2014.10.27 Monday

深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 

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     ずい分前に買っておいた本なのであるが、積読になっていた本を読んだ。深井智朗著 「神学の起源 社会における機能」 新教出版 2013年6月 である。

    この本が生まれた背景と
    ミーちゃんはーちゃんにとっての長所
     
     同書のあとがきを読むと著者が、名古屋の自主的な勉強会でお話しされた内容を原稿にまとめて出版されたものらしい。フスト・ゴンザレスのキリスト教史なんかも読んだが、どっちかっていうとキリスト教内の歴史にかなり強調があり、ヨーロッパ社会の成り立ちにどのように影響したのか、そもそも、教会と世俗社会との緊張とか、なぜ、啓蒙主義と教会、あるいは神学が緊張関係にあるのか、ということは、何となくこうだろうなぁ、と思ってたことが一挙に文章化されて、あ、やっぱりそうだったんだ、ということを示してくれる本であった。

     一部若干、面白いと思った部分などを紹介しながら、書いていきたい。

    神学の発生
     まず、神学の出発点としてどのように発生してきたかに関して、深井さんは次のように指摘している。

     

     重要なことは、キリスト教がこの時代の社会的、政治的、そして、文化的な枠組みの中で自らを展開し、そのために自らの存在についての説明責任を果たすようになったということであろう。神学はそのために必要とされたのである。そしてそれは同時にこの時代の時代精神を形成するものとされたのである。(同書 pp.58-59)

     


     つまり、神学というもの、聖書からの理解は、ある面時代依存であり、その時代に生きた人々の現実的な課題に対して、聖書から説明しようとするものであるのではないか、とご指摘のようである。時代に説明するばかりではなく、時代とその社会、政治、文化そのものを変えていき、さらなる神学的思惟というか聖書理解を生み出していくものではないか、とご指摘のようである。

    ヨーロッパのキリスト教化の二つの鍵
     ヨーロッパ社会のキリスト教化に関して、深井氏の興味深いを指摘を拾ってみると、次のようなものがある。

     

     

     

     キリストこうはどのようにして西ヨーロッパをキリスト教化したのだろうか。これも簡単に説明は出来ないが、重要な点が二つあるのではないか、と思う。一つは、時間の支配ということである。(中略)
     もう一つ教会がヨーロッパをキリスト教化し支配するために行ったのは、死の支配ということであった。あるいは天国の支配といってもよいかと思う。目に見えることに関しては、教会はヨーロッパではもともと郊外にあった墓地を市中に、あるいは教会の庭に移動させた。それは、教会の管理のもとにある人間の生と死の象徴であった。(同書 pp.75-77)


     ということで、教会歴による支配と、死者の管理者(生死記録を管理する存在)としての教会という組織が明確に人々に浸透していく中で、神とのかかわりで生きることを示す教会歴が人々に浸透していく中で、日常生活の中にも、教会、いや、聖書理解が入り込み、しみ込ませていくための手段として用いられたようである。そして、キリスト教と社会が一体化した幸せな時代があったようである。いまの日本では考えがたいことであるが。

     

     

     

     

    この二つのものの支配はいわゆる西ヨーロッパをキリスト教化するための推進力になった。そのことは第6講で扱うが、それから何百年もたってフランス革命が始まったときに革命政府が行った政策がヨーロッパをキリスト教化するために教会が行ったことへの裏返しであったことを考えるなら、教会によるこの二つのものの支配の社会的意味を理解することができるであろう。(同書 p.80)


     という表現にも見られるように、実は、この生死の管理と時間(暦法と教会歴)の管理というのは実は、農業社会であった当時の西ヨーロッパでは非常に重要であった。この習慣はいまなおアメリカでも行われ、イースター前になるとイースターエッグ用品がスーパーやクラフトショップには並び、ハロウィーン前には、ジャコランタン(Jack O’Lantern)用のカボチャが並び、クリスマス前には、サンクスギビングの終了直後に毎年死者数名を出しながらも特売セールをやり始める。そして、ヴァレンタインデー前には、カードコーナーにカードが並ぶ(アメリカではチョコレートではなく紙のカードが一般的)。その意味で、アメリカではスーパーマーケットで販売される商品とテレビ番組は教会歴に従って割と番組を流している。今日は●●聖人の日(ヴァレンタインはちょっと前までは聖人であった)、というのは見たことがなかったけれど。

    科学の出発点としての神学
     マクグラスの自然神学シリーズや、神の科学などでも指摘されていることであるが、以下の指摘は面白かった。

     

     

     

     この時代の神学を第2のサンプルとしてみておきたいことは、神学がいまのことばで言えば「自然科学」でもあったということである。既に神学が超越の世界の問題ではなく、この世の現実の営みと深くかかわっている学問だと述べたが、そのことは、この時代の神学が熱心に取り組んだ「自然」についての研究のことを考えてみるとよくわかる。近代人の視点から見ると神学と自然科学、あるいは宗教と科学は全く異なった領域だと考えるかもしれない。前者は非合理的な世界を取り扱い、後者は合理的に世界を説明する、と。
     しかし、自然科学は、おそらくキリスト教的な世界、より広く見て聖書的な世界、そして、キリスト教が生み出したある特定の学問的精神を持った人たちの前でしか生まれなかった。例えば日本人という民族は自然を愛し、自然をともに生きることを重要視する民族だと言われるが、自然を哲学したり、研究したりということはあまりしなかった。なぜ、キリスト教が自然について神学の対象として研究したかといえば、それは自然が神なのではなく、神の被造物と考えたからである。(同書 pp.93-94)


    自然と日本人のかかわり方
     このご指摘には少し問題があるかもしれない。確かに日本人は、自然を神であるとか、科学的な対象として、あるいは学問分野としては研究しなかったが、自然を研究はしているのである。鎌倉時代から、河川改修や河川の洪水防止策、あるいは水田の水流傾斜角度の取り方、などの修正が行われる際や、城壁を建築する土木工学的な意味での研究は文章にはされてないけれども、実質的な研究は結構されている。平安朝には、虫を愛づる姫という虫に取りつかれたかのような姫はでてくる。まぁ、虫をめづる姫は、研究したわけではないだろうけど。(堤中納言物語)

     

     

     

     

     蝶めづる姫君の住みたまふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふことかぎ限りなし。          
     この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。
    中にも「烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。

    土木工学的工夫としての自然研究
     ここでは、自分の専門分野とちょっぴり化する土木工学の例をとって話したい。まぁ、基本、日本の前近代的な土木工学って、基本、現実対処問題をどう考えるか、その体系化、って部分で生まれてきたので、それを研究というかどうかは別問題だけど。ただ、自然災害箇所に、神社が置かれているのは、結構有名な話。

     典型的には、京都の下賀茂神社辺りは、もともと、洪水調整地だったと思われる。また、あそこは地下水位が異常に高いので、じめじめしてて、水田など以外に使い道が過去にはなかったし、水田を造ったところで、洪水被害に遭いやすいから、というのもあるとは思うが。大体地面から泉が湧いているということからして、地下水位が高いことを示すのだが。まぁ、貴重な水源でもあるので、汚染防止、共有地化しておいて、水源の独占防止というのもあるだろうけど。


    京都市発行による水災害ハザードマップの一部の拡大図


     次回へと続く

     

     

     

     

     

     

     

     

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    コメント:非常に分かりやすくヨーロッパ社会と教会、神学との関係がうまい表現で書かれている。ご一読をお勧めしたい。文章も読みやすい。

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    コメント:科学と神学の背景を知るには非常にいい本。

    2014.10.29 Wednesday

    深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2

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       前回に引き続き、きょうも、深井智朗著 神学の起源 社会における機能 のご紹介をいたし度。実は、近代日本の成立、特に、啓蒙時代を経たヨーロッパ世俗社会システムの影響を受けた大日本帝国の成立と神学の深いかかわりをご紹介したいかなぁ、と。 

      ドイツナショナリズムと宗教改革

       ドイツナショナリズムと神学、特に宗教改革とのかかわりについて以下のようにお書きになっておられる。
       実は、16世紀の宗教改革こそが中世の終わりで近代の始まりであるという主張、あるいはカトリック的な中世に対するルターの宗教改革によって生まれたプロテスタント的な「キリスト者の自由」という主張が近代のはじまりだという見方は、極めて政治的な命題で、19世紀になってようやく国家統一を果たしたドイツの「政治神学」として採用された比較的新しい見方であるといってよい。つまりこの命題自体がドイツのナショナリズムの産物である。(p.107)


       ってお書きである。え、じゃ、高校以来思ってきたことや当たり前田のクラッカーと思ってきたことは、ドイツのナショナリズムから生まれたことだったのか。うーん。

      てなもんや三度笠 「あたり前田のクラッカー」の前田製菓提供


      16世紀ドイツには信教の自由は
      存在しなかったかも?

