2013.03.09 Saturday

福音派が生まれたころの世界むかし話(1)

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     福音派の片隅でゲリラ活動のように、『福音』を語っている(私も騙っていることがあるかもしれない)ものが言うのもなんだが、ここのところ『旅人』さんというありがたい方から頂いたご指摘の中で、『なぜ、【福音派】の牧会者及び信徒にはゴチゴチの人が多いのか?』という疑問が寄せられたので、ミーちゃんはーちゃんが思うところを書いてみたい。

     このためには、『旅人』さんが語っておられるようなテキスト高等批評などを中心とした神学的リベラリズムへの批判的視線が含まれ、高等批評的な聖書の読みに対しての批判的視線が福音派の中で家訓のように継承されてきた事実を認めねばなるまい。確かに、福音派的な素朴な聖書の読みと、テキスト高等批評的な聖書の読みは共通点が皆無という訳ではないが、おそらく、相互に相手の聖書の読みはいかがなものか、と思っている部分はあるとは思う。

     こんなことを言うと怒られるかもしれないが、キリスト教の各派(カトリックであれ、プロテスタントのルター派であれ、カルヴァン派であれ、ツィングリ派であれ、福音派であれ、そのほか諸派であれ)その聖書理解は聖書から派生しているというのはあるかもしれないが、その聖書からの聖書理解とそれぞれの行動パターンや行動様式、聖餐式のスタイルなどは、それらが生まれてきた背景、それらが神学的思惟を深めてきた時代の社会環境や状況とは無縁ではない。

     福音派とは何か、もう複雑すぎて、何が何だか分からなくなっている。非常に多くのグループがあり、もうひとくくりにできないほどになっている。聖霊の働きを重要視するところから、かなり異言や癒し等の事象を限定的に考えるところ(ミーちゃんはーちゃんは、このあたり)もあるし、新約聖書にかなり重点を置く教会もあれば、旧約聖書の特定個所(典型的には、幕屋のところ、エゼキエル書、ダニエル書などの特定の個所)のみに関心をもつ人たちもいるし、旧約聖書を全般的に重要と考える人たちもいる。ブログ記事でふれているように、福音派の中でも旧約聖書から好戦的な態度をとる人たちもいるし、フレンド派やそのほかのグループのように戦争反対の立場に立つ人(ミーちゃんはーちゃんは、こちらの立場)たちもいる。

     ローマカトリックの場合であれば、それこそ解放の神学みたいなゲリラ部隊に近い人たちから、儀式性を強調する人たちまでおられるものの、ローマ教皇による一致という共通部分はある。

     しかし、福音派には、教理的な一致もなければ、対象に関する一致もなく、もう何が何だか、もう、ごった煮状態というのか闇鍋状態に近いところがあると思われる。

     ただ、いま日本で活動をするキリスト教福音派は、たいていの場合、アメリカ経由で来ている人たちからの聖書理解を継承している人たちが多いので、アメリカの福音派と呼ばれる聖書に絶対の価値観を置く人々、典型的には、ビリー・グ●ハム(ビリー・フ●ンクリン・グ●ハムII世)、フ●ンクリン・グ●ハム(ビリー・フ●ンクリン・グ●ハムIII世)、ウィリアム・グ●ハム(ビリー・フ●ンクリン・グ●ハムIV世)やファルウェル牧師、700ク●ブのパッ○・ロバー○ソン)などのテレビ伝道師系の人たちなどが含まれるであろう。

     参考のために、Theologian Trading Cardsで福音派が多く含まれるLos Angels Knights (Fundamentalists and Evangelicals)を紹介してみると、非常にミーちゃんはーちゃんの関係者が多い。歴史的な登場順に書いてみると、こんな感じになる。かれらのTheologian Cardsの記述の概略と共に紹介しよう。

    Edwards, Johnathan(1703-58)
     アメリカ史におけるもっとも重要な哲学者にして神学者、大覚醒と呼ばれるリバイバル運動で知られる。

    Finney, Charles G. (1793-1875)
     コネティカット生まれのアメリカの伝道家1821年のニューヨークでの劇的な回心によって信仰の道に入り、第2次大覚醒運動の中核的人物

    Hodge, Charles(1797-1878)
     19世紀の保守的な長老主義神学の一人、プリンストン大学神学校で奉職。後に学長。

    Darby, John Nelson(1800-82)
     元英国国教会の福音的な司祭。プリマスブラザレンの基礎を作ったグループの中では最も有名。(前千年王国主義)ディスペンセイション神学の父。

    Hodge, A. A.(1820-86)
     高名なCharles Hodgeの息子で19世紀を代表する神学者3年間インドで伝道者として奉仕したのち、プリンストン神学校で神学教育に当たる。

    Moody, D. L.(1837-99)
     19世紀におけるもっとも成功したリバイバル運動の伝道者。貧しいマサチューセッツのユニタリアンの家庭に生まれ、4歳で父をなくす。ボストンで靴の販売人をしている時に回心し、シカゴに移ってのち、伝道を始める。

    Warfield, B. B.(1851-1921)
     ケンタッキー州レキシントンの豊かな家庭に生まれ、のちにプリンストン神学校で教職に当たった中での改革派の影響力の強い神学者となる。

    Torrey, R. A.(1856-1928)
     初期の聖書原理主義の指導的な人物の一人。イェール大学で教育を受け、イェール大学で博士号取得。The Fundamentalsのエディタの一人。

    Seymour, William(1870-1922)
     ホーリネス運動とペンテコステ派の登場時の主要な人物の一人で、テキサス州ヒューストンのParham設立の神学校に学ぶ。Los AngelsのAzusa Street リバイバルで活躍。

    Parham, Charles Fox(1873-1929)
     メソジスト教会の中でのホーリネス運動に関与。アメリカのペンテコステ運動の初期の指導者の一人でその基礎を作った人物。

    Machen, John Gresham(1881-1937)
     長老派の神学者で、プリンストン神学校で新約学の教授。聖書原理主義的と近代主義の議論で保守的な人々の指導的役割を果たす。ミーちゃんはーちゃん家にはこの人のギリシア語の教科書と、キリストの処女降誕(翻訳)があります。

    Bruce, F.F.(1910-90)
     オープン・ブレズレン・チャーチの伝道者を父に持ち、アバディーン大学・ケンブリッジ大学・ウィーン大学で古典学を学ぶ。もっとも高名な新約学者の一人。

    Ockenga, Harold J.(1905-85)
     新福音主義者の指導者の一人、テイラー大学にて学び、のちにプリンストン神学校で学ぶ。その後ウェストミンスター神学校で学ぶ。フラー神学校やゴードンコーンウェル神学校の設立に貢献したことで有名。

    Henry, Carl F.H.(1913-2003)
     20世紀でもっとも高名な福音派の人物の一人。ロングアイランドのドイツ系移民の息子として生まれ、ジャーナリストとして出発するが、のちにWheaton大学で学ぶ。ビリー・グラハムやネルソン・ベルらとChristianity Today設立

    Graham, Billy(1918-)
     20世紀でもっとも影響力のある福音主義者の一人として認識されており、Wheaton大学で教育を受ける。世界的に伝道活動をしており、Christianity Todayの設立者の一人。

     まぁ、20世紀を代表する新約聖書学者(F.F.Bruce)さんの一人から、ペンテコステ派まで、まぁ、実に多種多様というか、ほんとこれだけ見てるだけで、何なんでしょうって、思っちゃいますよね。普通。

    次回、これらの歴史を踏まえて、まず。ジョナサンエドワーズと大覚醒などの背景についてのお話しする予定。


    評価:
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    Zondervan
    ¥ 2,099
    (2012-11-20)
    コメント:神学者とその思想の分類や歴史を知って、整理して遊ぶには面白いかも。

    評価:
    青木 保憲
    明石書店
    ¥ 5,040
    (2012-06-14)
    コメント:いま、日本で一番詳しいアメリカの福音派に関する歴史書。ただし1980年代中葉まで。現代に至る部分がないのが大変残念。

    評価:
    上坂 昇
    明石書店
    ¥ 2,940
    (2008-10-31)
    コメント:基本的に福音派と呼ばれる人たちの概説と、その人たちが起こした政治的ムーブメントに関する本。前半半分読めば外観になるかも。

    2013.03.13 Wednesday

    福音派が生まれたころの世界むかし話(2)

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       アメリカ経由のゴチゴチの福音派が生まれた背景を簡単にまとめるのが、このシリーズの記事であるけれども、その前に、このアメリカの福音派の思想に影響を与えた建国の父祖たちの歴史を追わないと、なぜ、この人たちがゴチゴチなのか、ということが分かりにくいと思うので、少し追っかけてみたい。

       旅人さんのコメントにもあるように、もし、「聖書は、誤りなきことば」とするプロテスタント派であるとするのであれば、かなりのキリスト教の各グループが含まれてしまうので、福音派は、もう何がどうなっているのか、闇鍋状態であることと等しいと思います。その点で、さっぱりわけがわからない状況になっているので、一応、Theologian Trading Cardsに沿って、何回かにわたって、歴史的な背景をある程度わかりやすく書いておいてみようかと。ちなみに、ミーちゃんはーちゃんはアメリカ史が専門(一応、明石紀雄先生のアメリカ史概説の講義は受けたことがある)でもないし、アメリカキリスト教史が専門でもない、神学校に通ったことすらない技術屋なので、誤りが含まれている可能性が多分にあるが、ご意見をいただいたら、それは都度修正をするということで、ご対応したい次第。お気づきの点はコメントにてお願いしたい次第。

       福音派の定義は、まぁ、聖書をどう考えるのか、という点であるのでは、という旅人さんの疑問のようであるが、それだけとも言えないので、実は困るのですね。そういうわけで、福音派をとりあえず作業仮説的に定義するために、一番簡単なZondervan発行のTheologian Trading Cardsでの登場人物に限るようにしようかと。

       まず、Theologian Trading Cardsの中で、福音派で一番古いのは、アメリカの福音派の祖父みたいなJonathan Edwardsである。

       Jonathan Edwardsはアメリカの改革長老派の牧師兼神学者であるが、彼は、ニューイングランドに入植したピューリタンたちの社会で、その2世、3世、4世が出始めた時代の説教者であり、神学者であり、前回も触れたように、大覚醒と呼ばれるリバイバル運動との関連で知られる人物である。

       いきなりジョナサン・エドワーズをやってもいいのだが、その背景をまずご説明しないと、なぜ、そうなるのか、ということが分かりにくいと思うので、今回は、ジョナサン・エドワーズ前史をしたいと思う。

       では、ピューリタン、ピリグリムという人たちがどういう人であったのか、ということを知っておくほうがよいだろう。ピューリタンは、ごくごく荒っぽく言ってしまうと、イングランドの国教会に対して異議を唱え、英国内で肩身の狭い思いをしたカルバン派を中心とする国教会から分離しようとした人々で、その一部が、イギリスを出てアメリカなどに移住していった。この移住していった人々を、アメリカ史では、ピルグリム・ファーザーズと呼ぶことが多いようだ。そもそも、非常に自分たちの信じるキリスト教(カルバン派的なキリスト教)を守ろう、そこに価値を見出した人たちが、その価値を保持できる形でコミュニティ形成を目指したのがニューイングランド入植地なのですね。これが。

       つまり、もともと、ガチガチの人たちが、ガチガチの人(非常にきよい生活にこだわり、悪(ないし悪魔)が入り込まない様なきよい人)たちだけの社会を作ろうとして、ボストンやマサチューセッツ州を中心とした地域であるニューイングランドと呼ばれるところに希望を求め、キリスト者のみからなるコロニー(植民地)を作ろうとする中で、チャーターと呼ばれる市民憲章をもちながら、生き延びていこうとした、という神話がアメリカ人にしみ込んでいる。つまり、アメリカの国家の成立において、ガチガチである(倫理的に高潔であり、高い道徳律を保持している)ことが特定の価値をもっているみたい、ということなのである。この種の伝統は、旧東部13州でいまだにあるように思う。特に、うそつきは嫌われる。

       以下の写真は、コロンバイン高校銃乱射事件(よくご存じでない方は、マイケル・ムーア監督作品 ボーリング・フォー・コロンバインをご覧あれ)で有名になったコロンバイン高校の正門にある学校の標語である。Home of the Rebels(反逆者たちの住み家)というのが学校の校是らしい。日本の学校では考えられない標語であるが。最初にこの標語を映画ボーリング・フォー・コロンバインで見たときは、正直ぎょっとした。

      コロンバイン高校の標語は、こちらを参照。

       あけっぴろげにHome of the Rebels(反逆者たちの住み家)と普通の高校が校是として書くあたりが、アメリカの建国の歴史と深くかかわっているのだね。つまり、アメリカにメイフラワー号にのって、大西洋を渡ってきた人たちは、大英帝国の圧迫に逆らって、というよりは、当時の英国国教会の堕落に異議を公言し、異議申し立てしたあげくに迫害され、亡命してきた人たちというか、そこを飛び出してきた人たちなのだな。そもそも、この段階で、高潔な精神性ゆえのRebels(反逆者たち)だったのだ。これが。その癖、ニューイングランド(自分たちこそが真の英国精神を体現している場所であるという意図もないわけではなさそうだが…)とか自分たちが住む地域につけるっていう、複雑というよりはむしろ屈折した残念な人たちであること、さらに、自分たちの父祖の国としての大英帝国と独立戦争として武装蜂起することになる。とはいえ、いまだにアメリカ人は、大英帝国に対する微妙な憧憬がどこかにあるように思う。

