2017.08.12 Saturday

藤本満著 『歴史』を読んでみた(2)

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    今日も最近出た、藤本満さんの著書『歴史』という本を、前回に引き続きご紹介してみたい。いや、正確にいうならば、ミーちゃんはーちゃん風におもちゃにして遊ばせてもらいたい。

     

    この本がいいなぁ、と思ったのは、フェミニズム的な視点に流れすぎることなく、従来の歴史書では比較的軽視されてきた女性についての記述も、あまり分厚さがない本のわりに、かなりふんだんにあること、また、神学思想や理解の歴史的展開だけではなく、その展開を普及するに役立った音楽、あるいは賛美歌がその時代にどのように用いられたかの記述もあっさりとではあるが(紙幅が限られるので仕方がないけれども)触れられている点である。

     

    女性にも目配りが

    たとえば、アメリカの女性や少数者の権利を考える点での出発点の一つとなったアン・ハッチンソンについて、本書には次のような記述がある。

     

    アン・ハッチンソンはピューリタンの父権的社会構造に疑問を抱くようになります。当時のキリスト教社会では、エデンの園でアダムが神に背いたのは、エバの誘惑によるもので、女性は男性に対して劣る、従属的存在であると説かれていました。彼女は、神学的教育を受けた人物ではありませんでしたが、自ら聖書を深く学びそのような女性蔑視の考え方に挑戦しました。また入植者たちが先住民に偏見を持っていて奴隷化したことにも、同じように聖書をもとに批判しました。これが、ピューリタン牧師たちの反感を買ったことは言うまでもありません。(『歴史』p.169)

    ここでは、先住民に対する偏見と書かれているが、実は西部開発時代には、先住民は、アフリカから実質上拉致されて(書類上は借金のかた(コラテラル)として連行された)アメリカやイングランドに連行されたアフリカ人奴隷同様、牛や馬と言った動産扱いがなされているだけで、実は人間扱いされておらず、人間ではなく、動物の一種だとして扱われていたのである。アメリカの開拓時期の国勢調査では、1900年代頃までは、実は、奴隷や少数民族は人間の中にカウントされていなかったのである。

     

    アメリカの略史と称するBowling for Columbine で紹介されたアニメ(ちょっとひどいが…)

     

    また、アメリカ合衆国での教会と奴隷および先住民の問題は、実は複雑に関係している。先住民の教会役員が、奴隷を保有していることが適切であるかどうかが問題になったことが、教会の奴隷問題への取り組みの出発点の一つになっているらしい。

     

    社会の周辺や底辺に置かれた人びとに神の本来のかたちでの支配が訪れることを約束したのが、福音書で記述されているイエスの姿であるが、その後、ローマ帝国でのキリスト者の増加がおき、その結果としてのローマ帝国の国教となり、さらに、キリスト教会がヨーロッパ社会で社会の中軸というか、キリスト教会が社会と一体化していく中で、社会の周辺者も半ば無理矢理に、そして強制的に包摂され、表面上は周辺におかれた人も包摂されたことになってしまった結果、実状としては、社会の周辺者は存在したにもかかわらず、建前としては周辺者が消滅したという理解を生み出しかねない状態となったこともあり、もともとキリスト教がもっていた、社会の周辺にいる人々に向かう方向性が、弱体化したり、希薄化したことという部分はあったと思う。ところが、実状で周辺者が存在することへの気づきと、その気付きに対して聖書に基づき、その周辺に向かおうとする動きが、キリスト教会では、確かに、繰り返されてきた。それがキリスト教の歴史でもあったように思うし、その周辺や周縁への動きが、割と端的に既存の聖書理解との対立として表面化したり、噴出したのが、宗教改革やリバイバルであった部分もあるのかもしれない、と思う。

     

    賛美歌について

    余談はさておき、賛美歌についての記述を少し触れてみたい。

    また、南北戦争後のリバイバル運動を牽引した大きな力は賛美でした。先のフィービ・パーマの娘のフィービ・ナップは、生涯に500曲もの賛美歌を作曲しています。彼女の友人で、同時期に活躍した盲目の賛美歌詩人ファニー・クロスビーとともに作った『賛美歌』(1954年版)529番の「ああうれし我が身も」(Blessed Assurance)は、歌詞も旋律も、アメリカ賛美歌の黄金期であるこの時代を象徴していました。(同書 p.191)

     

    ワーシップ音楽風の Blessed Assurance

     

    カントリー音楽風の Blessed Assurance

     

    クラッシック風の Blessed Assurance

     

     

    ブラックコンテンポラリ―風の Blessed Assurance

     

    これだけ同じ曲でも演奏のスタイルが違うと、まぁ、この曲がそれだけの名曲である、ということがよくわかる。

     

     

    ルターも宗教改革者であると同時に、賛美歌作家であり、非常に多くの賛美歌を作曲・作詞している。宗教改革以降、ラテン語ではない日常使っている言語で、それも自分たちにとってなじみ深い音楽的センスで賛美することを通して、信徒が礼拝に関与するばかりでなく、賛美歌を繰り返し生活の場で歌うことで、一種の労働歌のようになり、讃美歌の歌詞が主張する内容が知らず知らずのうちにその人のうちに定着していくことになる。そして、その人の聖書理解の基本的傾向というか、基本的視線を形成することになる。