       じゃ、実情としてはどうだったのか、について、縷々ご説明があるのであるが、それをぶっ飛ばして要点だけを取り出す(よい子はこれをしてはいけません。ちゃんと著者のご主張に丁寧に耳を傾けましょう)と、こんな感じになるだろう。

       それにもかかわらず、ドイツの人々は、宗教と社会の関係からいえば、この1555年の決定によってはじめて宗教の自由を手にしたのだと主張するのである。選択の自由を与えられたということである。カトリックかプロテスタントか選べるのだから。しかし既に述べたとおり、この時代の人々は選択できていないし、選択もしていない。さらに言うならば、この時代も結局、宗教を選択しているのは、支配者としての領主だけである。「領主の宗教がその地の宗教になる」というのはそういうことである。これでは中世の社会と宗教の関係を、地域ごとに細分化しただけである。(中略)
       ここで人々が手に入れたのは思想における「自由」であったとしても、具体的な人間や社会を動かす力としての「自由」ではなかったのである。(同書pp.125-6)
      とお書きである。

       つまり、「信教の自由というのは、案外古く、中世の終焉とともに終わった」という学校で教わったことは十分疑問を挟んだ方がいいのではないか、それは16世紀ではなく19世紀的な現象ではないのか、ということをご指摘なのである。確かに概念レベルの信仰と個人を考える枠組み自体はルター先生にまでさかのぼれるけど、社会全体でみた時の信仰と個人の問題となっていく、つまり地域共同体と個人と教会との関係が分離し、個人にとっての地域共同体=教会となったのは、西ヨーロッパでは割と最近のことらしい。我々は西洋哲学を個人主義的なものと簡単にいいがちだし、キリスト教を個人的なものととらえがちなのだが、それは、存外西ヨーロッパでは、最近の出来事らしい。

      明治の日本政府がモデルとした
      プロイセンという国

       近代日本史も、近代西洋史も高校でみっちりやったわけでなく、地理と政治経済で共通一次を受けたミーちゃんはーちゃんは、娘の入試問題にナンチャラ条約がいっぱい出てきたときに、かなり頭を抱えたが、その昔、岩倉使節団の米欧回覧実記は、高校生のころ暇にあかして読んだのでなんとなくわかるが、当時の新興国家であるプロイセンの法制度、特に行政法関連法などはプロイセン法をかなり模倣している。なお、この米欧回覧実記を書いた久米さんというのは、日ユ同祖論の関係者である。中央集権国家を目指そうとした明治国家では、フランスが当時代表的な中央集権国家であったこともあり、民法なんかはフランスの法制度が導入されたりしたとかいう話を、大学時代の民法概論かなんかの授業で聴いた記憶もある。大分怪しいけど。違ってたらスマソ。陸軍は、当初幕府陸軍がフランスから兵操典を導入していたこともあるらしいのだが、明治期当初はフランス風であったが、後年、ドイツ風に変わっていく。なお、日本の大学モデルは国立大学(特に理系や医学系)は当時破竹の勢いであったドイツ式になる。

       これ以降神学は、ドイツ語圏では、主権者の政治と深く結び付くことになる。中世の神学がインターナショナルなものと結び付いていたとすれば、宗教改革以降の神学はナショナルなものと結びつくようになった。(pp.127-8)

      とあり、このナショナリスティックな概念が、明治期の天皇制やら神社政策をはじめとする宗教政策に影響し、現在もなお、日本に影響しているように思われる。実は、現在の右翼的な人々のナショナリスティックな傾向というのが、プロイセンの神学由来だとすれば、なんともはやである。日ユ同祖論のところで、水谷さんが靖国神社で演舞をご披露されたキリスト者集団のことをご紹介しておられたが、実は、その背景にドイツ神学があろうとは、誰しも思わないかもしれない。

      日本のナショナリズムの遠景としての
      ルターの宗教改革?
       明治期の国家建設の理念とドイツ、あるいはプロイセンとのかかわりについて、同書では次のように記されている。

       ちなみにこの時代のドイツ、正確にはプロイセンを視察し、この華々しい政治神学の力を見て帰国したのが岩倉使節団であった。彼らにとってはプロイセンの試みや、その後のドイツといういつ、そして「神に選ばれた」皇帝ヴィルヘルムとそれを支えるドイツ・ルター派のナショナリズムと結びついた政治神学は、天皇を中心とする国家のグランドデザインを描くためには大いに参考になるモデルであり、国家元首たる王を処刑台に送ったことのあるイギリスやフランスよりも頼りになるものだったはずである。その意味ではナショナリズムと結び付く神学というこのドイツ的モデルは、近代日本の国家設計を読み解くための一つのヒントであるかもしれない。(pp.131-2)
       こう見ていると、近代日本のナショナリズムは、実は、明治のころからドイツ由来で、大学教育が世俗系の学問(自然科学や医学)がドイツ系であったり、法学(特に国家運営関係の法律である行政法)の一部がドイツ法学を範に取っていたろうし、哲学もドイツ系哲学が結構幅を利かせているとすれば、プロイセンという国で、ドイツ系哲学に必死になって神学的立場から物を申して作り上げられていったドイツ神学の結果生まれたナショナリズムが日本の国粋主義に影響を与え、そしてその挙句の果てに第1次世界大戦から第2次世界大戦に移行する直前に庶民レベルにまで影響を及ぼし、(特に米英系の)キリスト教会排撃運動を起こしていったことを思うと、考え込んでしまった。しかし、日本の戦前のキリスト教会がドイツ系宣教師によるドイツ型教会がメジャーだったら、その後の日本のキリスト教会はどうなっていたろうか、という歴史家にはゆるされざる妄想をしたくなる。

       なお、このドイツ神学が生み出していったナショナリズムが、その後ナチスドイツにもつながっていくが、それは、別の話題ということで。



      礼装姿のウィルヘルム2世    と 礼装姿の明治天皇


      イスラエルの大学の日本語学科での「恋するフォーチュンクッキー」 
      明治天皇の御真影の前で踊っておられるイスラエル人学生・・・



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      コメント:近代社会の成立に影響した神学と社会とのかかわりがわかりやすくてよい。

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      コメント:当時を知る一次資料として極めて重要と思う。実は、この本の著者の久米さんは日ユ同祖論の関係者でもある。

      2014.11.01 Saturday

      深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

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        これまでの記事をまとめると、こんな感じであろう。

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
          神学と科学の原型としての自然神学

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
          ドイツ神学とナショナリズム

         今回は、場面を英国に移し、キャラ弁教会の出発点となった国教会とピューリタンの出発点、その違いはどのようなもので、そこから生まれた千年王国説、そして(カトリック及び国教会に対する)教会批判として出てきた聖書中心主義や聖書を中心とした新興について述べていきたい。

        国教会とピューリタン

         今日はイギリスの宗教史、特に国教会とピューリタンに関する部分から紹介する。実はピューリタンを定義するのは難しいので、まず、議論の抽象化のために、以下で紹介するものもそうであるが、深井智朗著 神学の起源 社会における機能におけるピューリタンをいかのように定義しておられる。ご自身のピューリタン理解と違うという向きもおられるとは思うが、それは、本記事が、深井先生の本によっているという前提を置くのでご容赦願いたい。

         ピューリタンと呼ばれるキリスト教のグループはこの17世紀のイングランドを考える場合に重要である。ピューリタンの定義は難しく、ここでは以下の議論の展開のためにごく類型化して、アングリカンという、バチカンから独立したいわばイギリスにだけにあるカトリック教会に対する宗教改革と考えていただきたい。その点では、大陸に起こったルターたちの宗教改革やその次の世代のジャン・カルヴァンたちの改革なども知っていた人々である。(pp.157-58)
        どの時代をとるか、ということにも依存するのだが、ピューリタンはイギリス国教会の分離派の一種でもあり、従来の教会運営(国家と一体化した国教会の運営)に辟易していた人々だとは言えるだろう。その意味で、当時の社会のあり方や、教会のあり方、政治と宗教の一体化した状態、宗教が不用意に政治に不必要で不当な介入をするようなことに耐えきれない、批判精神旺盛だった人たちではないかと思うのだ。何、ミーちゃんはーちゃんは、キリスト教会は世俗のことをがん無視していいとは思ってない。むしろ積極的に関与すべきだし、どんどん発言したらいい、くらいには思っている。だって、与えられた選挙権や社会をよりよくするために与えられた言論の自由(人を不愉快にするために言論の自由を振りかざすのはどうかと思っている)をガン無視するのはもったいないと思っている。

        国教会という制度

         日本には、幸いにして国教会という制度がないから、その事情が分かりにくいのであるけれども、ちょうど、テレビの難視聴地域で、NHKしか映らず、いわゆる民間放送が全くない状態というのか、お近くの国みたいに○○中央テレビ1局しかない状態とお考えいただけるとよいかと思う。あるいは、町中のレストランが、みんなマクドナルドとか。チャンネルやレストラン(教会)はいっぱいあっても、結局どのチャンネルを見ても同じ、どの店に行っても、出されるメニューは同じという状態である。それについて、次のような意味があったことを深井先生はご指摘である。

         しかしここで注目したいのは、(中略)このようにして生まれたイングランドの国教会制度の意味である。国教会制度というものには様々なヴァリエーションがあり、すべての時代すべての地域に同じ制度が存在していたわけではない。しかし国が一つの宗派だけを保護するという点は共通する。この時代のイングランドの場合には国王が教会の首長者であることが明確で、議会もエリザベス女王を「信仰の擁護者」とする決議を行うのであるから、宗教は国営化する。その点が重要である。
         それは宗教という名の市場の国による独占状態といってよいと思う。(pp.139-140)


         なお、イングランド(というよりは、連合王国)における国教会の主教は、議会に議席をもつ議員でもあり、その意味で、国家に信仰的な概念から物申すことができる態勢は整っているところは、過去の遺産であると同時に、キリスト者的な概念からバイプレーヤーとして、という限定つきであるものの国家運営に影響を多少なりともの影響を与えられる。

         知り合いの聖公会司祭の方にお伺いしたら、英国国教会の大主教は、どうも国家における序列は、下手をすると王室に次ぐ序列(名誉職としての序列としては、世俗の権力者である英国首相よりは偉い)らしい。

        キャラ弁的教会の起こり
        としてのピューリタン

         ところで、今、日本では、前々回の連載記事(キャラ弁的教会は、いつ、どこで始まったか )でふれたとおり、キャラ弁と言っていいほど、多様化したキリスト教会の集合体に触れることができる。地方部では、まだ教会が少ないところもあるので、選択の余地の少ないところも無論多い。その意味で、空間的独占は現実の地域、とりわけ、地方部の地域という空間においては起きている(本来、このへんがミーちゃんはーちゃんの専門領域)。しかし、空間的な条件を無視してしまえば、実に多様なキリスト教会のありようが存在していて、これしかだめ、平氏にあらずんば人にあらず、国教会にあらずんば人にあらず、みたいな状況には現在ない。しかし、昔は、どこに行っても国教会しかない、国教会にあらずん場人にあらず、みたいな歴史状況のところに坂東武者のように、「オラオラオラ、平家だけが武士だと思うなぁ」といったかどうかは定かではないが、「ょっと言わしてもらっていいですか?」みたいなことを言ったのが、ピューリタンの皆さんだったのですね。

