       

      大陸系の人たちと強い主体

      今は、中国大陸系の学生を主に大学院で指導しているのですが、彼らも自己主張が強く、というよりは、人の話を聞いておらず(これはアメリカ人も同様)、時々、「質問に答えなさい」、「私が聞いた質問の内容に答えてない」と指導の過程で言わないといけないことが多いのです。その意味では、彼らは、強い主体の系譜に属する人びと、といえるでしょう。

       

      どうも、いろいろな方のお話を聞いておりますと、それよりもすごいのが、中東人あるいは地中海圏の人々であるらしく、アラビア語圏の人たちにしても、イスラエル人にしても、イタリア人やギリシア人にしても、「我も我もと出てきて自己主張をする」という構造が中東や地中海世界では一般的な傾向のようです。『紅の豚』のマンマユート団の皆さんのように。

       

      マンマユート団の皆様がかなり映っているYoutube動画

       

      弱い主体の現れとその背景

      その意味で、「キリスト教が現象するとき、必ず「主体」が問題になる」ことに適合的なのは、中東人、地中海圏の人々、あるいは大陸系の人々ということになるのかもしれません。これは、移動可能性・移住可能性とも関係が深いかもしれません。日本列島をとって考えてみますと、目前の太平洋には黒潮が猛烈なスピードで走っており、日本からその外に出るのはそれほど容易でもありませんし、元寇の例を引くまでもなく外部から日本に来るのも、そう容易ではありませんでした。となると、どうしても内向きにならざるを得ませんし、何か、不都合が起きても、大陸諸国のように、移動、移住することによって、前歴を消し、人々の記憶から消えていくということが簡単にできない部分もあるが故に、そのような社会で、強い主体として、主張する場合、人々に強烈な記憶を残し、履歴や禍根を残すことになるようにも思うのです。

       

      これらのことを考えると、近代国家の中で、「弱い主体」の集合体としてかろうじて主体を形成していているのが日本社会であり、その結果として空気に支配されているのが日本人ということなのかもしれません。

       

      「弱い主体」は、共同体を形成して(群れをなして)生きるという集団主義的な行動パターンが、最適戦略であることは、ゲーム理論の研究から導出されるところでもあります。であるからこそ、日本では、護送船団方式、傾斜配分方式といった政府主導型の社会主義国家も真っ青な国家主導の計画経済風の疑似資本主義社会が生まれ得たのかもしれません。ただ、その集団主義は、大量生産、大量消費を前提とした近代経済社会には、実に適合的なライフスタイルでもあったことは事実ではないか、と思います。

       

      西洋的なるものは普遍なのか?

      ところで、波勢さんは、「「神の声」が要請するものが、自我と責任を引き受け、行為と意思の「主体」としての西洋近代的自我だけとは限らない。西洋的なるものを普遍として騙るキリスト教の一部は、これを西洋近代的自我として、まさに喧伝してきた。」と書いておられますが、これは、アメリカ経由のキリスト教により顕著なように思います。というのは、アメリカ人の多くのみなさんが、自分たちが「世界標準」であると思い込み、「西洋近代の体現者」であると思いこんでいるフシがあるからです。アメリカ合衆国にお住まいの多くの方々は相対化があまり得意でないとも言えるとは思います。

       

      だからこそ、他国の政策を土足で踏みにじるような真似や、他国への内政干渉もどきのことを平気でやってのけられるという部分があるようにおもいます。それは、まさに、「西洋的なるものを普遍として騙る」というよりは、「アメリカ的なるものを普遍として騙る」行為であったとも思います。まぁ、他国のことを認識する能力に大きな欠陥があるという意味で、「アメリカ人はおおいなる田舎っぺ」という名言をご紹介くださった、アメリカでの交換教員時代にお世話になった日本人の大学教員のおっしゃることは、概ね妥当しているように思います。

       

      そのうえで、波勢さんは、「しかし、別の形もありうるのではないか」と問題意識を提示しておられます。これは、大変興味深いご指摘だと思います。というのは、カトリック、正教会、聖公会などの伝統教派と呼ばれるキリスト教は、共同体概念を重視してきました。それは取りもなおさず、「弱い主体」の共同体としての神への応答であったと思います。このあたりに関しては、波勢論文についてのミーちゃんハーちゃんからの応答の中で、お答えしてまいりたい、と思います。

       

      今、ミーちゃんハーちゃんの家人の一人が、イスラム経済の一つの特殊系のイランの経済システムの勉強に着手したばかりところなのですが、その家人いわく、このイスラム経済の研究パターンとして、西洋近代が普遍であるとしてその観点からの差異を述べるタイプの論文が、所謂西側のイスラム経済研究ではかなり見られるのですが、その視点では語りきれていない部分があるのではないか、とか言い出していて、なかなか面白いことを言うなぁ、と思って、時々この家人とこの視点から、学的対話をしております。

       

      このあたり、地域研究における案外重要な視点とつながっており、個別地域の社会システム研究(それは宗教学的研究をも包摂しうると考えますが)では、案外重要な視点であるようにも思います。

       

      次回へと続く。

       

       

       

       

       

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