       おそらく、この高潔性が、実は、旅人さんがおっしゃる「掟」というか、聖書の文言最優先とつながっているように思う。その意味で、スターウォーズのDeath Starに向かって突入するような無謀さを持つヒロイズムが、アメリカ人としては好まれるように思う。

       このような無謀さに関して、独立戦争時のことを題材にしたのが、最下部のリンクで紹介するパトリオット(日本では航空自衛隊が運用中のPACIII、パトリオットミサイルのことではない。メル・ギブソン演じる映画。カリフォルニア人だと、ペイトリオットに発音は近い。The Patriot)で理想化された姿で語られていて、アメリカ人は、これが独立戦争の実際だ、と思い込んでいる。ま、アメリカ人のためのアメリカ人による(メル・ギブソンは、一応アメリカ人・オーストラリアで映画デビュー)アメリカの映画であるからしょうがないんだけど。大英帝国側の見方は全く無視された映画である。

       イギリスを離れた人たちが作ったメイフラワー憲章の精神がニューイングランドの末裔であるアメリカを覆っているという意味で、そして、大英帝国から武装蜂起によって独立を勝ち取ったという意味で、かれらは、Rebels(反逆者たち)なのである。そしてそれを称揚する神話がアメリカ合衆国の精神として存在するように思う。 

       ちなみに、アメリカの銃社会を支える憲法修正第2条は、人民がミリシアと呼ばれる人民軍を作る権利を保障した条文であるが、それから派生して、人民が武装することの権利保障の背景としてもちいられるが、その背景には、アメリカ独立の際に武装ほう起した人民軍の背景がある。

       アメリカ建国の神話の一つであるが、11月のThanksgivingのたびに繰り返される合衆国の建国の神話だけにアメリカ人の精神に毎年のように繰り返し繰り返し刷り込まれているように思う。その意味で、自分たちは、ピューリタンであるかも、というような思い込みだけが刷り込まれている可能性が高いように思う。ドイツ系のユダヤ人の知り合いがいるのだが、彼らの不満は、今のアメリカ社会と公教育が非常にプロテスタント的なキリスト教の影響を強く受けている点である、といっておられた。その話を聞きながら、そうだろうなぁ。The Peanuts(スヌーピー)も、The Simpsons(シンプソンズ)でも、繰り返し触れられる。

       そもそも、亡命したり、武器をもって武装蜂起するほどのゴチゴチの人(他人に対する許容度の低い人)たちが作った国家がアメリカ合衆国の精神とアメリカのキリスト教に還流して流れているように思うのだなぁ、これが。

       なお、独立戦争の時にフィラデルフィア(クラフト社のクリームチーズではない)であわてて作った、軍旗がアメリカ合衆国人が愛してやまないことになっている国旗(Stars and Stripes)になっている。The Patriotでは、このでかい旗をもって走るシーンが出てきて、なかなか印象的。

       その意味で、アメリカ人にはそもそもがちがちの人たちというのか、自分たちをRebelsと呼ぶ、思い込みの強い、屈折した人たちが多いのは間違いない。それが高校の看板に掲げるほどの理想なのだから。

       ということで、ジョナサン・エドワーズが生きていた社会の背景とジョナサン・エドワーズが生きたニューイングランドで醸成されたアメリカの建国の精神について、なぜ、アメリカ人が自称Rebelsと呼び、西部劇やアウトローが大好きなのか、についてのご紹介。この辺、ビリー・グラハム(ウィリアム・フランクリン・グラハムII世)のものいいにも影響しているように思う。

       このような歴史的背景が、アメリカ経由の福音主義神学に大きな影響を与えているのだが、こういうことをあまり分かりやすく書いたものがないので、ちらっと書いてみようかと思ってます。コメントいただけたら、対応致します。少し、お時間いただくかもしれませんが。



      評価:
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      Zondervan
      ¥ 2,087
      (2012-11-20)
      コメント:これまでの神学者やキリスト教関係者の関係が分かるトレカ。並べ替えができたりするので、便利。

      評価:
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      ジェネオン エンタテインメント
      ¥ 1,800
      (2003-08-27)
      コメント:コロンバイン高校銃乱射事件とアメリカの住社会の背景について描いたドキュメンタリーの名作。マイケルムーアがうっとうしいっちゃうっとうしいが。

      評価:
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      ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
      ¥ 1,480
      (2001-02-23)
      コメント:アメリカ人が見た、アメリカ独立戦争時の一つの理想形としての一家の姿。

      2013.03.16 Saturday

      福音派が生まれたころの世界むかし話(3)

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         さて、いよいよ、アメリカ福音派の人たちががちがちになった歴史的背景をお話ししていこうと思う。まずは、最初の登場人物、ジョナサン・エドワーズである。

         ジョナサン・エドワーズは、アメリカ史におけるもっとも重要な哲学者にして神学者、大覚醒と呼ばれるリバイバル運動で知られる。

          あるブログ記事によると、以下のような記述があった。

          His sermon “Sinners in the Hands of an Angry God” is one of the most famous sermons in American history. In fact most high school students are required to read this sermon in their high school American literature classes.

         ジョナサン・エドワーズの『怒れる神の御手の中にある罪人』(ををを、ウィキペディアに概略紹介がある。)は、アメリカの説教史でもっとも有名な説教の一つで、実際多くの高校では、高校の英文学のクラスの必読文献になっている。


        ということだそうで。アメリカでは、高校生があれを読むのか。うーん。まぁ、レトリックとしては、一流だし。

         ざっとこの人について話していくと、前回お話ししたピューリタンとして、英国から逃げてきた人たち(カルヴァン派)として、真面目に生きてきた人たちで始まったニューイングランドであったのだが、それも2世3世になるとその子孫の内には、ピューリタン的な生き方に耐えられない人たちや、その思想に同調できない人たちが社会に増加していく。ありていに言ってしまえば、カルヴァン派についていけなくて、信仰すらあるのかないのかよくわかんない人たちが出てくるのだね。その人たちを教会員としてどう扱うのか、ということが問題になってくるんだな。これが。

         日本だと、何で、こんなことが問題になるの?と疑問に持たれる方も多いが、1700年ごろのアメリカには区役所とか市役所とかがないので、地域社会=教会だった時代が長く続いたのだね。出生、死亡などを半ば公的に処理する組織は教会しかなかった。地域社会=教会であるという以上、教会員であることとキリスト者としての適格性が一致しているかどうかが問題になるのだね。教会員(=自分たちのコミュニティの成員)としてのキリスト者としての妥当性が問題になるのだね。地域に住んでいるのだけれども、キリスト者の妥当性(回心の告白が十分でないなどの問題)に関してかなり疑わしい行為をする人たちをどうするのか、ということが問題になってきたのだね。

         具体的には、回心が怪しい人たちが聖餐式と呼ばれる儀式に参加できるかどうかが問題になる。最近、どっかの日本○○教団でも未洗礼者の陪餐問題を根拠に牧師をやめさせられた、やめさせてない、労働者としての牧師かどうか、ということを問題とした裁判になっていたような気もしないでもない。まぁ、牧師と教団間に雇用関係が生じるか、というと法解釈としてミーちゃんはーちゃんは厳しいと思うが。

         ジョナサン・エドワーズの母方のおじいさん(牧師)は、まぁ、道徳的にまともで、神学上も正統的で、教会の権威に従うなら、教会の成員(自分たちのコミュニティの成員)にし、教会の社会への影響力を確保できるようにしようとしたらしい。要するに、オープン・コミュニオンと呼ばれる方式を取り、社会通念上まともなら、教会構成員として認めようとしたらしい。それに対して、ジョナサン・エドワーズはどうも不満だったようで、コミュニティの成員は、キチンと回心した人だけにすべきだ、と言い出したようです。

         その中で、基準を下げ、未回心者の陪餐はちーとまずいんでないか、と言い出したのが、ジョナサン・エドワーズなのだな。なお、ジョナサン・エドワーズは、イェール大学の卒業生で、リバイバルの研究者であったらしい。論文なんかもやたらと書いているらしい。宗教経験の心理学から、社会に及ぼす影響までしていたらしい。(詳しくは、はじめてのジョナサン・エドワーズp56)

         その結果、リバイバルっちゅーのは、異様な神がかり状態でもないし、宗教的な精神錯乱でもない、ということをジョナサン・エドワーズは言っていきます。ジョナサン・エドワーズのリバイバルの理解は、狂喜乱舞するような情念に基づくリバイバルの理解ではなく、あくまで個々の個人の理性に基づいた神との対話だったようです。

         ただ、はじめてのジョナサン・エドワーズを見る限り、ジョナサン・エドワーズが活躍する直前には、かなり情熱的、熱狂的なリバイバルのイメージが広く広がっていたようで、また、急速に広がり、急速にしぼむということがあったようです。それをどう考えるのか、に思想家として取り組み、それに関して彼が書いた文書が広くいきわたったということが、ジョナサン・エドワーズをリバイバルの守護者のような位置に置いてしまったようです。

         また、メソジスト運動の出発点となった(とはいっても、本人は国教会の枠組みにとどまることを選んだ)、ジョン・ウェスレーなどの交流とその影響も『はじめてのジョナサン・エドワーズ」では触れられていました。 

         このお方、のちにイェール学長になるようです。

         ハーバードにしてもイェールにしても、プリンストンにしても、アメリカの大学ってのは、もともと牧師養成所を背景に持つところがやたらと多いのですね。もちろん、オックスフォード、ケンブリッジ、世界最古のイタリアのボローニャ大学にしても、神学部が出発の時点で大きな役割を果たしているわけです。今、日本で神学部というのは、あまり相手にされませんが、本来的には、非常に重要な役割をかつてヨーロッパでは担っていたわけです。マクグラス先生のご指摘にもあるように、科学(Science)は自然神学をその起点としているわけで、本来は対話的なのですが。

         さて、アメリカの建国のその出発の段階で、リバイバルという色が非常に強く、そして、アメリカでもっとも影響力の強い説教者であり、哲学者でもあった、ジョナサン・エドワーズがリバイバル研究者であり、リバイバルを何とか理性的に理解しようとし、多くの好意的な評価をしていった文書を残したことは、アメリカ社会においてのキリスト教に影響を残したように思います。つまり、アメリカのキリスト教の中にリバイバル的な思想がロックインされていってしまったように思うのです。

         そして、さまざまなアメリカ発というよりかは、アメリカで変容したキリスト教が日本にも訪れました。

         それらに関しては、北の国の百姓とんちゃん(とんちゃん様、著書名書いたら、名前明らかにしてるような気が・・・)様のブログ記事の福音派キリスト教とフランクリン・グラハム伝道大会やと福音主義の聖書学:R.P.マーチンの訃報に接していう記事や敬愛してやまない上沼先生が「ヴィトゲンシュタイン、再び」という記事でお書きになっておられることを総合すると、アメリカのキリスト教文化の形成の初期の段階で存在したリバイバル概念が大きく影響した福音主義とリバイバルが過去何度も起き、その度に変容したのがアメリカ由来の福音主義でその中にいろんなものが混じっている、そして、ホロコーストの反省を経てかなり大きく変容した西ヨーロッパ系(グレートブリテン島周辺諸島群を含む)福音主義があり、その経験の結果、アメリカ系の福音主義とはかなり味わいが違うもののようなっている、というあたりになるのではないか、と思うのだね。ルター派やカルバン派などの過去の宗教改革を含めてリバイバルといってよいかというと、かなり疑問だが、キリスト教文化を大きく変容させ、神と人々との関係性を人々に再考させたという意味では、ジョナサン・エドワーズ風にいえば、宗教改革そのもの自身、リバイバルといえるのかもしれない。ただし、宗教改革はリバイバル運動の一種だ、という仮説はミーちゃんはーちゃんの作業仮説でしかない(あ、いのフェスもリバイバル運動の亜種くらいだとは思いますよ)。ドイツ語が全くできないミーちゃんはーちゃんとしては、ドイツ系やオランダ系の神学者は、名前は聞いたことがある位なので、「何それ、おいしいの?」と言わない程度の知識しかない。

         その意味で、アメリカ型のキリスト教の中にロックインされたリバイバル思想(民衆的熱狂を一部に含む)を無視しては、福音派は語れないのかもしれない。これは、意外と見落とされている点であるかもしれない。

         ミーちゃんはーちゃんは、ウェールズ人の宣教師(元中国インランドミッション宣教師)と仲が良かった関係で、D.M.ロイドジョンズの聖書理解とかなり近しいものがあるが、リバイバルと言いながらも、ドクターと呼ばれたD.M.ロイドジョンズ(元外科医)のリバイバル(最下部参照)と、アメリカ系リバイバルとの違いを感じる。この差は何なんでしょう。

         アメリカ建国(といっても東部13州)の段階で、ピューリタンというかなりガチガチの頭の人たちによって13植民地が建設され、そして、ニューイングランドができ、そこでガッチガチの人たちの2世3世の生活が変容し、信仰生活が緩んでいく中で、そのたるんだ信仰生活の引き締め運動というのか、反動運動というのか、元に戻れ運動の中で、リバイバルが起きた、そして、それが後世のアメリカ型キリスト教徒そしてその影響を強く受けた日本の福音派にも影響をなお与えているということを認めたほうがよいかもしれませんねぇ。