         一言でいうと、国教会の人々がピューリタンの皆さんに対していろいろ嫌がらせのようなことがあり、ピューリタンの皆様には不利益が生じていたようである。例えば、官職につけない、とか。そういう状況に対して、

         ピューリタンの教会は、アングリカンという国教会によっていわば宗教の市場が独占されていた状態に、民間企業としてこの独占市場に挑戦したようなものである。(p.144)


         17世紀のイングランドに登場したこのピューリタンと呼ばれる人たちがしたことは、いわば宗教という市場の民営化、自由化、市場化の始まりであった。それは自由な競争のことであるが、キリスト教の言葉でいえばそれを『伝道』という。(p.145-6)
        とお書きである。ある面、(教派ごとにどの程度引き継いでいるかは別として)ピューリタンの遺伝子を引き継ぐ日本の福音派、アメリカの福音派、また、アメリカのリベラル派を含む相当数のキリスト教会は、この歴史的経緯からいって、「伝道してナンボ」、「改心させてナンボ」という性質をもつようになったのである。前回の議論を思い起こしてもらえるとありがたいが、中世という時代、いや、19世紀になるまでは、個人が信仰(その結果としての宗教)を選択するのではなく、あてがい扶持みたいに、そこで生まれたからカトリックとか、ここで生まれたからルター派、イングランドで生まれたから英国国教会みたいに、選択の余地のない社会が西洋では延々と続いたのである。近世とはそういう時代でもあったようなのだ。その意味で、近世にあって、近代にいたる概念というかそのためのエンジンというか、そのための神学に取り組んだのが、イングランドにおいては、ルターの宗教改革ではなく、啓蒙主義とともにこのイギリス生まれのピューリタンと言えるかもしれない。啓蒙主義については、次回フランスのところで、触れる。

        国教会分離派・革命分子としての
        ピューリタン
         このように、国教会、前近代国家、近世国家と、教会を分離する方向での思想性をもち、ドイツでは、国家と結びつき、ナショナリズムと急接近したキリスト教が、イングランドでは社会を改革していく方向に、ピューリタンとして、既存社会を批判していくことになる。ミーちゃんはーちゃんは、改革派的伝統を緩く間接的に引き受ける教派というよりは、国教会制度にあえて対立的に向かっていったアイルランドの宗教思想を背景とするグループにいるので、深井先生が以下でご指摘の革命の理論と結びついたというのは、肌感覚としてなじみがある。そして、ミーちゃんはーちゃんが生息させてもらっているキリスト者グループでは、革命の理論を通り越して、世の中を一段低いものとしていく傾向につながっていると思う。
         このような社会の変化の中で「神学」の性格もまた新しい側面を得ることになる。ここでは神学は、西ヨーロッパ全体、キリスト教社会全体、あるいはイングランド全体を基礎づけたり、その社会の道徳的基盤や正統性の基盤であったりすることをやめて、むしろそのような社会の正当性を批判し、社会を変革するための理論になっている。大陸の神学はナショナリズムと結びついたが、ピューリタンの神学は革命の理論と結びつくことになる。(p.149)
         この記述を見て思い出したのだが、下記に示す、日本語名「戦場のアリア」という映画の中で、クリスマスの祈祷(正確には、たぶんミサ)を英国軍の英国国教会(多分)のチャプレンが敵見方関係なく上げるシーンがあるが、そこで使われている言語がラテン語であるのである(英語版でしか確認してない)。そのチャプレンが仕切るミサに、戦闘中のフランス、ドイツ、英国(スコットランド?)の士官連中が参加し、ラテン語での祈りをささげるのである。

         その意味で、ラテン語は第1次世界大戦当時、インテリの共通語であり、ラテン語であれば、どの国の兵士も宗教的傾向(宗派)を越えて参加可能な儀式を実施できる言語であり、さらに言えば、インターナショナルを志向した中世の神学言語は生きていたことが、この映画のそのシーンを見ればわかる。


        戦場のアリアの予告編


        千年王国理論とピューリタン

         国教会と近世的国家システムに異議を唱え、より革命的な動きをする背景になったのが、以下で紹介しておられる終末論とか、再臨論とか、千年王国理論らしいのである。

         千年王国と言うのは、キリスト教会の公式のドグマではなく、聖書の解釈として生み出された終末のイメージの様々なバリエーションの一つである。中世まではたいてい主流派の教会に批判的な人々、あるいは教会から見ると異端と呼ばれた人々の考えの中に多く存在していた。(p.148-9)

         ピューリタンの中でもラディカルなグループになればなるほど、この千年王国的な終末思想を政治的なヴィジョンと結びつける傾向が強くなった。いずれにしてもこれは神学が保守の理論として国家と結びつくのではなく、既存の政治システムを破壊するための革命や改革の論理と結びつく事例である。(p.150-51)

         しかし、あっさりと書かれてしまった。あーあ、「千年王国と言うのは、キリスト教会の公式のドグマではなく」だって。えぇえぇ、どーせ、公式のドグマじゃございませんぜ。教会内アングラ・グループが持っていたような物言いでござんす。

         「ピューリタンの中でもラディカルなグループになればなるほど、この千年王国的な終末思想を政治的なヴィジョンと結びつける傾向が強くなった」。はいはい。そうでござんすよ。うちは、ラディカルなのにもかかわらず、「ラディカルなのだ」ではなく、「正統的だ」って主張するから、信徒の皆さん混乱するんで。

         ミーちゃんはーちゃんは、うちのキリスト者集団については、ラディカルだ、って思ってますよ。宗教改革記念日はもちろん、イースターはおろか、一部にはクリスマスですら記念しないラディカルぶりですから。もう、フランス革命のジャコバン派も真っ青なラディカルぶりっこですから。w

         実は、フランスを触れた後、アメリカにうつるが、ピューリタンが建国に大きな役割を果たしたアメリカ合衆国では、このラディカルな人たちである。このラディカルな人たちが吹き寄せられるように新大陸に集まって作った国家であるアメリカは、ラディカルであることが国家の理念となるので、このラディカルな志向が「保守派であること」に実はつながっているからややこしく、「大英帝国ではラディカル」であったものが、「アメリカでは保守あるいはコンサーヴァティブ」となるという事実から、同じ英語圏でありながらも、性質の異なる、かなりややこしい関係性を持つ二つの国家群が生じるのである。アメリカの福音派に福音派右派と呼ばれる人が多い(もちろん、少数ながら、福音派左派もいる)のは、実はこのラディカルさが保守イメージとつながるからであり、あの高校生による銃乱射事件で有名になったコロンバイン高校の校門に、Home of Revels(反逆者たちの巣窟)等と大書する習慣があるのだなぁ。



        高校生による銃撃戦が起きたコロンバイン高校の表札

        聖書主義と教会批判

         そして、その後のピューリタンの精神世界について、次のようにお書きである。

         ピューリタン革命のような、教会による教会制度の批判や既存の宗教システムの破壊という動きが起こると、これまでの教会という制度は腐敗堕落したものだということが言われるようになり、そのことと千年王国説とが結びついたのである。従って千年王国説の主張者たちは、既存の教会の教えであるドグマや信条、神学には疑問を感じるようになり、それらは後世の教会が作り出した都合のよいシステムであり、本当の教えを知るためには教会という制度を飛び越して、直接イエスの教えに帰らなければならないと主張するようになった。(中略)この時代の神学の特徴は、教会の教えを飛び越えて、イエスの教えに直接立ち返ろうとして、聖書そのものに言及する聖書主義という立場の神学が誕生したことであろう。聖書は主として神の国の到来を間近かに感じている原始キリスト教会の人々の言葉であるから、聖書主義の神学は現世との妥協やこの世の生き方を含まない、逆に現世への批判を率直に語る神学になったのである。こうして神学の性格は中世から大きく変化した。(p.152)
         この「これまでの教会という制度は腐敗堕落したものだ」ということは、我がキリスト者集団ではあまりにいわれすぎてきたので、我がキリスト者集団では、幅広いキリスト教を信仰する皆さんと交流することはおろか、超教派運動などにかかわろうとするなら、いろいろと蔭口・悪口の類を言われることを覚悟せねばならないほどであった(いまでも一部にそういう傾向はある)。また、千年王国の特殊な理解と自分たちの聖書理解が抜き差しならないほど結びついているので、「本当の教えを知るためには教会という制度を飛び越して、直接イエスの教えに帰らなければならない」という主張をさらに極端にしており、聖書以外の過去の神学的思惟や過去の聖書理解の宝を、ゴミ箱に突っ込んでしまっている部分もある。我がキリスト者集団では、つい最近までは神学や教会的伝統にまともに取り組む人は少なかったし、聖書主義に立ち、聖書をのものを対象にした聖書神学であっても、「神学」と名がつけられた瞬間に、聖書に立脚する神学にまともに取り組んだ人にすら、蔭口やら、悪口を投げようとした節がある。そして、大概の場合、そういう学としても信仰に立って聖書やキリスト教そのものに取り組もうとした人々は、我々のキリスト者集団での居心地が悪くなって、別のキリスト者集団で、大きな花を咲かせた方もおられる。その方の書籍を最下部のリンクにあげておく。

         どうもうちだけの傾向ではないようなのだが、「聖書主義の神学は現世との妥協やこの世の生き方を含まない、逆に現世への批判を率直に語る神学になった」結果、この世を軽く見るだけならまだしも、様々なことを「世」とラベルを張って見下し、つまらないことのようにしてしまう人々もおられるようだ。世間様や世と呼ぶものに、手はおろか指一本触れることをせず、そのくせ、世間様からのメリット(たとえば給料をもらうためだけに仕事はする)だけは享受しつつも、精神的には、この世から分離して生きる傾向が福音派の一部にかなりみられるのは、実に残念な傾向だと思うのだが違うかなぁ。しかし、そうではないかも、ちゃんと世の中に生きることが大切だ、ってことを聖書を中心とした信仰を重視する福音派的視点から示したのが、下記リンクで紹介する「わが故郷、天にあらず」という福音派を代表するキリスト教出版社であるいのちのことば社から出ていた。いまは絶版だけど。

