工藤信夫著「暴力と人間」を読んでみた(1)
工藤信夫さんによる「えり抜き」信仰良書
その昔ご幼少のみぎり、えり抜きサザエさんという本をピアノの教室の待ち時間に読んでいた記憶がございます。その本は、今でいうと、サザエさん傑作選、とでもいう本であったように思います。この本は、ちょうど、そんな感じの本だといえばいいでしょうか。
その意味で、工藤信夫さんによる、よりぬきトゥルニエ・よりぬきグリューンという感じの本でした。その意味で、著作権者の了解を最大限得ながら、両者のいい部分(と工藤信夫さんが良いと思った部分)を抜き出した本で、そこに、ちょっこし解説を加えたタイプの本といってよいでしょう。もちろん、工藤信夫さんオリジナルの部分ももちろん良いのですが。
ん?まてよ、ほんのいいところをぬきだして、そこにちょこし解説を加える?
あれ、このブログの本や雑誌の紹介記事のやり方と同じじゃん。w
なお、このブログでの本の紹介は、基本良いと思った本なので販促を目指しているってことで、ご了承賜りたく存じます。一応、引用部分の倍程度書くことを目標にして取り組んでおります。
文章は読みやすいけど、内容きつくって・・
この本は、文章は読みやすいのに、そこで書かれている内容が、現代日本の教会人、教界人、牧師、キリスト者、信徒にとって、結構厳しい直言が多いので、読み進めるのが嫌になるかもしれないなぁ、と思います。しかし、そうであっても読み通す価値のある本であろう、とは思います。
そして、読み通して、「そうか」とか「そんなものなのかなぁ」と読者の方は思うだけではなく、では、自らの問題として、ここで工藤信夫さんが指摘している問題をとらえ、では、現実の生きていく中で、教会生活の中で、教会としてどうするのか(それは、あんまり書いてない)を具体的に考えていってもらえれば、と思う本ではないか、と思います。
今日はその中の初めに、の部分からの引用を通して、本書の紹介に入っていきたい、と思います。
まず、「はじめに」の部分で、著者の工藤信夫さんの現代社会の見方が述べられています。
以下の文章は、当時(ミハ氏註:おそらく2000年代前半)から日本社会を重く覆うことになった”強者の思想(強いことが良いことだとする主張)”の危険性を論じたものであるが、とうの昔にトゥルニエは“強さの思想は(弱い人をさらに弱くさせるのみならず)強い人も貧しくする”と主張しているのである。(太字部は、オリジナルは傍点表記) (工藤信夫著「暴力と人間」 pp.3-4)
西暦2000年前後というのは、個人的には非常に印象深い年です。この直前の年に木津信用組合、みなと銀行をはじめとする様々な金融機関の不具合が見つかり、実質的な金融破綻が関西からはじまり、一気に全国に波及しました(これがネットワーク社会の恐ろしさではある。一か所がおかしくなれば、全部がおかしくなるのです。東京近郊の方はよくお分かりではないか、と思います。東急とか、メトロでない組織のどこか遠いところで事故が起きても、都心の地下鉄が狂いまくる、というのは時々経験しておられようか、と覆います)。
2000年ごろまでは、長らく護送船団方式で運営されてきた日本の金融機関のどこに預金しても同じだと思っていたのに、そうとも言えなくなり、金融機関の再編が行われた時期にちょうど当たります。この機をとらえ、金融機関の店舗立地状況の比較と収益性との関係などの分析、閉鎖された金融機関の店舗と継続営業している金融機関の店舗の店舗周辺環境など、定量的な分析を行い始めた時期に当たります。
小泉純一郎・竹中平蔵時代を経た日本・・・
ちょうど、この時期の総理大臣だったのが、小泉純一郎さんです。この小泉純一郎さんが総理大臣の時に、自民党はぶっ潰れませんでしたが、自民党の内部構造自体はぶっ壊れました。この方の時に労働法制、とりわけ、派遣労働者の制度はぶっ壊れ、郵政組織もぶっ壊れました。その際の経済政策に関するブレーンが、竹中平蔵さんです。このペアで、規制緩和、様々な行政改革の名のもとに、セーフティネットとして社会の冗長性を持たせた高度経済成長期の日本型システムはぶっ壊れたのか、ぶっ壊されたのかは知りませんが、制度上は大きく変容を迫られることになりました。現在の裁量労働制や、今話題の高度プロフェッショナル職業人なんかっていう概念への一里塚が構築されたのがこの時代ではなかったか、と思います。
元自民党総裁小泉純一郎氏
竹中平蔵氏
そして、今では揶揄的に用いられることが多い言葉になっていますが、「意識高い系」という感じの人々が出始めたのはこの時期だったように記憶しています。この「意識高い系」は、意識を高くもって、より強い、強者になっていこうという一種の時代意識を反映した言葉だったように思います。そして、がつがつして、力強い、マッチョな生き方が施行された時期であり、まさに、トゥルニエが言うように、"強さの思想は、強い人をも貧しくする”ということが起きたのだと思います。金銭的には貧しくなかったかもしれませんが、その精神ががつがつしている、さもしい精神性という意味で、豊かさを目指す裏側に巧妙に隠れた貧しさが見られたのだと思います。
この時期、日本ではハゲタカファンドという言葉がはやりました。貪欲な外資系の機関投資家のことです。リーマンショックで、これらのファンド関係者は、多少は痛い目にあいましたが、資本主義の特殊発展形の一つである金融資本主義が世界中にはびこり、金融資本の多寡が正義という時代へと展開していきました。そして、強気ものが本来持つべき noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)という言葉が認識されないまま消えていってしまった様に思います。