         その意味で、アメリカの福音派を考える上で、リバイバルというのは大きな役割を果たし、その運動の分析と大覚醒時代を生きる神学者として置かれたジョナサン・エドワーズが、その後のアメリカの福音派、そして、太平洋戦争後大挙して日本に太平洋を渡ってやってきたアメリカ系の福音派とその影響をたっぷりと受けた日本の福音派に多大なる影響を与えていることを指摘して、今回の記事を閉じたい。

         はじめてのジョナサン・エドワーズ、森本アンリ先生の訳文もあり、非常に読みやすい本です。このシリーズの日本語版、バルトとアウグスティヌスも持ってますが、いずれも大変よろしいと思います。

          


        評価:
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        コメント:アメリカキリスト教史に多大な影響を今なお与え続け、アメリカ福音派の源流の一人といって過言ではなかろう。その人物と入門的な伝記。森本あんり先生の翻訳も読みやすい。

        評価:
        D.M. ロイドジョンズ
        いのちのことば社
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        (2004-10)
        コメント:大英帝国人(ウェールズ人)が書いたリバイバル感。アメリカ発のリバイバルとは少し雰囲気が違う。ただし、ジョナサン・エドワーズのリバイバル理解と似たものがある。

        評価:
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        20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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        (2008-03-19)
        コメント:セイラムの魔女事件をもとに民衆的熱狂の問題について考えた映画。New Englandの思想的背景がある程度わかりやすく映像として描かれている。

        2013.03.18 Monday

        福音派が生まれたころの世界むかし話(4)

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           さて、ここのところ、福音派が生まれたころの昔話をしてきたが、

          福音派が生まれたころの世界むかし話(1)
           主要登場人物の紹介

          福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
           ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

          福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
           ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

          今日は、第4回目ということで、

           チャールズ・フィニーというおじさんと、チャールズ・ホッジという二人のチャールズの紹介をしたい。ミーちゃんはーちゃんは、北米系改革派長老主義教会系の友人はいるが、改革派長老主義キリスト教群はあまり詳しくないので、チャールズ・Fことチャールズ・フィニーとチャールズ・HはTheologian Trading Cards程度の紹介にとどめておこうと思う。

           同カード(発行会社は、Zondervanという会社で、ミーちゃんはーちゃんがお気に入りの本を何冊か、特に、King Jesus Gospelなども出している会社なのだな。聖書も何種類も出している)の情報によれば、チャールズ・Fはこんな感じ。

          略歴

           アメリカのエバンジェリスト Charles Grandison Finneyはコネチカット州に生まれ、彼は、法律関係の仕事を始めた。しかし、ニューヨーク西部で1821年の劇的な回心を経験する。そののち、牧師としての道に転向する。Finneyは第2期大覚醒の中心的な役割を果たす。

          重要性
           Charles G. Finneyは1824年にニューヨーク州のOneidaにある長老教会から任命を受ける。リバイバリストとしての彼の評価は、米国東岸の数多くの教会を回るうちに確立された。ニューヨーク市のある教会のパスターを数年にわたり務めた後、1832年Oberlin College(日本の桜美林大学と関係があったはず)の神学教授に就任する。1851年同校学長就任。Finneyはカルバン派の神学のもとで教育を受けたものの、それを否定し、会衆派(Congregationalist)の立場へと移る。高名な奴隷解放論の支持者となる。Finneyはinnovator(改良論者)と考えられており、彼のリバイバリストとしての高名なセリフは、新しい基準(new measure)であり、具体的には、Anxious Bench(回心者の場所 回心したことをいう場所。ビリー・グ○ハムなんかが回心したって言わせて前の方に呼び出して座らせるような場所)やProcted Meeting(1週間とか長期間にわたる伝道)燃え上がるように攻撃的な説教壇からのスタイルでの伝道等を含む。

          ------------------------------------------

           またぞろ、でた、でしょうけれども、ここでもリバイバル運動は、かなりの影響力を持っているのだね。

           このチャールズFの説教は、松岡修三的な暑苦しさをもった熱のこもった説教スタイルで、また、圧迫面接(新入社員の面接で、相手にガンガン攻めこんで、精神的ストレスをかけ、対応力を見る面接法)のようなスタイルの説教で、回心を迫ったもののようである。この系譜に属するのが、今でいえば、ビリー・グ○ハム(ウィリアム・フ○ンクリン・グ○ハム2世)とか、フ○ンクリン・グ○ハム(ウィリアム・フ○ンクリン・グ○ハム3世)、テッド・ハガードなんかでしょうね。

           尚、ミーちゃんはーちゃんは、この手の説教を聞くのが大変苦手。暑苦しくって。もっとあっさりできないのか、と思う。この手の暑苦しい説教の伝統、チャールズFにあったのね。ミーちゃんはーちゃんは、この手の暑苦しい説教をほとんどしないので、ミーちゃんはーちゃんの説教はつめたいと言われたり、学校の授業見たい(昨日も司会の人に言われてしまった)と言われたりして、ディスリまくられている。まぁ、暑苦しいものが嫌いなので、しょうがない。

           最近はめっきり見なくなったが、1週間の連続福音大会とか、昔は良くあったのだが、そのご先祖様もチャールズ・Fだったのね。うちのキリスト者群でも昔は良くあったらしい。巡回説教者が回ってきて、暑苦しい話を連夜するというスタイル。最後にこの手にミーちゃんはーちゃんが参加したのは、タコマ(タクーマに現地人、ワシントニアンの発音は近い)というワシントン州で1997年が最後。日本では、最近ほとんどうちのキリスト集会群(よそ様からはブラザレン派と呼ばれております)でも、3日とか4日連続の夜の福音大会はほとんどなくなったなぁ。そういや、東京都内のキリスト集会でこの2年以内にやっているのを確認したのがミーちゃんはーちゃんが確認したのが最後。

           なお、チャールズFは原稿持たずに説教したらしい。この原稿持たずに説教する形態は、アメリカではやっているのと同様に、うちのキリスト者群でも、原稿作らずに説教するスタイルをとる人々はおられる。ミーちゃんはーちゃんは、まったくの原稿なし、準備なし、はいかがなものか、と思うが。何を隠そう、ミーちゃんはーちゃんも、原稿持たずに説教した時期はある。これは、事前原稿に縛られずその場の聴衆との関係を見ながら説教ができるという利点がある半面、ともすれば、『内容がいい加減、調査不足、いい加減な物言いが多くなる。床屋政談に近くなる』というのがミーちゃんはーちゃんの経験からの印象なので、今はかなりきちんと準備はする。ミーちゃんはーちゃんのキリスト者集団には、説教原稿なしで聖霊に導かれるままに語る、と豪語する豪のお方もいるが、その方にはできるのかもしれないが、ミーちゃんはーちゃんには無理ゲー。

           説教原稿のアイディアには、かなりの時間、6-8時間(通勤時間にしていることが多い。3〜4通勤日の往復時間)をかけて、イメージが鮮烈なうちに、プレゼンテーションツールに図として構造を書き込んでおく、というのがいつものパターン。ただ、完全原稿を作り、一言、一句あまさず転記なんてことはしないタイプではありますが。会衆の様子を見ながら、当意即妙の部分を残すためでもあるけれども。

           それと、原稿読んでるタイプの説教って、どうしても原稿に縛られるので、聴衆の雰囲気がつかめないのと、聞いててライブ感が無くって飽きる、聞き手が眠くなることが多いという残念な事実もあるように思う。文字を必死になって追うあまり、間違えずに読もう、間違えずに話そうという気持ちが先に立って、説教が生きてないってのかなぁ、みているほうがつらくなるような悲壮感が漂う説教、って人もいる。まぁ、説教者もいろいろ、説教もいろいろである。

           Ministryの以前の剛の説教のDVD、結構よかったんだが、もう一度やらないかなぁ。

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          また、チャールズ・Hはこんな感じ。

          略歴

            19世紀の保守的な長老派の神学者でもっとも有名なひとりであり、チャールズHはプリンストン神学校教授として1822-1878の間奉職。1851年より終生神学校学長を務める。1878年死去。

          重要性
           19世紀の合理主義の台頭に反してチャールズHは彼の息子のA.A.HodgeとB.B.Warfieldとともに、保守的な改革派長老主義神学の護教に努める。1825年にPrinceton Reviewを創刊し、同誌は、19世紀における改革派的及び聖書原理主義的な文化的及び神学的な思想に光を当て続けてきた。チャールズHは数多くの論文と書籍を著したが、その著作には、What is Darwinism?(1874)や組織神学、などが含まれる。

           アメリカ人は機械モノが異様に好きな人である。蒸気機関とか、自動車のエンジンとか、飛行機とかの仕組みが好きな人たちなのだな。個人的にアメリカで出会ったときに、DDayで活躍したP51ムスタングをレストアして個人の趣味として飛ばしているおばさんにカリフォルニアで出会った。こういう機械モノ大好き、機械化・システム化を志向する性格の人が多いアメリカという国家的背景のなかで、19世紀に伝統的な改革派長老主義的な価値を守るために論陣を張ったのが、このチャールズHらしい。プラグマティズム大好き、合理主義大好きなアメリカ人のなかで、カルバン派的な概念を維持しようとしたのが、この方だったらしい。

           多分、この方の影響などもあり、後のスコープス裁判(創造論と進化論を教育の問題としてすり替えた裁判)へとつながっていくのだろう。詳しくはもうちょっと調べないとわからないが。チャールズ・ホッジの本は、残念ながら読んだことがない。

           この前、あるキリスト者の友人と話していたのだが、大西洋の西と東で、2項対立的なものの捉え方をするかしないか(特に設問のたて方として、科学か聖書かみたいな設問のたて方をすることにおいて)の違いがあるという話をしていた。そして、なぜ、それが生まれるのか、ということも。

           よくわかってないのであるが、大西洋の西側のアメリカ合衆国では、2項対立的にとらえがちであり、大西洋の東側のヨーロッパではそこまで2項対立的ではないのはなぜか、その話をしながら思ったこととして話し合ったのは、アメリカ合衆国では、過去の大陸の歴史的な背景を切り捨てたい人たちが建国した建国の経緯が含まれていることに比べ、ヨーロッパは多様な考え方をする人々と共生しなければならなかった歴史的経緯が含まれること、ホロコーストを自分たちの問題として強く経験した欧州人と、ゆるくしか経験し得なかったアメリカ合衆国人などでの違いがあるのではないか、といったことをかなりゆるく話し合ったような気がする。しかし、それを学術的、文書記録に基づいて証明することは非常に困難だが、面白い設問だよね、ということも話し合ったのだね。

           とはいえ、この一連の記事で紹介しているように、米国系の福音派が米国独自の歴史の中で構築されていった中で、福音派にある諸概念や、そこから派生する内在的な問題をこうして書いていると、なるほどなぁ、と思うことがある。

           次回は、英国系(というよりはアイルランド系、ついこないだSt Patrick's Dayだったが)福音派で、ミーちゃんはーちゃんとも関係の深いJohn Nelson Darbyという方をご紹介する予定。


          評価:
          ---
          Zondervan
          ¥ 2,099
          (2012-11-20)
          コメント:ざーっとキリスト教の歴史を並べながら勉強するのには、とっても便利。自分は興味しんしんだけど、このカード上にない神学者がいても怒らないように。

          2013.03.23 Saturday

          福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

          0
             さて、ここのところ、福音派が生まれたころの昔話をしてきたが、今日は、第5回目ということで、John Nelson Darbyというおじさんのことについて触れていきたい。ミーちゃんはーちゃんが今も参加しているキリスト者集団の初期以降の運動に多大な影響を与え、今なおその影響は続いているという、知人やミーちゃんはーちゃんにものすごい影響をあたえた人なので、この人について書きたいことはいっぱいあるが、一応Theologian Trading Cardにまとめられた話をすると、こんな感じになる。

            トレカからの紹介 John Nelson Darby


            略歴
             もともと、福音的な英国国教会の司祭であるJohn Nelson Darbyはプリマス・ブラザレン(Plymouth Brethren)の初期のリーダー群の中で最も知られている人物であり、別名、ディスペンセイション主義で知られる前千年論ディスペンセイション神学、の父とみなされている人物である。

            重要性
             プリマス・ブラザレンは1830年代の後半に構築されたが、それは、キリストの再臨がが近いという確信の中で、希望を失うほどに教会が分裂していることへの対応として生まれてきたものである。ブラザレンは、すべての信者が祭祀であるという理解に立ちながら、公式的な教会の指導のスタイル(平たく言ってしまえば、牧師を置くこと)を否定した。1845年に始まるブラザレンが細分化された派閥に分解したとき(変換者注:この段階で、Connexial Brethren(Exclusive Brethren)と呼ばれるダービー派とOpen Brethren と呼ばれる非ダービ派とに分裂する)、ダービー派(Darbyites)として知られる強く結束した信仰者群で指導的役割を果たす。彼の中心的な神学的著作『聖書の各書の概要 Symnopsis of the Books of the Bible』で前千年王国論的な視点を展開し、そのうちには、明白な時代区分(distinct time periods)あるいはディスペンセイション(dispensations)とよばれる救済史の時代的分断と空中携挙(または携挙 Rapture)が含まれていた。このダービーの思惟の結果は、特に(particularly)北米で大きな影響を与えた。