         こんなことを書くから、リベラルだ、って言われるのかもしれないけど。
         

         次回から、現代の社会と神学、あるいは神学を大きく変えたフランス革命と神学の関係を述べていく。




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        コメント:ヨーロッパ社会や日本社会の基盤となったキリスト教神学と社会の関係史の超入門書

        評価:
        ポール マーシャル
        いのちのことば社
        ---
        (2004-12)
        コメント:この地に生かされたキリスト者として、神の豊かさをこの地で味わいつつ、創造的に生きることの大切さを示した本。絶賛。

        2014.11.03 Monday

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4 フランス編前篇

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           今回はフランスの社会と神学とのかかわりとのご紹介いたしたい。今日は祭日なので、かなり長め。なお、これまでの記事は以下の通り。


          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
            神学と科学の原型としての自然神学

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
            ドイツ神学とナショナリズム

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

            英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解


          ビクトル・ユーゴーの祈りと現代日本

           「教会的ではないが、宗教的なキリスト教の登場」の節で、ビクトル・ユーゴーの名前と彼の宗教間というか世界観、あるいは人生哲学が出てくる。少し長くなるが紹介したい。

           この政治的作家の考え(ユーゴー)は彼の遺書によく表れい出ている。それは彼自身の考え方であると同時に、この時代の人々の宗教についての考え方を代弁している。こういう言葉がある。「私は五万フランを貧しき者たちに送ると遺言する。私は貧しき人たちの霊柩車によって墓所に運ばれることを望む。私は如何なる教会の祈祷をも拒絶するが、すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」。ここに出てくるのは、フランス革命以降の典型的な啓蒙主義者の姿であるが、彼は葬儀や伝統的な埋葬、また人間が祈ることを否定してはいない。しかしこう書くのだ。「私は如何なる教会の祈祷をも拒絶するが、すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」。彼は何を考えていたのであろうか。それは要するに、宗教は否定しないが、教会という制度は否定するという考えである。これがフランス革命以降、キリスト教の中で起こったことなのだ。それは教会とい言う制度を否定するキリスト教の登場である。18世紀の啓蒙主義は宗教を否定したりしていない。ドイツの啓蒙思想もそうだが、そこには豊かな宗教性がある。批判されたのは宗教ではなく、制度としての教会、あるいは大学神学部という権威であった。(pp.155-156)
           ここで、「すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」というユーゴーの言葉が引用されているが、これ、近代人にとって案外大事な概念ではないかと思うのだ。実は、日本の墓石の前における通常の日本人の祈り(学問僧の祈りではなく)、靖国神社への参拝や千鳥ヶ淵戦没者墓苑での祈り、あるいは、8月15日の全国戦没者追悼式での祈り、あるいは、様々な事件後における祈念式典、あるいは学校で事件や災害を記念してささげられる祈りや黙とうは、要するに、啓蒙主義的なものであり、どちらかというとキリスト教や伝統的な仏教や神道などの諸宗教から宗教観をごっそり抜いた祈りなのだろうと思う。

           その意味で、日本の社会、とりあえず公立学校や政府などの公的な組織ではポストモダンな宗教的多元性の容認ではなく、啓蒙主義的な近代的宗教観に支配されていると言えるような気がする。

          批判し合った教会(大学)と学生

           あと、ここで面白かったのは、「批判されたのは・・・・、制度としての教会、あるいは大学神学部という権威」という指摘である。実は、啓蒙主義の主要登場人物は、劇とか、共産党の皆様が非常に美化して語られる無学なプロレタリアートではなく、当時の大学というところに巣くっていた高等遊民(今でいうと、ニートやヒッキー)であった大学生でもあったようにも思う。その意味でフランス革命は、一種の学生運動でもあり、日本の大学紛争は、フランス革命の劣化コピーと言ったら失礼だが、今から見れば、どうもその劣化コピーでしか(あるいは、ですら)なかったような気がする。こう考えると、啓蒙主義思想が流行した後に英国国教会などから分離し、独立に活動を始めたわがキリスト者集団が、権威の否定に走りがちな批判意識をもちやすい集団であることや、さらには、大学と大学神学部、そして、神学そのものを非常に否定的に扱う理由もわからなくもない(まぁ、いわゆる文献学的成果が聖書を切り刻もうとするかのような神学的思惟に耐えきれない人々であったということなどもあるのだが)。

           以下に最近制作されたLes Miserableの予告編を紹介する。


          Les Miserableの公式予告編


          ユーゴーの墓所

          個人の精神世界に矮小化された信仰

           大江健三郎の発言「神秘主義的なものにひかれる」との関連で次のような記載があった。

           「神秘主義的なものにひかれる」というのは、宗教的なものには関心があるが、制度としての宗教団体には興味がないということであろう。いわばそれは「教会嫌いのキリスト教」なのである。そして信仰の場所や担い手は教会ではなく、個人のこころの問題になるのである。日本でも最近そういう傾向をスピリチュアリティという言葉で説明しようとしている。(pp.157-58)
          とお書きであるが、この指摘は重要だと思った。じつは、この近代というか、啓蒙主義の宗教理解の結果、宗教は、「個人のこころの問題に」されてしまい、集団性というか、共同体制が失われてしまい、個人の問題、個人の精神世界の問題に矮小化して理解しようとする傾向があると思うのだ。しかし、そういる理解をしている限りにおいては、オウム真理教という社会集団が生まれた背景や、人々がカルト教団にひかれていく理由が分からなくなるように思うのだ。

          宗教共同体とカルトとの
          微妙な関係
           近代啓蒙主義は、個人の主権の確立をも果たしたが、それと同時に共同体、それがたとえ幻想であったとしてもそれを徹底的に破壊し、従来の教会共同体であれ、地域共同体であれ、宗教共同体であれ、それらに破壊的なダメージを与えてしまったのだ。その結果、個人は一人ですべてのことに立ち向かわなければならない、「考える一本の」あるいは、「考えることを強いられた一本の」になってしまったように思う。すべての人間が「考える葦」として生きられるわけでないので、非常に生き難い社会を生み出してしまったように思う。そこに、神秘性をもった科学を超越したものが存在する(あるいは将来を予言するものが実存する)、そして、それをもとに共同体を形成するという形での共同体形成がなされていくとき、「考えることを強いられた一本の」に疲れ、そのことに辟易している近代人は、ころっと引っかかり、そっちにあれよあれよと流されていくことになる。

           それが、アメリカで起きると人民寺院事件やブランチ・ダヴィディアン事件、日本で起きるとオカルトブームやオウム真理教、昭和以降に生まれていった新宗教や新新宗教ではないかと思うのだ。確証はないけど。そういえば、イエスの方舟事件として世を騒がせた千石イエスという人が始めた運動は、カルトではないとは思うものの、まさに、この「考えることを強いられた一本の」であり続けることに疲れ、大衆社会に疲れ、その波にのりそびれた人たちが、共同体を取り戻そうとした動きであった、とでも言えるのではないだろうか。

          オウム真理教と共同体性

           オウム真理教は、ある面でいうと、「考えることを強いられた一本の」であることに疲れた若者、大学生が、当時流行であったチベット思想やチベット仏教の正統な後継者であり、最終解脱者を自称する麻原彰晃こと松本智津男被告をグル(導師)として中心性をもたせ、若者としても身体性に基づく、直観性に基づく共同体を自ら再生しようとした運動であると理解できるかもしれない。それは、麻原彰晃こと松本智津男被告自身の存在は契機というか、真珠を構成するような核というか小石の役割を果たしたものの、若者がそこに乗り込み、勝手に共同体への関与をしていくうちに、麻原彰晃こと松本智津男被告の役割も変質し、さらに、彼の発言が共同体構成者の中で理解され、拡散され、独り歩きしていく中で、さらに変質して理解されていった非常にダイナミックな過程があったのではないか、と推測する(ミーちゃんはーちゃんに当事者性がないので推測の域を出ない)

          現代の日本社会における共同体
           日本における共同体は、15年戦争期の国家総動員法で構成された町内会は、緩い共同体性を残すものの、それも、新興住宅地やマンション、団地の登場により、共同体とは言えないほど弱体化しており、個人にとっての共同体は、学校共同体か、勤務先共同体、家族共同体しかないのであり、そこから「社畜」と呼ばれることを拒否し、スピンアウトしてしまった、ニートの皆さんやヒッキーの皆さんには所属すべき共同体すら自分で探して加盟したり、参加したり、あるいは自分たちで作らないと存在しないし、年金未納やら、国保未納をすると、地方自治体や国の制度は非常に手痛いしっぺ返しというよりは肘鉄(たとえば、障害者年金が支給されない、公営住宅に入居できない等など)を食らわしてくれるのである。以下は、その悲哀を味わう直前の共同体を失った人たちの哀歌を二つ紹介いたしたく。


          残酷なニートのテーゼ
          (動画)


          ニート自宅の警備隊(動画)

           しかし、青画面、最近は分かんないだろうなぁ。Windows98やNTなどではしょっちゅう経験したものであった。

          教会による支配としての暦法と
          フランス革命による否定

           今のカレンダーでも、イースターを書いてある日本の市販カレンダーはほとんどないが(英国でもお情け程度に書いていある程度らしい)、日本の市販カレンダーは、教会歴無視で構成されている。Good FridayやAsh Wednesdayはおろか、宗教改革記念日なども書いてない。ただ、日本では、アメリカの文化を引用して変形して、お祭り騒ぎだけ輸入するので、教会歴そのもので生きている人はいない割に、ハロウィーンとクリスマスだけが輸入され、妙に大人だけが騒いでいるらしい。東京の渋谷はカオスになるらしい。今年もすごかったらしいけど。