ハゲタカファンドの絵 http://www.thedawn-news.org/2016/02/24/indebted-argentina-macri-to-take-on-debt-to-pay-vulture-funds/ より
軍隊などの強いものがなぜ必要か、というと、本来自分で自分を守れない弱き人々を、その弱き人々に代わって守るために必要なのだと思います。有名な A Few Goodmen(日本語では、ア・フュー・グッドマンになっていますが)は、キューバの海兵隊の部隊を背景にした映画ですが、その映画の中では、人より身体能力が劣っているためにいじめにあっていたサンティアゴ 二等兵(名前からして、メキシコ系です。メキシコ系は、今、米国社会の最下層と認識されることが多いようです)を上官の指示に従って、殺してしまいます。ある面、いじめによって兵士が軍隊内で自軍の兵士により殺されてしまった事件をめぐる軍事裁判を描いた映画です。その映画の最終シーンで、実際に手を下した下士官が一緒に手を下した二等兵に向かって、"It is suppose to fight for the people who could not fight for themselves"と発言するシーンが実に印象的です。直下の動画の1分9秒あたりからです。
A few goodmenの最終シーン
そう、強者は、弱者を守るために戦うための強さのはずなのですが、それが忘れられ、強者が強者のためにしか戦わない、戦えない、つまり、本来貧しい人を守るはずの強い人が貧しくなってしまった社会になってきてしまったようです。
そう考えてみると、旧約聖書のトーラーは、実に弱者保護に目が向いています。やもめ(寡婦・シングルマザー)、孤児、在留外国人、社会的に周辺に弱い立場に置かれた人々が生きていけるように、社会制度としての律法が守っているのです。例えば、ブドウや、小麦などの収穫物をとりつくすなとか。
軍隊が、弱者を守るための軍隊であるように、法律制度は、自分で自分の身を守れない人々のために最低限の保護を与えるための制度であったはずですが、いつの間にか、強者が弱者を虐げるための道具立てになっているのが残念だなぁ、と思います。
『従順という心の病い』との出会いの楽屋話
ところで、この本の出発の経緯となったのは、そして、ヨベルというこの本の出版社との出発点となったのは、実は、ミハ氏であり、お友達の仮面ライダーオーズこと、『神の物語』の訳者であるミハ氏のお友達、悪友の大頭牧師なのですね。大頭牧師とミハ氏とのつながりは、大頭牧師が、お書きになられた『聖書は物語る −1年12回で読む本』のイスラエルとか中東地域の地図を、大頭先輩は技術がないものだから、エクセルで描いていて、どうも見栄えが悪いので、ヨベルさんがお困り、という情報が、これまた、ミハ氏のお友達のお鹿さんから連絡が入ったので、それならば、電子地図の専門家のミーちゃんはーちゃんにお任せあれ、何とかしましょう、というので、大頭先輩 ー ヨベル − (お鹿殿) − ミーちゃんはーちゃん という最強タッグが生まれたのでした(お鹿さん、感謝している)。
そして、ガブリ寄りが得意な大頭先輩は、岩渕まことさんにガブリ寄って、下の「神の物語」の曲をつけさせるという離れ業をし、それをYoutubeに公開するにあたって、再度また、ミーちゃんはーちゃんにガブリ寄って、以下のYoutube動画公開の運びとなったのである。
大頭牧師作曲・岩渕まこと作曲 神の物語 日本語版
同英語版
ところで、ミーちゃんはーちゃんが、2016年の10月にN.T.ライト研究会の下働き役で参加したときに、グリューンの『従順という心の病い』をヨベルの社長の安田さんから、ご恵贈いただいたたので、帰りの新幹線の中で読んでみました。読めば読むほど、面白かったので、翌月の工藤信夫氏を囲んで、神戸の福音ルーテル神学校でやっている牧会事例研究会で、ブログ記事をもとに紹介しました。すると、工藤信夫氏の目の色が変わりました。
そのころ描いていた記事は、こんな感じです。
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(1) (11/07)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(2) (11/14)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(3) (11/16)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(4) (11/19)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(5) (11/21)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(6) (11/23)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(7) (11/28)
グリューン著 従順という心の病い を読んでみた(8) 最終回(11/30)