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            J.N.Darbyこぼれ話
             このおじさん、上品なTheologian Trading Cardsの編集者の方は書いていないが、このおじさんは非常に神秘主義的な人物で、この人の語った話や書いたものは、複雑骨折した上に剥離骨折が重なっており、さらに、その上に人工関節がつけられていて、その上、妙なギブスでガチガチに固められているという感じの文体なので、通常の人が聞いたり読んだりしても意味が取れないときている。そのため、Darby派から後に分離するKellyという人が、当時の大英帝国内の英語をしゃべるキリスト者に対して英語で解説が必要であったほどの難解さだったのである。もう、レトリックは矛盾と奇矯さ満載、といったタイプの説教や文章で有名な人なのであるのだね。ドイツ人は、文章が長くて、読みにくい文章を書くということで有名だけど、まさにそんなタイプの文体だったようである。キリガイの有馬先生が翻訳されたらしいけど、ご苦労されたと伝え聞いたことがある。なお、キリガイは、名著だと思うが、まぁ、あれは、高校生の素直な気持ちが出ているのだと思う。おまとめになった有馬先生もえらいけど。

            JNDarby トレカ

             また、このJ.N.Darbyというご仁は性格が激しく(上記のトレカの写真参照)、論争的で、Newmanという人と論争し、論破、というよりは難癖や激しい語であおりまくり、ツイッター炎上ではないが、当時の最先端メディアである雑誌市場での論争でコテンパンにやっつけて、かわいそうなNewmanさんは、ブラザレン運動初期の人なのに、一緒にできないということで、ブラザレン運動から去っていく。この種の激しさ、激烈さがブラザレン運動に残ることになる。また、粘着質な御仁であったらしく、今でいえば、完ぺきにツイッターを炎上させ、相手の神経を参らせるタイプ。

            ブラザレン派の分解の経緯に関しては、ブラザレンの分裂史http://blogs.yahoo.co.jp/kawamukaih/folder/1293744.htmlをご覧いただければ、Tim Grassからの簡単な要約がございます。

             また、この御仁は、天才的というよりは驚異的な語学能力の持ち主で、いくつかのヨーロッパの言語での独自翻訳聖書を出していたはず。もちろん、古典ギリシア語、ラテン語、ヘブル語も自由に操れたらしい。

            J.N.Darbyと米国福音派との関連

             ただ、この人の一番の功績(というよりは負の功績だとミーちゃんはーちゃんは思うが)でもあり、一番の問題でもあるのが、根拠が実はかなり薄弱なDispensation仮説を仮説としてではなく、真理として聖書解釈に持ち込んだ点であり、そして、それが、Scofieldというこれまたちょっと(実はかなり、かも)ややっこしい人物により、このディスペンセイション仮説に従って記載した解説が付けられた欽定訳(King James Bible)聖書(簡易注解書がくっついた形の欽定訳聖書)が出版される。そして一般にスコフィールドバイブルとも呼ばれる欽定訳に解説付きの形で出版された聖書が、1909-1940年くらいに爆発的に巡回伝道者と呼ばれる人々や中西部のバイブルベルトと呼ばれる地域に住む素朴な人々、特にフロンティアに居住していたために教会に通えない農業者の人々の間でまさに爆発的に広まったのである。教会に通えない人々が、いたしかたなく、教会に行く代わりに家庭集会した時に、集まっている人たちからの質問に答えたりするためには、大変便利な本に見えてしまったのであった。

             このScofield Referenced Bible、ちょっと古いが、教科書ガイド(解説、回答付き教科書)と思えばよろしいのではないか、と。Scofield聖書を見るたびに、もう、いらんことをして、とミーちゃんはーちゃんは思っている。

            Dispensation仮説が米国の農村部で広がったわけ

             その意味で、この聖書に付されたディスペンセイション理解は燎原の火のように、中世ヨーロッパを恐怖に陥れたペストのように、あるいは古代ローマ・ギリシア世界を恐怖に陥れたキリストktgyたちのように(パウロはペストのような存在、と呼ばれたことがある)、本国大英帝国内というよりは、北米で広がったのだ。正当な聖書理解として。

             なぜ、北米で広がり、グレートブリテン島周辺諸国領域および西ヨーロッパ内で広がらなかったかといえば、そこには、一応のChristendomが存在し、教会が身近にいける範囲に存在し、そこでは教会論的伝統と伝統的理解がすでに広がっており、教理的空白が薄かったからではないか、というのが、ミーちゃんはーちゃんの読み(仮説)であり、グレートブリテン島諸国および西ヨーロッパでは、Darbyの新奇な説は相手にされなかった、ということなのだと思う。まぁ、1900年ころから1940年代まで、社会構造が変化し、科学が前面に出てきて、リベラル派というのか社会の中で科学的であることが絶対となっていくような信仰に対しての素朴な信徒にこのディスペンセイション説は受けたといえる。まぁ、多くの伝統的キリスト教会群が聖書の真実性を否定するように見える立場の聖書理解(典型的には、本文批評とか)に立っていく中、「そんなんゆうたら、信仰もへったくれもなくなるやんけ」という素人的な「世も末(終末)」感とリベラル派への反論が背景にあってのことではあるのだろうけれども。

             その意味で、非常に広範な領域に広がるアメリカのプレーリーの平原部で生活した中西部の農民の生活は、隣の家まで馬で近くて20分から30分(バイクも車もないし)、都市部のように天候とは全く関係ない安定した生活を送る人々と比べ、天候に依存した生活をしており、安定した生活とは無縁の農業者という立場ゆえに、書籍を買うことも難しく、また、購入したところで読む時間の確保すら難しい人々であったであろうから、教会に行くことなど、夢のまた夢、巡回牧師(説教者、大草原の小さな家のテレビドラマ版に出てくるオルデン牧師みたいな存在)が来るらしいから、ということで、ごく稀に教会に集まるような人々であったように思う。その意味で、伝統的聖書理解の空白が生じ安い環境におかれたのだと思う。そこに、Scofield Reference Bibleという解説付き聖書が、Oxford University Pressから出版され(教養がないと、Oxford Universityがお墨付きを与えたように見えるが、基本本屋なので、Oxford Universityの本体とはほとんど関係ないアメリカの出版社)、ありがたく受け取られてしまったように思う。どうもオズワルド・J・スミス先生も、このScofield版聖書を御愛用であったという記述がある。orz

            J.N.Darbyのディスペンセイション説が
            日本にやってきた経緯


             そして、その概念に強く影響を受けた人々とその子孫が、15年戦争後(太平洋戦争後)宣教師、伝道者、牧師として日本に大挙してやってくる。日本が宣教地であり、日本が福音派にとっての最後のフロンティアである、という意識もちょっともって。
             
            Dispensation仮説については、以下のリンクを参照していただければ幸甚。


            人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(1)

            人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(2)


            人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(3)

            人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(4)

            人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(5)最終回 

            ディスペンセイション説という終末論について


            なお、これまでの連載記事は、こんな感じ。


            福音派が生まれたころの世界むかし話(1)では、
             主要登場人物の紹介

            福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
             ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

            福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
             ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

            福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
             リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

             で、次回予定は、A.A.HodgeとB.B.Warfield、そのあと、D.L.Moodyへと続く。

            評価:
            有馬平吉
            新教出版社
            ¥ 1,470
            (2012-09-25)
            コメント:高校生らしい素朴な考え方が面白い。

            評価:
            青木 保憲
            明石書店
            ¥ 5,040
            (2012-06-14)
            コメント:高い。だけど、今この本くらいしかない。問題はいくつかあるけど、キリスト教側からアメリカの福音派の発展史を追った労作。

            2013.03.25 Monday

            福音派が生まれたころの世界むかし話(6)

            0
               
               さて、今回は、A.A.Hodgeをやって、その次はD.L.Moodyをやって、ということを考えていたのだけれども、神学者トレカを見ている限り、A.A.HodgeとB.B.Warfieldは彼らの関係の深さからいって、二人をまとめてやる方が、よさげなので、出生年順、という原則は崩して、今回まとめてしてしまおうかと。まぁ、この辺の人たちのものを直接読んだことがないので、何とも言えないけれども。

              神学者トレカからの引用

               まずは、A.A.Hodge(1829-1896)から。

              略歴
               高名なCharles Hodgeの息子として生まれ、A.A.Hodge自身も非常に優れた19世紀の神学者である。AA.Hodgeは、1850年にプリンストン神学校での神学教育を受ける前3年間インドで伝道者として活動した。

              重要性
               海外での宣教活動に従事したのち、牧師として数年間活動を行った。その後、A.A.Hodgeはウェスタン神学校(今日のピッツバーグ神学校)の教授職に任命される。ホッジは、そのポストに1877年までとどまり、プリンストン神学校での父Charles Hodgeの学長としての最後の数カ月での在任期間の時期、父Hodgeを助けるために、プリンストンに移動し、そして父の死の直後、学長に就任した。B.B.Warfieldのようなプリンストンの同僚と共に、伝統的な神学を強く主張する人物の一人であると考えられていた。HodgeとWarfieldは、二人とも、[聖書の]無謬性に関する代表的人物(champions)であり、と聖書原理主義運動の発展の中心的役割を果たした人物としてとらえられている。

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               B.B.Warfield(1851-1921)


              略歴
               ケンタッキー州レキシントンの近くの豊かな家庭に生まれる。B.B.WarfieldはPrinceton神学校における重要な改革派神学の神学者の一人となるべく高い教育を受ける。Warfieldは、Princetonで教育を受けたあの地、ヨーロッパで神学教育をさらに受け、University of Leipzigで研究する。

              重要性
               B.B.Warfieldはライプニッツで学ぶ前後、ごく短い期間、牧会者として奉職する。Warfieldは1877年にまず、ウェスタン神学校(現ピッツバーグ神学校)で奉職し、1887年にプリンストンに招聘されるまでの9年間奉職する。プリンストンでは、A.A.Hodgeの後継者として、学部長(principal administrator)およびlecturer(日本の大学でいう教授)であった。Warfieldは聖書の権威性と聖書の無謬性について主張した著作で知られている。彼は、Princeton Reviewの編集者として20年間在職した。1929年の学校の大改革以前におけるPrincetonにおける最大で最後の神学者と広く認識されている。

              --------------------------------------------------------

              感想

               なんか、Hodge親子の世襲を、現在に生きるミーちゃんが見るかぎり、あんまりいい感じはしない。とはいえ、ヨーロッパ的な貴族的文化が社会の上層部に残る時代背景を考え、教育の機会がそれほど均等ではなかった当時のアメリカでは、こういう世襲というのは仕方がないのかもしれない。大体、基礎教育が国民すべてに提供されず、文字が読めるのが一部の限られた人々だったということを考えると、こういう世襲で指導者を育成せざるを得ないというのは、理の当然という気もするなぁ。

              東部エスタブリッシュメントについて

               キリスト教会関係と話はかわるが、アメリカには、ボストン近郊や東部地区にいる金持ちたちのうちに、東部エスタブリッシュメントという集団がいて、陰謀論者の皆さんに香ばしいネタを提供することが多い人たちがたしかにいる。典型的な有名人として、二人のジョージとも揶揄される呼ばれるブッシュ親子(George H.W.BushとGeorge W. Bush)がいる。

               ミーちゃんはーちゃんは、フロンティアの最果ての地、カリフォルニア(なんせ、49ersの地ですし)とワシントン州(Seattle Mariners, Yeah!)にしか住んだことがないので、東部エスタブリッシュメントのみなさんとはお近づきになったこともない(もちろん、ゲリラの特性としてそもそも、なる気もない)が、結構アメリカ社会だと、東部エスタブリッシュメントの実力は馬鹿に出来ないものがあるらしい。この辺、ジョージ・ブッシュの伝記映画 Bushを見てもらうと、東部エスタブリッシュメントの精神世界の一部が垣間見られる。あとはそうですね、マイケル・ムーアの華氏911では、東部エスタブリッシュメントが痛烈に批判されている。United States of Americaの持つ二面性という意味で。

               アメリカ合衆国は、Land of the free and the home of the braveやLand of Opportunityというくせに意外と階級社会だったりします。親子で上院議員とか親子でDA(検事総長 アメリカでは、選挙で選ばれる公職)親子で弁護士、親子で銀行家というような事例がたくさん見られます。日本より多い感じですね。社会統計取ったわけでないざっつい印象論ですけど。まぁ、農家は基本世襲のことが多いですね。

              翻訳聖書は無謬かな?


