リングマ著 『風をとらえ、沖へ出よ』 をよんでみた 上
今回は、リングマさんという方が書かれた、最近翻訳が出た本を紹介したい。この本は非常にいい本だし、この本で述べられていることは、きちんと考えておきたいことばかりである、と読みながら思った。そして、個人的には楽しみながら、読んだ本であった。
とはいえ、普通のキリスト者である人にとって読みやすい本か、というと、そう読みやすい本ではないように思う。いや、むしろ、読みにくい本ではないか、と思う。なぜなら、ギリギリをついてくる大事な質問をぶつけられてくるからである。
本書はある一部の方には、読みにくいかも…
と言うのは、我々が常日頃、常識だと思っていること、こういうことが教会で行われることだと思っているものや、思い込まされている状態が、そうではないのではないか?という疑問を、正面から、ぶつけてくるのだ。ある面、西洋の、そしてその影響を受けた日本の現状の教会のあり方に対して、疑いをもたせるのではないか、と思わせる本である。なぜかといえば、本来教会がもっていたみずみずしさ、信徒の関与のあり方が失われ、限定されたものになってしまっていて、教会に信徒は、座りに来て、説教を聞くだけの人ということになっていることがおおいのではないか、信徒をそのようにさせているのではないか、とリングマさんが一ページごとに迫ってくるのだ。ある面、強烈な連続パンチをぶつけてくる。その意味では、読むのが辛くなるかも知れない、という意味では、読みやすい本ではないように思う。
本書はハウツー本ではありません
まず、タイトルは『風をとらえ、沖へ出よ』であり、従来の枠組みからの脱却を匂わすタイトルではあるが、そのサブ・タイトルは、「教会変革のプロセス」である。このサブタイトルで誤解する人がいるかもしれないなぁ、と思った。
この本を読めば、とりあえず教会変革がわかる、とかこの本を読めば現在の多くの教会が抱える沈鬱な状況や沈滞状態から脱出できる、とか、沈滞した教会の雰囲気が吹き飛ぶ、というタイプの本ではない。よくある”成功する”教会のために、と言ったタイプの本や、よくある教会成長の本でもない。その真逆、ハウツー本の真逆を行く書籍である。それを求めて本書を手にした人は、確実にその思いは裏切られると思う。
この本は、厳しいことを読み手に問う意味で、ある意味でバンバン売るのが難しい本だと思う。と言うのは、先にも述べたように教会の現状に順応している人々にとっては、「なんとおっしゃるリングマさん」と言いたくなりそうなことがたくさん書いてある本だからである。著者の方も、また読まれないこと、売れないことはご本人も十分にわかっておられ、本文中にもそれを匂わす文章もある。とはいえ、この本は、結構海外では売れた本であり、そして、今も読み続けられている本らしい。
ハウツー本でない証拠としては、例えば、教会成長論が盛んにご議論されているようにミーちゃんはーちゃんには見える、カリスマ系の教会運動体に関して、リングマさんは、割と早い段階で、こんなことを書いている。
ここ最近の話でその失敗例として最も目立つのが、大半のカリスマ派刷新運動です。その神学の核心は、神の民全員が聖霊によってミニストリーのためエンパワーされる。そして、個々の貢献が教会を立て上げるために必要になるというものでした。その結果、それぞれに与えられた賜物を表すあたらしいあり方が見出され、人々は礼拝に参画するようになっていきました。しかし古い決まりごとは手付かずで、依然として牧師が教会のあり方と方向を決める強大な力をもったままでした。(『風をとらえ、沖へ出よ』 p.18)、
このようなカリスマ派刷新運動とリングマさんが呼んでいる教会群と、そこでの諸般の対象だけに、批判は向けられているのではない。これまでのありとあらゆる教会のあり方、体制に対しても、かなり厳しい視線が向けられ、幾つかの厳しい表現が見られる。厳しい表現とは言いながらも、教会とその教会のあり方を潰せと言っているのではない。現状を疑え、現状に批判的(Critical これは誤解されやすいごでもあるので、次回、ご説明する予定)であってほしい、常に見直せ、と言っておられるのだ。あるき続け、変化し続けよ、と言っておられるのだ。そして、もともとその運動や教会群が始まった段階でのオリジナルの姿を取り戻せ、というのでもない。それぞれの教会の現状についても、これまで形成されてきた教会のあり方にも、批判的(Critical)であるべきであるし、その結果として聖書を基礎としたダイナミックな教会というコミュニティーを新しく作り続けたほうがいいかもしれない、というご主張を展開しておられるように思う。
その意味で、教会は「絶えざる改革をするべき存在である」あるいはリングマさん風に言うと教会は「絶えざる変革をすべき存在である」ということをおっしゃっておられるのだと思う。あるいは、大頭さん風の表現を用いると、外に向かってはみ出し続ける神に倣って、世界にはみ出し続け、そして、人々の世界にはみ出していくことを模索し続ける教会、ということではないか、と思うのだ。
本書の主張の整理
本書の主張を一言で言うならば、
【口語訳聖書 コリント人への手紙 第1】
4:20 神の国は言葉ではなく、力である。
と言えるかもしれない。
力にある、ということを強調する傾向があるグループでは、異言や癒やしの強調、目に見える力が確認されることを上げる人々がおられるが、本書で言う”力”はそうではなく、日常生活の中で、それぞれの信徒が地に足をつけて生きる中で、神の民として神の力を受けつつ、いきいきと生きる、ということであろう。力が表象するものとして、奇跡を求めることでもなく、神とともに素朴に生きる中で示される神の力、我々の願いや思いとは無関係に、我々を通して示される神の力のことだと思う。それが聖神(あえて、聖霊が神であることを強調するために、正教会風の言い方をミーちゃんはーちゃんはここではしているが、聖霊のこと)が臨在されることによる力なのであろう。