それから、ヨベルの社長の安田さんがわざわざ神戸の母の家べテルで開かれていた牧会事例研究会に参加されたりと、このプロジェクトが動き始めたように思います。
昨年(ミハ氏註:2016年)ある機会(ミハ氏註:神戸の福音ルーテル神学校でやっている牧会事例研究会のこと 著者の工藤氏にグリューンの『従順という病い』を紹介したのは、実は、ミハ氏w)に一冊の注目すべき本とであった。『従順という心の病い』がそれである。この本は再び全体主具的様相を知恵する現代社会の病理を扱ったものであるが、私はその中に長年私を苦しめてきた”宗教者の暴力”を解明する手掛かりを得、励ましとなった。私はこの一冊の本によって、改めてトゥルニエを紹介する必然性を確信したのである。(同署 p.6)
そして、その本が、長らく上巻だけで止まっていた『トゥルニエを読む』プロジェクトの指導につながったようです。あめんどう から出ている『トゥルニエを読む』シリーズは、いろいろあってお蔵入りとなったようで、中巻、下巻の原稿を、ミーちゃんはーちゃんは、工藤信夫さんとバーター取引で手に入れているので、未刊行の原稿のコピーを持っています。w
成熟期の日本社会を生きるキリスト者に欠けたもの
さて、日本は、失われた20年、もうすぐ失われた30年になりつつあるバブル崩壊の荒廃の中を無自覚的とはいえ、歩みつつあるわけですが、日本のクリスチャンには欠けたものがある、と工藤信夫さんは書きます。ミーちゃんはーちゃんが書いているわけではないです。書いているのは、工藤信夫さんです。
バブル崩壊を経験した日本人は、強さ、地から、大きさを求める”拡大志向”の危険性を痛感したはずであるが、なお、その余波を脱却できないでいる。そのためか残念なことに使徒パウロが当時のキリスト者に書き送ったように肝心の信仰生活そのものが”力と愛と慎み”のレベルには達していない。
“力”は愛と慎みを持っていなかったら破壊的暴力的に働くことは明らかだからである。
(中略)
私の懸念するところは今日の日本社会は明らかに”成長から成熟期”にむかっており、急速な”少子高齢化”社会の到来というかつてない新しい困難と”グローバリゼーション”の広がりによって再び”力と暴力”の問題に直面しているように思われるが果たして”これまでのキリスト教”がどのようにして危機を乗り越えていくだろうかが大きな気がかりなのである。(同書 pp.7-8)
少子高齢化の中で、日本のキリスト教界が大変な状況になることは、すでに、最近の連載
- クリスチャンn世代の若者からのお願い(1) 勝手に期待しないで・・・ その1 (06/11)
- クリスチャンn世代の若者からのお願い(2) 勝手に期待しないで・・・ その2 (06/13)
- クリスチャンn世代の若者からのお願い(3) 勝手に期待しないで・・・ その3 (06/15)
- クリスチャンn世代の若者からのお願い(4) 勝手に期待しないで・・・ その4 (06/17)
でもお示ししておりますし、
というシリーズでも、すでにお示しした通りです。工藤信夫さんの理解が正しいとしたら、西の山か、東の海のどっかに、”愛と慎み”を捨ててきた日本のキリスト教界は、信徒に対して破壊的・暴力的に働くし、教役者(司祭とか牧師)に対しても、余裕がなくなる中で、破壊的暴力的に働く、ということになるのだろうなぁ、と思います。
そのような事例は、『牧会ってなんだ』というキリスト新聞社の本に多数実例は記載されているし、キリスト新聞社のミニストリーという雑誌に時々、記載されております。
そして、この工藤信夫さんが主張している破壊的な問題は、最近日本に来て同志社大学のチャペルで講演したスタンリー・ハゥワワースの講演内容とモロに重なるし、また、ハゥワワースとヴァニエの共著の『暴力の世界で柔和に生きる』という本ともばっちり重なるようにおもいます。
その時の講演速記録はこちら。
同志社大学で開催された、ハウワワースの講演会に行ってきた(1)
同志社大学で開催された、ハウワワースの講演会に行ってきた(2)
同志社大学で開催された、ハウワワースの講演会に行ってきた(3)
なお、ジャン・ヴァニエは破壊的なキリスト教の問題を長らく扱ってきたし、ハゥワワースはアメリカ型のキリスト教の問題を厳しい視点から問題を指摘し、アメリカ型教会が抱える諸問題について、預言者的発言を繰り返してきた人物であるといってよいでしょう。ナウエンが寄留した、ラルシュというコミュニティの創始者でもあります。
その意味で、この本の著者、工藤信夫さんは、キリスト教の周辺におられて、日本のキリスト教会に精神科医の立場で、預言者的発言を著書を通して、繰り返して来られた方であるといってもいいかもしれません。その意味で、日本のハゥワワースといってもいいような気もしています。
ところで、日本の戦後生まれた数多くの教会、とりわけ福音派系の教会は、戦後日本が米国から大きな影響を受けたと同様、米国の教会の影響を神学上も、その構成原理上も、強く受けているように思います。その意味で、ハゥワワースの指摘は、日本の教会の課題への氏的とも重なるように思っています。なお、このハゥワアースとヴァニエの近著もまた、近日中に取り上げたいと思っていマスが、いつの日になることやら…。
次回へと続く
評価:
今橋 朗 キリスト新聞社 --- (2008-09) コメント:よいよ。 |
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