               聖書の無謬性ということは、どこまでを聖書の無謬性に含めるかの議論があるよねー、と思うことが時々頭によぎる、という意味でミーちゃんはーちゃんは、もう福音派とは呼べないかもしれない。さらにいうと、日本語訳聖書の無謬性はミーちゃんはーちゃんは全く信じていない。リベラルと呼びたければ、呼ばれよ。本当にそう思うから。翻訳の労を取られた先生方のご貢献は評価しているものの、限界はあるとは思う。ときどき、この書き方はないでしょう、と思う部分もないわけではない。勝手に補ってほしくないかな、とか。いま、Facebook上では、第4版に向けてのグループがあり、ご意見募集中だそうです。

               ミーちゃんはーちゃんの関係者の中に、新改訳聖書無謬説かのごとき主張をされる方もおられるが、それを聞くたびに大変残念な気分になる、とだけ申し上げておこう。

              啓蒙時代と二項対立概念に彩られたアメリカ文化


               まぁ、この二人のいわゆるファンダな福音派の皆さんに与えた影響、今なお与えている影響はむちゃくちゃ大きいと思う。アメリカ合衆国の文化自体が、啓蒙時代の真っただ中でその基本的概念が形成されてきた関係で、2項対立的な概念に彩られているじゃね?と思ってしまう。

               2項対立でとらえやすい世界ってのは、どうも、どちらかが正しく、正しいものでないものは間違っている。白と黒の概念で描きがちで、グレーのない社会なのだとおもう。Guilty or Not Guiltyという設問の立て方や、創造論か進化論か、とか、リベラルか保守か、とか。

               無益だなぁ、と思うが、これから抜け出せないアメリカ人の人が多いこと多いこと。そして、日本人も。あ、カルトとか、悪質な自己啓発セミナーもこの2項対立の世界観、使うんで有名だよね。

               そんなことを見聞きするたび、世の中、そんな単純じゃねぇし、と思うのだね。

               次回は、世紀の大伝道者とも呼ばれたMoodyを御紹介の予定。 

              なお、これまでの連載記録は、以下の通り。よろしければこちらもどうぞ。




              福音派が生まれたころの世界むかし話(1
               主要登場人物の紹介

              福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
               ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

              福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
               ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

              福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
               リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

              福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

               プレミレニアリズムとディスペンセイション主義 アイルランド人のジョン・ネルソン・ダービー

              評価:
              ---
              角川エンタテインメント
              ¥ 3,509
              (2009-09-11)
              コメント:困ったちゃんとしてのダボヤと呼ばれるブッシュの困ったぶりがうまく描かれていて面白かった。

              評価:
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              ワーナー・ホーム・ビデオ
              ¥ 911
              (2010-11-23)
              コメント:この映画のワンシーンに待たされる時間が長いことで有名なSocial Security Office(社会保険事務所)でサンドラ・ブロックが切れて、何でこんなに待たされるの?ボスはだれ?と聞いた時に映し出されるブッシュ前大統領の顔が印象的

              2013.03.27 Wednesday

              キリスト教Evangelicals と Fundamentalits が形成されるアメリカの社会背景

              0
                 さて、ここまであまり明確な議論なしに福音派、聖書原理主義(ファンダメンタリズム)という言葉をあえて使ってきた。理由は、割と単純で、これらは、基本他人がはったラベルであり、そのラベルが、時と場合、使う人によってかなりいい加減に使い分けられるので、そんな細かな議論しなくったって、ラベルを貼りたいなら、貼ったらいいじゃん、それを使い方がおかしいとか、他人にラベル貼らないでたも〜、とか、なんだとかっていったところで、貼る方は結構勝手にラベル貼ってくれるので、めんどくさくて、それにいちいち文句言ってもナンセンスと思うから、まぁ、適当に使ってきたのですの。ごめんあそばせ。

                福音主義と聖書原理主義についての概念整理


                 だいたい、この福音主義(Evangelical)、聖書原理主義(Fundamental)は時代の変遷とともに使われ方が変わってきたことが、以前にも紹介した青木保憲さんという方が書かれている。日本語で割と分かりやすく書かれているので、ちらっと抜き書き風にご紹介。

                 17世紀から1870年代までのアメリカにおけるプロテスタント教会は、まだ根本主義者(紹介者註Fundamentalistのこと)もモダニストも生まれていなかった。彼らは「宗教改革の伝統(聖書の権威とキリストの十字架による罪の購い)」を自分たちの道徳規準としながら生きる人々であった。彼らは自らをevangelicalsと称していた。(中略)この時代、すべてのプロテスタント教会がevangelicalsだった。(青木(2012)p.11)
                とあり、
                 そしてfundamentalitに関しても、同様のことが言える。1920年代に台頭してきたfundamentalistは、1970年代から1980年代にかけて勢力を増してくるfundamentalistとは異なった存在である。前者(1960年代まで)は聖書批評学や進化論などに対抗するという意味で、神学的な論争を展開した神学者、牧師たちに率いられた集団であった。後者(1970年代以降)は同性愛や中絶問題などの道徳問題にかかわり、これらに対しても政治的な解決を求める集団であった。そして後者をfundamentalistと呼び出しはマスコミである。(中略)しかし、二つの時代のfundamentalistが混同されてしまったため、誤ったイメージが浸透してしまったといえる。(青木(2012)p.11-12)
                とあった。
                 福音派と聖書原理主義者(fundamentalist)のアメリカの研究成果として、青木(2012)ではさまざまな人の主張を紹介しているが、その中で、George Marsdenの所説を紹介しているので、ここで紹介したい。

                 彼(マースデン)は1971年に「根本主義の擁護(Defending Fundamentalism)」を発表し、サンディーンに対して、前千年王国説を強調しすぎることと、根本主義運動の多様性、複雑性を過小評価していることを訴えた。マースデンは、根本主義のルーツを前千年王国説とプリンストン神学のみに求めることをせず、それらに加えて彼らの知的特質をスコットランド常識哲学(Scotish Common Sense Realism)に求め、ホーリネス運動との関連によって根本主義運動が形成されて行く様子を描きだした。(中略)1980年の『根本主義とアメリカ文化』(多分最下部で紹介した本)において、マースデンは次のように語っている。

                 福音的プロテスタント教会(evangelical Protestantism)に属する根本主義者は、アメリカの文化体験によって生み出されてきたということに私は同意する。根本主義者はアメリカの文化に非常に近い関係性を保っている。多様な表現ができようが、ともかく私の結論は、ともかく、私の結論は、根本主義は取り巻く文化との大きな葛藤を経験いながら生み出されてきたということである。

                (青木(2012)p.28)
                 さらに、青木さんはスコットランドのベビングトン先生の議論を以下のようにご紹介されている。

                 ベビングトンは、福音主義のルーツを英国(Britain)全体に求め、その特徴がアメリカや他の福音主義者にも共通するものであることを主張している。ベビングトンが上げているのは、次の4つである。「回心主義(conversionalism)」「熱心な宣教活動(activism)」「聖書主義(biblicism)」「十字架中心主義(crucicentrism)」である。この定義は88年以降、「福音派とは誰か?」について考察しようとする研究者には必ず取り上げられる定義となっている。
                と書かれているから、一応、作業仮説としての共通の土台とみてよいのだろう。個人的には、Activismを熱心な宣教活動という語を当てるのは、どうかなぁ、とは思ったけど。当てるなら、行動中心主義ではないかとは思うけど。ところで、青木先生によれば、学者のなかには、ハート教授のような意見もあるそうで。
                 ジョン・ホプキンス大学教授のD・G・ハートは、『福音主義の解体(Deconstructing Evangelicalism)』を発表し、次のように述べている。
                 福音派のアイデンティティを求めることはやめるべきだ。なぜなら、そんなものは存在しないから。

                            (青木(2012) p.35)

                 ミーちゃんはーちゃん曰く。『ハート先生、御意。』

                聖書原理主義と米国社会階層の問題


                 ただ、青木(2012)には、次のような表現もあるので、これに関して少し説明したい。補足説明がないと、その背景がわからないからである。

                 1970年代に入って、福音主義研究の深まりから、根本主義への注目は高まっていく。その傾向は概ね、
                「根本主義者は無学で頑なな田舎者である」とする従来のイメージを変化させるものであった。(青木(2012)p.24)

                とある。今回は紹介しなかったが、福音派が、Mainline(鉄道本線に対する呼称から由来という説もあるそうですが)と呼ばれるPresbyterian Churchなどのいわゆる東部エスタブリッシュメント等の社会階層を含む伝統的教派のカウンターパートとしての存在として、他者(東部エスタブリッシュメントの聖書理解)を基準として福音派が自分たちの進行基準を定義(聖書は神のことばという聖書理解を持つ者として定義)した部分もあり、その結果、大学卒の多い都市部居住者である東部エスタブリッシュメントに対して、農業者が多く、大学に価値をあまり見出さない無学でかたくなな(Stubborn)田舎者というイメージがあるように思う。

                TV映画大草原の小さな家に見る
                福音派と東部エスタブリッシュメントのモデル


                 40代以上の人であれば、見た経験がある方が多いかもしれないが、昔NHKで放送されていたテレビドラマ「大草原の小さな家」でいえば、福音派はローラのお父さんとお母さん。東部エスタブリッシュメントは、町の商店を経験しているオルソンさんご夫妻だと思ってもらえばよい。西部の誰も知らない街に住みながら、オルソン夫人は何かというとその小さいコミュニティの中で東部とのつながりを強調して、一般の住民からディスられまくられるが、つけ払いで販売しているため、町の住民がオルソン夫人に対して頭が上がらない、という構図で描かれていることが多い。

                 実際東部エスタブリッシュメントは、資本家(保有資産の程度がどの程度であるかは別として)層とほぼ対応しており、農民はそれに経済社会システム内において頭が上がらない、という構造があった。いまでこそ、世界大戦後、機械化が進み、大規模化が進み、産業化したアメリカ農業は、補助金がじゃぶじゃぶつぎ込まれているということもあり、ある程度の力をもっているものの、その産物が、シカゴ商品市場やNY商品市場での先物取引等を含む、取引材料の具(金融利益を生み出すためのツール)として使われることもあり、その力は金融資本と比べて相対的に弱い(weak というよりはvulnerableかfragile 脆弱という意味で) 。

                福音派と西部開拓民

                 アメリカが建国して以来、多くの外国の民を移民として受け入れてきた。そして、ヨーロッパから来た移民の大半は、西部に行って開拓すると土地がもらえると聞いて、エリスアイランド(ニューヨーク市の自由の女神の近くにある検疫のための収容施設があった島)を出たら、ニューヨークで東に向かう準備をしながら、西へ西へと進んでいくのであった。1900年ころまでは、この傾向が続いた。レディー・ガガのじい様とばあさまもシチリア島からの移民の一人として、エリスアイランドにつき、そのままニューヨークのリトルイタリー(というよりはリトルシチリー)に住み着いたようである。

                 東部に住み着かなかった人は、もともと、ネイティブアメリカン(昔はインディアンといった)のアパッチ族やイロコイ族、チェロキー族等の皆さんがお住まいだったアパラチア山脈以西の地域にアメリカ連邦政府がやるという口約束を信じて、西部に進んでいく。それを描いたのが、下のリンクで紹介するはるかなる大地へである。トム・クルーズが大分若いが。

                 このように肉体だけが頼れる資本というガテン系ヨーロッパ移民が西部開拓民となっていく。その結果、彼らに必要なのは、学識や計算能力ではなく、家を自分一人で作る能力(この結果2×4工法が生まれ、日本の西洋館建築【札幌時計台など】にみられる下見板張り工法につながる)や肉体的な強靭さだけとなり、腕っぷしの強さだけとなる。それが西部劇の背景にある。

                現代に生きる西部開拓民としてのバイカー

                 この腕っ節が強い開拓農民のイメージは、バイカーズ、典型的には、ハーレーダビッドソンにのっている口髭を生やしたおじ様たちに重なっていく。福音派の精神性とこのハーレーダビッドソンにのって旅をしていくおじさん達は反知性的で、かたくなな田舎者という形で重なっていく。この辺は、団塊ボーイズという映画を参照。どうも日本で、ハーレーダビッドソンにのって皮ジャンを着て学生伝道しておられる方がおられると聞いたことがあるが、外見的な類似性では、1960年以前の聖書根本主義者との類似性としてはかなり重なるように思う。

                 このタイプの人たちは、Red Neckersと呼ばれたりHillbillyと東部人やリベラル派の人々から呼ばれたりすることもあるが、この語は差別語なので、日本人がうかつに使わない方がよい語の一つ。銃で撃たれたり、家の前に銃弾がおかれたり、火炎瓶が投げ込まれたりしかねないので、要注意。これらの人々は、アニメのシンプソンズでも、結構馬鹿にされている。逆に都市の中に住む中産階級の福音派として、シンプソンズの中でNed Frandersとしてカリカルチュア化されて描かれている。この、フランダースというキャラクターは、かなりひどい扱いを受け、嫌われ者として描かれる。あるエピソードでは、彼が、ハリーポッターの本を子供に読みきかせながら勝手に筋を買え、ハリー・ポッターが魔法を使った結果、地獄行きになる、などと子供に説明しているシーンなどや、ハローウィンの時などには、悪魔の格好が重ねて描かれることが多い。

                保安官、法執行官、移民のファミリービジネス

                 ところで、ニューヨークやシカゴの法執行官(いわゆる警官及び消防士)にアイルランド移民の子孫が多いのは、アイルランド人社会においてファミリー・ビジネスの伝統が長いのと、さらに、警官と消防士は、英語さえしゃべれる肉体派であればよく、特殊な技能があまり要求されない職種であったということがあるとは思う。そして、その結果、各警察では葬儀などの際にはバグパイプ演奏がなされ、3月にあるアイルランド系のお祭り(St. Patrick's Day)は、緑の衣をまとったアイルランド系消防士や緑の布をかぶせた消防車、緑の徽章をつけた警官が街でパレードし、お祭り騒ぎをやる。シカゴでは、シカゴ川を緑色に染めるのが有名。