ある教会群では、ことばが数多く語られ、みことばの聖餐という言われ方もすることがある。教会で語られることばを聞くことが、教会に参加する、聖餐に参加することだ、神の計画に参加することだと理解している、あるいは、そのように教え込まれているキリスト者もおられるようであるが、それで本当にいいのだろうか、と疑問を出しているのが本書である。その意味で、本書の主張はポール・マーシャル著『 わが故郷、天にあらず: この世で創造的に生きる』 やグリューン著『従順という心の病い』という書籍の主張とある面良く似ている。
これまでも模索されてきた教会改革
それと当時に、これまで多くの本書が勧めているような、オルタナティブな共同体や、カリスマ運動の運動体のような存在が模索されてきたし、方向性としてはそれは妥当な方向性ではあるものの、本当にそれでとどまっていて、良いのだろうか、ということをも本書で問うている。ここまでの紹介では、おそらく何がなんだか、この本の著者が何を言いたいのか、と迷いを感じられる方もおられるだろう。その点が、本書を多くの読者が遠ざける部分であるように思うのだ。多くの方は、「これをすればうまくいく」的な方法論を求めておられる場合が多いように思うが、本書の主張はそれとは大きく違っている。
著者の言いたいことを、N.T.ライトさん風の表現すると、
キリスト者である人々が、日常生活において、天とこの地が交わっていることを具体的に示す存在とするように支援するのが教会の役割だし、人々の人生が地に属するものであり、聖霊の臨在がそれらの人々にある以上、神の生きるしるしとして、この今の世界で、生きる事ができるようにするのが教会ではないか
ということになるのではないだろうか、と思う。
人間が観測可能な、ある具体的なしるし、奇跡のみにとらわれることなく、そして、本来集合的な神の民が集まる神の宮でもある既存の教会を否定するのではなく、それについても、ある面、良好な関係を持ちつつ、歴史的に作り出された固定化された教会内部にある理想化された行動の枠組みにとらわれることなく、キリスト者として生きられるようにしようというのが本書の主張である。さらに言えば、現実のこの地に生きている信徒の現実的な生き方や状況に配慮しつつ、教会自らと信徒を作り変えていく(神のわざが起きる器として整え、教会も信徒も神と共に歩んでいく)教会であってほしい、ということなのだと思う。
とは言え、当初は、そのような教会像を求めて、オルタナティブな進め方を始めようとした教会群であったにも関わらず、何処かでズレが生じてしまったり、誤った方向性での固定化が生じたりした教会の事例や、悲劇的な最後を迎えた教会の具体例もいくつか取り上げられている。
本書の中でも触れられていたWaco事件を起こしたブランチ・ダビディアンに関する動画
よく考えてみれば、これまで行われてきた宗教改革(今年は予定通り宗教改革500年記念の年を迎えたが)やカトリック教会改革(反抗宗教改革)運動、フス派の宗教改革、ルター派の形成、改革派の形成、再洗礼派運動、バプティスト派、ウェスレー派などの形成、日本での無教会派の形成、ペンテコステ派の形成、、解放の神学…という様々なムーブメントがキリスト教世界にこれまで発生してきた。ある場合には、その動きを起点にした教会集団や教会連合、いわゆる教派の形成がなされてきた。これらは、オルタナティブな教会形成を目指しつつ、結局ある神学理解やある教会のあり方として固まってきたように思う。そして、それが脱皮したあとの抜け殻のようなものとして、固定化される中で、生命を持つものが持つ、躍動性と柔軟性を持たなくなっていった場合もあるように思う。
とは言え、よく考えてみれば、抜け殻というのは少し言い過ぎで、種みたいなもの、という方がいいかもしれない。種は、条件が揃うと発芽するけれども、条件が整わない限り、発芽もしなければ、大きくもならない。そのような意味で「種」のほうが適切な対比と言うか比喩と言うか、メタファーかもしれない。その意味で、種、というのは非常に面白いメタファーだと思う。
一見すると『種」生きていないようだが、どっこい生きているのである。
様々な種
https://karamoses.com/published-writing/primary-seed-dispersal-by-the-black-and-white-ruffed-lemur-varecia-variegata-in-the-manombo-forest-madagascar/ から
本書をわかりにくくする幾つかの用語
ハウツー本でない、トイウ以外に、もう一つ本書を読みにくくしているのは、日本語になりにくい、また、一般的な用語とはいえないけれども、いくつか重要な概念を示す用語が出てくる、例えば、エンパワメントとか、自己決定権とか、オルタナティブ(オルタナティブな共同体)とか、ファシリテーションとか、インフォーマル組織、批判的という語である。これらは、これらの概念に馴染みのない方には、おそらく「何それおいしいの?」に近いタイプの語や別の意味が思い浮かぶことが多い。このため、かなりわかりにくいと思うし、これらのことについて書き始めたら、本が1冊かけるほどの内容はある。詳細は、本書で上げている参考文献に目を通すか、幾つかの組織論の本(社会学に近い)や、一般システム論などの書籍を読んでもらうのがいいかもしれない。
エンパワメントのイメージ
そして、本書がどんな人のための本か、ということをリングマさんのほんの一部を、ほんの少し引用しつつ紹介することにしている。
次回へと続く
評価:
ポール マーシャル いのちのことば社 --- (2004-12) コメント:めちゃくちゃ良い。おすすめ |
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