          2014年の渋谷でのハロウィーンのコスプレ祭りを伝えるニュース
          (動画)
             今年は逮捕者も出ているようで

           中世、そして、現在でも、ヨーロッパ社会に緩やかながら影響を与え、その生活パターンに影響を与えているのはキリスト教暦である。

          フランス革命と暦法

           しかし、フランス革命時には、とんでもない変更が行われたことを次のように紹介している。
           具体的に、中世の間、人間が権威に従って生きてゆくことを可能にしていたものは何であろうか。それは教会によって支配されていた時間であり、暦などによる生活習慣のキリスト教化であった。革命政府は1793年に革命歴を導入しているが、それは一面で合理的である10進法に基づいた暦の制定とも言えるが、教会の暦を禁止して、その習慣のもとに生きていた人々からキリスト教会的な生活習慣を除くという面も持っていたと言ってよいであろう。(p.160)

          と書かれていた。高校生だったか大学生だったか、以前一時期、ジョセフ・フーシェについての作品を読んだり、フランス革命期に関する文章をあさるようにして読んだが、その時、暦法が変わったということは印象に残っていたのだが、その背景は、今回深井先生の本を読んで、「アァ、なるほどそういう意味だったのか」ということを思った。


          革命歴 曜日は、第1曜日、第2曜日…第10曜日といったらしい。


          Happy Holidaysというものいい

           その意味で、日本のカレンダーの暦法は、フランス革命時ほどラディカルではないけれども、キリスト教色を抜いたものになっている。なお、米国でもその傾向はあるが、まだキリスト教の影響は強い。しかし、ディズニーがThanksGivingからCFを流す時Happy Holidaysというのは、アメリカにおけるユダヤ社会あるいは、多元化した宗教社会への対応というよりは、ユダヤ社会で行われるハヌカへのビジネス対応でもあるのである。


          Happy Holidaysと表現しているDisney ChannelのCF(動画)

          出生・婚姻・死亡の教会管理から
          行政管理への移行とフランス革命
           以前、教会の役割のところ、教会の名簿に関連する記事として触れたが、もともと市区町村役場みたいであったことをご紹介したが、実は、市民の出生・死亡を管理していたのを教会から取り上げたのは、フランス革命であったということを、この本を読んで意識を新たにした。英国国教会が、結婚許可証を出しているのは、知り合いの英国人が結婚した時、司教からの許可状をFacebookにあげていたので認知したのであるが、日本が個人の出生死亡を管理するようになったのはフランス革命由来であり、フランスからこの制度をもちこんだのはこの本を読んで過去の知識と初めてつながった。
           革命政府がキリスト教を教会の権威から解放するためにしたことがもう一つある。それは教会からの死の解放であった。死の支配も、中世の初めに教会がヨーロッパをキリスト教化をするためにしたことの一つである。死を教会が支配するのである。(p.161)
          近世日本社会と仏教寺院に委託された
          死亡情報の管理と戒名

           日本では、出生は記録はしなかったものの、仏教寺院が徳川政権期の江戸初期に過去帳ということで管理していくことで、社会管理の制度として脂肪は管理していたのであり、そのため、家庭というか家族制度がどこかの仏教寺院に檀家寺の檀家として登録されることで、日本では仏教という制度が個人を管理する制度になっていった。当時の識字率を考えると、曲りなりに文字が扱える人が末寺を含めて仏教寺院にしかなく、もともと用心棒であった武家集団が改易と呼ばれる幕府による左遷などもあるため、地域住民の個人管理をする気も伝統もないので、文字が使える便利な存在である仏教寺院の僧侶にさせておけ、ということだっただろうし、仏教寺院には、公的に認証され、寺の建築物の建て替えなどを含め、無理にでも支援を要請できる檀家集団ができるというメリットがあったものと思われる。その意味で戒名という名前をつける習慣は、檀家集団としての個人への認証事業と、死亡者管理という側面の裏返しだったような気がする。

          日本ではイオンさんがつい最近
          革命を起こしたかも

           わが国では、明治維新期に廃仏毀釈運動が起きたものの、個人の長期居住がよしとされてきたこと、地域との紐帯が強かったこともあり、さすがに300年近く続いた死亡認証管理システムには手がつかなかったらしく、つい最近になるまで、フランス革命時代以前の状態が日本の多くの人々と寺院との間にあったのだと思う。
           しかし、下の図に示すように、日本人の人口学に言う社会的移動のボリュームが戦後急速に増加し、地域と個人の紐帯が断絶していく中で、旧来の檀家システムが崩壊し、それに伴い現在では、石造墓の管理システムが崩壊し、イオンが戒名までくれるお寺を紹介してくれる時代になって初めて、ようやくフランス革命期の宗教的環境が日本で生まれたのだと言えよう。なんと、200年遅れであるが。


          日本国内の都道府県単位の社会的移動量(絶対値)の総和を示したグラフ


           イオンの葬儀サービスとの関連で思い出したが、同書にはフランスの葬儀社に関して次のような記載があった。

           革命政府は、この仕組みにくさびを打つために一つのアイディアを思いついた。それは教会に依存しない死ということであった。つまり教会の権威に従わなくても死ぬことができ、この世と天国をつなぐ方法である。その具体的な方法として、革命政府は葬儀会社のようなものを設立する。(pp.162-3)

          ですって。 日本ではお寺の権威に従わなくても死ぬ(成仏)ができるようになったのは、イオンさんが葬儀サービスに参入してから、というのが面白い。 まぁ、それ以前から流通産業による葬儀産業への参入が行われたのではあるが、しかし、戒名料込、最小費用45,000円からの紹介料を謳った業者はイオンライフ株式会社さんが最初かもしれない。

           その意味で、イオンライフ株式会社さんは、フランス革命並みの影響力を日本仏教界にもたらしたのではないか、と思う。

           すいません。フランス革命の影響は膨大なので、あともう2回あります。次回はフランスの中編としてご紹介致し度。





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          コメント:ヨーロッパの社会の成立と神学の関係を示す名著、だと思う。

          2014.11.05 Wednesday

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5 フランス編中篇

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             予想外にこの連載が長くなったので、過去記事を追加しておきたい。
             


             今回はフランスの社会と神学とのかかわりとのご紹介いたしたい。今日は平日なので、やや短めだと思う。なお、これまでの記事は以下の通り。


            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
              神学と科学の原型としての自然神学

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
              ドイツ神学とナショナリズム

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

              英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

              フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味


             前回は啓蒙主義時代以前のフランスで、教会が暦法と出生、婚姻記録の管理をしていたこと、日本では仏教寺院がそれに近いことをしていたが、最近の消費社会の結果それが変質してきたことを触れた。

            フランス啓蒙主義とお一人様クリスチャン

             ところで、フランスでの啓蒙主義の結果何が起きたのか、に関して、次のように深井先生はお書きである。典型的には、もともと教会という場所が信仰と結び付いていたのであるが、啓蒙時代を経ると、それが個人の空間、というよりは、個人のこころの問題になっていくことが指摘されていた。

             宗教の場所が変わったのである。宗教は教会という場所から、人間のこころへと場所を移すことになった。これは近代の典型的な宗教の場所である。それまで宗教がになっていた責任が、西ヨーロッパ全体とか、キリスト教世界、あるいは国家や社会の道徳性という全体性や公共性ではなく、個人のこころの中へと移動してゆくのである。(p.164)


             前回の記事でも書いたが、宗教が個人と絶対者の問題に矮小化されてしまったために、信仰共同体という側面が薄れてしまい、以前「大和郷にある教会」でご指摘があった、お一人様クリスチャンの記事や、このブログ記事でもお一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(1)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(2)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(3)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(4)、という記事を書いてきたが、その根源は、近代という信仰とそれを実空間で表明、表現する場所が、どうであれ教会を根拠にした共同体から個人の問題にフランス啓蒙主義とフランス革命を通じて移ったというのはこの本を読んで初めて強く意識した。このことは、教会解体を生み出す根拠になっていくというのは非常によくわかるような気がする。そして、それが行きついた先は、現代の日本社会において、職場や学校という役割が与えられる社会組織以外に所属組織をもちにくいことから派生した、新興宗教や新新宗教(仏教系、キリスト教系、神道系を含め)の集団に関与していき、そして、社会に対して、どのような形で影響するかは別として、新しいダイナミズムがそこで生まれていることは、前回の記事でご紹介した。

            啓蒙時代における
            聖書との向き合い方の変容

             同書では、神学の啓蒙時代における変容を3つあげておられるが、そのうち第1と第2のものが影響を持つと思うので、それについて紹介して行きながら、思うところを述べていきたい(第3のものは、本をお買い上げいただいて、ご覧いただきたい)。

             第1に、神学はその時代のキリスト教と同じように公共や、社会というものではなく、人間の心の中にその場所をもつようになるため、神学の心理学化が始まった。(中略)それは、教会やその伝統にも依存しない神学が登場する。まさにそれは神秘主義である。(中略)ここでいう神秘主義とは、制度をはじめとする何らかの仲介物に媒介されていない宗教性のことである。そこでは「直接性」ということが重要になる。教会や伝統や他人がどういおうと、
            なのである。(pp.164-5)


             第2に、神学は宗教学へと解体されていく。(中略)内容は神学であっても、キリスト教の研究であっても、大学では神学部ではなく宗教学部として、あるいは神学ではなく世界宗教の一つの宗教としてのキリスト教の研究という位置づけが神学研究に与えられるようになる。(pp.165-6)


             要するに神学、というよりは聖書理解の心理学化、聖書理解の個人主義化と(伝統というブレーキを失ったことで加速される)心理学化・個人主義化に伴う神秘主義的解釈の台頭ということらしい。我がキリスト者集団を形成した最初のころの人に、この神秘主義的解釈が大好きなJ.N.Dという頭文字の方がいたので、その伝統はいまだに受け継がれているように思う。その意味で、我がキリスト者集団は、いまだに、「制度をはじめとする何らかの仲介物に媒介されていない宗教性」を聖霊の働きと称して極めて重視する。別にそのことを問題視するつもりもないし、そういう方も尊敬しているが、伝統や他人の意見や過去の聖書理解の遺産をガン無視して、「私がこう導かれたから、こうなのだ」と突っ走られるときに、いやはやなんと申しあげるべきか、と悩ましく思うことがある。つまり、「聖霊に私が直接語られたから、こうなのだ」というご意見はご意見として尊重したいが、歴史的にも、共同体的にも尊重されてきたことをガン無視して、左様にご主張なされても、とは思うのですね。