                 逆に、イタリア語しかしゃべれなかったイタリア系移民の一部は、特にシチリア出身者は、ゴッド・ファーザーなどで描かれるようなイタリアンマフィア(Italian Mob)となっていき、イタリア系とアイルランド系(共にカトリック信徒が少なくない)が追いかけっこするという構図になる。

                 なお、米国にアイルランド系移民が増える背景には、アイルランド島での大英帝国による最初の植民地統治に失敗した結果であり、さらに、ジャガイモ飢饉と呼ばれる飢饉の結果、食いっぱぐれる人たちが大量に出、そして、その後もアイルランドが貧しい状況におかれるということもあり、さらに、この大英帝国の植民地統治の失敗が、現在もなおくすぶるIRAと英国政府との対決姿勢や、アイルランド共和国の存在へとつながっていくl。

                福音派の社会的土壌とリベラル派の社会的土壌


                 こういう体力勝負の移民が農村部に入っていき、のちの福音派の土壌となる素地(農民文化と農民のイメージ)を西部のプレーリーに生み出していく。ところが、19世紀中葉以降大挙してアメリカに押し寄せてくる欧州系移民(ヨーロッパで食いっぱぐれになりそうになった人々)以前にアメリカに住みついていたというよりはそこでサバイブできた人たちは、ジョナサン・エドワーズやチャールズ・ホッジたちのようにニューイングランドを中心とした東部に住んでおり、長期間住んでいるだけに資本蓄積が進んでおり、アメリカ社会における資本家の役割を果たす。そして東部エスタブリッシュメントという社会階層を生み出し、その根幹をなしていく。そして、東部エスタブリッシュメントを中心とした人々が、合理主義的な、あるいは、いわゆる学術性を重視した「リベラル派」と一般にラベルを張られるに近いキリスト教会群の精神的土壌を生み出し、西部開拓農民を中心とした人々が、「福音派」ないし「聖書原理主義(ファンダメンタリスト)」と呼ばれるキリスト教会群の精神的土壌を形成していく。

                おまけ

                 最近は、移民の受け入れを渋っている節がある。特に、カリブ海諸国、メキシコ系の人々に対する受け入れは渋っている。カリフォルニアにいた時、それは強く感じた。町で3K系の肉体労働しているのは、ヒスパニックと呼ばれるメキシコ系住民が中心であった。個人的には、ヒスパニックの子供たちは人懐こくてかわいいので好きであるが。ただ、時に厚かましい、と感じることがないわけではなかったけど。このあたりは、映画『正義のゆくえ』を見るとよくわかる。


                「根本主義者が無学で頑なな田舎者である」とされる理由

                 こういうガテン系の人々が福音派の中で、幅を利かせるという社会背景のもとで、もう一度青木(2012)で指摘された傾向である

                 その傾向は概ね、「根本主義者は無学で頑なな田舎者である」 

                をみれば、なぜ、根本主義者(聖書原理主義者)が無学でかたくなな田舎者であるとされたのかが分かるであろうし、そして、これが、東部エスタブリッシュメントの人々がその中核となって形成されたリベラル派と呼ばれる人々が福音派や聖書原理主義者の持つイメージとして、バカで頑固な田舎くさい人たちがイメージされ、その後、長らくこのステレオタイプで福音派が語られていくようになった、ように思う。つまり、『東部エスタブリッシュメントVS西部開拓民』という構造が、キリスト教界内で表れたのであり、それに対して、Marsdenやハート先生などが指摘するように、福音派や聖書原理主義者って「そんなステレオタイプで切って捨てれるほど、簡単じゃございませんぜ」という反論が出ることになるのであろう。 

                 青木さんの本が残念なのは、アメリカ開拓史の知識のご説明というのか、背景のご説明が限られるために、このあたりのことが十分説明されず、叙述が神学的叙述と神学的な観点からのみの評価に重点があることである。ご興味がないと言われれば、ミーちゃんはーちゃんは、「ああそうですか」としか言えないけれども。それゆえにこのブログ記事を書くことにした次第。

                 一応、このあたりのことは、森本あんり先生の本「アメリカ・キリスト教史」には、ちょろっとだけ触れてあるものの、ここまでの解説がないのはちょっと残念。アメリカ西部開拓史の本ではないし。仕方ないのだが。

                 次回、もう少し余談として、なぜ、キリスト教界と社会との間で、同一人物のイメージが異なるのか、ということを扱ってみたい。

                 すまん、今回も長くなってしまったなっしー。 

                参考文献 

                青木保憲(2012), アメリカ福音派の歴史―聖書信仰にみるアメリカ人のアイデンティティ― , 明石書店
                森本あんり(2006), アメリカ・キリスト教史―理念によって建てられた国の軌跡, 心境出版社
                Marsden, G. M. (2006), Fundamentalism And American Culture 2nd edition, Oxford Univ Pr.
                評価:
                George M. Marsden
                Oxford Univ Pr (T)
                ¥ 1,840
                (2006-02-23)
                コメント:アメリカ文化とキリスト教、特にfundamentalistとの関連が割と丁寧に書かれていたように思う。割と情報が豊富。

                評価:
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                ジェネオン・ユニバーサル
                ¥ 1,100
                (2010-11-26)
                コメント:アイルランド系移民が西部開発でたどったと考えられる様々な問題がうまく描かれている。

                評価:
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                20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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                (2010-06-02)
                コメント:後味は大変よろしくないが、911後のアメリカ社会と移民との関係を描いた秀作。入管担当者の前でたらめなヘブル語での祈祷文を唱える似非ユダヤ教徒とそれを温かく見守るユダヤ教のラビが面白い。

                2013.03.30 Saturday

                福音派が生まれたころの世界むかし話(7)

                0
                   さて、今回は、いよいよ、世紀の大伝道者D.L.Moodyさんについて。あ、この方、ムーディ勝山さんと全く関係ございません。昔は、D.L.Moodyはムーデーと表示されていたような気も・・・。

                   余談はさておき、まずは、Theologian Trading CardのD.L.Moodyのご紹介を。

                  D.L.Moody(1837―1899)

                  略歴
                   おそらく、19世紀におけるもっとも成功したリバイバリスト系説教者。Dwight Lyman Moodyは貧しい出自の人物である。マサチューセッツの貧しいユニタリアン(変換者注: イエスの神性に否定的見解を向けるキリスト者集団)系の家庭に、9人の生まれた子供の一人として生まれた。ムーディの父は、ムーディが4歳の時に死去する。ボストンで、靴の販売をしている時に青年として回心し、シカゴで短期間生活し、靴販売事業で成功したころの1865年に彼の伝道者としての生活を始める。

                  重要性
                   大人数からなる聖書研究の奉仕を数年務め、第1次世界大戦(変換者註:カードのテキストはWorld War I多分南北戦争Civil Warの間違いだとおもう)期間中には従軍牧師として奉職する。D.L.ムーディは、教会音楽家(Music Minister)のアイラ・サンキーと一緒に活動した。この二人はリバイバル説教において非常に成功し、特に英国への伝道旅行は記念碑的であり、そして、米国においてもその伝道旅行は同様に高く評価された。ムーディは指導に関する奉仕者であるとみなされて(convicted)おり、1886年にシカゴ伝道協会を設立し、のちにムーディ聖書学院へと改組される。神学的には、『原理主義(Fundamentalism)』の勃興とそれに関する諸派の合同に大きな役割を果たしたと言える。ムーディは聖書の無誤性と前千年王国的な見方の学説を強く主張した。

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                  感想
                   ユニタリアンは、ある面合理性をかなり追求するグループで、それゆえに、イエスの神性の部分に抵触するような事例が出てきたようにも思います。まぁ、その父親や母親のもとで育ち、そして、別概念に触れることでD.L.Moodyさんのなかで、一大化学反応を起こし、大変化を遂げたみたいですね。

                   かなり強烈な親のもとで育つと、子供はそれに反発して違う方向で大化けするというのは結構世の中にある話ですよね。無神論哲学者が牧師の息子、とか、よくある話。これは、キリスト教界だけでなく。かえって○○一家みたいなところで育って、その集団から飛び出す人たちには、それだけの何かがあるんでしょうね。飛び出せない人、飛び出さない人は、それでその集団で埋没していってしまうという。あ、埋没したら不幸だ、というのではありません。埋没した人生は埋没した人生でそれは幸せなことだ、とは思います。たぶん、個人の価値システムが違うだけ、だと思います。個人の価値の違いはそれで尊重すべきかと。

                  南北戦争とムーディ
                   Moodyが活動していたころ、ってのは、ちょうど、南北戦争前後のアメリカが精神的にも例的にも荒廃していたころだったわけです。そりゃそうです。親類縁者同士やもともと近所の住民同士が、南軍Confederate States Army と北軍Union Armyとに分かれてドンパチやる、銃剣で刺し合いをやる、ピストルぶっ放し合う、凄惨な血で血を洗うかのような戦闘が全米各地で繰り広げられ、戦場に行かず、地元に残った人は残った人で、相手方のスパイではないか、徴兵逃れではないか、などを恐れながら暮らさざるを得なかった非常に残念な戦争と殺伐とした社会、殺人者になってしまった(そして罪というよりは犯罪の問題を突き付けられた)多くの人々を抱える社会を経験するわけです。この辺りについては、映画コールドマウンテン(下記リンクを参照)がお勧め。あとは、デンゼル・ワシントンがかっこいい「グローリー」とか、「楽園を下さい」なんかもお勧め。

                   なお、今、70歳くらいのじい様たちにとって、その方々のひいじい様たちが南北戦争に従軍した世代。いまだに、第5世代から第6世代ぐらいのアメリカ人はこの傷を心の片隅のどっかに抱えている場合が多いので、南北戦争従軍関係者が家族におられるアメリカ人のじい様たちの取り扱いは要注意。

                  南北戦争と戊辰戦争(明治維新)

                   この南北戦争で大量に生産され、それの余った中古兵器や、その戦争時に老朽化していて使えなくなっていた銃器を最新式銃として大量に購入した国が戊辰戦争前後の我が国であり、薩摩長州両藩であり、会津藩であり、長岡藩なのではないかと思う。南北戦争の結果、世界的な規模で発生した中古銃やら軍艦の在庫を一手引き受けみたいな形で受けちゃったという大変残念な明治維新の黒歴史があるように思います。

                   この時の最新式として各藩に売りつけられた銃(だって当時は火縄銃がメイン、幕府に武器の技術革新はまかりならん、とされていた経緯がある。佐久間象山なんてご仁は、幕府からお上(将軍様、朝鮮民主主義人民共和国の元首様でなく、徳川様)の権威を揺るがす不逞の輩)とされたみたい。このころ大量に日本に持ち込まれた元不良在庫の銃は、明治期に村田銃が国産銃として開発され、陸軍に正式採用されるまで、使い続けられることになる。まぁ、明治初期の帝国陸軍は、近代軍というよりは、食いっぱぐれたお武家の皆さんからなるお武家さまの収容所みたいな雰囲気だったのかもしれない。田原坂でも切り合いしているし。そして、それが、帝国陸軍の銃剣突撃、肉弾突撃精神、そして特攻精神へとつながっていくような気もする。ところで、八重の桜のオープニングで使われた銃がおそらく、南北戦争の不良在庫化した銃か、その時の中古銃の軽騎兵銃である可能性が高いことは以前ふれた通り。

                  八重の桜と大河ドラマと南北戦争

                   新島襄がアメリカに到着したのは、おおむね北軍の勝利が決まったころだったのではないかと思う。ミーちゃんはーちゃんは新島襄研究家ではないので、よくわからないのだが。

                   そういえば、うちの教会の皆様からは、八重の桜の評判がことのほか悪い。理由が新島襄が活躍しないから、だそうだが、それはあの番組のコンセプトを読み違っているし、それを布教活動に援用しようなんてのは、ほとんどミーちゃんはーちゃんにとっては無理ゲー。

                   もともと、八重の桜は、被災地復興支援で、ツーリズムによる地域振興なのだと思う。去年の清盛は、ブームとしては今1、今2で完全にこけていたようである。なんせ、舞台になった地元知事が、けしからんってつぶやくぐらいだから。wwww長田区内の商店街が少しでも潤ったのならよしとしよう。

                   ミーちゃんはーちゃんは、会津・岩代・磐城の復興を個人的に願っている。

                  南北戦争後の社会とムーディ

                   南北戦争を経験し、殺伐とした落ち武者みたいな人や、戦争のPTSDを抱えた人、戦争の結果アル中になっちゃった人、戦争の時の傷病兵、戦争中でのレイプ被害者やレイプ加害者がごろごろする社会の中で、神にあるものの希望を説いたので、みんな、「をををを、そうか」と思って回心した人がごろごろいたのだったのでせう。

                   その結果回心する人たちが急増していくことになるのでしょうね。そういう環境下で、リバイバルが起きた、とみてもよいと思います。アメリカ人プロテスタントが大好きなリバイバルです。おそらくジョナサン・エドワーズが生きていた時代のリバイバルとはかなり質的な違いがあるはずなんですが、数量だけで見るアメリカ人からしたら、「大量の回心者が出た!すわ、リバイバル」となったんじゃねーかと。