     

    ルター先輩が作曲した讃美歌(詠唱の雰囲気が多少残っている)

     

    日本でも、昔は黒人霊歌とも呼ばれた讃美歌から派生した音楽がある。これらの音楽は、アフリカ系市民の強制労働の際の労働歌としても歌われつつ、アフリカ系市民の中で広がっていた音楽が、現代の日本ではゴスペルという音楽の一分野として拡がっている現状がある。ジャズの一部やロカビリーの一部も一種讃美歌的なアフリカ系アメリカ人の賛美の形態の中から派生した音楽形態であるとはいえよう。その意味で、現代の音楽に讃美歌というのは、非常に大きな貢献を果たしてきたし、賛美歌は、現代を生きる日本のキリスト者の聖書理解に大きな影響も与えてきた。

     

    讃美歌の影響力の強さ

    以前ご紹介したこともあるかもしれないが、2年ほど前までほぼ毎週参加していたところで、信仰暦がまだ浅いお方が、伝道説教のようなものとして語られた時に、「…という部分の聖書箇所の理解は、賛美歌にもあるように、天国に行くということだと思います」と自己の主張の補強のために、讃美歌の一節をお持ち出しになられた例があって、個人的には、ちょっとそれ、まずいかもねぇ、と思ったことがある。この例は、ある面、賛美歌の影響力の大きさを示すエピソードだなぁ、と思う。

     

    特にアフリカ系アメリカ人のご先祖様が奴隷時代に作詞作曲した讃美歌には、天国への移行を希求する歌詞が案外多いのである。それは、それらの奴隷状態に強制的におかれたアフリカ系市民のご先祖様にとっては、あまりにも過酷な現状からの開放を求めるお気持ちが強かったであろうから、そのような歌詞を歌いたくもなるのはわかる。そして、そのような賛美歌が日本に導入されたころ、普通選挙権も十分に整備されず、過酷な日常生活、貧困状態にあえぐ人々に、キリスト者が歌う讃美歌のうち、現状からの開放を告げ知らせる天国への希求を歌う讃美歌は、まさに、その時代の人々にとっての福音と映ったことであろう。それは責められないが、それがあまりに強く打ち出されると、聖書の主張は、この世のことではなく、あの世のことになってしまい、地上での神とのかかわりという聖書理解の側面が薄くなったり、消え去ったりしてしまった挙句、死後の極楽浄土みたいな世界を聖書が主張しているかのようなある種美しい誤解をしてしまう人々を生み出しているのかもしれない。それほど、賛美歌の聖書理解への影響力は強いように思うのである。

     

    コンテンポラリー系の讃美歌(もう、賛美歌とは言えない方もおられるかもしれない)

     

    アメリカ南部諸州にあるバプテスト系の教会等での賛美方法とよく似ている讃美歌

     

    アカペラ風で賛美したスピリチュアル

     

    また、人によって好きな賛美歌が違っていて、特定の讃美歌ばかりが賛美されることになることがある。また、人数が少ない教会や楽器演奏者や音楽に明るい人がいない教会だと、賛美できる讃美歌が限られてしまい、特定の讃美歌のみが賛美されることになる。そういう状況では、特定の讃美歌が繰り返し謳われることで、聖書理解のバイアスが生じることになりかねないような気もする。

     

    また、同書では、158ページから161ページで、宗教改革以降のヨーロッパ大陸とブリテン島周辺諸島などでの賛美歌について触れてある節などがあり、割と有名な以下のような讃美歌などが紹介されている。その部分の記述は面白いので、是非一読をお勧めする。


    日本語では「ちしおしたたる」で有名な賛美歌

     

    以下では、同書にも出てくるウォッツの「さかえの主イエス」で知られる賛美歌の歌詞 When I Survey the Wonderous Cross は同じで、楽曲が違う3バリエーション(個人としてはどれも好き)をご紹介したい。こうなってくると、一つの歌詞に3つの楽曲が付されているほど、愛されている、という感じなのかなぁ、とも思う。

     

    最近足しげく通っている教会で時々歌う音楽バージョン(アングリカン風)

     

     

    この本で紹介されていた曲のバージョン

     

    別バージョンの曲

     

     

    この多様性を見ながら、暑いからか、アイスクリームの多様性をおもいだしたので・・・

     

    これでも一部 アメリカのアイスクリームやさんBreyer'sのアイスクリームブランドで出ている商品の一部

    http://cuticonedesign.com/httpcuticonedesign-comworkcvspharmacy/breyers/breyers-blasts/ から

     

     

    なんか、今日は讃美歌特集になってしまった。

     

    次回 最終回へと続く

     

     

    評価:
    価格: ¥ 2,592
    ショップ: 楽天ブックス
    コメント:コンパクトにプロテスタントの歴史を振り返る好著

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