N.T.ライト著上沼昌雄訳 『クリスチャンであるとは』 その42
今日も、また、いつものようにN.T.ライトさんの『クリスチャンであるとは』の第12章 『祈り』をたらたら読みながら、考えていることを、これまたタラタラと述べてみたい。
讃美歌と集合的ないのり
Collectも個人的には好きだが、恐らく、現在の多くのクリスチャン、特にプロテスタント系のキリスト教では、この集祷にあたるものが、賛美歌に変わっている様である。今英国でお仕事をしておられる、親切なある司祭の方が一昨日、教えてくださった。この方は実にありがたい方である。
讃美歌も、多くはつくられては消えしているが、ある程度の期間残った讃美歌はそれなりのことがあるし、その意味で、Collectにあたるものを讃美歌として歌っているのだろうと思う。ただ、時には、これはどうにもまずいと思う讃美歌の歌詞が見られることがあるけれども。どうも、天国に行く期待だけを歌い上げるものもある。その代表例は、黒人霊歌などであろう。いまだとアフリカン・アメリカン・スピリチュアルズ(米国議会図書館には、その African American Spirituals の項目があった)などといわないといけないのかもしれない。ただ、アフリカン・アメリカンのご先祖さまたちが経験した、実際の労働環境の過酷さと差別の過酷さから、このように歌いたくなる心情は理解できなくないけれども、それを、そのような環境にない日本人が、大声で歌い、天国に行くことの希求をすることはどうなんだろうと思う。実際に、賛美歌はそれを歌う人々の聖書理解に影響を与えるからではあるけれども。
African American Spirituals の名曲をサッチモさんで Swing Low, Sweet Chariot
その意味で、改革長老派で賛美に用いられている詩篇を歌詞として用いる方法は、まぁ、全編聖書の詩篇から訪った讃美歌なんで、まぁ、問題は起きないだろうけど、詩篇には、結構そのまま歌うには適さない表現(呪いと考えられるもの)もあるので、その辺は、歌わないことでの対応かもしれない。ただ、詩篇だけで言い尽くせているか、というと、これまた問題がないわけではないように思うのだけれども。改革長老派のお立場は尊敬しておりますよ。そこに行く気は今のところ、いろんな事を考えるとしていないですが。
伝統教派が持つ他のいのり
さて、ここでお話を讃美歌から、祈りに戻すと、この祈りというのは、讃美歌同様、言葉のリズムが大事なんだと思う。英語で祈祷分を読むときのリズムは、韻をきちんと踏んでいて実になんとも気持ちがよくて、その世界に誘い込まれるような感じがするのである。個のリズムというのは、結構大事だと思う。日本語でも、リズムのいい文章はないわけではない。確かに、セブン、イレブン、いい気分、とか、昔の「恐れ入り谷の鬼子母神」などはなかなかできがいいが、なかなかそのタイプのものに教会の中では出会わず、どうも字余り感が強い。まぁ、これから、その辺はこれから、改善されていくんだろうけど。この辺が合わない服を着ている感覚、ってことにもなるのだろう。
さて、本題に戻すと、その祈りのリズムの中に入っていくということについて、ライトさんは次のように語っている。
主の祈りだけが、深く豊かな祈りの伝統を気づいてきたのではない。同じように長い間使われてきた他の祈りもある。祈りのパターンとして、あるいは繰り返し唱えることで、イエスにおける神の臨在の深みに入るために使われてきた。最もよく知られ、東方正教会で広く使われてきたものに「イエスの祈り」がある。自分の呼吸のリズムに合わせて、ゆっくり楽に唱えるのが良い。「主イエス・キリスト、生ける神の御子、罪人の私を哀れんでください。」
(『クリスチャンであるとは』 pp.238-239)
イエスの祈り(主の祈りとは別物)
ところで、イエスの祈りは、英語では、Lord Jesus Christ, Son of God, have mercy on me, a sinner.となるそうである。
英語でのイエスの祈りの砂漠の師父風の祈り方説明
上の動画に見るように、イエスの祈り一つとっても実に多様であることがわかる。
「人々はなぜ「むら」に住み続けるのか」(視点・論点)
我々の生活は、循環論的な時間に支配されているのではないか、という思いを聞きながら持ったのである。そもそも、近代は、あまりに近代的な時間を直線的なものとして捉えすぎる側面があるようにも思う。本来、人間は、循環的な時間、あるいは再帰的な時間(recursive time)で生きる様に造られているのかもしれない。近代の時間概念が、その循環的な時間概念、再帰的な時間概念を失わせたのかもしれない。その際快適な時間は、リタージカルな世界を支配している時間なのかもしれない。太陽は沈み、太陽はまた登り、月は欠け、また満ち、大潮と小潮を繰り返し、高潮と低潮を繰り返す。その意味で、サイクリックな時間、ないし、再帰的な時間の中に人はい来ているし、そのように創造されているのではないか、と思いはじめている。その意味で以下の図に示すようなフラクタルな世界の中に人間は行かされているのではないか、と思う。それとリタージカルな生き方との関係を今考えている。
いずれも、http://www.fractalsciencekit.com/ から
繰り返しと異邦人の祈りは同じか?