                  ムーディのイギリス渡航と
                  プリマス・ブレズレン
                   ムーディがイギリス渡航するのですが、そこでどういう経緯だったかは定かでないですが、英国でプリマス・ブレズレンと関係を持ちます。この辺は、Coad先生のA History of the Brethren Movement(下記リンク参照)にも、さらっとであるが触れてあります。そこで、大西洋の反対側で流行っていたプリマス・ブラザレン派に普及していたディスペンセイション説が、Moodyの理解に影響を与えたと思います。私がMoodyの研究者なら、Moodyの説教のテキストをたくさん手に入れて、渡英前、渡英直後、渡英後、米国での活動中くらいの時期に分けて、ディスペンセイション説の影響度を調べますが、だれか、そんな研究しないですかね。アメリカでだとそういう研究が既にあるかもしれませんが。

                   Moodyという人物は、Scofield Bible前の人物なので、Scofieldとの交流史を調べる必要がありますが、Scofield Bibleによる直接の影響は考えなくてもよいと思います。英国のブラザレンもそうですし、英国の影響の強い日本のブラザレンのみなさんは、このムーディの評価は異様に高いです。自分たちの仲間、くらいにいう人たちもおられますが、仲間扱いするのは違うと思いまし、Moodyさんに少し失礼だと思いますけど。そも、ブラザレンは、ブラザレンに改宗、とかいうことのない、境界のすごいあいまいなグループなので、なんでもこじつければ、ブラザレンにしちゃうってところがありますね。信徒の諸教会って本がありますが、その一部には、かなりこじつけに近いものがあると私は思っています。

                   そういえば、昔、Moodyの科学映画シリーズというのがあって、教会の映画会と称する会で見せられた記憶が・・・今は、著作権が切れたのか、ただで見れます。英語版だけだけど。

                   そのうちの一つ、「ハチの世界」はこちら。なつかしい。ハチといっても忠犬ではなくBeeの方です。

                  交通機関の発達と
                  英米・日米ディスペンション神学的交流

                   この大西洋を挟んだ交流史が起きたのも、大西洋航路、定期汽船というものが技術革新の結果可能になってきたからで、ジョナサン・エドワーズ時代やチャールズ・ホッジ時代には、そんな便利な交通手段がないので、たとえ誰かがブリテン島およびその周辺諸島群でJ.N.Darbyがその成立に関与したディスペンセイション説を唱えたとしても、アメリカに移出されることもなければ、移出された先のアメリカで、猛威をふるうということもなかったろうと思います。

                   ましてや大伝道者D.L.Moodyに影響を与えることもなかっただろうなぁ、と思います。そして、それが聖書原理主義(古典的聖書原理主義 1960年以降言われるようになった聖書原理主義とはちょっとわけが違う)へとつながり、さらにその聖書原理主義やディスペンセイション主義が日本に形を変えて輸入されることも。こう考えると、一体何なんだろうと頭を抱えてしまいたくなります。そして、中田重治さんがディスペンセイション主義神学の影響を受けたり、あるいは、後年の日猶同祖論事件(あれ不幸だよな。熱心さの故とは言いながら)を起こしたりすることもなかったように思います。個人的には、中田重治先生の伝道活動とか、説教とか評価すごい高いですから。ちなみに、中田重治先生、日本のムーデーと呼ばれていたような気がする。

                  ディスペンセイション史観と
                  ファンダメンタリズムの成立
                   ファンダメンタリズムをどう定義するのか、これは福音派をどう定義するのかと同じくらいの難しさ(みんな手前勝手にファンダメンタリズムのラベル貼り遊びをした結果である)がある(S出版社のFさん ご教示ありがとうございました。一応べビントンの定義は納得的でした)ので、ただ、Moodyの時代のFundamentalismはかなり、このディスペンセイション仮説とつながりが深い、という印象を持っているのだな。これが。

                   ということで、このシリーズ次回は、一応予定でいけばこのD.L.Moodyの後継者、シカゴ聖書学院(現在のムーディ聖書学院)の次期学長になるTorreyさんをやる予定。その前に、旅人さんの疑問に答えるシリーズ、教会が牧会者のミニ王国化しやすい理由シリーズをインターセッションとしていたします。社会とキリスト者の関係、社会から見たキリスト者についての問題についてのブログ記事を紹介し、そのあと、リベラル派と福音派の背景について少し触れます。そして、その後元シリーズに戻り、Torreyについて触れます。

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(1
                   主要登場人物の紹介

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
                   ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
                   ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
                   リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

                   プレミレニアリズムとディスペンセイション主義 アイルランド人のジョン・ネルソン・ダービー

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(6)
                   東部エスタブリッシュメント、聖書無謬論、啓蒙時代と2項対立、A.A.ホッジとB.B.ウォーフィールド



                  評価:
                  ---
                  ワーナー・ホーム・ビデオ
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                  (2012-02-08)
                  コメント:アメリカの黒歴史の南北戦争当時の時代背景や銃社会の背景がよくわかる。レネー・ゼルビッカーの生活力満載の女性役を演じ、その南部なまりがかわいい。ニコール・キッドマンが生活力ゼロ薄幸そうな牧師の娘の雰囲気をうまく醸し出している。

                  評価:
                  ---
                  ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
                  ¥ 918
                  (2010-07-28)
                  コメント:南北戦争とアフリカ系アメリカ人軍人の関係を描いた作品。北軍側だけから見た映画であることは、注意が必要。

                  評価:
                  F. Roy Coad
                  Regent College Pub
                  ¥ 2,616
                  (2001-08)
                  コメント:バランスのとれた、ブラザレン史研究のクラッシック。各国への伝播拡散や、ブラザレンと社会との問題などにも触れられている。

                  2013.04.20 Saturday

                  福音派が生まれたころの世界むかし話(8)

                  0
                      さて、今回は、いよいよ、世紀の大伝道者D.L.Moodyさんの後継者としてのR.A.Torreyについて。

                     では、いつものように、まずは、Theologian Trading CardのR.A.Torreyのご紹介を。

                    R.A.Torrey(1856―1928)

                    略歴
                     初期のFundamentalist(聖書根本主義)運動の神学者兼指導的説教者。R.A.Torreyはイェールで教育を受け1875(19歳)で学士学位の取得と卒業1878(22歳)でYale神学校卒業(変換者註:多分神学博士)。

                    重要性
                     1889年に牧師として奉仕したのち、R.A.TorreyはD.L.Moodyからシカゴ伝道協会立の聖書学校の指導者としての着任要請を受諾。さらに、TorreyはChicago Avenue Churchの牧師の一人として、さらに、米西戦争時には、従軍牧師として参加する。彼は世界各国を歴訪しながらの伝道旅行で知られる。1902年に開始し、1911年に伝道旅行を中止する。1912年に、Torreyは新しく開学したロスアンゼルス聖書学校(BIOLA)の学長に就任。1915年にthe Church of Open Door(Open Door教会)の牧師に就任。Torreyのもっとも大きな著述での貢献は、12巻からなるThe Fundamentals(原理主義)という禅宗の編集者を務めたことで、この全集は、近代的な神学の発展に対しての防波堤として編纂されたものである。この全集は、無料で牧師、伝道者、そしてキリスト教関係者に無料で送付された。

                    ------------------------------------------------------------

                    感想
                     まぁ、若くして実力を示した神学者の一人、ということができるでしょうね。名門、Yaleの出身ですから。Moody先生の後継者として聖書学校の運営や、教会の牧会などをしたようです。また、世界中をめぐる伝道者の原型の一つになっているようです。その意味で、ビリー・グ○ハム(William Franklin Graham II)やフ○ンクリン・グ○ハム(William Franklin Graham III)、ウィ○アム・グ○ハム(William Granklin Graham IV)などの先駆者的役割を果たしたようです。現代でも使われる『原理主義』の語が生まれたのは、このTorreyが編集した The Fundamentalsがその出発点というのが、共通した理解です。

                    聖書根本主義あるいは
                    聖書原理主義の出発点としてのTorrey
                     ところで、現代の日本語の一般的な用法では、『原理主義』という語は、さまざまな宗教の反知性的で常識人には理解できない苛烈な行動をとる教条的なグループに対してはられるラベルですが、本来は、キリスト教の中でも、聖書の権威性に高い評価をするグループ(聖書無謬論あるいは無誤論、逐語霊感主義的な理解を持つグループ)を指す語でした。これの語源になったのが、Torreyという方がまとめた、The Fundamentalsだったわけです。そして、これは近代的な思想に基づく聖書無謬説を否定するかのようなModern Theology(福音派の人たちからは、リベラル派の神学として恐れられているらしい。危険思想らしいし、この立場に立つ書物をもったり読んだりしているだけで、犯罪者扱いされるらしい。共産主義者=無神論者=リベラル派=無信仰者 という図式になるらしい。この発想力の展開の激しさは、何なんだろう。)への対抗として作成されていたものでした。トレカでは、防波堤(bulwark)と書かれていたのですが、ここにも圧倒的に社会の中での高等教育を受けた人の中で、主流となっていた近代的神学に「力には力ぢゃ」と対抗しようとした姿が見てとれます。
                     このFundamentalsの編集者としては、Yale大学卒(神学校卒)という東部エスタブリッシュメントの出身者であるTorreyがこの全集の編集をし、その全集本を出すことに意味があったし、だからこそ、それが広く受け入れられていたわけで、中西部のどっかの草深い土の匂いのするような地域にあった聖書学校卒のおじさんが出しても影響力を持たなかったでしょうね。これは、のちに紹介する私がギリシア語の勉強する際にもつかったMachen先生なんかにも言えることです。

                    野放図な原理主義ラベルの適用とその拡大
                     さて、現在では、原理主義とは過激な行動をとる宗教者の集団に適用されていますが、本来キリスト教の中で、聖書に非常に価値を見出す人々に用いられる、蔑称でもなく、尊称でもなかった語であったわけです。聖書に基礎に神とナザレのイエスの言動とキリスト者としてどのように生きるべきなのかを理解していこう、という運動を指す語であったはずの者が、原理主義と呼ばれていたはずなんですけど。聖書を基礎にした、という意味のはずで、その意味では、下記リンクで紹介するJ.I.PackerのFundamentalism and the Word of Godに示されたイギリス型の原理主義だったりします。

                    過激派が原理主義者とされる背景
                     本来、原理主義者には、穏健派から過激派までが含まれるはずなのですが、なぜ、アメリカ的文脈の中で過激派がイメージされ、わが国でもイメージされ、過激な行動をとる人々に原理主義という言葉が軽々しくつかわれる。イスラム原理主義、日本固有型神道系カルトにも原理主義という言葉がテレビなどで使われる。誰とは言わんがテレ朝の10時ごろにやっている報道番組と称するエンターテイメント番組で元プロレス実況中継アナウンサーの方が、神道系のカルトに対して原理主義というラベルを貼るかのごとき発言をしていたことがあって、あれ、神道系にも原理主義ってあるんだ、と思ったことがあった。神道って、文書情報としての聖典はないはず(古事記とか日本書紀はあるが、それは生活律を明示的に示さない体型のような気がするが)だから、何に対して忠実だという意味で原理主義なのだろうと、そのラベル貼り発言を聞きながら、疑問に思った。

                     どうも、その元プロレス実況中継アナウンサーの方は、世間様の常識を外れた過激な教義に対して印象論として気軽に「原理主義」というラベルを貼ったらしい。まぁ、テレビ人のすることだから、どうでもよいのだが。しかし、本来の語義からいえば、成文化された聖典を基礎とする集団に対してしか、原理主義(成文化された聖典を基礎(fundament)とするという意味)というのは成立しえないように思うし、いわゆる成文化された聖典があまり明確でない神道系の集団には適用しずらいと思うのだが。

                     キリスト教、ユダヤ教、ムスリム世界、仏教世界でも成文化された聖典があるので、原理主義は成立する。この原理主義者の中のその解釈が偏っていたり、一部に極端な強調がある場合はあり、それが過激な行動へと結びつく。

                    アメリカ内での原理主義者による
                    過激な言動としての創造論裁判
                      アメリカでこれが最も先鋭化したのが、スコープス裁判で争われた『創造論VS進化論』である。あの裁判自体、本来茶番であったもようである(その背景は、青木著 アメリカ福音派の歴史参照)が、いまだにアメリカというキリスト教国家においてのキリスト者集団内での論点となっている。

                     この話題は炎上しかねない香ばしい話題でもあるので、さらっと終わりたいが、聖書に神のことばによってできた、と書いてある表現と見かけ上ダーウィニズムや一般に進化論として知られる生物多様性原理の理解の仮説が仮説レベルで矛盾するからであり、それが近代アメリカにおける2項対立論理の中で、どちらかが正、どちらかが誤り(まつがい)として、真偽を論証しようとするからであり、そして、それぞれの立場が自派の論理にこだわるあまり他者に対しての頭からの否定をするから問題になるのだと思う。