            「私が示された」ことが重要に
             このような信仰形態の場合、直接性が重要になるので、要するに過去の伝統は過去のものになってしまう、とは思うのですが。過去のものとして放置しておいておいてくださったらありがたいのだが、その価値を否定し、伝統を否定するあまり過去と過去のキリスト者から切り取られた、キリスト者集団を生み出していくというような気がする。

             直接性が重要視されすぎると、以下で批判されているようなことが起きるようだ。

             「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ

             「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ・その2

             「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ・その3

             ところで、最近、お友達になっていただいている奇特な牧師先生が、日本のキリスト教大学やミッション系大学での神学部の衰退とキリスト教学や宗教学への転換を嘆いておられたが、その嘆きの原因が実は啓蒙主義とフランス革命とにあり、信仰や聖書などをあまりに客観化しようとするあまり、信仰というか聖書理解についての対話、あるいは、啓蒙主義思想の影響で「護教(キリスト教をわかる言葉で説明する)」という側面が薄くなってしまっているという側面は確かにあるだろう。なお、啓蒙思想は、英国にも影響したし、アメリカの独立戦争にも影響し、特にアメリカの人文関連の研究思想に影響する。したがって、アメリカのアイコン(あるいはイコン)でもあるStatue of Freedomは啓蒙思想にあふれかえった時代のフランスからアメリカに、寄贈されたものである。


            アメリカに贈られる前にフランスで展示されていた頭部

            教義学の衰退と道徳化するキリスト教信仰

             本来、キリスト教が世界に向かって、「自分たちが言おうとしていることはこういうことだ」って主張を説明しようとしたのが多分教義学だと思うのだが(この辺は正規の神学教育を受けてないのでよくわからない)、いろいろなものが啓蒙主義的な理解が幅を利かせる中で、キリスト教も個人化して、神秘主義的なものになってしまう傾向をもつ信仰理解が幅を利かせる社会になる中(その意味で、ポストモダンの根源はこの辺にもある)では、衰退せざるを得ない状況におかれるのは、当然の宿命であったような気がする。そのあたりについて、このようにお書きである。

             神学の主要な学問的な努力の結果である従来の教義学などは、その枠組み(引用者註:心理学的な領域)の中に入れなくなる。そこで神学が逃げ込んだもう一つの領域が「道徳」としての神学というものであった。これは啓蒙主義以降の神学の顕著な特徴で、フランスの神学界のみならずこののちドイツの神学に拡がり、世界中に拡大した神学の新しい姿である。(pp.167-8)


             確かに、ギリシアを出発点とする哲学との対話していくプロセスの中で結果護教の学として確立されて行った教義学は、その意味で人間の精神世界を科学として分析しようとした心理学には、どうやっても逃げ込める余地すらなく、門前払い確実なので、教義学の結果導かれる徳目としての道徳をキリスト教あるいはキリスト教精神へとなっていったのはわからなくもない。以前、組合運動に職場の親睦組織だから、と言ってだまされて加盟させられ、そこで自治会の当番みたいな形で務めるつもりが、当時の組合の委員長がガチ左の人だったので、何をどう勘違いしたかキリスト教と組合の精神には通暁(確かに賀川先生やら、尊敬するリチャード・ニーバーの兄貴、であるところのラインホルド・ニーバーとかは関連が深いが)するものがあるとか言いだして、ミーちゃんはーちゃんも書記長なぞに駆り出された時、組合委員長がガチ左翼のとしての活動に走ったので、お諫めしたがお聞きいれもされなかったので、書記長任期切れと同時に組合を脱会した。

             結局、ミーちゃんはーちゃんの退会を機に、その職域の組合から若手組合員が大量流出し、その組合が完全な任意団体化するきっかけを作ってしまったのだが、当時の組合委員長のキリスト教認識は、道徳としてのキリスト教という印象しかなかったようだ。残念ながら、ガチの福音主義の中で育ったので、ミーちゃんはーちゃんが道徳化したキリスト教という概念は持ち合わせていなかったのが、その組合の不幸の始まり。

             閑話休題。次回へと続く。




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            コメント:神学が造ったヨーロッパ社会、ヨーロッパ社会が造った神学ということが分かる地図のような本

            2014.11.08 Saturday

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その6 フランス編後篇

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               前回は、啓蒙主義やフランス革命がもたらしたキリスト教と教会と社会とのかかわりの変容について触れたが、今回は、その啓蒙主義がどう聖書理解に影響を与え、その思想史的展開について、触れておきたい。

               過去記事は以下の通り。


              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
                神学と科学の原型としての自然神学

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
                ドイツ神学とナショナリズム

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

                英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

                フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5
                神と個人の問題となったキリスト教・宗教道徳と理解されたキリスト教



              教会の学校だったのに、
              教会から離れた大学群

               しかし、教義学(と組織神学)の低迷(たぶん、現在もそうなんじゃないか、と思う)以降、最下部で紹介するアメリカの神学者・倫理学者のハワーワスの本が指摘するように、アメリカの大学は教会の大学としての位置を放棄し、神学部は、本来の神学としての営みが失われ、アメリカのもともと教会立の超有名大学(哈巴土大学耶魯大学普林斯頓大学等)では大きく失われて行っているように思う。本来、欧米の大学、巴里大学牛津大学にしても剣橋大学にしても、そもそもは教会の司祭養成所であり、過去の聖書理解(神学)の遺産(伝統)の保護とそこからの拡張(ないし革新)を充実させていく場ではあったのだ。なお、これらのヨーロッパの大学では、かろうじて神学の伝統はまだ生き残っている感じはする。印象の問題であるかもしれないけど。まぁ、輪がっ国における現在の大学での学問体系(と予算を出す方の価値観)が、啓蒙主義の一部でもある科学実証主義や実用主義に毒されているのでいた仕方のない側面があるのだが。それがいきついた先が、最近のG型大学・L型大学の話題かもしれない。

              住民組織と教会が分離した時代

               教会が住民組織としての性質を失っていったり、国家と対峙して、意見を言う存在ではなく、フランスという国家によって変質していく経緯に関して、次のように指摘しておられる。

               象徴的な出来事は1782年9月20日の立法議会での決定で、国民の民事に関する認証を教会から地方自治体に移すための決議が行われた。たとえば出生届や死亡証明書を派考するのはもはや教会ではなくなった。結婚も役所に届けることで成立することになりいわゆる民事婚というものに変ってゆく。教会が残して板洗礼証明書は役場が出す出生証明書となり、結婚証明書、死亡届もみな同じことになった。これは明らかに宗教生活の教会による管理から国家による管理への移動なのである。いまでは民事に関することを国家が行うことは当たり前であるから気がつかないが(後略)(p.171)
               現代の日本も、このフランス民法を一部範に取った(コピペではない)民法精度であるので、今ではすっかり自治体が出生、婚姻、死亡をつかさどるのが当たり前になってしまっているが、これは、フランス革命の産物であるということ、実は、この背景に国民皆兵制度があり、これがあるからこそ、召集令状(いわゆる赤紙)の発行ができたというのはあろう。


              奈良県立図書情報館のサイトで公開されていた
              1945年8月15日に大阪市法円坂町(現
              国立病院大阪医療センター)にあった
              部隊に出頭を要請する臨時召集令状


              教会外のキリスト教?

               先にフランス革命と啓蒙主義の結果生まれた個人主義化したキリスト教のことについて触れ、心理学化したキリスト教の話しを書いたが、それが一歩進むと、教会外のキリスト教になり、そして、それが社会批判とつながり、左派的な何かとの親和性を持つことに関して、このようにお書きである。

               この時代の社会的なコンテキストから言うと、一方に「教会的な神学」、あるいは伝統的に教会やキリスト教文化に責任をもつ神学がある。他方で「教会外のキリスト教」、「啓蒙主義的なキリスト教」というのは、要するに教会嫌いのキリスト教、教会の文化や権威に批判的な人たちが、あるいは教会は嫌いだけど、宗教は大事だと考えている人が営む神学であるから、彼らの神学は、神学による社会批判という側面をもつことになる。(中略)彼らはイエスと私、あるいは神と私がいれば宗教としてのキリスト教は成り立つと考えたわけである。(p.173-4)
               ミーちゃんはーちゃんがもともと国教会制度を否定し、国教会の文化や権威を否定しまくったグループの日本で独自に発展した集団にいることや、世俗の仕事上でもCritical Thinkingとのかかわりが深いことをしているため、啓蒙主義的なキリスト教の要素はかなり強いとは思うが、それではまずいと思っている。教会は共同体において、形成されると思っているし、共同体の霊性は存在すると思っているので、イエスと私、神と私だけで成り立つキリスト教はかなりまずいのではないか、とは思うが、自分自身の聖書理解や自派で語られる聖書理解に、この種の傾向が強い部分があるのは、多少は認識している。実は、このことは内村先生の無教会主義ともどこかで共通の根をもっているように思えてならない。

              聖書学と教会の不幸な関係

               この本を読んで初めて知ったことに、内村鑑三の聖書理解をフランスで再現したような雑誌があったことである。内村先生は、教会から追い出されるような形として無教会に走ったのだが、この人たちは、自主的に教会と対立的な立場をとり、その対立軸に当時最先端であった聖書学を利用しようとした、という側面はあったように思う。つまり、テキスト批評が教会批判の道具として用いられた、ということらしい。
               この雑誌(引用者註:『心の友』という雑誌、リヨンの医師によって1年2カ月で終息、同書によると詳細は不明とのこと)は、教会に行かなくなった「教会外のキリスト者」としての彼らの宗教性に応えるため、毎週末に発行され、彼らは週末に届くこの雑誌に掲載される聖書の研究やキリスト教に関する研究を読むことで、自らの宗教観を養おうとしていた。(中略)即ち、制度としての教会を批判するために聖書学の知識に援助を求めたのである。この対立図式は、今日の教会の神学と聖書学との対立図式にそのまま対応している。(p.176)
               このことは、福音派の中でも、だいぶ後になって、波紋を起こす。そのあたりの裏話をよくご存知と思われる、いまは農業従事者をしておられる方が、このような聖書学と福音派の関係について、非常に印象的な記事をお書きである。