この祈り(あるいは同様のもの)を繰り返し祈ることは、『マタイの福音書』第6章7節で、「同じことばを、ただ繰り返してはいけません」とイエスが避難している異邦人の祈りのことではない。もしそうなってしまったら、すぐに辞めて別のことをしよう。しかしそれは、これまで何百万人という人に役に立ってきたし、今でも役に立っている。すなわち、神に思いを向けたり、深く、広くはいっていくことで、どのような状態でも信頼できる方として、イエスにあって知る神に集中する祈りがなされてきた。(同書 p.239)
同じ言葉をただ繰り返す、異邦人の祈りがどのようなものかは、ミーちゃんはーちゃんにとっては、定かではない。一種、宗教的な情熱に思いをとられ、とりあえず高速で同じ語を繰り返すような祈り方なのかもしれない。しかし、上の二番目の動画で、主イエスの祈りをお示ししたが、それと同じように黙して、神のみ思いを求めていくいのりは,どうも、どんどん精神的な高潮感、あるいは繰り返しによる陶酔感を求めるものではなく降りていくタイプの祈りであるように思う。我々は、どうも、高いところにばかり上りたがるのかもしれないが、イエスは、この地に来たばかりか、この地でも最低のところにまで下りて行った方でもあって、それを覚えるために、ぐるぐると旋回しながら、降りていくというタイプの祈りということを味わうことは案外重要ではないか、と思う。
シェマーの祈り 再訪
もう一つ、用いることのできるものがある。先に紹介したのと同じように、初代教会で用いられていたと思われるものだ。古代から現在のユダヤ教に至るまで、それは毎日三回祈られてきた。このように始まる。「聞け、イスラエル。ヤハウェは私たちの神。ヤハウェは唯一である。心を尽くしてあなたの神、ヤハウェを愛せよ」。『申命記』第6章4節から始まることばから採用されたものである。「シェマーの祈り」として知られている。ヘブライ語の「シェマー」(聞け)」で始まるのでそう呼ばれる。これが祈りだとは驚きかもしれない。命令を伴った神学的宣言のように見えるからである。それは会衆に教えるためではない。礼拝で聖書朗読がなされるように、神が成したことをたたえ、ヤハウェは真に誰であるか、その契約の神が何を望まれているかの源泉であり、それ自体が祈りであり、礼拝と献身の行為なのである。(同書 p.240)
ここで、ライトさんは、このシェマーに関して、「命令を伴った神学的宣言」と言っているが、個人的には、まさにこれをライト読書会で読んだ、ライトさんの小論を読むまでは、祈りとは思ったことがなかったのである。昨日の日曜日、レントの式文に初めて今年使う式文を見ることになったのだが(先週は世俗の仕事の関係でお休み)その最後のページに、10のことば(いわゆる十戒)が書いてあった。その式文の最後のページて、このシェマーの部分が記載されていた。確かに、このレントの時期は神への献身をする時期であり、神のみ思いを祈りつつ、そして神の御思いの実現をしていくということなのだろうと思う。こういうレントと十のことばとのかかわりは、これまであんまり考えたことはなかったが、今日の式文Prayer bookの最後にシェマーから始まっている一連の10のことばがあった。その申命記の記述を見ながら、あぁ、本当にこれは大事だなぁ、特にレントの時期に覚えることは大事だなぁ、と思ってしまった。
シェマーは、ヘブライ語で読むのを聞いていると、確かに祈りなのかなぁ、と思う。まぁ、アキバ・ベン・ヨセフも、殉教死するときにこの祈りを唱えていたという伝承があるけれども、イスラエルの民の信仰を形作り、キリスト教の初期の人々の信仰を形作ったいのり、というのはその通りだろうなぁ、と思った。
様々なシェマーの祈りの動画を紹介して本日の記事を終えたい。、
次回へと続く。
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評価:
--- HarperOne --- (2016-07-12) コメント:大変よろしいか、と思います。英文も比較的平易です。 |
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