                     The Simpsonsの中で、Season 17 Episode 14でThe Monkey Trialというタイトルのもと、このScopes裁判を下にひいたエピソードが提示されている。この最後で、Lisa Simpsonが言っていることが面白い。創造論にしても、進化論にしても、相互に考え方を尊重し合い、他者の考え方を理解しあえるはずだし、相互に人格として尊重し合い、共に生きるものとしての存在を認め合うという、その努力を惜しんではならない、といったようなことを言っていたように思う。個人的には、その通りだと思う。それぞれの立場を超えて違いは違いのままとして置いておいて、他者にラベルを貼って終わりにするのではなく、他者を理解し合う努力、共に生きる努力は大事だと思うのだね。

                    まとめ
                     「原理主義者=過激派」や「原理主義者≒過激派」 ではなく 「原理主義者 ⊇ 過激な行動をとる人々」であり、「原理主義者 ⊇ 学問に対して否定的な態度をとる人々」なのだが、実体としては、「部分集合として含む」のだが、それがこのグループの信仰者集団の全体の半数以上を超えている部分もあったり、学問に対して肯定的な態度を示す人の割合が極端に少ないので、実体としては、「原理主義者≒過激派」あるいは「原理主義者≒学問に対して否定的な態度をとり、常識的な対話ができない過激派」と見えてしまうことも多いのかもしれない、と思う。神はこころと霊を与えたもうたと共に、頭脳も与えたもうたように思うのだが、違うかな。

                    次回予告
                     ということで、このシリーズ次回は、一応予定でいけばペンテコステの出発点となったC.F.ParhamとW.Seymourを触れる予定。個人的には、ペンテコステ系の信仰の熱さ(or 厚さ)に耐えかねている部分もあるし、あんましペンテコステ系の聖書理解に詳しくないので、割と軽く触れて終わろうかと。その後、ミーちゃんはーちゃんがギリシア語の独習で結構お世話になったMachen先生を紹介する予定。

                    これまでの経緯

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(1
                     主要登場人物の紹介

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
                     ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
                     ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
                     リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

                     プレミレニアリズムとディスペンセイション主義 アイルランド人のジョン・ネルソン・ダービー

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(6)
                     東部エスタブリッシュメント、聖書無謬論、啓蒙時代と2項対立、A.A.ホッジとB.B.ウォーフィールド

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(7)
                     南北戦争後の社会、ディスペンセイション主義と福音主義の融合、伝道熱心な福音派の精神的原点としての大伝道家D.L.ムーディ


                    評価:
                    価格: ¥5,040
                    ショップ: 楽天ブックス
                    コメント:社会との関係の分析が弱い、強弱がありすぎる、と言いながらも、専門書として日本語で読める唯一のアメリカにおける福音派関連の発展史。

                    評価:
                    小原 克博,中田 考,手島 勲矢
                    ---
                    コメント:コンパクトにまとまっていて、読みやすい名著。社会とのつながりは、こちらの方が説明が濃い。全体像をざくっと知ることができる。

                    評価:
                    J. I. Packer
                    Eerdmans Pub Co
                    ¥ 1,327
                    (1984-07)
                    コメント:イギリスでいうFundamentalismについての本。米国系との雰囲気がかなり違うことが分かるかも。

                    2013.04.24 Wednesday

                    福音派が生まれたころの世界むかし話(9)

                    0
                       さて、今回は、ペンテコステ派のCharles Fox Parhamさんとその弟子のWilliam Seymourさんについて。

                       では、いつものように、まずは、Theologian Trading CardのCharles F. ParhamさんとWilliam Seymourのご紹介から。年齢的には、Seymourさんの方が少しだけ年上なのであるけれども、Seymourさんに神学教育を授け、その機会を提供したのがParhamさんのようなので、まずは、Parhamさんから。

                      Charles Fox Parham(1873−1929)

                      略歴
                       もともとメソジスト教会でのホーリネス運動に関係していた。C.F.Parhamはアメリカでのペンテコステ運動の形成における指導者の一人と考えられている。

                      重要性
                       1890年代にC.F.Parhamはメソジスト教会とたもとを分かち1900年までに、カンザス州Topekaにベテル聖書学院を開始。Parhamの聖書学院は彼のリバイバル的な説教による影響そのものであった。Parhamの生徒の一人Angus Ozmanは1901年聖霊のバプテスマの外形的しるし(奇跡)としての異言を語る賜物(the gift)として、最初に確認された事例となった。1905年までにParhamはテキサス州ヒューストンで聖書学校を開学し、そこで、William Seymourに出会いそしてSeymourを指導することになる。そしてSeymourは、1906年のAzusa Street Revivalにおいて指導的役割を果たすアフリカ系アメリカ人説教者となる。

                      つづいて、William Seymourのご紹介。神学者トレカで初のアフリカ系アメリカ人としてのご登場です。

                      William Seymour(1870-1922)
                      略歴
                       ホーリネス運動とペンテコステ派勃興時における代表的な人物の一人。William Seymourは1905年にカリスマ派のリバイバル宣教者のCharles Fox Parhamによって開設されたテキサス州ヒューストンの聖書学校で牧会上の教育を受けた。

                      重要性
                       William Seymourはヒューストンでの教育を受けたのちロスアンゼルスに移動し、彼と彼の回収によって、アズサストリート312番地にあったApostolic Faith Gospel Missionを購入した。この場所は、ペンテコステ運動が発生ともなったアズサストリートリバイバルの震源地となった。1906−1909年に一日に3回以上毎日説教をした。ドラマティックな調子がこの説教の特徴であり、威厳として知られる精霊の臨在の経験が参加者に伴った。このミッションとSeymourの牧会のこの特性は包含性、性別を超えること、この時代における人種的な社会的境界を超える点において特徴がある。

                      -----------------------------------------------------------
                      感想
                       ペンテコステ運動はあまり詳しくないけれども、もともと、ホーリネス運動と関係が深いのだ、ということはわかった。メソジスト・ホーリネス運動といえば、ウェスレー先生との関係が深いのだけれども、そこからの派生としてペンテコステ運動が出たというのはある意味、メソジスト・ホーリネスのうちに含まれる敬虔主義的なものが独自に発展していった結果と考えることができるのかなぁ、と思った。

                       ミーちゃんはーちゃんとしては、異言とか、癒しとか、オリーブオイルとかもう、かなり無理ゲー、そんなご無体な、という印象があるなのだけれども、ある面、時代の背景と中西部という環境やロスアンゼルスという一種の文化のるつぼがこのグループの伸長に大きな影響を与えているような気がする。

                      教育者としてのParham先生
                       Parham先生は、ペンテコステ派の教役者を教育した、そのなかから、Seymour先生が出た、という教育者としての側面が強く、その後継者である人々がペンテコステ運動のエンジンとなっていったということなのだろう。Seymourの先生として紹介されるParham先生って一体・・・、という気もしますが。青木保憲著 アメリカ福音派の歴史(下記リンク参照)によると、このParham先生、あまりにも貧乏でテキサスでの神学校に行く経費が払えないSeymour君のために、窓の外から講義を聴かせたということをしたらしい。まるで、明治の教育美談を聴いているようだ。(ちなみにテキサスも雨がほとんど降らない)

                      Azusa Streetについて

                       Seymourについていえば、最初に神学者トレカで見たアフリカ系アメリカ人ということもあり、へぇ、と思いました。しかし、312 Azusa Streetって調べてみたら、ロサンゼルスのリトルトーキョーの裏側じゃん。なるほどねぇ。ペンテコステ運動は、アジア系移民やアフリカ系アメリカ人が多いロサンゼルスの貧しい地区で急速に発展したのね。ちなみに、リトルトーキョーは今ではきれいな観光地になっているが、もともと、この前紹介したラウシェンブッシュ先生が活躍したニューヨークのヘルズ・キッチン同様、1930年代まではアジア系(特に日系)の移民が最初に流れ込んで、定着する場所(農場)を探すような場末の場所でもあった。

                       その貧しさや、皮膚の色や民族性ゆえに被差別の対象となった人々が多い地区で、それら被差別の対象の人々を包摂していくSeymourらのペンテコステ派の動きは、これらの被差別対象であった人々に神とともに生きるという希望を与えたことだろう。

                      ラウシェンブッシュと
                      Seymourの同時代性

                       意識しているわけではないのだが、時期的にも、ラウシェンブッシュ先生と同じ時期である。東海岸のニューヨークでアイルランド移民が主役の座を降りはじめ、ドイツ系、東欧系移民が大挙して流入する中で形成される貧しい人々の中で形成されたコミュニティでの社会的な厚生や公義(Puclic Justice)、社会的正義の問題から教会に人々を包摂していこうとしたのがラウシェンブッシュ、西海岸のロスアンゼルスで、アフリカ系アメリカ人、中国人移民、日本人移民などからなり、差別されていた人々をその熱心な説教で包摂していこうとしたのが、Seymour先生ということになるのだろう。
                       東海岸が社会的福音を主唱するキリスト教につながり、西海岸で生まれた運動が、ペンテコステ運動を中心としたキリスト教につながったのは、なんかちょっと発展の方向性が違うのも面白い。

                      ロサンゼルスのダウンタウンの風景

                       ロサンゼルスには、通過者としてしか言ったことがないのであるが、ロサンゼルスのダウンタウンでどうしてもガソリンを入れないとまずい状態になり、I101を降りてユニオンステーション駅近くのガススタンドで給油したのだが、周りは首から金色の鎖をちゃらちゃらと下げて、野球帽を逆向きにかぶり、派手なTシャツを着てラジカセを担いでいる小錦体型のヒップホップ系の風体をしたのお兄ちゃんばかりで、一瞬どうしようかと思ったけれども、ガス欠直前だったので、勇気を出してガススタンドで、ポンプの前に止まった。車から降りようと思ったら、セルフのガススタンドだったはずなのに、アフリカ系アメリカ人の痩せこけたおにいちゃんがやってきて、石油入れてやろうか、と言い出した。セルフだから自分でするからいい、と言って丁寧にお断りして、5ガロンだけ入れて、サウザンドオークスまで、西へ西へと逃げるように走って、サウザンドオークスのモール近くのガススタンドで給油た経験が1回だけあるが、あの時はさすがにビビった。ほとんどビビることはないのだけれども。まぁ、あの時は家族連れだったし、周りはラリっているように見えるお兄ちゃんやら、小錦体型のヒップホップお兄ちゃんだらけだったから。家族のセキュリティ、最優先ですよ。そりゃ。
                       ロサンゼルスのユニオンステーションの裏って、今でもそんな感じなのですね。

                      ロサンゼルスダウンタウンゆえ
                      生まれてきたペンテコステ運動かも

                       49ersの土地だからこそ、性差を超え、人種を超え、そして、吹き溜まりに寄せ集められたかのように集まってくる孤独な人々を包摂し、そして、言語的な境界を超えるものとしての異言が求められたような気もする。まぁ、「ユダヤ人もいれば、改宗者もいる、またクレテ人とアラビア人なのに、あの人たちが私たちの色々なっ国ことばで神の大きな御業を語るのを聞こうとは・・・」(使徒2章11節)という状況であったと思う。アフリカ系アメリカ人もいれば、ヒスパニックもいる、東アジア系移民もいれば、インド系移民もいる、というのが当時のロサンゼルスだったろうし、現在では、それにパキスタン系、アフガン系、カラフルな衣装を身にまとうアフリカ系移民も交じっているだろう。


                       多民族国家アメリカの多文化的ロサンゼルスという風土でペンテコステ運動が生まれたのは何となく理解できる。しかし、もっとモノカルチャーとしての地域でのペンテコステ運動の意味ということは、もっと素朴な世界観(特に特有の文化に含まれる霊的な世界理解)と深くかかわっているようにも思う。このあたり、もっと世界的な枠組みで、中南米、アジア圏(フィリピン、沖縄、台湾、インドネシアなど)、アフリカ文化とペンテコステ運動といった枠組みで、だれか分析してくれないかな。ミーちゃんはーちゃんがしろって?お金があればやってみたい研究テーマの一つ。


                      これまでの経緯

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(1
                       主要登場人物の紹介

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(2)
                       ジョナサン・エドワーズの前史 アメリカ社会の成立とリバイバル

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(3)
                       ジョナサン・エドワーズ アメリカ社会にロックインされたリバイバル思想

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(4)
                       リバイバル思想と二人のチャールズ チャールズ・フィニーとチャールズ・ホッジ

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(5)

                       プレミレニアリズムとディスペンセイション主義 アイルランド人のジョン・ネルソン・ダービー

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(6)
                       東部エスタブリッシュメント、聖書無謬論、啓蒙時代と2項対立、A.A.ホッジとB.B.ウォーフィールド

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(7)
                       南北戦争後の社会、ディスペンセイション主義と福音主義の融合、伝道熱心な福音派の精神的原点としての大伝道家D.L.ムーディ

                      福音派が生まれたころの世界むかし話(8)
                       聖書原理主義運動に大きな影響を与えたR.A.Torreyとその後の原理主義的なキリスト者というイメージの展開について
                        


                      評価:
                      価格: ¥5,040
                      ショップ: 楽天ブックス
                      コメント:アメリカの福音派の発展史に関して唯一といっていい日本語の書籍。

                      評価:
                      池上 良正
                      ---
                      コメント:沖縄で起きたカルトチックなキリスト教会に関してのエスノグラフィ。 沖縄の持つ霊性とキリスト教の融合の結果の一つかも。紹介されている事例は個人的には大変残念だ、と思います。

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