                「聖書論論争」の頃:The answer my friend is blowin’ in the Wind(Bob Dylan)

               この時代のころについては、ミーちゃんはーちゃんはよく知らないので、何ともいい難いが、福音派の中でもラベル貼りというか、レッテル貼り競争事件というか、不幸で不毛な罵りあい合戦が行われた模様である。

               いまは昔、ラベル貼りの翁ありけり。

               そして、啓蒙時代に聖書学を用いて、教会文化を否定していった手口について、このように書かれている。

               繰り返し主張されたのは、イエスの福音とパウロの教会的キリスト教との差異、イエスの宗教的自己意識とパウロの贖罪論との差異などである。これらは、教会批判者によって聖書学の成果が利用され、聖書学者もそれに協力していた典型的な例である。そこでは聖書学は一つの歴史科学であり文献学である事を越えて、立派に教会政治上の役割を果たしているのである。それはまさに新しい神学の機能である。それは明らかに学問の「権威」を借りた教会の「権威」批判だった。(p。177)
               啓蒙時代は、科学が絶対であった。科学が絶対であるがゆえにその科学と親和性が高いがゆえに、文献学というのか、聖書学が学問、というよりは、当時非常に重視された「科学」の立場を借りて、それまでの教会文化や教会の権威を否定していくことになったと思われる。

               教会の権威にチャレンジするために用いられた聖書学というかテキスト批評は、ドイツで発展した(理解が違ってたらごめんなさい)はずだが、それがフランスや、英国、そして、米国に持ち込まれることになる。そして、この概念が、米国のエリート養成系になった教会立学校であった、哈巴土大学耶魯大学普林斯頓大学等に持ち込まれ、これらの教育機関で教育を受けた牧師が所謂メインラインと呼ばれる米国の教会に入っていくことで米国の東部の教会群に広がっていく。そして、これは、リベラル派とラベルが貼られることになる。なお、ミーちゃんはーちゃんをアメリカのメインラインの教会の影響を受けた、福音派の一部の方がリベラル派とラベルを張る方々とも対話するので、リベラル派と誤解しておられる方もおられるが、多分、そのラベルは、看板に偽りあり、になると思う。

              ニーチェについて

               フランスの啓蒙思想を受けた思想家の一人にニーチェがいるが、啓蒙思想と教会嫌いのキリスト教という観点から、ニーチェに関して、非常に含蓄のある表現を深井先生は残しておられるので、ここで紹介する。

               この事をドイツ語圏で別の文脈で、しかしほぼ同じ仕方で語ったのがニーチェだった。ニーチェはキリスト教をトータルに批判したのではなく、彼の立場は、真のキリスト教徒がいるとするならばそれはイエスだ、という逆説的な言葉に表れている。彼自身はイエスと直結した信仰については否定していないのだと思う。彼が否定したのは、その後の教会によって作り上げられて現世の道徳となった教えや神学のことであった。(p.178)


               ドイツ系哲学の基礎素養がないし、ニーチェは読んだことがないので、よくわからんが、ニーチェが否定したのは、その後の教会によって作り上げられて現世の道徳となった教えや神学のことであった、らしい。

               結局、人間ってどうしようもなく、「その時代の必要に応じる」とか、「その時代の人々に語る」とかいいながら、現在Facebook嬢の読書会でちょっと話題にもなっているが、時代依存的な聖書理解を作り上げていくので(正確に言うと、様式だけ残すと、本来の中身が分からなくなり、たとえば、江戸期の隠れキリシタンのように、御子フィーリオが、肥料になるとか、その時代の言語に合わせて再解釈していかざるを得ないので)、どうしてもいろんな余分なものが入ることにならざるを得ない。では、聖書主義に立つ、そして神学教育を否定したとしたところで、こういうことは起きてないかというと、ご本人たちはお気づきではないが、独特の聖書理解の特徴と教会における行動様式の違いは発生するので、別の余分なものが入っていることには違いがない。

               以上、異様に長くなったがフランス編終了といたします。次回(1回のみ)は、いよいよ、米国に入っていきます。




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              コメント:訳は読みにくいけど、書いてあることは非常に重要。アメリカを代表するキリスト教倫理学者のまとめた大学と教会のかかわりに関する本。

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              コメント:とりあえず、手っ取り早く、社会と神学のかかわりを知るにはよいと思う。

              2014.11.10 Monday

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その7

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                 これまで、中世、英国とピューリタンのルーツ、ドイツ、フランスと思うことを書いてきたが、今回からはアメリカにうつりたい。

                 なお、これまでの連載記事は以下の通り。


                 過去記事は以下の通り。


                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
                  神学と科学の原型としての自然神学

                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
                  ドイツ神学とナショナリズム

                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

                  英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

                  フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味

                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5
                  神と個人の問題となったキリスト教・宗教道徳と理解されたキリスト教

                深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その6

                  大学、神学とキリスト教の不幸な分離・批判の道具と化した聖書学



                ピューリタン国家として
                建国しようとしたアメリカ

                 最初にだれがアメリカにユーラシア大陸から渡りついたか、ということは、現在のネイティブアメリカンのご先祖様や、バイキングの北欧人だ等と諸説あるが、現在のアメリカ合衆国という国家の建国に当たっては、プリマス植民地に居付いた元イングランド人ピューリタンが、大きな役割を果たしたことは論を待たない。そのことについて、深井先生は次のようにお書きである。

                 ピューリタンはこのようなイングランドでの不徹底な改革に満足できずに、新しいキリスト教的アメリカを再建するために新大陸を目指した。もちろんアメリカを建国したのはピューリタンだけではない。ピューリタンの国アメリカというイメージもあるが、ピューリタンはアメリカのグランドデザインにかかわった一つの重要な勢力にすぎない。しかしいくつかの要素の一つであっても、決定的な影響力であった(中略)そこ(アメリカ憲法修正第1条)に記されたように国営の教会、公認教会を認めないという考え方はピューリタン神学のアメリカでの社会化といってよいと思う(もちろんすべてのピューリタンがそのように考えていたわけではないが)。 (p.183)
                 シンプソンズでも、Mayflower盟約などに関するエピソードをThanks Givingに合わせてする。下記は、その時のワンシーンである。


                Thanks Giving DayとMayflowerをテーマにしたシンプソンズのシーン

                 下記の動画は、Bowling for Columbineというマイケル・ムーア監督作品中に挿入された、アメリカの略史(特に銃関連)をかなりかりカルチュア化したアニメーションである。最初に自宅でこの映画見た時は、コーヒー吹きそうになった。


                ピューリタンから現代アメリカに至る略史を銃を鍵にカリカルチュア化して描いた
                Bowling for  Columbineに挿入されているアニメ


                 ちなみに、この映画及びアニメでは明確に触れられていないが、アメリカでは、19世紀くらいまで、ネイティブアメリカンや、アフリカ系アメリカ人の始祖に当たるアフリカ人奴隷は動物とされていたことだけは付言しておく(従って、当時殺すことに抵抗感はなかった模様)。


                フランス革命の結果、個人化した信仰と
                アメリカの神学の傾向

                 フランスは革命の結果、市民的自由が市民に与えられ、王制からの脱却すると同時に、教会の神学からも解放された。そして、理性信仰、啓蒙主義の世界における脱教会化した宗教世界が繰り広げられ、その前後に生まれたアメリカ合衆国は、ピューリタンの自治権確立という意味では市民的自由と市民による自治権を獲得したし、英国から遠いこともあり、ある程度の自由を獲得していたものの、つまり、国教会にうじゃうじゃ言われずにを聖書理解を樹立するくらいの自由を確保していたのだが、最終的に英国が戦争するための税負担問題に端を発して、武力による独立戦争の結果、確立した国家でもある。その意味で、非常に市民の自主性を重んじる文化が生まれ、個人主義的な文化へとつながり、宗教的思惟に対しても個人の考え方に対する寛容(それが憲法修正第1条に書かれている)が先に立つことになる。そして、自分(と自分たち)にとって役立つか、合うかどうかが、価値基準になる。

                 「よい神学」は、いまの自分にぴったりの答えをくれる、「使える神学」なのである。そして、多くの人々がそれに賛同すると、市場もマスコミもそれを取り上げ、それがこの市場原理の中では正義になったり真理になったりしてしまう。神学の良しあし、真理性などを決定するのは、もちろん教会や教会ではないし、神学部でもなく、あるいはもちろん国家のような機関でもなく、大衆の声が市場を支配することになってしまう。
                 そこに、神学にとっての一つの誘惑が生まれる。元来規範的な性格が強かった神学が、いつのまにかマーケティングを経て、人々に賛同を得られるような、時代のニーズにこたえた、時代精神に呼応する神学を生産するようになる。神学は、批判性を失い、マーケットを支配する匿名の大衆のニーズにこたえるような言葉や思想を節操もなく書き始めるようになる。(p.196)
                と、深井先生はお書きである。そして、お金持ちでインテリ層に向いたリベラル神学があり、中西部の農民層に受けた原理主義(Bible Fundamentalism)があり、そして、西部のカリフォルニアあたりの高学歴層では、聖書の霊性(スピリチュアリティ)と結びついた、ニューエイジ風のキリスト教界なども生まれるようになってくるし、被差別対象であったアフリカン・アメリカンやヒスパニック、アジア系移民の中では、ペンテコステ運動が広がることになったという歴史的経緯がある。

                 それぞれがおかしいといっているのではない。それぞれを構成する方々は、ミーちゃんはーちゃんの聖書理解には合わないところがあるものの、ミーちゃんはーちゃんにとってキリストのからだ(Corps Christi)をなす方々ではある。そして、エスニシティごとに異なるキリスト教会を形成していたりする。中国系の方々は、中華系教会に集まり、ハングルを話される方々は、韓国系教会に、スラヴィック系の方々はスラヴィック系教会にお集まりになる。また、ギリシア人は、ギリシア正教教会に、ロシア系の方々は、ロシア系教会にお集まりになる。場所がない時は、時間帯を変えて、それぞれの宗教集団が他のキリスト教界から会堂をレンタルする形での非常に多様の宗教シーンが繰り広げられているのがアメリカの都市におけるキリスト教界のシーンである。

                アメリカの地方部で
                近年成立しなくなった教会
                 とはいえ、ちょっと田舎に行くと、いける教会はそこしか教会がない、というところもないわけではない。田舎町では、1980年代から教会が運営できなくなったことも映画の一部にある。「この森で天使はバスを降りた」などには出てくる。下記の動画の1時間31分ごろからそのシーンが出てくる。
                 この映画に描かれたアメリカの地方が非常に美しい。この映画に描かれた人間関係は結構えげつないけど。


                「この森で天使はバスを降りた」の全篇 
                1時間30分ごろからが人が集まらなくなった教会のシーン

                ファースト神学?使い捨て神学?

                 そして、多様化したキリスト教界では、教会の会員数の多さが、宗教市場でより受け入れられている妥当性を示すことになり、数が正義となる傾向を持ってしまう傾向もあるように思われる。そして、それが進むと、繁栄の神学の概念で止まるならまだしも、繁栄を求めて、繁栄を神の座につけようとし始めると、それは問題ではないか、と思う。そして、それは以下の指摘につながるかもしれない。

                 匿名化した大衆のニーズにこたえる使い捨て可能で賞味期限の短い神学を生み出すことになってしまう可能性が高い。(p.197)
                 このことに関して、北の百姓トンちゃん様ある記事の中で、日本の福音派のキリスト教がアメリカから影響について、次のようにご指摘である。少し長くなるが引用しておきたい。

                 私は高校生の時代に、アメリカ人と知り合いになりたくて宣教師の集会に行ってクリスチャンになりました。アメリカは遠い遠い夢の国でした。私たち団塊の世代にとって、新しく格好のいいものはすべてアメリカから来ました。テレビ番組や映画も、雑誌も、「コーク」も「マック」も、カレッジフォークやジャズやロックのような音楽も、アパレル(そんな言葉はありませんでしたが)や車や生活様式も、みんなひっくるめてメイド・イン・USAのファッションでした(そのすべてが私の青春です)。

                 キリスト教の世界もあまり変わらないかもしれません。私が上京した1967年に2度目の「ビリー・グラハム国際大会」が行われ、英国の歌手クリフ・リチャードが歌い、引退したNYヤンキースの野球選手が証しをしました。戦後民主主義のように、福音派においては神学の世界もアメリカでの学びによって導かれて来たように思います(どちらも決して軽視したり否定したりして言うのではありません。私たちのその子です)。宣教や教会形成に関わる分野では、新しい波は、私が牧師になった70年代から80年代にかけて西海岸の神学校から来ました。日本のバブルに乗ったような右肩上がりの教会成長論や(予算計画を含んだ5年計画や10年計画が教会や牧師のビジョンと呼ばれました)、いわゆる聖霊の第3の波と呼ばれたような、その後のカリスマ運動やリバイバル運動に繋がる動きです。そういう一つひとつが、「あれはいったい何だったのか」という思いの中で自省されることもなく時代の流行のように消えて行き、ただその形跡として崩れたもの、何か大切なものを失った痕跡が残り、そこにまた彼の国の現実や文化の中で生まれたより健やかで洗練された新しい波が太平洋の向こうから来ます。成功例はあるでしょうが、生活や歴史文化に根がないアイディアなので受けとめる側にとっては新しい方法論にならざるを得ません。それらは聖書的な教会論の装いをしてはいても本質はいつも牧師がCEOであるような実利主義的な教会運営論・管理論のように私には思えます。南米や韓国に生まれた運動や人間力学の影響も少なくありませんでしたが、私の印象では基本的にはケチャップとマスタードの味をベースに、より刺激の強いチリペッパーやコチュジャンの味を加えたようなものです。実際、韓国の福音派キリスト教は、儒教的人倫体系を基盤にしていますが、非常にアメリカ的です(ある有名教会に属していた私の友人は、植民地下を生き抜き、教会活動の陰で熱心に祈っていた高齢の婦人たちが天に召されて、教会にはイベントだけが残った、と言っていました)。

                 これは新しい伝道方式だと言われる教会では、 ゴスペルミュージックが歌われ、 ホットドックにコカコーラ、スターバックスが似合うような雰囲気で(これらも私の好きなものです)、実際にドリンクの自動販売機が置かれていたりします。それが今の社会のライフスタイルですし、文明的にも、文化やエンターテインメントの世界でも、アメリカ的消費社会に誘導されているのが世界の現実ですから、新しい世代への伝道のアプローチのためにはやむを得ないし、自然で必要なことかもしれません。しかし、そういう中で伝えられているメッセージが、アメリカのポップカルチャーに彩られた古いディスペンセーション神学のイデオロギーであったり、価値観や世界観におけるアメリカニズムであったりするのを見ると、日本の福音派キリスト教は、時代の流れとともに多様化はしましたが、いつも新しいものはアメリカから来るということにおいては、私の高校時代から――いや戦後の焼け跡の時代から――何も変わっていないのではないかと思わされます。時代とともに変わったものがあるとすれば、もしかしたら、(これもある種のアメリカの福音派の影響で)かつての敬虔主義的福音派が大切にして来た聖書の福音そのものの理解かもしれません。「いのちのことば社」の古い本を読んでいると(たとえば、オズワルド・チェンバーズの『いと高き方のもとに』のような)、そこに語られているような信仰と教理の言葉は、もう私たちの宣教や証しの言葉、そして賛美の歌の言葉にはなくなっていることに気づき愕然とします。時代精神ともに失われたものは、時代や流行とともに変わってはならない、十字架と復活の福音にとって大切な本質的なもののように思えますが、何をいつどう失ったのかも分からなくなっている中で、悪貨が良貨を駆逐している感じがします(たとえば、信仰生活の同じ主題についての本でも、昔書かれたものの方がずっといいのですがもう読まれず、あるいは読む信仰的資質や体力が失われ、今のものは新しい時代感覚で同じ真理が言われているというよりも、新しい感覚から出る言葉がナルシシズムの文化の中で福音の大切な本質からずれてしまっています)。

                 その意味で、深井先生のお書きになったことを合わせると、日本のキリスト教も、やはり、アメリカから来る使い捨ての神学を次々と取り込み、福音の大切な本質をどっかこっかに置き忘れてきたのかもしれません。その結果、それぞれが自分自身こそ正統だといい、そして他社を一段低いものに見たり、同じキリストのからだであるものに対する否定的な意見が出てくるのではないか、と思います。

                 なお、韓国のキリスト教が非常に儒教的であることに関しては、2014年ころからの「福音と世界」の連載「市民K,教会を出る」に詳しい。その紹介はこちらから。

                 最近トンちゃん様がお出会いになられた、お隣の国のちょっと困ったキリスト教に関しては、こちらから。

                神学あるいは聖書理解という営為と
                プラグマティズム
                 深井先生は、神学、その言葉がだめだというのなら、聖書理解とは何かを概観しながら、プラグマティズムと比較することで、聖書理解という営為について、このようにまとめておられます。

                 従来、神学という学問は既に措定されている真理を解明し、時代状況の中でどのように解釈し、言語化するかということを考えてきたので、論理的整合性と普遍性、そしてそれを操れる哲学や体系、言語を探求してきた。しかし、プラグマティズムはまず実践的にやってみるのである。(p.199)
                 この中で、状況の中で、解釈し言語化するというのは、重要だと、ミーちゃんはーちゃんは思っているのだが、しかるに、わがキリスト者集団は、それは学問的だ、ということで、そのような取り組みを相当否定してきた。その意味で、よく言えば、現場立脚型であるが、半面、非常にプラグマティズム的である側面を持っている。そして、それぞれの教会の置かれた文脈とか環境とか無視して、ほかで成功した事例を安易にやってみたり、有名な巡回説教者の真似してみたりということがまま起こる。その結果、環境に合わせるのではなく、過去の説教スタイルがそのまま残ったり、時代の変化に合わせるのではない化石化が始まる教会もあるように思う。

                 なお、アメリカのキリスト教史をもう少し知りたい方には、以下リンクで紹介する2冊の本を紹介する。

                 森本あんり著 アメリカキリスト教史
                 ジェイムズ.P.バード著 森本あんり訳 初めてのジョナサン・エドワーズ 

                全体のまとめ

                 ご紹介した『神学の起源』という書籍には、もう1章ありますので、そこは是非ご自身でお読みくださり度お願い申し上げます。大事なので。ここまで、ヨーロッパに始まり、ドイツ、英国、フランス、アメリカと降れてきたが、こうやって、キリスト教のヨーロッパやアメリカにおける全体像を見せられると、やはり、キリスト教は、時代とともに、時代にある人々とともに、如何に普遍的な聖書理解を維持しつつ、時代の必要と時代の言葉に合わせて、語ってきた結果であることがわかる。だからと言って、神のことばの真実性が変わっているということを主張するつもりはない。神のことばが変わったから、教会で語られる内容や方法が変わったのではなく、教会を構成する人々とそれを取り巻く環境が変わったから、真理をもとにそれを伝えるために教会で語られる内容が変わったにすぎないと思うのだが、違うだろうか。

                 またぞろ、長々とした連載になりました。お付き合いいただき、感謝いたします。次回、軽めの話題を挟んで、次々回、またややこしめのお話を。






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                コメント:良いのだけれども、アメリカ史におけるキリスト教は弱いかな。本書だけでは不十分かも。別に紹介する本をご参照いただきたい。

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                コメント:アメリカキリスト教史を概観するために絶対に欠かせない本

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                コメント:アメリカキリスト教史を語る上では欠かせない、ニューイングランドのピューリタンの伝統を引き継ぎ、今なおアメリカ人に影響を与え続ける人物の評伝。

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